77 暗転
午前8時半。任務再開から早30分。
―――今日の私の任務は、個人で敵を狙撃すること。
昨日から始まった襲撃は、やはり夜中が一番激化したらしい。下級軍人の活躍により、少なくはない犠牲を払いながらも敵勢力を大幅に削ることに成功したと聞いた。
さすがは実践をくぐり抜けてきた軍人。戦闘においては例え自衛隊員といえども、軍人には勝てないだろう。ただの傭兵ならば、尚更。結果は言うまでもない。
昨日は狙撃部隊からもそれなりの数の負傷者が出たようで、今日は各々、狙撃ポイントを見つけて任務につくことになった。
敵の総数が分からないからなんとも言えないが、昨日のような銃撃戦は繰り広げられていない。その落ち着きが、かえって恐怖を増大させる。
「まあ………泣き言を言ってる暇はないけどね」
雰囲気は今までのどの任務より一番実践に近い。つまり、一番普段通りということ。
じっと息を潜め、周りを観察して標的を見つけ、スマートに仕留める。6年間、じっくり身体に染み込ませてきたルーティーンだ。
理保さんと別れたあと―――
先程の私と全く同じ反応をしながら目覚めた河原は、隣に私の姿を確認した途端、安堵の表情を浮かべながら笑った。
「……勝ったんだな、財前は」
「うん。もう大丈夫だって」
財前の意識がいつ戻るかは分からない。
これだけの怪我だ。傷が完治するまでにはそれなりの時間がかかると思われる。治る前に目が覚めればその激痛に苦しむだろう。
それでも、財前の命は確かにまだ存在する。彼はちゃんと生きているのだ。
「あれ、あんな花あったか?」
静かに軽く身支度を整えている最中、河原が見つけたのはダイヤモンドリリーの花。
「ううん。実は、松本さんの奥さんがお見舞いに来て」
「松本さん、って……松本教官の!?」
「そう。あ、でも、これは財前には内緒ね」
「それは分かったけど……そっか、やっと会えたのか」
「うん。それで、そのダイヤモンドリリーはお見舞いの品」
「なるほどな。ちなみに、花言葉は?」
少し照れたように視線を逸らす河原に、思わず口元が緩む。
―――なるほど。河原も教官が花に詳しいって知ってから、花言葉を意識するようになったのか。つくづく、私たちは似たもの同士だ。
……まあ、面白いからすこしからかってみるけど。
「あれ、河原、花言葉に興味なんてあったの?」
「いや、まあ……何となく、は?」
「あら?歯切れが悪いんじゃない?」
「あーもう!葛西、お前はこんな状況だってのに……!」
「いつも通りの方がいいでしょ?」
そう言って笑う私に、今度は河原が呆れる番だった。
「ダイヤモンドリリーの花言葉は……また会う日を楽しみに」
「……なるほど。いい言葉だな」
「だよね。だって、生きてれば絶対にまた会えるもの」
そんな会話から30分後。
むぅ…、と寝惚けた声を漏らしながら目覚めた富井も、私と河原と同じような反応をした。
「大空ッ!?」
「富井、落ち着け」
「一也ッ、藍ッ、大空は!?」
「大丈夫。峠は越えたって、医者が言ってたわ」
「そっか……そっかぁ……」
ポロポロと涙を流す富井の姿は昨日も見たけれど、その涙の意味は昨日とは全く違う。
ピョンピョン飛び跳ねて私と河原に交互に飛び付く富井はいつも通り。普段は鬱陶しいはずのそれすら今日は愛おしい。全く不思議な話だ。
バディが負傷していることが加味されたらしく、今日は富井に招集命令は出ていない。もっとも、出ていたとしても今日の彼女はこの場からテコでも動かなかっただろうけど。
そんな富井に見送られ、シェルターの出入口で河原と健闘を祈りあったのが4時間前。時刻はいつの間にか昼時になっていた。
「ゼリー飲料くらい入れとこうかな……」
窓枠から見上げた空は鈍色で、今にも雨が降り出しそうだ。
普段雨を感じないシェルターの中にいるせいで、雨という存在にすらあまり慣れていない気がする。もちろん雨の中で実践をしたことも何度もあるけれど、正直なところ、晴れてる日と比べれば若干苦手意識はある。
「……このまま持ってくれればいいんだけど」
今日の成果はまだゼロ。
仕留め損ねたわけではなく、単に誰とも会わないのだ。これが結果を残さなければならない実践ならかなり痛手だが、これは練習ではなく本番だ。負傷するリスクがないのは決して悪いことではないと思う。
―――それから約1時間後。遂に雨が降り始めた。
薄暗く、霧のかかった廃ビル群はそれだけで不気味だ。その上処々に血痕が染み付いているのだから、一般人が見れば卒倒するか、お化け屋敷か何かだと現実逃避をするかの二択だろう。
しかし残念ながら、これは紛れもない現実だ。
そして、ようやく目の前に政府の人間が現れたのも現実だ。
「待ちに待ったんだからね……!」
静かに、スマートに。一発で仕留めてやる。
スコープを覗き、標準を標的に合わせ、トリガーに指をかけて、そして―――
「……上出来でしょ」
歩みを止めたかと思えば、目を見開き頭から血を吹き出して倒れた標的。そんな彼の最期を見届け、少し肩の力を抜いた。まさに、その時。
「ッ!?」
―――聞こえた銃声、香る嫌な硝煙の匂い、感じた敵の気配と、一瞬見えたその姿。反射的に目を瞑る。
……間に合わない。次に予想されるのは、自分の体を貫く鋭い痛みだろう。それが来るはず。なのに……。
「な、んで……」
痛みはいくら待っても来ない。でも、来ないはずがない。
私に逃げる暇なんてなかった。ならば、何故……?
強く瞑っていた目を恐る恐る開くと、そこには全く予想していなかった光景があった。
「……無事か……葛西」
「なんで……なんで、教官が、ここに……!?」
さっきまで人の気配なんてなかった。
私を撃とうとした敵の気配は遠くて察せなかったのだろうが、すぐに駆け寄ることができる距離に人の気配なんてなかったはずなのに……。
―――なんで教官はここにいて……なんでお腹から血を流しているの……!?
教官は私に無事か、と声を掛けながら、自分を撃った敵の脳天をぶち抜いた。目にも留まらぬ速さの神業で、それを間近で見られたことに普段の私なら感動を覚えるだろう。
でも、今はそれどころじゃない。
―――ようやく、状況がわかってきた。
教官は、私のことを庇って、そして撃たれた。
「なんで……ねぇ、なんでここに教官が……!?」
「馬鹿……教え子を守るのも……仕事のうちだ……」
「それはそうかも知れないけど……でも、なんで……どうして……!」
「……気にするな……こんなの……かすり傷だ……」
「嘘!!だって、こんなに血が……ッ」
こうして話している間にも、撃たれた傷からは血が流れ続ける。ドクドクと強く脈打つ教官の体は熱いはずなのに、氷のようなに冷たく感じるのは私の体が震えているからだろうか。
―――そうだ、早く教官を病院に連れていかないと……!
放たれた銃弾は1発だったはず。
それなのにこの出血量だ。急所を撃ち抜かれた可能性が高い。冷静に判断すればするほど、最悪の結末が脳裏をチラつく。
「待ってて、教官……病院に連れていくから……ッ」
「……大丈夫だ……葛西……」
「大丈夫じゃない……!このままじゃ、だって……ッ」
一刻も早く運びたいのに、体が震えて動けない。そもそも、体格差が大きすぎて教官のことを背負うことなんて出来ないだろう。
でも、このままだと教官の辿る末路は……。
―――どうする、どうする、どうする……!?
ぐるぐると頭の中で、答えの出ない問いが繰り返される。それでも、考えずにはいられない。
刹那、頬に感じたのはいつもの温もり。
「……そんな顔……するな……」
「教、官……」
「……その顔に……俺は弱い……」
「でも……ッ」
分かる。……分かってしまう。
教官の瞳から、力が消えていく。抱える教官の体が徐々に重たくなっていく。
「教官……ねえ、教官ってば……」
浅い呼吸を繰り返す教官は、意識を保っているのもやっとのはず。否、常人ならとっくのとおに意識を失っているはずだ。
「そんな……かお……するな……」
銀フレームの眼鏡の奥、優しい眼差しで私を見つめた教官は小さな声で、けれどはっきりと言った。
「……すいま、せん……あかね……さん……」
「え……」
世界が暗転した。
「あかね、さん……って……」
―――ねぇ、教官……なんで、あなたからその名前が出てくるの……?
“あかね”―――“茜”は、私の行方不明の母親の名前だ。




