82 Euphoria(ⅱ) -Side.T-
「そういえば俺、初等部からここにいるって言ったか……?」
彼女―――葛西茜さんと別れ、本部内の夜桜学園中等部へと歩みを進めている途中でふと気付く。
確か、俺は自分の身の上は何一つ……それこそ名前すら明かしそびれたはずだ。それなのに、彼女の口ぶりは事実を述べるものだった。つまり、俺がここの初等部出身だと確信を持っていたのだろう。
彼女といたのはおそらく10分くらい。
たったそれだけなのに、ひしひしと伝わってきた不思議な魅力。
「茜さん、か……」
口に出して名前を呼ぶと、脳裏にあの笑顔が浮かんでくる。
気恥ずかしくて、けれど嬉しいその響きは、初めて口にしたのにまるで幼い頃から知っているような心地良さがあった。
中等部3年生の実践の授業は2時間目。
3時間目にはもう間に合わないが、4時間目の授業になら余裕で間に合う。というか、今日の4時間目で中等部の授業が全て終わるのに行かないというのは何となく罪悪感があった。
受付の女性たちの談笑する声、明日の卒業式に向けて花を搬入する人々の喧騒。本部に足を踏み入れた途端、非日常から日常へと引き戻される。
瞬間、思い浮かんできたのは、泣きながら去っていった自分のバディのこと。
彼女の涙の理由はおおよその見当こそついている。ただ、確信は得ていない。
中等部卒業までに、せめてこのモヤモヤとした感情だけでも解決しておきたいのが俺の本心。でも、川上本人の気持ちは分からない。俺と同じように解決したいと思っているかもしれないが、もしかしたら触れられたくないと思っているかもしれない。
3年間、ずっとバディとして一緒にいたのにこのザマだ。自嘲するしかない。
俺は決して、上手に気を遣える質ではない。
でもかといって、ストレートに聞くほどデリカシーがないわけでもない。そもそも、それを聞く度胸がないのだ。自分の女々しさにつくづく嫌気が差す。
「あーもう!どうすればいいんだよ!」
エレベーターの中、一人吐いたのは本日何度目かのこのセリフ。
けれど何度一人で吐いたところで、解決策は一向に浮かんでこない。
「はぁ……」
溜息を吐いて見上げたのは、3-Aと書かれたプレート。結局、何も思いつかないまま教室の前まで戻ってきてしまった。
今は休憩中。教室に戻っても悪い意味で目立つことはないだろう。しかし、俺が戻ってきたことに川上が気付かないわけがない。
どう話を切り出そうかと悩む俺の脳裏に、躊躇いがちな怯えた視線を向ける彼女想像して、また溜息がもれた。
川上は俺にとって、悪くない相棒だ。
学年順位は決して高くないけれど、能力は平均以上だし、頭の良さは学年でも随一。足を引っ張り合うこともなく、仲が悪いわけでもなく、男女の面倒な感情もなく。少なくとも俺にとっては、心地のいい関係の相手だ。
正直、別の奴がバディなら…、と考えたことがない訳では無い。でも今は、高等部でも彼女と相棒でいることに何の不満もない。
でもきっと、この言い方では駄目なのだろう。
不満がないということは、しかし満足ではないとも取れる。悪くない、は良くもない。
実際、そう思ってしまう節があるから否定できないのがまたタチが悪い。我ながら最低だというのは分かっている。
川上は聡い。
おそらく、こういう俺の微妙な感情を感じ取ってしまうのだろう。それもまた才能だとは思うけれど、生きにくそうだとも思ってしまう。全く、何様だという話だけれど。
さて、どうしたものだろうか。
またしばらく頭を悩ませていると、突然目の前のドアが開いた。
「あ……」
「三坂くん……!」
幸か不幸か、そこに居たのは俺を悩ませる張本人。
視線がかち合った瞬間、川上の大きな瞳がさらに見開かれ、そしてみるみる大粒の涙を溜め始めた。
「おい……!?」
「もう!なんで帰ってこなかったの!?心配したんだよ……!?」
「いや、シェルターの外から戻るのが遅れて、それで……」
「でも、それなら、連絡の1つくらいして欲しいよ……バディなんだから……」
川上が泣く理由は大体が俺だ。
最後の実践が終わったあとに泣いた理由もおそらく俺が絡んでいるのに、ここでもまた俺は彼女を泣かせた。
「……ごめん。心配かけて」
それなのに、出てくるのはいつもこんなありきたりな謝罪の言葉だけ。自覚しているとはいえ、自分はこんなにも気の遣えない人間なのか、とまるで他人事のように呆れてしまう。
「ううん。私の方こそごめんね、また泣いちゃって」
そして川上は、自分は全く悪くないのに謝って、無理やり笑う。
まるで泣いているかのような笑顔なのに、そんな顔をする彼女に掛ける言葉すら、俺の脳内には一言も浮かばないのだ。
今日も結局、何も解決していないのに川上は苦しそうに笑って謝り、俺は何も言うことが出来なかった。
中等部の卒業式は簡素で地味で寂しいものだ。教室内で卒業証書を授与され、担任から簡単な挨拶を貰うだけ。まあ、むしろ本番は高等部からと言っても過言ではないのでこんなものか、とも思うけれど、やっぱり少し物足りない感じは拭えない。
ちなみに初等部の卒業式は、担当教官からひたすら褒められ鼓舞される。学ぶ内容は全く違うけれど、雰囲気は普通の小学校と変わらないのでは無いだろうか。
一方、高等部の卒業式は厳かに大々的に執り行われる。高等部の卒業式に卒業生として参加できるのは、実践を6年間生き延びて春から軍人として働く猛者だけ。初等部、中等部の在校生だけでなく、新たな戦力の初お披露目の意味もあるのか多くの上級軍人も参加する。
そんな訳で実に呆気なく卒業式を終えた俺は、自室に戻ってきてそしてベッドに突っ伏した。
「はぁ……」
―――くそ野郎か、俺は。
結論から言うと、俺は川上に涙の理由を聞くことが出来なかった。
理由は至極単純、聞くのが怖かったからである。
聞かないと何の解決にもならないと分かっていても、その理由に自分の存在があることを察してしまったからこそ、いざ聞こうとしたら言葉が喉でつかえて出てこない。
自分がこんなにみっともなく、弱い人間だなんて思っていなかった。完璧だとは思っていないけど、まさかここまで愚かな人間だったとは。
「喧嘩……じゃないよな。でも、仲直り……仲直り、か……」
思い返せば、川上と俺は喧嘩をした事がない。
それは一見すれば、とても美しい友情に見えるのだろう。でも、俺たちの間で揺らぐ遠慮と見え隠れする不満は募り、行き着く先すら知らずにずっと漂っている。それを俺たちは知っているのに、見て見ぬふりをして今日まで生きてきたのだ。
いっそ、激しくぶつかり合えば解決するのだろうか。でも結局、その勇気すらない。
何か策を考えないと。でも、一体何を考えればいいのだろう。
頭の中をぐるぐる回り続けるのはそんな問いかけ。答えの分からない問いはまるで、暗闇の中を彷徨っているようだ。よくある表現だけど、正しくそんな感じ。懐中電灯でも蝋燭でも何でもいいから、先を照らす明かりが欲しい。
時刻は夕飯時。
既に外は真っ暗で、本部の周りを囲んで建つビルからは温かな光が漏れている。
普段から自炊はしないので、これくらいの時間になると下層部のレストランに足を運ぶのだが、今日は生憎まだお腹が空いていない。
そういう時は、ほぼ決まって射撃場に向かうことにしている。
訓練の意味合いもあるけれど、この場合はどちらかと言うとストレス発散目的。そういう射撃は気が楽で、気分もスッキリするのだ。
「……よし、行くか」
着たままだった中等部の制服を脱ぐ。
これを着るのは今日が最後だったわけだけど、感慨などはあまり感じない。次に着るであろう高等部の制服のデザインがあまり変わらないからだろうか。
赤地に金色のクロスがプリントされたネクタイが中等部、青地に金色のクロスがプリントされたネクタイが高等部のものだ。爽やかな青色が映える制服を想像して、ふと脳裏に鮮やかに揺れる青色が浮かんできた。
まだ鮮明に思い出すことができる、あの光景。
「茜さん……」
彼女が俺を助けてくれた時、印象的だったのが高等部のネクタイだった。
中等部を生き抜いた者しかつけることができないその青色が、とても鮮やかで眩しかったのだ。俺は果たして、青色が似合う人間になれるだろうか。
颯爽と現れ、ネクタイと長い髪を風に揺らしながら、ライフルを自分の一部のように使いこなす彼女のように、俺は―――……
「……ライフル、か」
そのワードを呟いた瞬間、頬を抓られたかのような衝撃を覚えた。
それはまるで、戸惑う俺の目の前に茜さんが突然現れて、にっこり微笑んで懐中電灯を手渡してきたような、そんな不思議な感覚。
新しい武器を使うなんて、今まで考えたことがなかった。
銃を武器にして、中等部では学年1位まで上り詰めたのだ。現状に不満は全くない。
でも、俺と川上の関係に一石を投じるためには何かしら変化が必要になる。もしかしてその一石は、これなのではないだろうか。
そうと決まれば予定変更だ。クローゼットの中から訓練着ではなく普通の服を取り出す。
向かう先は行き慣れた銃の専門店。店が閉まるまでにはまだ時間がある。思い立ったが吉日だ、今すぐ向かおう。
―――懐中電灯の先には、小さいけれど確実に出口が見えた気がした。
逸る鼓動が抑えられない。
だって、もしかしたら俺は今日、人生を変える出会いを果たしてしまうかもしれないのだ。




