83 Euphoria(ⅲ) -Side.T-
「買って、しまった……」
そう呟いた自分の声は、緊張を孕んで震えていた。
――― 1週間前、中等部最後の日。
あの夜。思い立った勢いそのままライフルを買いに行った俺は、知らない世界に圧倒された。
幸いなことに、店主のおじさんはとても親切で、懇切丁寧にライフルについて教えてくれた。話を聞くと、彼は戦場での負傷が原因で役は退いたものの元は日本軍の一員で、本人曰くライフルの腕前はなかなかのものだったらしい。
そして彼は、茜さんのこともよく知っていた。ここは彼女も御用達の店で、彼女がライフルを試し撃ちをするのを店主として何度も見てきたそうだ。
芸術作品と言っても過言ではないほどの才能。それを目の当たりにする度に身体の奥が震える、と話す瞳は輝いていて、改めて茜さんの凄さを痛感した。
彼曰く、あれほどの才能は軍でもなかなかお目にかかれないらしい。
彼の説明を聞きながらなんとか選んだ初めてのライフルは、初心者用の扱いが容易なスタンダードで安価なもの。茜さんが使いこなすものとは天と地ほどの差があるものだった。
でも、正真正銘これは俺の初めての相棒だ。
この時の俺は確かに、このライフルとの出会いに期待をしていた。彼女のようになれたら、なんて憧れすら抱いた。
でもまさか本当に、この出会いが今後の人生を大きく左右することになるなんて知る由もなかったのだ。
―――2020年、春。
見慣れたブレザー、見慣れたスラックス、見慣れたシャツ。順に身に纏っていく新品の制服は、中等部の頃と何も変わらない。ただ一点、目の醒めるような鮮やかな青色のネクタイを除いては。
たかがネクタイ、されどネクタイ。
ここまで生き残った者しか着ることができない高等部の制服は、やはり特別なものに思えてしまうのだ。
そして、数ヶ月たった今でも脳裏に鮮明に焼き付いているあの人もまた、突き抜けるように高い空を思わせるこの色を纏っていた。
ようやく、あの人と―――茜さんと同じ舞台に立てた。
春休み中、俺は彼女のことを調べた。
最初こそ不躾かと思っていたが、調べ始めると、そんなことがどうでも良くなるほどの数のデータがごろごろと見つかった。
―――俺の2つ歳上の夜桜学園高等部3年生。誰もが認める圧倒的な実力者で、学年1位にして学園1位。軍からも一目置かれる存在で、特にその狙撃の腕は高く買われているらしい。軍のトップの最高司令部ですら存在を認識しており、卒業後、彼女を獲得するための各部署による争奪戦が既に始まっているとも言われている。
字面を見ただけで身体が震えてしまう。俺はどうやらかなりの有名人に助けられてしまったらしい。けれど、その出会いに感謝こそすれ、後悔することなんて絶対にない。
2つ歳上の彼女と俺は、実践で直接戦うことは出来ない。
けれど高等部には決闘制度がある。名前しか知らないけれど、下級生が上級生に挑むことが出来る制度だと認識している。これを使えば、俺はあの人と戦うことが出来る。
春の嵐のように鮮烈な印象を残していった彼女への憧れは、彼女のことを知り、同じ武器を持つことによっていつしか対抗心へと変化していた。
無事入学式を終え、川上と俺は高等部の教室に足を踏み入れた。
高等部になったからと言って、劇的に何かが変化するわけではない。けれど、身が引き締まるような感じを覚えるのは皆同じらしい。
「高等部かぁ……遠くまで来ちゃったな」
ぽつりとそう独りごちる川上は、春休み中に腰に達そうかというほど長かった髪を切り、肩よりも短いボブヘアーになっていた。
正直見慣れないし、個人的には1つにまとめられた方が楽なのでは、なんて思ってしまうが、俺がそんなことを言う資格はない。
俺たちの関係はやっぱりいつも通り。
もちろん仲が悪いわけではないが、腹を割って話せるような仲でもない。バディという誰よりも近い存在のはずなのに、ものすごく遠くにいるような感じもする、そんな関係のままだ。
「頑張ろうね、三坂くん」
「あぁ……もちろん。3年間、生き残ってやろう」
目標が一緒、という事実だけがこの関係を保っている。
それはまるで石造のアーチ橋のようで、どこか1ヶ所失われた瞬間、崩壊してしまう危険を孕んでいる。そんな関係に、俺は今日もまた目を瞑った。
初日の授業を終えた俺は、特に理由もなく本部の外へと足を向けた。植物園では様々な花が咲き誇っているのだろうが、生憎花には興味がない。
本部前のオープンスペースは様々な人たちが談笑する場になっている。
俺自身は、川上や友人たちとここで話をすることはあまりない。けれど実は、一人ならここへよく足を運んでいる。
オープンスペースの端、賑やかな声も届かない木の裏手に1つだけ設置された、こじんまりとしたベンチ。敷地の端にある上に、目の前に広がるのはシェルターの外の廃ビル群。そのせいなのだろう。ここで人に出会ったことは一度もない。
でも、俺にとっては妙に心地が良い場所なのだ。
ベンチに腰かけ、下層部の図書館で借りたミステリー小説の文庫本を開く。読書が趣味というわけではないけれど、この作者のシリーズは面白くて何冊も読破してきた。
ストーリーの終盤、探偵役の刑事が犯人を名指しする直前。次のページを捲れば、恐らくそこには犯人の名前が記されている。
(あの日、アリバイがないのは彼だけだが、何かしらのトリックを使えば彼女も……いや、でも、どんなトリックを……?)
もう一度戻って考えてみるか。それとも、既に捲りかけているこのページをそのまま捲ってしまおうか。
物語はクライマックス。一人で勝手に興奮していたその時だった。
「犯人は被害者の母親。母親を信頼していた被害者は、まんまとその口車に乗せられちゃったんだよ」
―――ネタバレされた、なんてことはどうでもいい。俺の意識は一瞬で、小説からその声の主に切り替わった。
「あ……茜、さん……!?」
「あっ、覚えててくれたんだ!嬉しいなぁ」
俺の肩口に後ろから頭を乗せ、本当に嬉しそうに微笑んでいる彼女を忘れるわけが無い。この休み期間、ずっと憧れていたのだ。もう一度会えたら色んなことを聞こうと決めていた。それなのに、いざその時が来ても俺は何も言うことが出来なかった。
「えっと……なんで、ここに?」
「実はね、ここ、私も好きなの。君もそうなんでしょ?」
「あ……はい、何か落ち着くので」
「分かる分かる!やっぱり学年1位同士、通じるものがあるのかもねー!」
「はい―――って、え、茜さん、俺の事知ってるんですか!?」
「ん?当たり前でしょー?三坂徹くんだよね?前に助けた時から知ってたよ」
「こ、光栄です……!」
「あははっ、それは大袈裟だよ、三坂くん!」
そこにあるのは、初めて会った時と全く変わらない太陽のような笑顔。
(あぁ……やっぱり、憧れだ)
抱いていた対抗心がみるみる萎んでいく。
直感的に、今の俺ではこの人に適わないと分かった。決闘を申し込むなんて、身の程知らずにも程があるだろう。
でも、心のどこかではやっぱり戦ってみたい、という気持ちはあって。
そして茜さんは、何故か俺のそんな気持ちを見破ってしまう。
「……ねぇ、三坂くん。今度、私と戦わない?」
「はぁ!?俺と、あなたがですか!?」
「そう!嫌かな?」
「いえ!むしろ、それこそ光栄っていうか……!」
そう言う彼女の瞳はギラギラしていて、その輝きが、この人が本当に今の学園トップなのだと再認識させる。
そんな人の方から誘ってもらえたのだ。断る理由なんてない。
「それなら良かった!じゃあ3日後の17:00、ここで待ち合わせでいい?」
「はい!よろしくお願いします……!」
「そんな固くならないでー?気楽にやろうよ!」
かくして、俺と茜さんの初めての戦いが決まったのだった。
約束の3日後は、軍の都合で休校日だった。
夜桜学園に9年間通ってきたのだから、決闘にわざわざ休校日を指定してきた理由がわからないわけがない。
土日などの休日は、シェルターの外に出るには軍の許可がいる。これを取得するのが地味に面倒で、故に生徒たちは休日はシェルターの外に出ようとしない。
しかし、創立記念日など平日に設けられた休みの日は話が別だ。
俺たちにとっては休日でも、シェルターのシステムは平日として作動しているため、このような日は許可なしでシェルターの外に出ることができるのだ。
とは言っても、シェルターの外に出る人間はほとんど居ないのが現実。実地を見て戦略を立てても、人がいるのといないのでは話が全然違う。
俺も中等部の1年生の時こそ、意気揚々と外に出て観察したこともあるが、だんだんとその機会は減って、3年生の時なんて1度も来なかったような気がする。
シェルターの外のメリットはただ1つ。
射撃場などとは違い、制限なく実際の武器を使用できること。
つまり、茜さんは俺と実際の武器を使って戦おうとしているのだ。
待ち合わせの場所に向かえば、そこには既に人影があった。
まさか、と思い走って向かえば、その待ち人は当然俺の存在に気付いたようで、こちらを向いて、ぱあっという効果音が聞こえてきそうな満面の笑みを浮かべた。
「約束の時間、10分前!さすが、しっかりしてるね」
「いや、茜さんは俺より先に来てるじゃないですか」
「そりゃ、呼び出しといて遅れてくるなんてナシでしょ?」
「それこそさすがですけどね」
そんなことを言う俺よりも10センチは小さい彼女は、今日は動きやすさを重視したハーフパンツとTシャツ姿。裾や袖からは華奢な四肢がのびている。
何故か心の底がムズムズしてしまうような色白の肌とは対照的に、腕にも脚にも俺から見ても痛々しいほどの傷跡が刻まれており、彼女の努力を感じずにはいられなかった。
「……それじゃ、始めようか」
そう言ってポン、とライフルケースを叩いた茜さん。彼女は確かに俺よりも小さく華奢なのに、その姿はずっと大きく、その不敵な笑みは恐ろしく見えて、俺は思わず息を呑んだ。
決闘の結果は言うまでもない。
―――と思っていたのだが、正確には少し違った。勝敗が着く前に中断されてしまったのだ。
「いた……!こんなところで何してんのよ、茜……!」
「え、聖菜……!?な、なんでこんなところに!?」
圧倒的劣勢、息も絶え絶えの俺と、痛くも痒くもないと言わんばかりの余裕を感じさせる茜さんの目の前に現れたのは、ウェーブのかかったポニーテールとアーモンド型の形の良い瞳が特徴的な美女。
俺と茜さんは同じような表情を浮かべていただろうが、俺は密かに感動していた。
(あれは、茜さんのバディで、学園2位の牧瀬さん……!?)
牧瀬聖菜さん。茜さんのことを調べれば、彼女のことも知るのは必然だった。
茜さんが圧倒的な太陽だとすれば、彼女はそれを受けて恍惚と輝く月。けれどその光は決して太陽に劣ることはない。
順位こそ2位だがその実力は茜さん同様軍の折り紙付きで、彼女もまた既に争奪戦がはじまっているという噂を聞いた。
突然の学園トップバディの登場に固まってしまった俺をよそに、2人は話を続ける。
「なんで、じゃないでしょ!?変な時間に出て行ったと思ったら、こんな遅くまで帰ってこないし……!」
「いや、でも、そんなの珍しくないでしょ?」
「ライフルバッグ抱えて出ていったのに射撃場に居なければ、そりゃ不審に思うでしょ!?だから探しに来てみれば、後輩と戦ってるし……!」
「いや、これは実弾じゃないよ!?サバゲー用のやつ!この前、本土に行った時に買ったやつ!」
「そういう話じゃないでしょ!?」
ようやく我に返った俺の目の前で繰り広げられていたのは、激昴する牧瀬さんと、まるで小さい子供のように拗ねる茜さん、という奇妙な光景だった。
「はぁ……ごめんね、三坂くん。茜が馬鹿なことして」
仁王立ちの牧瀬さんと、どうしたらいいか分からず棒立ちになるしかない俺、そしてそんな牧瀬さんの真正面で正座して小さくなっている茜さん。つくづく変な光景だ。
「いえ、俺は全然……」
「ほら、彼もこう言ってるし。ね?」
「茜は黙ってなさい!大体、これを決闘って言うなんて、本当にどういう了見なの!?」
「んー……正確には決闘とは言ってないし?ただ、戦お?って言っただけっていうか……」
「尚更ダメじゃない!この確信犯!」
話から分かったのは、どうやらこれは決闘ではなく、ただのゲームだったということ。ただ正直、俺としては茜さんと戦えただけで十分なので何も不満はないのだが、それを言っても火に油な気がする。余計なことは何も言わないのが吉だろう。
「とにかく!今日は帰るわよ!三坂くんも行きましょ」
「あ、俺はあとから行くので……」
「あらそう?それじゃ、また。今度、改めてお詫びをするわね」
「いえ、お構いなく……!」
「そういう訳にはいかないわ。そうよね、茜?」
「うん。またね」
半ば引きずられるようにして去っていく茜さん。いつも太陽みたいに明るい彼女のしおらしい姿に胸が痛むような、少し新鮮で可愛らしく思えてしまうような気持ちを抱えながらその姿を見送っていると、ふいに茜さんと目が合った。
(あぁ……やっぱりあの人は、ああでなくちゃ)
茜さんは、牧瀬さんの目を盗んで小さくウインクし、舌をペロッと出していた。全く反省の色が見えない彼女はいつも通りで、妙に安心してしまう。
(……まるで子犬みたいで可愛いな)
そう、コロコロ表情が変わる子犬のようで、本当に―――
(え……?)
俺は今、茜さんを見て何を思った?
ここに誰もいなくてよかった。
だって、今の俺の顔はきっと誰にも見せられない。
憧れが対抗心に変化していた。そしてそれは、淡い恋心に変化してしまった。
気付いてしまった思いを止める術を、この時の俺はまだ知らなかったのだった。




