76 ダイヤモンドリリー
「葛西、富井はどうしてる?」
「……今寝たところ」
「そうか……寝れたなら、良かった」
午後10時。病院内は依然として忙しない。
財前の眠るベッドの横、簡易ベッドで眠る富井の頬には涙のあとがこびり付いていた。
手術が終わってから今の今まで、富井は彼のベッドの傍から離れようとしなかった。
ずっと寝顔を眺めていたと思えば、突然ポロポロと涙を流し始める。普段の富井からは考えられないメンタルの弱り方だが、それも致し方ないだろう。
私なら、相棒がこんな状態になったら正気でいられる気がしない。
「このまま朝まで眠れたらいいんだが……」
「……そうだね」
「……俺達も、次に備えなきゃだよな」
「分かっては、いるんだけどね……」
どんな状況でも明日は来る。
私と河原が明日の朝には再び戦力として駆り出されるのは決定事項。明日の朝8時にシェルターの入口に集合するように、という旨の連絡が既に入っている。
多くの人が傷付き、多くの命が失われた。
そんな貴重な一日の大半を、友人のために使わせてもらったのだ。戦いが終わるまでは、軍のために全身全霊をかける覚悟は出来ている。
教官とは、あれ以降連絡すら取れていない。
財前の手術の手配などは全部教官がしてくれたと聞いている。一度くらいは顔が見れるかも、なんて淡すぎる期待は当然簡単に砕かれた。仕方のないことだけど、残念だと思ってしまうのは許して欲しい。
「そういえば、財前のお母さんも見てないよね」
「確かに。……まあ、こんな状況じゃ患者の名前なんて一人一人、確認できないだろ」
「それか、彼女の精神を平静に保つために伏せてあるのかも」
「……どっちみち、彼女が現実を知るのはまだ先になるんだろうな」
「えぇ……今は、目の前の負傷者に手一杯だろうから」
負傷したのは財前だけじゃない。鍛えられた軍人たちが、信じられないほどたくさん傷付けられた。
これを地獄と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。実践はおろか、ホワイトエクスプレスでの経験ですら可愛いものに思えてしまう。
休息は取らなければ明日以降に響く。そんなことは重々承知だ。
それでも、今の富井と財前を置いて自室に戻ることは到底出来なかった。
「出来るだけ……出来るだけでいいから、ここに居たい」
「……あぁ。俺もそうしたい」
河原と顔を見合わせ、頷く。
ここにいても何も出来ないのは分かっている。それでも、今はこの場を離れたくなかった。
―――どれくらい経ったのだろうか。
まぶたの裏を、柔らかな光が刺激する。耐えきれずに目を開けると、そこには昨晩と変わらない病室と、機械に繋がれベッドに横たわる財前がいた。
「ッ私、寝て……ッ!」
どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。急激に意識が覚醒する。隣を見れば、同じような体勢で河原も寝落ちていた。時刻は6時過ぎ。招集時間まではまだ時間があるので彼はこのまま寝かせておこう。
簡易ベッドの上では、富井が規則正しい寝息をたてている。うなされたりはしていないようで、その落ち着いた寝顔に心を撫で下ろす。
財前は寝落ちる前と変わらず、たくさんの管で機械と繋がれていた。
その機械から聞こえてくる音は規則的で、それはつまり財前の心臓はまだちゃんと鼓動を打っているということ。それが分かっただけで安堵してしまうけれど、だからといって峠を越えたのかどうかは分からない。
「医者を呼んでこないと……!」
夜は戦闘が中止されるなんてことはないだろう。むしろ、闇夜に紛れられる夜の方が激化したかもしれない。つまり、病院もさらに激務に追われているかもしれない、ということになる。
でも、一瞬でもいいから医者に見てもらわなければ。そう思い、勢いよく病室を飛び出そうとして扉を開けたまさにその時だった。
「わっ!」
「えっ!?」
「ご、ごめんなさい!大丈夫?」
「いえ、こちらこそ……!すいません!急いでて!」
突然私の目の前に現れたのは、ボブカットの似合うスレンダーな女性。私たちよりは年上だろうが、教官よりは年下に見える。
ミントグリーンのブラウスにスキニーパンツという出で立ちということは、彼女は看護師や医者ではないということ。それはつまり、今私が探している人物ではないということになる。
でも、だからと言って彼女を無視することは出来ない。
なぜなら、花束を抱えた彼女の目的地はここ―――財前の病室だったのだ。
「あの……何か、財前に御用ですか?」
「えっと、その……用、というか……」
気が弱そうには見えないけれど、妙に歯切れが悪い。つまり、あまり大きな声で言えない用事ということだろうか。でも、今の財前にそんな用事がある人なんて……
「……あっ」
―――いた。一人だけ、心当たりがある。
「……もしかして、松本さんの奥さん、ですか?」
「な……なんで、それを!?」
「あぁ、やっぱり。……島全体がこんな状況なのに、それでもお見舞いに来るなんて並の関係の人には出来ないですよね?」
「そうだね、その通りだわ。……さすが、三坂さんの教え子だね」
そう言った彼女は困ったように笑った。
「はじめまして、松本理保です。ご明察の通り、私は松本剛士の妻です。……正確には、彼は亡くなっているので元妻だけどね」
「はじめまして、理保さん。葛西藍です。さっきの口ぶりからすれば、私のことはご存知みたいですね?」
「えぇ。剛士さんが亡くなる前も後も、三坂さんには良くしてもらってて。その時に、彼の教え子の話も何度も聞いたことがあるの」
「もう、教官ってば……恥ずかしい」
「いいじゃない。自慢の教え子なんだから」
そう言って笑う理保さんにつられて私も笑う。
話は後で、と医者を探しに行こうとした私を理保さんは引き止めて、財前は峠を越えたことを教えてくれた。どうやら、私がまだ寝ている時に医者を呼んで財前を診てもらったらしい。
「……本当は、大空くんが無事なのを確認して、お花を置いたら帰るつもりだったんだけどね」
「私が起きるのが予想外でしたか?」
「うん。……でも、会えてよかったわ」
「私もですよ、理保さん」
母親のような、姉のような、そんな優しさを理保さんからは感じる。
彼女は今までも、こうやって財前のことをずっと、そっと見守ってきたのだろう。松本さんの代わりに、ずっと。
「……大空くんが軍に入ったら、ちゃんと会うつもりだったの。それなのに、こんなことになってしまって……」
「……理保さんは、財前があなたのことを気にしているのを知ってたんですか?」
「うん。……でも、私に勇気がなかった。大空くんと剛士さんの話がしたい。でも、それでお互い悲しみを深くするのが、怖くて……」
「理保さん……」
彼女と財前は似ている。
お互いに気にかけているのに、お互いの存在で相手が傷つく事を恐れている。それは、当事者にしか分からない感情なのだろう。
でも、そんな2人だからこそ、分かり合えることがあるはずだ。
何より、財前の存在は理保さんを傷付けないし、理保さんの存在も財前を傷付けない。何故かは分からないが、確信できた。
お互いを、お互いの優しさで包み込める。2人には、そんな優しさと強さがある。
「大丈夫です、絶対に。落ち着いたらまた、財前に会いに来てあげて下さい」
「葛西さん……うん、分かった。ありがとう」
瞳を潤ませて笑う彼女を美しいと思った。
私は今日のたった数十分しか理保さんと話していないけれど、滲み出る強さと優しさをひしひしと感じた。その身体で、どれだけの悲しみを受け止めてきたのだろう。
「これ……飾っておいてもらえる?」
「分かりました。ありがとうございます」
別れ際、手渡されたお見舞い品の花束を見つめながら、彼女と財前がいつか、2人で笑い合う未来を望まずにはいられなかった。
理保さんからもらった花束は、白やピンクが綺麗なダイヤモンドリリー。花言葉は―――
「……“また会う日を楽しみに”」
花瓶に飾られたダイヤモンドリリーは朝日を浴びてその名の通り、宝石のように輝いて見えた。




