86 Euphoria(ⅵ) -Side.T-
スポットライトに照らされた舞台の上、前を見据えて答辞を読む茜さんから目が離せない。太陽のような凛としたあの人は、この場の全員の熱視線を集めていた。
―――2021年、冬。
茜さんたちは今日、12年間通った夜桜学園を卒業した。
卒業してしまえば茜さんは夜桜学園の生徒ではなくなる。この島から出るわけではないから会える距離にはいるけれど、学生の頃のように頻繁に会うことはできないだろう。まあ、言うほど頻繁に会っていたわけでもないけれど。
(というか、多分、不安なのはそこじゃなくて……)
茜さんは4月からバディの聖菜さんと共に情報科に配属される。俺は知らない、知ることのできないその世界が眩しすぎて、どうしようもなく不安になる。
横に並べるなんて思っていない。出会った時から茜さんは学園トップの成績を誇り、同級生からも後輩からも慕われる正しく太陽のような存在で、俺は学年で一番成績がいいだけの後輩。その出会いだって彼女に命を救われたことがきっかけだった。
最初こそ彼女に勝つことを目標にしていたけれど、その気持ちはすぐに消えた。彼女が見せる屈託のない笑顔の裏にある強さは皆が知っているけれど、他の人よりも近くで見てきたからその奥にある努力や決意も俺は知っている。この人には一生敵わないと感じたのは随分前のことで、結局あれほど望んだ決闘制度だって一度も利用しなかった。
並べるなんて思っていない。けれど、そばに居たい。芽生えてしまった淡い想いは消えるどころか日に日にその存在感を増していた。
会えなくても、近くにいれなくてもいい。ただ、彼女にとって唯一無二の後輩でいたい。でもきっと、ただの学生と情報科の軍人ではその関係を保つことすら簡単ではない。このまま連絡が取れなくなったら、俺の名前を、顔を、存在を忘れられたら―――
(……でも、ありえない話じゃない、よな)
俺らしくもない。そう強がってみても身体の芯がスッと冷えていく感覚は消えない。
自身の両腕で身体を抱え込んで初めて自分が震えていることに気付いた。そう、これは真冬にコートも着ずに本部外のベンチに座っているせい。そう思っていないと情けなくてどうにかなりそうだった。
どれくらいそうしていたのだろう。ふと視線をあげると、遠くにぼんやりと白色が見えた。
「雪……」
いつから降り始めたのだろう。全く気付かなかった真っ白な雪は今もシェルターの外で深々と降り積もっている。この島に来て10年以上経つが、初めてこんなに雪が降るのを見た。
卒業式の定番の桜にはなれないけれど、その代わりとしては十分美しい。柄にもなくそんなことを考えて、せっかくだしもう少し近くで見てみようとベンチから立ち上がった時だった。
「……綺麗だね、雪」
弾かれたように肩が震えた。声の主なんて振り返らなくても分かる。だって、その人のことをずっと考えていたから。
でも、今日の一番の主役と言っても過言ではないその人がたった一人でここにいるなんて信じられなかった。幻聴じゃないことを確かめるように恐る恐る振り返れば、その先にいた彼女は眉を下げてクスクスと笑っていた。
「ねえ、何でそんな恐る恐るなの?」
「いや、その……というか何でここに?」
「いいじゃん、そんなの。ただ、会いたい後輩が教室にも射撃場にもどこにもいなくて、探したらここにいたから来たってだけだよ」
「本当、ずるいですよ……茜さん」
「ふふ、それはどうも?」
長い髪を束ね、見慣れた制服に身を包んだ茜さんはいつも通りなのに、その胸に咲く赤い花のコサージュが現実へと引き戻す。
「いいんですか、主役がこんなところにいて」
「何で主役?卒業生は私だけじゃないよ?」
「そうですけど、茜さんはトップだし、慕っている人も多いし……」
「んー、まあ確かに色んな人がきてくれたけど、でもさ……」
一歩、また一歩。ゆっくり近付いてきた彼女は俺の目の前に立つと、頬と鼻を真っ赤に染めて笑った。
「私が一番会いたかった人、三坂くんだもん」
その言葉を聞いて、雪が解けるように不安が消えていくのを感じた。
少し前の自分に教えてやりたい。大丈夫、自惚れでなければ彼女にとって俺はまだ唯一無二の後輩だ、と。
その願いにも似た確信が間違っていなかったと知ったのは、2年生になってしばらく経った頃だった。
茜さんは春になってめでたく情報科に入ったけれど、忙しい合間を縫っては俺に連絡をくれた。話すのは俺の悩みや彼女の仕事の話ばかりだったけれど、電話越しで流れる穏やかな時間は日々の小さな楽しみになっていた。
直接会うことができたのはその年の夏。数ヶ月ぶりに見た茜さんは少し痩せていたけれど、持ち前の明るさは以前と何一つ変わっていなくて安心したのを覚えている。
その頃の俺はようやく決闘制度を使用して1つ年上の先輩に勝負を挑み、卒なく勝利して2年生にして学園トップの座に就いていた。尊敬と嫉妬の入り混じる視線を送られる日常は決して心地いいものではなかったけれど、茜さんも通った道だと思えば何とも思わなくなった。
実際、情報科の一員として変則的なスケジュールをこなす彼女と予定が合う日は決して多くはなかった。月に2回会える時もあれば、数ヶ月会えない時もあったりと様々だったけれど、会えない日々が続いても不思議と心は穏やかだった。
約束の日を首を長くして待ち、終わればまた首を長くする。それは季節が巡っても変わることはなく、茜さんが卒業してから2年後の冬、俺は学園順位1位、バディ順位1位の文句なしの首席で夜桜学園高等部を卒業した。
卒業おめでとう、ようやく第一歩だね、と楽しそうに話す彼女に会えたのは卒業式の2日後。淡い色のスーツ姿で現れた彼女を見れば忙しい合間を縫って時間を作ってくれたことは明白で、申し訳なさを感じながらも心の内では喜びが優ってしまった。
この2年間、20歳を超えても変わらない明るさを持つ彼女に対する淡い想いは変わらない。けれど、俺と茜さんの関係もずっと変わらず「先輩と後輩」だった。
―――2023年、春。
そして19歳になる年の春、俺は指導科の教員として初等部の生徒の教官になった。
「はあ……」
「なーに、ため息なんてついちゃって?」
「いや、初等部の生徒ってあんなに元気だったかと思って」
「色んな子がいるもんね。でも、三坂くんは大人しい子供だったんだろうけど」
「まあ、やんちゃだった記憶はありませんね」
100階、オープンスペース。茜さんに一緒にランチでもどうかと誘われた俺は、社食の生姜焼きランチを食べながら向かいに座る彼女とそんな話をしていた。
軍に入って1ヶ月ちょっと。立場は違えど同じ軍人同士ということで俺と彼女は一緒に昼休みを過ごすことも多い。今日のように2人きりの日もあれば剛士や川上や聖菜さんが一緒の日もあり、本部内でも比較的落ち着いた場所であるオープンスペースで束の間の休息を取る時間は既にかけがえのないものになっている。
「担当、1年生だっけ?」
「はい、1年生の男の子3人と女の子1人です。まあ、一番やんちゃなのはその女の子なんですけど」
「あら、女の子が?そりゃまた大変だねえ」
「それに、女の子だとどう指導していいかわからなくて……」
「んー……あ、私に接するのを参考にしたら?」
「いやいや、茜さんは先輩でしょう、無理ですよ」
「えー、せっかくいい案だと思ったんだけどなー」
残念、と言いながら幼子のように口を尖らせた彼女が可愛らしくて苦笑を漏らしてしまったのは秘密だけど。
怖いくらいに穏やかな時間が流れる。窓越しの空は雲ひとつない青空で、シェルターの外を飛ぶ鳥も気持ち良さそうだ。
食べ終わったランチプレートを片付け、代わりに2人分の飲み物を持って茜さんの待つ席へと戻る。ブラックコーヒーが自分のもので、砂糖を1本だけ入れたカフェオレが彼女のもの。この3年間ですっかり味の好みを覚えてしまった。
どうぞ、と言いながら一方を茜さんに手渡せば、彼女はありがとうと微笑んでそのままマグカップに口を付けた。
「んーっ、美味しい!流石だね」
「流石に覚えましたから」
「ふふ、嬉しいなあ」
カフェオレみたいに甘い笑みを浮かべた彼女はいつも通りのトーンで俺の名前を呼ぶ。
「あ、そうそう、三坂くん」
「はい?」
目の前の彼女は至って普通の、何事でもないような顔をしていた。
「私、来月からしばらく潜ることになったの」
だからこそ、俺は茜さんが言ったその言葉の意味を理解できずにしばらくフリーズしてしまった。
昼休みが終わる5分前、俺の世界は一瞬にして色を失った。
(潜るって、つまり……)
その言葉が示す意味はただひとつ。
「……諜報活動、ですか」
「うん、そう。本土で諜報員に徹するからしばらく会えないや」
「しばらくって……いつまでですか」
「いつまでかなぁ……作戦自体は最終局面って聞いてるから、年が明けるまでには終わればいいんだけど、って感じ」
身体の芯が冷えていく感覚は、2年前の彼女の卒業式の時に感じたものと同じ心地悪さだった。
ここは普通の場所ではない。子供たちが武器をもって戦うような楽園という名の地獄だ。そんなことは分かっている。でも、忘れてしまっていた。
(……ここに、永遠なんてない)
気持ちの良い青空も大空を羽ばたく鳥も本物なのに、この穏やかな日々だけが虚構だなんて。神様なんてもう信じていないけれど、もし神様がいるのなら問いただしたい。俺たちが一体何をしたのか、と。
それじゃあまたね、と何事もなかったかのようにヒラヒラ手を振って去っていく茜さんの後ろ姿を、俺はただ呆然と見送ることしかできなかった。




