72 別れ
束の間の休息も終わり。
リニアに乗って終点の都市から首都へと戻ってきた私の視界にまず飛び込んできたのは、プラットホームに佇んで瞳に大粒の涙を浮かべる富井と財前だった。
私と河原と教官と栗山さんがリニアから降りたのを確認した瞬間、辛うじて保っていたのであろう2人の涙腺は見事に崩壊した。
「藍――――――っ!!!!」
「一也――――――っ!!!」
滝のような涙を流しながら私たちに抱きついてきた2人。普段なら服が汚れる、なんて言い訳をして照れ隠しするけれど、今日は私たちにもそんな余裕はなかった。
みるみるうちに自分の涙腺が緩んでいくのを感じる。でも、今日くらい……今日くらいはいいだろう。
「富井……ただいま……っ」
「藍……っ……無事で……よかった……っ!」
「うんっ……ちゃんと……帰ってこれた……っ」
ホワイトエクスプレス内でもたくさん泣いたのに、私の体内にはまだまだ水分が残っているらしい。自分でも驚くほど涙が溢れて止まらない。
でもいい。これは、辛くて泣いてるわけでも、悲しくて泣いてるわけでも、悔しくて泣いてるわけでもない。安心して、嬉しくて泣いているのだから。
その後、本部隊と合流した私たち。
隊列を成して待ち構えていた本部隊の先頭にいた聖菜さんは、私を見るなり駆け寄って、そして力強く私の体を抱きしめた。
突然のことに一瞬驚いたけれど、そんなのは些細なこと。さっきもあれほど泣いたというのに。また視界が滲み始めた。
「藍ちゃん……おかえりなさい……!」
「聖菜、さん……はいっ……ただいま戻りました……!」
鼻の奥で香った香水の匂いが何故か懐かしくて恋しくて、余計に涙が溢れてくる。
平気なフリなんてしているつもりはなかったけれど、自分が思っている何倍も私は不安を抱えていたらしい。
―――それが数日前の出来事。
任務に携わったとはいえ、まだ一学生である私たち。楽園へ戻ってきて数日間はどうやっても疲れが取れず、誰がどう見ても絶不調という顔をしていたらしい。あんな大冒険をしたのだから当たり前といわれればそうなんだけども。
よって、上からの配慮で、口頭での事後報告など比較的すぐに済む仕事のみを済ませてから一足先に普通の生活へと戻っていた。
なんて言ってはいるものの、もちろんすんなりと元の生活に戻れるわけなんてなく。
そもそも今は、楽園に戻ったところで普通の生活すら出来ない状態だ。夏休みを挟んだものの、私たちの学年の授業は依然として再開していないし、上層部もやはり忙しいまま。
6月の再襲撃で血の海を目の当たりにした生徒の中には、個人練習すら再開できない人もいる。
そして、何より重大な事実は―――
「亀山大将、まだ意識が戻ってないんだ……」
3ヶ月たった今もまだ、亀山大将の意識が戻っていないこと。
玲子さんが暫定的なトップとして機能しているため、日本軍に大きな混乱は起きていない。トップが意識不明という重大な事実を抱えているのにも関わらず、その動揺が6月の会議に参加しなかった生徒や後輩たちに伝わっていないのは、玲子さんの手腕によるところが大きいのだろう。流石としか言い様がない。
それでも、亀山大将が心配であることには変わりはないのだ。
ベンチに座って1人、亀山大将が入院しているであろう病棟を眺める。眺めたところでどうなるわけでもないし、当然私にはどうすることも出来ないけれど、彼のことを考えずにはいられない。任務中は考えないようにしていたから余計にだろうか。
9月中旬。まだまだ夏の暑さは続く。
暑さと任務の終わった虚無感でぼーっとする頭をなんとかはっきりさせようと外に出てきたが、これではただ心労を増やしているだけだ。
下層部のショッピングモールでもブラブラしようかと、ゆっくりベンチから腰を浮かしたまさにその時だった。
「え……?」
―――その場の空気が変わった。
突然の変化に驚いて、中腰のまましばらくフリーズしてしまう。
病棟から、日本軍の制服を着た軍人がバタバタと出ていく。患者は軍人ばかりなので、軍人が出てくること自体は全く珍しくない。でも、分かる。―――亀山大将に、何かがあった。
出てきた軍人の数が多いとか、その顔ぶれが年齢層が高い人ばかりだとか、スーツの軍人―――つまり最高司令部の軍人―――も混じっているとか、そう思った理由はいくつもあるけれど、確信を得た理由はただ1つ。
「教官……」
出ていく軍人たちと入れ替わるように病棟に入っていく数人の軍人の中に、教官と玲子さんの姿を確認したからだ。
“最高司令部のトップが亡くなった”
―――そのニュースが私たちのもとに届いたのは、翌日のことだった。
そのニュースを私が聞いたのは、河原と射撃場で練習していた時だった。
突然シュミレーション映像が切れ、今すぐ端末を確認するようにという旨の放送が入ったのだ。
すぐに、亀山大将についてのことだと察しがついた。普段なら練習を中断されると苛立つけれど、今はそんなのどうでもいいとすら思った。
「嘘だろ……」
「信じたくないけど、でも……本当にだと思う……」
「葛西、信じるのかよ!?」
「軍が嘘をつくとは思えない。それに昨日……」
「昨日?何かあったのか……?」
「……病棟から忙しなく出入りする上級軍人を……教官と玲子さんたちを見た」
「……クソ……なんで……なんであの人が死ななきゃいけねぇんだよ……!」
「許せない……本当に許せない……」
本当は、昨日のあの光景を見た時点で覚悟はしていた。あの時見た教官の表情は、いつもに増して険しかった。あの表情は、決して朗報をもたらすものではなかった。
それでも、奇跡を信じたかった。朗報を信じたかった。
けれど、その願いも虚しく、待っていたのは最悪の知らせだった。
涙は出なかった。否、そんな暇がなかったという方が正しいかもしれない。
翌日からしばらくは島全体が葬儀的な雰囲気に包まれ、後輩たちの授業もストップした。軍の業務や店の営業はさすがに継続されていたが、あの慌ただしい雰囲気は一気になりを潜めた。きっと忙しいことには変わりないし、むしろさらに忙しさは増したであろうということは容易に察しがついた。けれど、それは外部の人間には全く伝わってこなかった。それくらいこの時の楽園は、普段の姿とは異なっていたのだ。
その知らせから約1週間後、下級軍人や夜桜学園の生徒も交えた葬儀が執り行われた。
葬儀とはいうものの、これは俗に言うお別れ会のようなもの。教官たちによって既に本葬儀や火葬は済まされていたらしい。故に残念ながら亀山大将と直接対面することは出来なかったけれど、それでも本当にたくさんの人がいた。下級軍人や生徒たちはもちろん、幸那さんのような軍人を引退した人の姿も見られたし、楽園特有の制度である“黒い布”を被った人の姿も多く見られた。
彼のことをちゃんと知っている人は決して多くはないはず。けれど、日本軍最高司令部のトップを慕い敬う気持ちはみんな同じだということだろう。
やっと訪れた別れを述べる機会。
出来れば別れの言葉なんて言いたくない。言わなくていい結末を今でもまだ望んでしまう。
でも、現実は違う。目を背けるわけにはいかない。だから、伝えないと。
横に立つ河原の瞳は潤んでいるように見える。声をわずかに震わせて、河原は別れの言葉を紡いだ。
「亀山大将……俺、あなたが褒めてくれたこと、一生忘れません……!」
河原が言っているのは、去年のあの日―――教官と3人で屋上にある亀山大将の部屋に招かれた日のことだ。今でもはっきりと思い出せる。
私と教官はもとより、亀山大将も河原の突然の核心をつく発言に驚いていた。そして、それがホワイトエクスプレスで確保した、政府に身内のいる少佐以上の軍人を見つける足がかりになったのだ。
私は亀山大将に、少しでも驚きを与えられただろうか。与えられた自信はない。
途端に、腹の底からぐわっと抑えきれない感情が湧き上がってくるのを感じた。―――あぁ、やっぱり……
「亀山大将……私……あなたの元で……あなたと一緒に仕事がしたかったです……!」
少しだけ視界が滲んだ。
私の心の底からの本心を、果たして亀山大将は受け取ってくれるだろうか。
「ふぅ……」
お別れ会が終わったあと。
一人でふらりと会場抜けて、目に付いたベンチに腰掛けた。ぼんやりと前の景色を眺めていると、このベンチが亀山大将が亡くなったというニュースを聞く前日にも座っていたものと同じものであることに気付いた。あの時の私は、何かが起こっていることに気付いていながら、その慌ただしい光景をただ見ていることしか出来なかった。
私に出来ることなんて何も無かったと分かっている。でも、不意に虚しさと悔しさが込み上げてきて、鼻の奥がツンとした。
―――あ……やばい……
顔こそ見れなかったけれど、ちゃんとお別れが出来たからだろうか。この1週間、出なかった涙が溢れそうになる。
外で泣くなんて情けないにも程がある。もし教官に見られたらなんて言われるか分かったもんじゃない。でも、涙腺の決壊は抑えることが出来なさそうだった。
―――ああ、もういいか。そう思ったまさにその時だった。
突然強い風が吹いて、一瞬涙が引っ込んだ。そして、不意に顔を上げて、目を見開いた。
黒い布を被った女性が、木の幹に背を預けてこちらをじっと見ていたのだ。
顔は全く見えない。でも何故か分かる。彼女の瞳は、間違いなく私を捉えている。
「え……」
どう考えても不気味。不気味でしかないのに、でも何故か嫌だとは思わなかった。
そもそも、いつから彼女はこっちを見ていたのだろうか。何故、私は彼女の存在に気付けなかったのだろうか。何故、彼女は私を見ているのだろうか。
また風が吹いた。砂が目に入りそうで反射的に目をつむって、そしてまた瞼を開けた時には―――
「……いない」
―――彼女の姿は消えていた。
喪服に黒い布という出で立ちだったけれど、それはまるで妖精のようだった。突然現れて、突然消える、不思議な存在。
何より不思議なのは、いつから見られていたのかすら分からないのに、それが嫌ではないと思っている私自身だ。
「喪にふくしてる天使だったりして……なんてね」
柄にもなく一人で冗談を言ってみる。涙は完全に引っ込んでしまったけれど、ちょうど良い。
これからも泣くことはあるかもしれない。でも、亀山大将のことで泣くのは全部が終わってから―――楽園に平穏な生活が戻ってからにしよう。




