70 memories
「わぁ……綺麗……!」
「あぁ、本当に綺麗な海だな……」
「本当に……ありがとうございます、教官」
「……俺はただ、頑張ったお前をたまには褒めてやろうと思っただけだ」
「もう……素直じゃないんだから」
翌日。午前8時。
並んで立つ私と教官の眼下に広がっているのは、緑がかった美しい青色の海と、そこに浮かぶ大小様々な島々。
負傷した左手は未だにズキズキ痛むけれど、そんなことどうでも良くなってしまうくらいの開放感が全身を包み込む。
お叱りは後日―――ということでとりあえず丸1日、休息を与えられた私たち。だがしかし。
―――休息かぁ……あれ……何してたっけ、私……?
そう、突然休息と言われても、何をしたらいいのかが分からないのだ。
楽園内ですらそうなのに、外で休息なんて余計に分からない。ポツリとそう零した私を、教官は見逃さなかったらしい。
教官に突然呼び出されたのが2時間前の朝6時。言われた通り30分で支度を済ませ、車に乗りこんで走ることさらに30分。そうしてたどり着いたのがここ、海とそこに浮かぶ島々が見える展望台だった。
楽園では絶対に見られない雄大な景色に、気持ちがみるみる穏やかになっていく。
―――あの後。
駅を後にして片割れを引き渡した私たちは、まずテレビで報道されていたニュースを見た。そこで報道されていたのは、事実とは全く異なること。河原と2人、呆気にとられながら画面を凝視した。
「爆発は、乗客が使用していた電子レンジが原因……」
「死者はゼロ。不慮の事故として警察は処理、か……デタラメだな」
「うん……おかしいとは思ってたの。列車を降りた後、誰もその場に引き止められていなかった。というか警察らしき人の姿すら見えなかったから……」
「はぁ……怖えな、日本軍……」
やはり日本軍の力は強大だ。
たった数時間で嘘の物語をでっちあげあげ、それを世に浸透させてしまうのだ。しかもそのことに対して、政府も警察も不満は言わない。否、言えないという方が正しいのかもしれないけれど。
政府の襲撃は、日本軍と日本政府、どちらにとっても公にして良いことは1つもないので隠すのはわかる。けれどこの事故は100%こちらの過失だ。それなのに隠ぺいしてしまうなんて……。
今更ながら、自分の所属する組織の力の大きさに圧倒される。
色んなことを経験した今回の一件。
3日間の出来事だとはとても思えないほど神経をすり減らしたし、泣いたし、怒った。楽しかったなんて手放しでは決して言えない、そんな旅だったのに、冷静になってもなお、若干の物寂しさは消えていない。
私にとっては2度目の任務。それは、初めて本部の人間と組ませてもらって、挑んだ任務だった。正直、初めての時よりずっと緊張した。しかも相手はあの栗山さんだ。
彼はちゃんと大人なのにどこか子供っぽいところがあって、私はからかわれておもちゃのように扱われた記憶もしっかり残っている。その反面、メンタルが弱いのはかなり意外だった。
でも、やっぱり尊敬できる人であることに変わりはない。むしろそんな面を知れて、彼も人の子だったのかと安心したくらいだ。
そして尊敬できるのは、隣に立って遠い目をして景色を眺めている彼もまた然り。
もっとも彼は、人の子か怪しいところがあるけれど。
「葛西、お前何か失礼なことを考えてないか?」
「……いえ、全く?」
「なんだその間は」
「……いえ、何でも?」
「はぁ……お前なぁ……」
呆れ顔でこちらを見る教官。そんな彼を見てふと、昔聞いた噂を思い出した。
―――“三坂徹という人間は心を持たない”
確かに良く知らない人からすれば、教官は鉄仮面で鉄の心を持った堅物の超エリート様に見えるのだろう。もちろんその噂には、嫌味が込められているということだって分かっている。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれないという。けれど、彼は最高司令部の軍人としてはまだ若い。むしろ若すぎるくらいだ。標的からの評価もそうだったように、上の世代で彼よりも位が低い人からは、きっとよく思われていないのだろう。
でも、今は彼のことをそれなりによく知ると自負する身からすれば、当然ながら全くそうは思わない。…というか、思えない。
「……だからさっきから何なんだ、葛西」
「いえ……何でも?」
「はぁ……俺の顔を見ても面白くないだろ」
まず、鉄仮面のように見えて、実はコロコロ変わる表情。確かに笑うことは少ないけれど、喜怒哀楽ははっきりしてる方だと思っている。特に怒の部分が。そして……
「まぁ……お前がそれで元気になるなら、今日くらいは許してやる」
「えへへ、ありがとうございます」
実はとても優しいところ。
彼は私の父親ではない。彼は健太くんと駿くんの父親だ。そこを履き違えることはしないけれど、父親を知らない私にとって彼は正しく“父親のような”存在なのだ。
厳しく、けれど優しく。それを体現したような人だから、最初は怖がっていた私も河原も、今や彼の虜なのだろう。
―――そう、それはすべて“今”の話。
出会った頃は、私も河原も彼が怖くて仕方がなかったのだ。昔のことを思い出すと、その事もつい思い出してしまう。
今でこそ知っていても、当時は当然彼のことを何も知らなかった。故に噂通り、心がないんじゃないかと疑いかけた時もあった。
おまけに当時の私は初等部の1年生。6歳の子供にとって、あの鋭い目と笑わない顔は恐怖の対象でしかなかった。もっとも、今は全て笑い話に出来てしまうけど。
「はー…なんか、思い出しちゃった」
「何の話だ?」
「いや……だって教官、初めて会った時は怖くて怖くて、こんな風に話せるようになるなんて思ってなかったから」
「あぁ……そんなの、俺自身が一番びっくりしてんだよ……」
そう、あれは10年も昔の春、桜の咲き乱れていた時のこと。
―――2030年、春
初めて会った時、三坂徹という人を見て一番に感じたのは“殺される”という恐怖。
まあ実際、間違えてはないけれど。でも、入学してすぐはまさか自分が軍人になるだなんて思っていなかった上に、楽しいところと聞かされて行った先だったのにこんな怖い人がいるなんて…、と戦慄したものだ。
「自己紹介をしろ」
今も覚えている、彼の最初の言葉。
今になれば、まずは自分が名乗るべきでは…、なんて言えるけれど、もちろん当時はそんなこと言えるわけもなく。
「か……かさい、あい、です……」
「かわはら、かずや……です……」
震える声を必死に絞り出した。
そしてそれは河原も同様。他の子たちは3、4人で1グループになっていたのに、何故か自分たちだけは2人1組。他の子と違う、それだけでも大きな不安要素だった私と河原にとって、三坂教官との出会いは十分絶望に値した。
怖くて怖くて仕方がない教官。
その意識は簡単には変わらなかったけれど、でも日々の中で確実に変化はしていた。
それが幼い私にとって手に取るように分かったのは、初めて彼の狙撃を生で見た時。
怖い彼を初めて“きれい”だと思った。しなやかで可憐にすら見えた。芸術品にすら見えて、気付けば河原と2人で顔を見合わせて口をあんぐり開けていた。
「すっ……すごいっ、きょうかんっ!」
「すげーっ!おれもできるようになる!?」
「わたしもっ!」
怯えた目でしか自分のことを見てこなかった生徒が、突然キラキラした目で自分を見てくる。今になれば、びっくりしたいのは教官の方だったとわかる。
私たちよりもずっと目を見開いて、口をあんぐり開けていた教官の顔は今でも覚えている。
「……あぁ、俺ができるようにしてやる」
そしてその時初めて、教官の笑顔を見たのだ。入学して丸1年も経った、2031年のはるのことだった。
その後もお互いのペースで歩み寄っていった私たちと教官。気付けば大嫌いで怖い教官は、怖いけれど優しくて大好きな教官になっていた。
桜を見て、教官の家でかき氷を食べて、紅葉も見て、シェルターの外に出れない私たちに雪だるまを作ってくれて。幸那さんとも出会って、弟みたいな健太くんも生まれて。今にして思えば、教官と生徒の関係が近い初等部の中でも、指折りで親しくしてもらっていた。
そんな関係は突然終わりを迎える。
否、彼からすれば突然ではなかったのかもしれない。でも、私と河原にとってはかなり突然だった。
初等部3年の修了式の日、教官は私たちに向かって優しく微笑んで告げた。
「今日でお前たちと過ごすのは最後だ」
―――正しく時が止まったようだった。彼が何を言ってるのか分からなかった。けれど、それが理解できないほど私たちは幼くなかった。
とにかく泣いたので、その時の記憶は正直なところ、あまり残っていない。教官は色々言ってくれていたけれど、その言葉すら覚えていない。
でも、1つだけ覚えている言葉がある。
「絶対、明日からも会えるから……だからそんなに泣くな」
駄々っ子をなだめるように教官はそう言った。実際、その場の私たちはただの駄々っ子だった。素直に彼の昇進を祝えるほど、私たちは大人ではなかった。
でも、その言葉だけは素直に聞き入れたのだ。それが、本当の意味での“教官”の最後の言葉だった。
そしてその言葉は本物になる。
4月からはそれぞれ別のチームに編入させられた私と河原は、当然バラバラになった。
最初は受け入れがたくて苦痛でしかなかった編入先のチーム。けれどそこで私は紗也に出会ったし、河原は元々仲がいいほうだった財前ともっと仲良くなった。
なんとか編入先のチームで居場所を見つけた私と河原。でも、心に抱える孤独はなかなか消えない。一人ぼっちになってしまったようで私も、そして河原も口にこそ出さなかったけれど寂しい思いをしていた。
それを察したのはきっと松本さん。松本さんから話を聞いたのであろう教官は、突然私たちの前に現れた。
「元気にしてたか」
「な……なんで、教官が……」
「うわぁ……本物?」
「……おい、久々に会いに来てやったと思えば、お前らは……」
教官時代とは違うスーツを着ていたけれど、目の前の彼は絶対に三坂徹だった。
それが嬉しくて嬉しくて、一通りわいわいはしゃいだ後、私と河原は揃って泣いた。別れを告げられた日以上に泣いた。そんな私たちの頭を撫でながら、教官は困ったように笑って言った。
「言っただろ、明日からも会えるって」
その言葉が嬉しくて、また泣いた。
それを皮切りに、私たちと教官は頻繁に会うようになった。もちろん教官はかなり忙しかったはずなのに、それでも時間を作ってくれた。
それは中等部に入ってからも同じ。
彼の計らいなのか、はたまた偶然なのかは今でも分からないけれど、私と河原はバディとなった。3年間は違うチームにいたとはいえ、教官と3人で過ごした3年間の力は強大だ。それを見せつけるように、自分で言うのもなんだが私たちは快進撃を続けた。
楽しいことばかりじゃない、むしろ辛いことの方が多かったかもしれない日々だったけれど、この思い出は本物だし色褪せない。私たちが強くいられるのは、彼に失望されたくないというのが根底にあるからかもしれない。
「うーん……でもやっぱりこうしてみると、教官って最初から優しかったですね」
「こうして見ると、って何の話だ」
「いえ、ただちょっと感傷に浸ってて」
「まぁ、この景色なら分からなくもねぇか……」
「教官って時々ロマンチストですよね……?」
「……放っとけ」
―――ほら、やっぱり心がないなんて嘘だ。
呆れたような顔でこちらを見る教官。その顔を見ていると、昨日実感した任務の終わりをさらに強く感じる。
私はこれで満足なんてしない。これから先もずっと、彼の期待に応えていきたい。尊敬できる教官の横顔を眺めていると、そう思わずにはいられないのだ。




