85 Euphoria(ⅴ) -Side.T-
―――2020年、秋。
夜桜学園の生徒のつかの間の休息―――夜桜祭。
年に一度の祭りを明日に控えた夜桜学園は何処も彼処も賑わっている。そんな様子を眺めていると、ここが普通の学校なのではないかと錯覚しそうになる。実際は普通の学校がどんなものか知らないので、あくまで想像だけども。
「おーい徹、そっちは出来たかー?」
「あぁ、もう少しだ」
「了解!じゃあ、こっちは―――」
高等部に上がって初めての夜桜祭。俺たちの出し物はチープな執事とメイドのコスプレをした喫茶店。
俺は何とかしてキッチンを死守したが、優しい性格のせいで断れなかったらしい川上は涙目でメイド服を着せられていた。本人は似合わないと言うけれど、客観的に見て可愛らしい容姿をしている彼女のメイド姿は普通に似合うと思う。他のクラスメイトも手放しで褒めていたし、もっと自信を持てばいいのにと思わなくもない。
毎年、夜桜祭の空いた時間は川上や友人の松本剛士たちとそれなりに楽しんでいる。しかし、今年の俺のシフトは1日目の午前と2日目の午後。一方、毎年一緒に回っている彼らのシフトは1日目の午後と2日目の午前。見事に真逆だった。
しかしそれなら別に自室でゆっくり休息をとればいいだけの話だし、それこそ射撃場に行けば確実に独り占めだろう。夜桜祭を特別楽しみにしているわけでもないので、その辺はどうでもいいと言うのが本音だ。
夜桜祭前日、今の俺の仕事は部屋の飾り付け。ホール担当が衣装合わせで忙しいらしく、キッチンがメインで教室を可愛らしく装飾している。和紙で作った薔薇やカラフルなリボンなど普段の生活の中では絶対に目にしないようなものばかりで、流石に欲しいとは思わないけれど、手の込んだ装飾品を見ながらの作業は単純に面白い。
「……よし。剛士、終わったぞー」
「ん?あぁ、ありがとう!」
手元にあった薔薇を全て所定の位置に飾り終え、女子から飾り付け担当を言い渡された剛士に声をかける。長身でガタイがいいので怖がられることも多いけれど、性根は優しくて穏やかな奴なので女子からも頼りにされているのだ。
「ほー……」
「あれ、変なところに付けてたか?」
「いや、むしろ逆。あんなにスピーディーにドンピシャに配置出来るのかぁ、って感心してたところ。流石だな、徹」
「何だそれ。これくらい誰でも出来るだろ?」
「いやいや。ほら……あんな感じで、ちょっとのズレがだんだん大きなズレになって歪んで見えることもあるんだって」
「あぁ、なるほど」
怒られるの俺なのになぁ、と言いながら頭を抱えている剛士の指差す先の装飾は確かに少し歪んでいて、苦笑しながら自分の器用さに少し感謝する。
ぐるりと見回した教室は普段とは全く違う様相を呈していて、つくづく不思議な心地だ。高等部1年生にもなって流石にワクワクはしないけれど、この祭りの雰囲気を純粋に楽しむのも悪くないかもしれない。
(……あー、やっぱり考えないなんて無理だ)
―――なんて考えながら、本当に頭の中を占めているのは結局茜さんのこと。
茜さんと聖菜さんのクラスは演劇をすると聞いている。役やストーリーは知らないけれど、華のある2人のことだ。少なくとも舞台に立つ役者ではあるだろう。
彼女たちの劇は1日目の午前中。生憎俺はシフトが丸かぶりしているため見に行けず、それを告げると茜さんは分かりやすく不満げな顔をした。
正直、自分たちの喫茶店よりもその劇の方が何倍も見たい。けれどそんなことを言えるはずもなく、俺は本心を隠して平謝りしておいた。
(でも、やっぱり一目くらいは見たいな……)
ここ数日で何度も考えてしまうのはそんな叶わない望み。でも叶わないものは仕方がない。いい加減、割り切って諦めなくては。
―――そう自分に言い聞かせていたのは、約1日前。俺は今、かつてないほど自分の目を疑っている。
自分のシフトを終えて教室の外に出た俺を待っていたのは、フリルとリボンの付いたヒラヒラのワンピースを見に纏い、長い髪をリボンでツインテールにした茜さんだったのだ。
「え、何で……」
「あ、三坂くん!良かったあ、教室間違えたかと!」
「いや、これでも1位なのでA組は確実ですよ……って、じゃなくて!」
「だって三坂くん、この後暇なんでしょ?」
「えぇ、まあ……って、え、何でそれを……?」
「劇の最中にね、そんな話が聞こえてきて。多分、最前列の子が君の友達だったんだろうね?」
「あぁ、なるほど……」
そう言えば剛士たちが体育館に行くと言っていた気がする。体育館でやるのは演劇だけだけど、まさか最前列で見ていたとは。しかも俺の話までしていたとは。
(って!だから、そうじゃなくて……!)
見てみたいと願った舞台衣装姿の可憐な姿の茜さんが目の前にいる。こんな服を着ておいて脇役なんてことは無いだろうから、やはり主役かメインどころの役だったのだろう。学園1位ということも手伝って、彼女と、そんな彼女と一緒にいる俺は注目の的になっている。
「いやだから、そうじゃなくて!」
「おわっ!ど、どうしたの?」
「だから、その……何で、ここにいるんですか」
「え?いや、だから三坂くんと一緒に回ろうと思って」
「でも、聖菜さんとか……」
「あー、聖菜はデート。ちなみに彼氏ではないみたいだけど。……で、寂しくなっちゃったから、可愛い後輩くんに構ってもらおうかと思って。ね?」
一目見たいという淡い願いが叶っただけでなく、まさか一緒に夜桜祭を回れるなんて。夢じゃないと分かっていても、頬を抓りたい衝動に駆られる。というか単純に信じられなかった。
けれどこれは現実だ。でも、俺がこの幸福を享受してもいいのだろうか。彼女と回りたい人はもっとたくさん居るだろうに。
(でも、茜さんが選んでくれたのは俺なんだよな……)
せっかくの祭りだ。夏の夜の夢ではないけれど、少しくらい夢を見たってバチは当たらないだろう。
「……じゃあ、行きましょうか」
「そう来なくっちゃ!じゃ、どこから行く?」
「確か、2年生の出し物の中に―――」
茜さんが俺の手を取って走り出す。細い女性の手なのに、その掌は固くなったマメだらけ。それすら愛おしいのだから、俺はもうどうしようもない。
「楽しいね、三坂くんっ!」
無邪気に笑う彼女が眩しくて、彼女が好きなのだと胸の痛みが訴える。苦しいけれど、とても幸せだった。一生こんな日々が続けばいいのにと本気で思ってしまいそうになるくらいには、この時の俺は多幸感の中にいた。
「はーっ、遊んだ遊んだ!」
「まさか、全制覇するとは思ってませんでしたよ……」
「君にとっては高等部初の夜桜祭かもしれないけど、私にとってはラストだからね!後悔はしたくなくて、つい」
1日目終了のアナウンスが流れるまでしっかり夜桜祭を満喫した俺と茜さんは、そのまま下層部の喫茶店に足を運んだ。当然メイドも執事もいない普通の喫茶店で、夜桜祭の日ということもあってか客も俺たち以外はいない。
窓越しに見える夕焼けと落ち着いた店内の雰囲気が相成って、そこには穏やかな空気が流れていた。
改めて目の前の彼女を見る。
自分のクラスの執事やメイドのコスプレが落ち着いて見えるくらい派手なワンピースを着ているのに、それをしっかり着こなしている。違和感が全くないだけでもすごいのに、似合っていて、かつ可愛らしいというのはもはや才能だろう。
「そういえば、茜さんは何役だったんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ?……当ててみて?」
「えー……」
何となくそう来るのではないかとは思っていたので、もう驚きはない。むしろそれを口実にもっとゆっくりその姿を見ることが出来るのだ。
(……いや、相当重症だろ、これは)
半ば無意識にそんな事を考えている自分に呆れつつ、じっくりと茜さんを眺める。そう、これはあくまで質問に答えるためだ。
「水色のブラウス……襟と袖は白で、エプロンも白……このカラーリングは……」
「まあ、一択だよね」
「……シンデレラ?」
「あー、なるほど!そっちもあるなあ。でも残念!」
「じゃあ、あの、うさぎの……えっと……」
「ア……?」
「あ?……あー、アリスだ!」
「そう!大正解!」
茜さんはピンポーン、と言いながら立ち上がり、その場でくるっと回ってみせた。
ストーリーは詳しく知らないけれど、天真爛漫なヒロインのイメージは茜さんにぴったりだろう。そして同時に浮かんできたのは、もう1人のキャラクターの適任者の姿だった。
「じゃあ、もしかして聖菜さんは……」
「そう!ピッタリの役があるでしょ?」
「……赤の女王?」
「大正解ーっ!あ、もちろん美人設定だけどね?」
やっぱり。コミカルなイメージもある赤の女王だが、女王という肩書きが聖菜さんにぴったりだと思ったのだ。実際、コミカルな女王でも彼女なら演じ切った気もするけれど、どうやら今回の劇では赤の女王は美人のお姉さんキャラだったらしい。
今回の劇は基本的には原作に忠実だったようだが、赤の女王が美女であったり、アリスが原作よりポジティブでさらに天真爛漫な少女であったりと少しずつ設定は違っていたようで、話を聞くだけで興味が湧いてくる。
「やっぱり、ちょっと見てみたかったです、その劇」
「えー……ちょっと?」
「……かなり、です」
「だよねー!私もやっぱり、三坂くんにも見て欲しかったなあ」
終わったことだけどさぁ、と茜さんは少し不満げに呟く。
(確かにそうだけど、でも……)
そんな茜さんを見ながら、俺は自分の心に温かいものが広がっていくのを感じた。
この人はきっと、俺が劇よりもアリス姿の茜さんだけが見たかったなんて思っていないのだろう。舞台の上でキラキラ輝くアリスも見てみたかったけれど、それよりも唇を尖らせて少し拗ねているアリス姿の茜さんの方が俺にとっては何倍も魅力的だ。
「……いいですよ。今、俺の前に茜さんが居てくれるだけで満足ですから」
「えっ……あ、ありがとう……?」
「何で疑問形なんですか」
「いやっ、その……あー、もう!何でもない!」
「はぁ?何ですか、それ?」
目の前にある光景が幸せすぎて、だから今の俺は自分が小っ恥ずかしいセリフを吐いたことにも気付けない。
それに気付いて顔から火が出そうになるのは、また別の話。




