母の温もり
――これはいつかの記憶――
いつものようにルカリアとローガン、イーサンの3人は庭に飛び出し駆け回っていた。その日は日の当たるところで少し動けば汗をかいてしまう程暑さの目立つ日だった。
そして雲一つない快晴が三人の色素の薄い目の奥を焦がし、やたらと印象の残りやすい季節だった。
「もぉ疲れた~ルカリア抱っこ~」
「ならあっちで座っとけばいいだろ。すぐルカリアに頼るな」
「やー!僕も遊びたいのっ」
「はいはい抱っこでも肩車でも何でもしますよ~兄様はイーサン君に頼って貰えなくて拗ねてるんです。イーサン君、ここは大人の対応が求められていますよ」
「拗ねてないし!イーサンの兄は僕なんだから取るなよ」
「母様に褒めて欲しいんでしょう?ふふん!ですが残念それは私のものです」
「にいさまだっこする?」
「別にいいよ、ルカリアにして貰えばぁ?」
軽い喧嘩のような空気にはなるが、それ自体仲が深まった証拠だろう。
初めて出会った日以降、子供達が仲良くなるのにそう時間は掛からなかった。
完全にルカリアに懐いたイーサンと棘がありつつも共にいる事を当たり前と受け入れているローガン。
彼らがマティスロア家にやって来た少女ルカリアとの間に蟠りが無かっといえば嘘になる。
幼いながらも少女の見た目が自分達と異なることや、血の繋がりがない人間を家族と呼ぶ事への疑問が心にあった。
仲が良くなったとはいえその疑問は幼い心では簡単には解消されず、かといって感情のままに突っぱねるような事はしない。それには彼らの母イザベラの存在が大きかったのだろう。
ローガンとイーサンの母イザベラは、彼女を知る人なら誰もがその人柄を保証するような明るく社交的な人間だ。
それは寡黙で表情が乏しい夫セドリックを相手にしても変わらず、誰に対してもその太陽のような明るい笑顔で接していた。
それゆえに場を和ませるのは勿論、子供達は彼女がそう接している相手に対して悪感情を持ち続けることは出来なかったのである。そしてそれは日々の家族での食事、庭でする身内のみのお茶会での会話で度々見受けられた。
ある日いつものように庭で遊んでいた3人は芝生で覆われたなだらかな丘から、少し離れた場所にある花壇にドレスを纏った集団を見掛けた。
その中で1人だけ色鮮やかな織物を纏い、大きな日傘を側に控える者に掲げられている女性に気付きいた途端、イーサンを筆頭に子供達は駆け出した。
「かあさまだ!」
頭が重く手足の短い3歳児の体では、母へ会えた興奮に応えることは出来なかったのだろう。半ば予想できた事ではあったが、イーサンは派手に頭から地面に飛び込むように転けた。
が、同時に彼の運動神経と坂道に後押しされた運動エネルギーは、イーサンの体をまるでボールのように転がす事にしたらしい。
「「イーサン(君)!?」」
座っていて一歩出遅れたローガンとルカリアはその大道芸人を彷彿とさせるアクロバティックな動きに思わず叫んでしまう。
更にその声に反応したイザベラ含む侍女の集団も、コロコロと転がる子供に気付き悲鳴をあげる。
そのまた更にその悲鳴に反応して屋敷を警備しているマティスロア家の騎士達が集まり、屋敷の使用人も飛び出し、庭は騒然となった。
「うぐぅ…」
坂道を降りきり停止したイーサンはちょうどペタンと座るように停止し、ポカンと口を開け5秒ほどフリーズした。
体はある意味受け身をとれたといえるのだろうか。痛みはないようで、どちらかといえば一体自分身に何が起こったのかといった様子が伺える。
そうして脳に衝撃が伝達したのだろう、堰をきったように泣き出した。
「うぁあああああああああん」
「イーサン大丈夫か!?」
「多分ビックリしたんですよ。ほら母様の所に行きましょう?」
走って追いついたルカリアとローガンは怪我がないことを確認すると、顔を真っ赤にして泣くイーサンを抱き上げ、こちらに向かっている集団へと足を運ぶ。
ただイーサンの泣き声はそれほど珍しくはないが、今回は坂から前転するという現場を目の当たりにしているために、周囲も只事ではないという認識だったのだろう。
すぐに使用人達が駆け寄り、怪我の有無を確認後、すぐさま手当てを施した。
ただ傷は擦り傷であったが、幼いイーサンにはその手当ての様子や転んだというショックにより、普段の怪我より大きな傷を負ったのだと錯覚してしまったのだろう。
さらに声を張り上げて泣き出してしまった。
これには手当に当たっていた使用人もルカリア、ローガンも狼狽えてしまう。
しかし耳を塞ぎたくなる程大きな泣き声の中、何故か耳にスッと入ってくる落ち着いた声がかけられた。
「イーサンおいで」
「ぅぁぁあーさまぁあっ」
イザベラはドレスの膨らみを抑えるように膝を折ると、両手を必死に伸ばす我が子を抱きかかえた。
その顔には柔らかい笑みを浮かべ、肩にのるイーサンの頭を優しく撫でる。その姿には鼻水や泥など気にする素振りもない、純粋な愛があった。
「転けて驚いちゃったわね?大丈夫よ、大丈夫」
「うぅぅぅぅ」
やがて「ひっくひっく」と呼吸するも落ち着いてきたイーサンの背中を撫でていたイザベラは、その様子を見ていた周囲にもう大丈夫だというように笑いかけた。
それに安心したのか、イザベラ付の侍女が警備を含む使用人を持ち場に戻るよう指示を出す。
「母上…」
「ふふっそんな顔しないで。心配しなくてもイーサンは大丈夫よ」
恐る恐るといった様子で近づいてきたローガンと、その後ろからついて来ているルカリア。
その二人の眉が下がっていることに気が付いたイザベラは、派手に転んだイーサンを心配しているのだと思い笑いかけた。
「ほらイーサン。お兄様たちが心配しているわ。貴方の笑顔を見せてちょうだい?」
目を擦りながらも母の肩から顔を上げた子と、その頬に優しくキスをする母の姿は何と温かい光景だろう。
もう大丈夫だと判断したイザベラがイーサンを下ろそうとすると、嫌だと言うように母の首に縋りつき首を振る。
このところ兄や姉と遊び、以前ほど母親と接する機会が少なかったせいか、その温もりから離れがたいようだった。
イザベラはその甘えてくる様子に仕方ない子だと言いつつも、その顔には優しい笑みが浮かんでいる。
「イーサンは今日はもう疲れてしまったようだし、このまま部屋に返しましょう。二人はまだ遊んでいても大丈夫よ」
「そうですか?じゃあそうしますね!行きましょう兄さま!」
泣き疲れているイーサンが眠いのだと判断したイザベラは、まだ日も高く遊びたいであろう、仲良く手を繋ぐ二人の走っていく背中を見送ると侍女を連れ屋敷に戻っていった。
「兄さま」
先ほどまでいた丘の頂上まで登った二人は、遠くに去っていくイザベラたちを見つめていた。
「兄さま」
ここまで走ってきたからかローガンの息は軽く荒れ、ハァハァといった音がルカリアの耳に入ってくる。繋いでいた手はそのまま、風が吹き、雲が影を作る様をぼんやりと見つめていた。
「イーサン君、大怪我じゃなくて良かったですね」
「…うん」
「いきなり転がり落ちてビックリしちゃいましたね」
「…うん」
「イーサン君羨ましいですね」
「……う、ん」
走ったために乱れた息とは違う、押し殺した声が音が聞こえた気がするがルカリアは構わず景色を見つめていた。つないだ手は熱く、湿っている。
――そんなあの日を思い出す――
風が吹き、雲が影を作る景色
いつかとは異なり青い海が広がる眼下に、少女は呟いた
「綺麗ですよね」




