73 虚構
楽園が通常運転に戻り始めたのは、最悪の知らせを受けてから約1ヶ月半たった頃。
もちろん完全に、なんて言えない。
でも、本部内にいれば日本軍特有のあのピリピリとした忙しなさを肌で感じるようになった。私たちにとっての日常が、本当に少しずつだけど戻りつつあるということに、僅かに安堵を感じる。
けれど、それはとてつもなく大きな犠牲の上で成り立っている。その事実だけは、決して忘れてはならない。
心にぽっかりと空いた穴は、日本軍の誰も埋めることが出来ないでいた。
そして、今でも私の脳裏を離れないのは、葬儀の後に見た黒い布を被った女性のこと。
普通、身元も顔すらもわからない人にじっと見られていたらどんな人間でも嫌なはず。それなのに、今思い出してもやはり不快感はない。
そこで、私はその人のことを忘れることにした。
もちろん、完全に忘れることなんて出来ないので、考えないようにするというだけ。普段の私からは考えられないことだけど、何故かこれが一番納得してしまう結論だったのだから仕方ない。
もっとも、女性で葬儀で黒い布を被っていた人、という情報だけでは見つけ出すのは無理な話だろうし、たまたまそこに居ただけという可能性も十分あるから、という理由もあるけれど。
「……まあ、それが一番よね」
それに、生きてさえいれば、また会える可能性だってあるだろうし。
突き抜けるような秋の空を見上げ、そう独りごちた。
―――11月。
冬の足音がすぐそこまで迫っている。
6月の再襲撃以降、政府からの攻撃はない。不気味な程に静かだ。
公表こそしていないけれど、恐らく政府の耳にも亀山大将の訃報は届いているはず。それなのに何も行動を起こしてこないのはもはや恐怖でしかない。何も無いことが一番の恐怖なのだ。
「うわ、寒いなあ」
「寒いって……河原、雪だるまみたいだな?」
「いやいや、これはまだ第二形態だから」
「え、まだ形態があるのかよ?」
「当たり前だろ。冬はこれからなんだから。な、葛西?」
「うん。まあ、私は見慣れちゃったんだけどね」
日常的な風景が戻りつつあるのとともに、私たちの暮らしも日常を取り戻し始めた。
10月には後輩たちだけでなく私たちの授業も再開された。ただ、防衛任務と並行しての再開なので、自分たちの担当の時は授業を欠席して防衛任務に当たるのだ。
というわけで今、私は河原と四木くんと島田くんと防衛任務に当たっている。
バディを組んで12年目。私にとってはもはや冬の風物詩のようなものになってしまった河原の厚着。
私にとっては見慣れたものでも、今までは敵としてしか見てこなかった四木くんと島田くんからすればなかなか異様なものにみえるらしい。というか第二形態ってなんだ、それは私も知らないんだけど。
「いやー、にしても平和だな」
「本当になー。政府は本当にまた襲撃しに来るのか?」
「来ないに越したことはないんだけどな」
「まあね。でも、そんなに上手くいくわけないとは思うんだけど……」
「もー、葛西、そんなマイナスに考えんなって」
「って言われてもね……こればっかりは性格だし仕方ない」
任務終了5分前。4人で廃ビルの窓枠から灰色の空と藍色の海を眺める。独りごちて見上げた3日前の空は真っ青だったのにな、と少し残念な気持ちになってしまうのは仕方の無いことだろう。
たわいもない会話。いつもの殺風景。
戻りつつ日常に安堵するのと共に、不安が増大していく。いつでも悪い方にしか思考がいかないのは、本当につくづく損な性質だと思う。
5分間で状況が一転することもあるけれど、今日はそんなことはなく。ただぼーっと外を眺めていたら、5分間なんてあっという間に過ぎ去った。
いつも通りのブザー音が鳴り響いた瞬間、示し合わせたわけでもないのに4人揃って肩の力が抜けた。ふぅ、と小さく息を吐く声がそろって、思わず顔を見合わせて笑う。
「なあ、腹減らない?」
「わかる!俺、お腹すいて死にそう」
「何か食べて帰る?」
「昼時だしな。下層部のレストランにでも入ろうか」
時刻は昼前。誰も異論はなく、私たちは高等部に戻る前に下層部のレストランに寄って帰ることになった。
温かいうどんや汁物が体に染み渡るだろうなあ、なんてことを思いながら歩いていると、シェルターの向こう側から歩いてくる4人組と鉢合わせ。4人ともよく知る顔だ。
「あー、一也たち!お疲れ様ー!」
「おー、財前。今からか?」
「そう!まりんが食べるの遅くて、ギリギリになっちゃったんだけどね」
「ちょっと!まりんだけのせいじゃないでしょ!?ねっ、紗也ちゃん!?」
「そうだよー。てか、一番遅かったの、篠塚だし」
「うるせぇな……」
順に財前、富井、紗也、篠塚。
たまたまバディ同士で組まれたA班は、学年トップであり学園トップでもある富井をリーダーとした班。マイペースの塊のように見えるけれど、個々の実力が極めて高いので実力は随一の班だ。
防衛任務は実践ではないので、昼休憩なんて関係ない。昼休憩に担当が回ってきた班は、4限を免除されるが、みんなが休憩している間に任務をこなすのだ。今日はどうやらA班がその担当らしい。
「藍たちはこれから休憩?」
「そう。寒いし、温かいものでも食べて帰ろうかな、ってとこ」
「なるほどね。それなら、前言ってた和食屋さん、あそこの定食セット美味しかったよー。味噌汁も出汁からちゃんと取ってるらしくて。白米も粒が立ってて美味しいし」
「へぇ、それは気になるかも」
「あと、キャベツの千切りが細くて食べやすいし、もちろん食べ応えも抜群!」
「ほうほう」
「そしてなんて言っても、白身魚のフライも生姜焼きもトンカツも、どの定食セットもハズレなし!」
「あーもう、お腹すいてきた!」
「紗也ちゃんオススメなら、なんか間違いなさそう!」
たわいもない会話。
さっきまでマイナスな方にしか思考が行かなかったのに、3人で話をしていたらそんな思考が馬鹿らしく思えてきた。
もちろん気を抜いていい理由にはならない。でも河原たちの言う通り、たとえ虚構だとしても目の前にあるのは平和な現実だ。それを少しくらい噛み締めてもいいのかもしれない。
富井たちに別れを告げ、シェルター内に入ってそのまま紗也に勧められた和食屋を目指す。
先程の紗也との会話をちゃっかり盗み聞きしていたらしい3人は、紗也オススメの定食セットに思いを馳せている。
「井上さんの食レポ、完璧すぎだろ……!」
「つーか。あれは確信犯だろ!4限終わりの俺たちの食欲がそそられない訳がねぇ……!」
「白身魚のフライ……生姜焼き……トンカツ……えーどれにしよう!」
腹ぺこな3人に苦笑しつつも、自分の心も浮き足立っているのが分かる。つまり、私も仲間だということなんだけど。
下層部に広がるのはいつも通りの光景。軍の施設とは思えないほど、和やかな空気が流れている。
そんな空気を感じながら、ようやく目的地にたどり着いた私たちは、ショーケースに飾られている定食セットの食品サンプルを見てまた1つ、ゴクリと喉を鳴らしたのだった。
「はー、美味しかった!大満足!」
「トンカツとキャベツはやっぱり裏切らないな!」
「生姜焼きもボリュームがあって最高だった!」
「白身魚のフライも負けてなかったけどー?」
―――結論、紗也の食レポに偽りなし。
そんなわけで空腹を満たした私たちは普段の授業に戻り、放課後は射撃場で腕を磨き。
「……高等部に入学した頃は、これが日常で……死ぬまでは、ずっとこの毎日が続くと思ってたんだけどな」
1日の疲れを取るための半身浴をしている時に漏れたそんな言葉は、半ば無意識だった。
普通とはかけ離れた死ととなり合わせの日々でも、私たちにとっての日常はそれだった。中等部の頃から約4年半、そうやって生きてきた。普通ではないとわかっているのに、その日常が恋しいとすら思ってしまう。
早くこの戦いを本当に終わらせて、日常を取り戻したい。―――否、それだけでは足りない。
まず無事に卒業して、そして情報科に入って、やがて実践を終わらせて……やりたいことが、やらなくてはいけないことがたくさんある。
どれだけ目の前に広がる光景が平和なものでも、それが虚構だと、いとも簡単に崩れ去るものだということを私は知っている。
河原たちが呑気な訳ではない。彼らもまた、その事実を知っている。知っていて、この虚構の平和を享受できるだけの精神力があるのだ。でも、私にはそれはできない。一瞬は楽しみを享受出来ても、ずっとはできない。
―――そしてきっと、その平和が崩れ去る日はそう遠くない。
その日を想像しては身震いしてしまうけれど、でも受け入れる覚悟は出来ている。……覚悟をしなくては、ならない。
「だけど……」
―――だけど、この胸のざわめきは、もっと別の嫌な予感のような気がする。政府に襲撃されるよりももっと、もっと嫌な……。
「……考えすぎなら、いいんだけど」
そんな小さなつぶやきは、浴室に反響して掻き消された。
この時の私はまだ知らない。
明け方、楽園に近付く黒船が観測されることを。




