クリシュナの憂鬱
※クリシュナ視点
コンコンコンッ
「クリシュナ様。ご夕食の準備が整いました」
集中して居たせいか詰まっていた息を吐き、顔をあげると部屋は薄暗い。ノックの音に返事を返し、処理していた仕事をまとめて引き出しに片付け鍵をかける。
部屋には常に鍵をかけてはいるが、万が一のためだ。
基本的に仕事は文官が集まる行政庁で行うが、灯りを灯すのも安く無いため、仕事を家に持ち帰ってまでするような人間はそういない。家に決裁を下すような重要性の固い書類を持ち帰ることなど、想定していないのだ。
ならば私もその仕事を明日へ持ち越せば良いが、そう簡単にはいかない。仕事二終ワリガナイノガ辛イヨヨヨ…
マティスロア侯爵家が治めているモーシェ島は、信頼のおける家に貴族位を与え、各地域の管理の代理を任せているとはいえ、本家が何もしないというわけにはいかない。
日々島中から集まる嘆願書や報告書の精査から各機関への派遣命令など、本家の人間として決定を下す必要があり、その内容は多岐にわたる。
私は本来なら補佐をする立場の三男だが、一番上の兄であるセドリック兄上が王都に、二位番目のアニク兄上が騎士団にいるため、年老いる前からイカれている父上の執務を自分がするはめになった。
元々兄2人に比べ武の才に恵まれなかった自分には、こういった仕事の方が性に合っている。
あの父上に執務を任せるよりも結果的に楽なのだから構わない。ソンナコト考エテル時点デ、現状二少ナカラズ不満ヲ持ッテイルジャナイカッカッカ…
兄達とは歳が離れているせいか、仲は悪くはないが良くもないだろう。
ふと、この後の食事で顔を合わせる甥の姿が頭をよぎる。
養子となった少女とは同世代と聞いているが、随分と仲が良さそうだと思ったものだ。初めて出会った王都の屋敷で、2人寄り添い私を見上げていた幼い義兄妹の目に私はどう写っていたのだろう。
多少凝った肩を回し、夕食へと意識を向けた。最近の夕食会には父上の意向により王都の屋敷から甥が参加してる。他所の血ハ参加デキナイ無念残念諦念ダダダ。
私は甥の教育係として紹介されたが、全ての面倒を見るわけじゃない。ソンナ暇ナイナイ。
領地やカウムディー家の人間としての心得などを教えているが、飲み込みの早いところはセドリック兄上に似たのだろう。顔立ちだけでなく何事も努力を怠らない姿勢がそっくりだ。馬鹿ダッタラ良カッタノニノニ…カワイソウダァ
「はぁ…」
椅子から立ち上がり、次の予定へ意気込んだつもりが溜息が出てしまう。夕食が…というよりも耄碌爺に会うと考えるだけで気が重い。
そうは思いつつも逃げることのできない現状に息を吸って気持ちを切り替えた。待たせていた侍従と共に食堂に向かう。エー嫌ダヨォォ
食卓を父上、アニク兄上、私、ローガンが囲む。手足を洗い祈りを捧げたあと運ばれてきた食事を食べ始める。
土地の規模に比べ人口の多い王都は、農地が少なく家畜の数も必然的に少ない。結果的に他の領地から輸入する事になるが、島国である我が国の輸送方法は船が主に使われている。
そのため、王都の食事事情は決して豊かなものとは言えず、地方の方が裕福な生活水準を送っていると言っても過言ではない。
それ故に王都とは違う様々な食材を用いた食事に驚いていた甥の表情を思い出す。
王都の人口を賄えるほどの農園や牧場は、本土にはない。
国が安定しているが故の政策なのか。それを推測れるほど、私は国の中枢には詳しくない。私は王都で暮らしたことがないからだ。
ただ知識として国の状況を知っているだけ……
貴族であっても屠殺したばかりの新鮮な肉というものは貴重であり、主な肉製品は塩漬けや干し肉など加工されたものが多いのが特徴。
野菜も同様で鮮度の高いものは滅多に食べられるものではない。必然的に傷みにくいものや、長期間保存の聞く野菜、その他も加工されて食卓に並ぶというくらい。
そういった点では、本土の食糧事情は他の領地に比べかなり厳しいものではあるが、それを上回るほどに栄えているのが実情だ。
政治、経済の基盤は王都であり、人が集まる。人が集まれば金も情報も集まり、富も集中する。出稼ぎや商売のために各領地からは毎年多くの人間が王都を訪れるのだ。
そんな食事とは無関係な事を考えつつも、今ここには居ない人間の事へ思考は沈む。
関わりが薄いが新たに侯爵家の一員となった姪も、ここの食事を気に入っていると報告があったから、量を減らし料理のバリエーションが豊富になるよう手配した。
わざわざ遠く離れたモーシェ島に連れてこられたのだから、少しくらい良い思い出を残してやりたい。特にルカリアには今も悪い事をしているため、罪悪感がある。いや…これは参加しないほうが良いのかもしれないな。美味チイ美味チイ
「本日は訓練生たちの相手を致しまして、ローガンは筋が良い!本邸にきた頃とは雲泥の差ですよ」
「おぉ!そうかそうか。流石カウムディー家の男だ。ローガンよ、これからもアニクにしっかり指導して貰いなさい」
「はい。精進します」
「訓練生の仲間とも仲が良さそうで安心だ。よく一緒に話しているがラジェスとカマルとは上手くやれそうか?」
「はいアニク叔父上。切磋琢磨出来る友と出会え、より一層頑張りたいと思っています」
「あぁラジェスとカマルの倅か。両家とも古くから我が家に仕えている忠臣だ。仲良くしているなら用意した甲斐がったな!きっとお前の役にたってくれるだろう」
「あ、りがとうございます」
アニク兄上が気を利かせて明るい話題を出すのはいつもの事だ。それを無下にする父の言葉選びも相変わらずか。
その後、私も会話に混ざるよう気を聞かせてくるのもお馴染みの流れ。私はローガンの勉強面での進捗を報告させたり、領地の話が進んでいく。
正餐ではなくただの夕食であるため、初めから食事は並びきっている。今食卓にあるもので最後だな。今日はこのまま終われるか…そう思った矢先だった
「やはり孫がいるだけで食卓が賑やかになるな」
あぁ…やっぱりこの話に行き着くか…次に来る言葉は…
「アニク、お前のところはまだできぬのか?」
耳が痛くなるような静寂が流れる。先程まで笑顔で食事をしていたアニク兄上の表情も、凍りついているのは気のせいじゃないだろう。
ローガンも口を真一文字に結び、残り僅かとなった皿をただ見つめている。普通はこの地獄の空気を察するものだろう。夕食が憂鬱になる程、この空気が初めてではないのだから。だがそれも父上には分からないのだろう。気付ケヨ老害ガ
「アイラの家系は多産ゆえ、お前の妻にと勧められたが期待はずれだった。お前は立派なカウムディーの男なのだから役目を果たせぬ妻など捨て、本来娶るはずであった正当な血筋から子をもうけんか。大体ワシはあの話は我が家を陥れるための戯言だと思っておったのだ!お前たちを産んだのは……」
そこからは聞くに耐えない老人の戯言が流れていくだけだった。先程までの会話とは違い誰も相槌を打っていなければ、頷いてすらいない。
唯一の救いは兄嫁がいない事だろう。食卓を囲むのは男だけという古い考えをもつ父上のことだ。義姉上に気を遣ってなんて考えはないだろうが、この手の話では救われた。姪モ居ナクテヨカッタヨカッタ
ただこんな会話ともいえぬ老人の世迷言に付き合わせている甥に申し訳なさが募る。アニク兄上と私はまだ良い。父上のこの手の話を聞き流せる程には、怒りも嫌悪も飲み込み反論してきた。まぁそのどれも意味を成さなかったが。
だが幼い子供には、難しいことだろう。ここにきて水を得た魚のように知識を深め語彙を高めていくローガン。
自分がそうであったように、子供は大人が想像する以上に空気を読む事ができるのだ。だからこそ、この夕食に付き合わせていることが心苦しい。馬鹿ダッタラ何モ考エズにイラレタノニ。
こう言った時に気の利いた言葉を掛けてやれるほど、器用ではない自分に腹が立つ。普段は明るく話を盛り上げてくれるアニク兄上も、父上の反対を押し除けてまで娶ったアイラの事となると、怒りを抑えるので精一杯なんだろう。笑顔もなくなり、恐ろしいほどの真顔だ。
無心で食事を食べすすめ、最後に温かい飲み物で胃を休める。心を落ち着かせる作用があるというハーブティを淹れてくれた使用人に心から感謝した。
浅くなっていた息を深く吸込み、目立たない程度に深呼吸をする。父上の呪詛を背景音楽にするのは最悪だが、幾分か気分が落ち着く。聞き流していた話もいつしか終盤に差し掛かり、カウムディー家の歴史から武勇伝へと変わっており、最後はいつだってこの言葉で終わるのだ。
「あぁ…憎き青の破滅はもう直ぐだ」
やはり呆けた老人の話は、理解できそうにない。気持ちよく妄想を語りきった父上の合図を最後に夕食は終わった。アーア!コノ爺、泡吹イテ倒レナイカナ




