74 悪夢
その日は、とても嫌な夢を見て目が覚めた。
内容は覚えていないけれど、とにかく嫌な夢だった。背中を伝う冷や汗と、何もしていないのに荒い呼吸―――寝起きが最悪だったのだ。
時間が許せばなるべく寝ていたい性質なのに、今日は学校も休みなのにいつもより早く目が覚めてしまった。しかし、そんな夢を見たあとに二度寝をする気にはなれず。
部屋にいても暇なだけだし、と軽い気持ちで部屋の外に出て、何の気なしに窓の外を見た瞬間、ひゅ、っと息を呑んだ。
「あれ……黒船……!?」
脳裏に浮かぶ、あの日の―――亀山大将が打たれた日の惨劇。楽園が血の海と化したあの光景。
虚構は今、この瞬間に壊れようとしている。それを今から食い止めることは不可能だ。それを理解するのに時間はいらなかった。
この状況に軍の上層部が気付いていないわけがない。つまり、軍人たちは黒船を前にして待ち構えているのだろう。
私たちに通達が来ないということは、とりあえず学生が出る必要はない、ということだろうか。でも、恐らくその時間は長くないはずだ。どんなに遅くても1時間後には、端末に襲撃の知らせが入り、放送も入るはず。
「教官……ッ」
冷静に現状を分析しようとする思考を邪魔するのは、どうしようもなく増大していく不安。
教官が最前線にいるとは限らないけれど、亀山大将が亡くなった後、初めての襲撃だ。事を早く片付けるために、日本軍最高と名高いライフルの腕を持つ彼が最前線に駆り出されている可能性は十分にある。
―――どうしよう……苦しい……呼吸ができない……。
実際の戦場を知る前と後では、こんなにも気持ちが違うのか。心配なんて言葉では表せない。
自分の大切な人が危険な場所にいるかもしれないと思うと、そういう仕事だと頭では理解しているはずなのに、やはり怖くて怖くて仕方がない。
とりあえず、ここで立ちすくんでいても何も始まらない。勝手に最前線に出て行くわけにはいかないけれど、いつでもそこに行ける準備はしておかないと。
その前にまず、河原に連絡を―――
回らない頭で精一杯考えていたまさにその時。練習着のポケットの中の端末が震えた。
「ッ!教、官……!」
画面に表示された名前は、今一番声が聞きたい人物。
私に連絡が入るということは、学生に連絡を入れることが出来る余裕はあるということ。その事実が分かっただけで腰を抜かすほど安心してしまう。その場にしゃがみこみ、震える手で通話ボタンを押して、端末を耳に当てる。
「は、い……」
「ッ葛西―――……その様子じゃ、お前はもう分かっているな」
「……はい。本部からですけど、黒船を見ています……」
「あぁ……そういうことだ。午前7時になったら、島内に襲撃を知らせる放送を流す。それと同時に、高等部3年生には招集要請のメールも入るはずだ。悪いが、準備を……」
「大丈夫ですよ、教官……任せて下さい」
電話の向こうは静かだ。つまり、彼は戦場にはいないということ。それが分かれば、徐々に息苦しさが解消されていく。
その代わりに募るのはどうしようもない苛立ち。
―――どうして……あなたがそんな苦しそうなんですか……!
私は、教官にそんな苦しそうな、悲しそうな声で、そんなセリフを言わせたくなかった。
この襲撃は、もちろん教官のせいなんかじゃない。近い将来、必ず起こる事件だったし、その時に私たちが戦力として駆り出されるのは必至だった。
それなのに、防衛任務の時も、今回も彼は私に謝る。それはまるで、自分のせいで私たちが危険に晒されることになってしまったかのような申し訳なさを滲ませながら。
「……すまん。よろしく頼む」
「はい……ちゃんと、頼まれました。教官も、どうかご無事で」
「あぁ。葛西も河原も……死んだら承知しねぇからな」
「えぇ、もちろんです。……それでは、また」
「あぁ……また」
名残惜しいのはお互い様。でも、時間が無いのもお互い様。
後ろ髪を引かれながら赤い通話終了ボタンを押した後、再び押し寄せてくる不安は誤魔化せない。けれど、今はまだ教官は安全だと分かっただけで十分だ。私は、私の戦いに集中しないと。未熟な私には、他人を心配しながら全力を出す余裕なんてない。
一息ついて、向かったのは河原の部屋。
時刻はまだ6時すぎ。7時に連絡が入るということは、招集は早くて7時半と言ったところだろうか。
でも、それでは本当に集まっただけになってしまう。最前線にすぐに行くわけではないだろうけれど、使い物にならない状態で一分一秒を無駄になんてしたくない。
いつもより激しめに扉を叩き、端末で河原に電話を入れれば、扉の向こうから足音が聞こえてきた。
「どうしたんだよ、葛西……ふぁぁ……」
眠そうに目を擦る河原は、襲撃の存在を忘れそうになるほどいつも通りで。そんな彼の肩を掴み、半ば強引に部屋の中に押し入る。
突然の強行突破に、河原の機嫌が少しだけ悪くなったのを感じる。けれど、今はそれどころじゃないのだ。
「おい、葛西、お前な……」
「河原、落ち着いて聞いて」
「はぁ?朝っぱらから何だよ」
「……楽園のすぐ側に、黒船が来てる。つまり、もうすぐここは襲撃される」
「襲撃、って……は、はぁ!?襲撃!?」
覚醒しきっていなかった瞳が、驚きとともに覚醒する。信じられない、という瞳が私を見つめているけれど、生憎これは現実だ。
「そう。7時になったら放送が入る。それと同時に3年生には、招集要請が入る」
「どこからの情報だよ、それ!?」
「教官。彼はまだ、安全なところにいるみたい」
「そっか……それならよかった……」
河原も私も教官に師事している身。
真っ先に彼を案じてしまうのは、もはや本能的なものなのかもしれない。
自分同様、教官の無事を聞いた河原の顔に僅かに安堵の色が浮かぶ。
「葛西、何か食ったか?」
「ううん、まだだけど……」
「なら、冷蔵庫の中のやつ食べていいよ。ゼリーくらい、腹の中に入れとかなきゃだろ」
「そうだね、ありがとう。じゃあ、遠慮なく」
察しのいい河原は、教官の無事を聞いた後すぐに身支度を始めた。
恐らく招集の時は正装である制服で行くべきなのだろうが、私も河原も今から行くのはそこでは無い。私に合わせて練習着を身にまとった河原は、ゼリー飲料を片手で握りしめて一気に胃に収めた。
「よし、準備完了!行こう!」
「了解!準備体操は念入りに、ってね」
「一秒も無駄に出来ねぇからな!」
互いの相棒を肩から提げ、向かうのは当然いつもの場所―――射撃場。
今度こそ、この襲撃に終わりを告げてやる。今はただ、一分一秒が惜しい。もっと、もっと力が欲しい。
一心不乱に打ち続けた的には、私も河原も中心以外に破れている箇所は見られなかった。
―――午前7時。
いつもならまだ寝ていても問題ない時刻。
教官の予告通り、本部内に襲撃を知らせる放送が流れ、私たちの端末には招集命令の連絡が届いた。
途端に騒がしくなる本部内。
忘れかけた恐怖が再び襲い掛かってきたのだ。下級生たちは泣いているかもしれない。
そんな後輩たちを守るためにも、私たち3年生は戦地に赴かなくてはならない。
射撃場から一旦自室に戻り、制服に着替える。ブラウスの下には、前回の襲撃後に配られた薄型の防弾チョッキを仕込んだ。効力はわからないが、気休めでもないよりはあった方がいい。
予想通り、7時半にシェルターの出入口に集合するように連絡が来たが、いてもたっても居られず。
15分前に現地に向かうと、そこには既に河原が居た。さっきまでも一緒にいたけれど、やっぱり彼の存在の有無は私にとって大きい。極端な話、その場にいてくれるだけで強くなれるのだ。……なんて、そんなこと、普段は言えないけれど。
「……待てねぇよな」
「うん。……勝って、生きよう」
「当たり前だろ。こんな所で死ねるかよ……!」
本部内から見るよりも、黒船はずっと大きくて威圧感がある。目の前にすると足がすくみそうになるけれど、こんな所で立ち止まっている場合ではない。この現実を受け入れ、戦う覚悟は出来ている。あとは、やるしかない。
刻限には3年生全員がその場に勢ぞろい。
「まりん、怖い?」
「うん、怖い!でも大丈夫!怖いけど、まりんは強いからね!」
「そっか!なら、俺も怖いけど大丈夫だね!」
「当たり前じゃん!大空、君は誰のバディだと思ってんのー?」
富井のメンタルの強さは、さすが学園1位。
初夏の襲撃ではあれだけショックを受けていたのに、その恐怖を受け入れて前を向いているのだ。普通の人にはできない事だろう。
そして、それを当たり前のように受け入れ、大丈夫と笑える財前もまた強い。
その後すぐに現れた軍人から指示を受け、各々シェルター外に散らばる。
私は入口を出て右側の狙撃部隊に入れられ、他の軍人達と高い廃ビルに陣取った。何度か河原と実践の時に来たことのある廃ビルで、全く知らない土地ではない分、いくらかやりやすい。
何より、ここには実践を勝ち抜いてきた狙撃手達がいるのだ。栗山さんとホワイトエクスプレスで任務に当たった時は、知らない場所だったし、一人きりで戦ったこともあった。
それを考えると、今回のこの状況が恵まれたものであることがよく分かる。
スコープを覗けば、沿岸の様子がよく見えた。
沿岸部では、黒船が上陸出来ないように爆弾を仕掛けたり。銃を持った軍人たちが待ち構えている。
一見、政府の奴らは上陸すら出来なさそうな状況。しかし黒船の出入口が開かれた途端、その場にいた全員が息を呑んだ。
「なんだよ、あの武装……」
「鎧か……!?」
「何より、なんだよあの数……ッ!」
大量の人。その一人一人が、まるで鎧のような武装をしている。想像とは違う敵の見た目に、全員が一瞬怯む。
しかし、それはあくまで一瞬だけ。自信を取り戻す速さは、さすがは修羅場をくぐり抜けてきた軍人、としか言いようがない。
冷静になれば、あの鎧が完全なる武装着ではないことは素人でも分かる。あれは、爆発や銃弾から完全に防御できるものでは無いだろう。
しかし、何よりも数がえげつない。こちらは戦闘のプロ。対して自分たちは領域外。つまり、数撃てば当たるということだろうか。
「総員、慎重に狙いを定めて……」
響く、狙撃班の司令官の命令。慎重に狙いを定めて、そして―――
「撃て―――ッ!!」
敵の数は当然多いが、応戦する味方の数もなかなか多い。私たちは、彼らを撃たないように細心の注意を払わなくてはならない。
一見、弱点などなさそうな鎧の武装。しかし、どこかに糸口はある。
―――あった。“目”だ。
鎧は頭にも装着されているが、唯一守備が手薄になっている部分がある。それは、視界を塞ぐわけにはいかない目の部分。そこを狙えば勝機はある。
改めて照準を定め、そしてトリガーを引く。
「やっぱり……ッ!」
予想的中。
私の放った弾丸は、標的の眉間を撃ち抜いていった。
1つ1つ、確実に仕事をこなす。しかし、敵の数は依然として多い。眼下に広がっていく血の海は、嫌でもあの襲撃を彷彿とさせる。
「痛てぇ……ッ」
「うッ……」
狙撃と狙撃の間、後ろから聞こえてくる痛々しい呻き声。耳栓越しでも聞こえてくるその声に胸が苦しくなる。
後方には、目を負傷して戦線離脱した軍人たちがいる。血の涙を流すその姿は、痛々しくて正直見ていられない。
政府側もスナイパーを用意しているらしく、何人かはスコープを撃ち抜かれて目を負傷してしまった。
間近でそれを見てしまえば、恐怖が湧かないわけがない。それでも、ここで逃げるわけにはいかない。
詰まっていた息を吐き、再びスコープを覗こうとした時だった。
「葛西!」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、咄嗟に声の方を向く。そこに居たのは―――
「北長瀬先輩!?」
ボロボロになってしまっているが、間違いなく北長瀬先輩だ。
在学中は彼の戦う姿など見たこと無かったし、普段は気だるげな印象の人だ。そんな人がボロボロになっている姿に、涙が込み上げそうになる。
「どうしたんですか、先輩!?」
「お前、下に降りろ……!」
「え……」
「いいから……早く……!」
「待って、先輩!事情を……!」
「いいから!とにかく、下に……!」
頭が激しく混乱する。
―――どういうこと?下に降りろって……何があったの?
確実に“何か”があったんだろう。でも、だからと言って持ち場を離れるわけにはいかない。でも、そんなことは彼だって分かっているはずで……。
「おい、何をしている!」
そして、こんなやり取りをしていれば必然的に司令官の目につく。
大股でこちらにやってくる彼に向かって、北長瀬先輩が息を切らしながら必死に説明する。
「すいません、でも、こいつを……葛西を貸してください……!」
「こいつは狙撃班の戦力だ!今の現状では貸せん!」
「分かっています!重々承知です!でも、今……」
「すまん。俺の独断だが、とにかく葛西を下に降ろして欲しい」
北長瀬先輩の言葉を遮ったのは、聞き間違えるわけが無い声の持ち主。
聞こえた瞬間、無意識のうちに涙が溢れていた。
「教、官……」
「おい、まだ何も終わってないぞ。まだ泣くな、葛西」
「泣いて、ないです……!」
いつも通りのスーツ姿で現れた教官。
それは私にとっては安堵する存在でも、司令官にとっては突然現れた最高司令部の軍人。ここだけ空気がピンと張り詰めるのを感じる。
「三坂中将……ッ!?」
「三坂さん、すいません……」
「構わん。というか、お前に伝令を頼むより自分で行くべきだったんだ。俺の名前を出したとしても、この状況で素直に聞き入れられない可能性の方が高いからな」
「じゃあ、彼の言っていることは、三坂中将のご指示ですか!?」
「あぁ。そして、正直時間が無い。葛西、とにかく下りろ」
「は、はい!でも、何故……?」
教官から発せられたセリフは、到底信じ難い―――というか、信じたくない現実。
「……財前が瀕死の重体で、バディの富井が放心状態で動けねえ。ずっと泣き叫んで、葛西の名前を呼んでいる」
―――教官は、今、なんて……?
財前が、瀕死……?富井が、放心状態……?
スっと血の気が引くのがわかる。
……怖い。友人を、大切な人を失うのが怖い。
「私……行ってきます……ッ!」
そう思ったのが先か、身体が動いたのが先か。否、そんなのどっちでも良い。
「財前……富井……ッ」
無我夢中で戦場を駆け抜ける。
生きてさえいてくれたらそれだけで十分だ。願いはただ、それだけだった。




