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79 パンドラの箱

“深紅の5日間”―――後にそう呼ばれることになるこの政府の襲撃は、政府が白旗をあげるまで、その名の通り5日間にも及んだ。

政府の派遣した勢力は全滅、こちらも下級軍人の半数以上を失う損激を受けたが、結果だけ見れば日本軍の完全勝利である。


シェルターの外は壊滅状態。

瓦解した廃ビルと、おびただしい数の死体。充満する悪臭と、それに釣られてやってきたハエの巣窟と化しており、とてもじゃないが人が生身で出歩けるような状態ではない。

多くの軍人の目下の任務は、この劣悪な環境の改善になるだろう。


今すぐ元通りの生活に戻れるわけではない。でも、この平和は虚構ではない。手にした本物の平和を噛み締めながら―――同時に、亀山大将をはじめとする大きな犠牲を感じながら、楽園はいつも通りの日々への一歩を踏み出したのだった。



5日間のうち、私たち学生が戦力として駆り出されたのは最初の3日間のみだった。その内2日間は、私は財前と教官の相次ぐ負傷により戦線離脱していたので、実際はなんの戦力にもなっていなかったと思う。

最後の2日間は本部内での待機を言い渡されたが、居てもたってもいられず全員でシェルターの出入口に戦闘準備万端で待機し続けた。その様子を見た軍人たちが呆れて大笑いしていたのも、今となっては良い思い出である。



4日目の昼過ぎに財前は目を覚ました。

あれだけ撃たれたのに、弾は全て急所を外れていたらしい。悪運が強いとはまさにこの事だろう。それが功を奏したのかは分からないが、予想より早く目覚ることが出来たようだった。

案の定、体の痛みはそうかなりのものらしい。でも、命があるだけありがたいと既に笑顔を見せているから彼は大丈夫だ。


一方の教官も3日間眠り続けて、5日目の夕方に目を覚ました。それは奇しくも、日本軍が勝利を宣言したタイミングとほぼ同時だった。


目を覚ました、という連絡はもらったけれど、昨日は半ば無理やり参加させられた島全体を挙げての祝賀会から抜け出すことが出来ず。いつ終わったのかすら分からないほど長々と続いた祝賀会から何とか解放された頃には、面会時間はとっくの昔に終了していた。



そういう訳で結局、全てが終わった6日目の今日、ようやく病室を訪れることができるのだ。


まず、感謝と謝罪を述べる。これは決定事項だ。

次に、今の体調を聞いて、大丈夫ならたわいもない話をしてみる。

―――そして最後に、“あかねさん”の話を聞く。


頭の中で、何度もシュミレーションする。まあ、こんなことをしたところで実際に教官の顔を見てしまえば、あっという間に吹っ飛んでしまうんだろうけど。

……正直、かなり緊張している。

それはもちろん、彼が私を庇って撃たれたからというのもある。でも、それだけじゃない。


気にしないようにしてきたけれど、本当はずっと気になっていた母親。それを知ることが出来るかもしれないのだ。

彼女がどこの誰で、もし軍人だったのなら何をしていたのか。

それはまるで、長年見つからなかったパズルのピースが見つかったかのような感覚。何もしていないのに、心臓がいつもよりも速く脈を打っている。


「んー……いい天気」


今日は久々の晴天。風はすっかり冷たいけれど、それすらも今日は心地いい。そんな風を感じながら歩いていたその道中、前方に見覚えのある姿を見つけて思わず顔がほころぶ。


「あら、藍ちゃんじゃない!」

「聖菜さん!お久しぶりです!」


普段と何も変わらない姿。だけどそれが安心感を強める。



聖菜さんと会うのは、ホワイトエクスプレスの任務以来。当たり前だが、あれ以降は私も河原も情報科の仕事に携わっていない。だから、あの時捕えた双子の標的がどうなったのかすら知らないのだ。

まあ正直、全てが終わった今はそれすらどうでもいいのだけど。


「藍ちゃんも徹くんのお見舞い?」

「はい。ということは聖菜さんも?」

「えぇ。仕事がバタつく前に、とりあえず顔を出しておこうと思って」

「なるほど……終わってからの方が忙しいですもんね」

「その通り。終わる目処が立たないから、今回はいつ寝れるのやらって感じよ、もう」


話を聞くと、今回の襲撃で情報科は、なんとあの黒船の中に潜伏していたらしい。内部から敵の殲滅を行い、追加の戦力が楽園に上陸しないよう裏で画策していたそうだ。

目の前の敵に手一杯で、そんなこと想像すらしていなかった。でも、この襲撃が5日間で完全に終息したのはやはり情報科の尽力が大きいのだろう。


「そんな……聖菜さんは無事なんです、よね?」

「えぇ、ピンピンしてるわ。ちなみに、ナベさんも朔夜くんもね」

「そっかぁ……良かったです」

「ありがとう、藍ちゃん。私たちのことまで心配してくれて」

「いえ!というか、当たり前です!」


渡辺班の面々はもちろん、情報科に所属する軍人は誰一人欠けることなくこの5日間を乗り切ったらしい。やっぱり流石、としか言いようがない。



その後も軽い近況報告のような話をしながら病院へと歩みを進める。その時、ふと思ったのはお母さんのこと。

―――教官がお母さんと知り合いだとしたら、教官の先輩である聖菜さんもお母さんのことを知っているのでは……?


お母さんが教官にとっての何だったのかは分からない。教官の教官だったのか、上司だったのか、先輩だったのか。でも、それなら聖菜さんだって知っている可能性は十分ある。

まあ、教官が任務で知り合った一般人がお母さんなら聖菜さんとは知り合いではないだろう。でも、お母さんが一般人であるというその線は、何故か限りなくないと思っている自分がいる。


お母さんは楽園の人だった。

それはもはや確信になっていた。



「そういえば聖菜さん」

「ん?何かしら?」

「聖菜さん、葛西茜って人を知ってますか?」

「……彼女がどうかしたの?」

「いえ……私の母親なんですけど、もしかしたらここの人だったかもしれなくて」

「へぇ……どうしてまた、急に?」

「……実は、教官が気を失う前に私の顔を見て呟いたんです、“あかねさん”って。私の顔を見てその名前を言うってことは、教官と母は知り合いだったと考えられませんか?」

「そうね、可能性としては十分だわ」


私の問いに答える聖菜さんは、やはりいつも通り。

聖菜さんとお母さんが知り合い、という当ては外れかもしれない。そう思いながら、何となくそのまま話を続ける。


「……私、母と暮らしていたのは初等部に入学するまでの6年間だったんですけど、その間にも少し不思議なことがあって」

「不思議なこと?」

「母の仕事を知らなかったんです。夜の仕事ではなくて……でも、昼間もずっと私と一緒に居てくれて。あと、幼児でも分かるくらい聡明な人でした。それを加味して考えたら……」

「なるほど……楽園の―――軍の人間と考えられる、ってわけね。徹くんとも知り合いみたいだし」

「はい。まあ、あくまで予想なんですけど」


病院は目の前。

聖菜さんも知り合い、という可能性は無さそうだしこの話は切り上げよう。そう思って言葉を紡ごうとしたまさにその時。


「藍ちゃん」

「はい?」

「……葛西茜、って言ったわね?」

「え……あ、はい」

「その人を、私はよく知ってるわ」


―――え……聖菜さんは、今なんて……

見上げた聖菜さんの表情はよく見えない。


「……でもね、その話は私には出来ない」

「ど……どういうこと、ですか?」

「娘の藍ちゃんの前で言うのもあれだけど、その名前はね―――」


振り向いた聖菜さんは、今まで見たこともないような苦しそうな顔をしていた。



「―――パンドラの箱、なの」



気付いた時には、そこは既に教官の病室の前。

立ちすくむ私に聖菜さんが気付いていないはずがないのに、彼女は勢いよくその扉を開けた。


「……そして、それを開ける権利があるのは彼だけなのよ」



そう呟く彼女の視線の先にいたのは、ゆっくりとこちらを振り向いた教官。


「聖菜さん、仕事はいいんですか?」

「えぇ。私を誰だと思ってるの?」

「あー、そうでした、すいません。……葛西、どうした?」

「……ッ」

「……酷い顔だな。とりあえず、こっちに来い」


―――怖い、怖い、怖い。

さっきまで、あんなに聞きたかったのに。今は、その名前を出すことすら怖い。


震えて一歩も動けない私の肩を優しく抱いたのは聖菜さん。見上げた彼女の横顔は既にいつも通りだった。

そんな彼女の唇が、小さく4文字の言葉を紡いだのを見逃さない。


“ごめんね”


そして、彼女は教官に向かって悲しげに微笑んだ。


「……徹くん、タイムリミットよ」



驚き、恐怖、悲しみ……諦め。

いつものポーカーフェイスはどこへやら。そんな顔をする教官を私は今日、生まれて初めて見た。



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