69 ホワイトエクスプレス(x)
腕で口を塞ぎ、一歩一歩確認しながら前へと歩みを進める。そもそも視界が悪い上に、煙が目に入って涙が出てくる。心情的なものじゃなく生理的なものなので、残念ながらこらえる術はない。
風に乗って聞こえてくる軋むような音。先程から聞こえるこの音が、頻度を増しながら徐々に大きくなっている事実を無視することはできない。
「ッ……急がなきゃ……」
自分で自分を急かし立てる。
日本には急がば回れ、ということわざがあるけれど、今はそんなことを言ってる場合ではない。実を言うと、“急がば急げ”なんて馬鹿らしい造語だって私は案外気に入っている。
どれくらいの時間が経ったのだろう。さっきから時間感覚がいまいちちゃんと作動していない。
けれど、私が何とか最前車の屋根にたどり着いた時にはまだ、鉄橋はギシギシを音を立てながらもその形を保っていた。
時間の猶予はない。
一秒が私たちの運命の明暗を分けるのはわかっている。無駄に出来る時間なんてない。
その場に寝そべり、頭を垂れて車内を確認していく。そうやっていくつか窓の向こうを見て、そして見つけた。
「よし……ここなら大丈夫ね」
誰もいない部屋。おそらく荷物置き場だろう。しかし、ここで重要なのはこの部屋の用途ではない。この部屋の中に人がいないということだ。
再度誰もいないことをしっかり確認し、レッグホルスターから拳銃を取り出す。取り出しこそしたけれど今日はまだひとつも撃っていないそれは、手のひらの上でずっしりと重い。
それをしっかり握り、一度大きく深呼吸。そうやって簡単に心を落ち着かせてから、ぐっとお腹と指先に力を入れて、円を描くように窓に向けて全ての弾を撃ち放つ。
「よし……っ!」
我ながら綺麗な円が描けた。しかし、それで満足している暇はない。
拳銃をホルスターに戻し、その円に向かって左腕を何度も勢いよく振り下ろす。
「ッ……!」
ガラスが割れたその瞬間、感じる鋭い痛み。
破片が飛び散って手に刺さったのだろう。血が滴る感覚がある。
正直とても痛い。けれど利き手は無傷だ。それならむしろ上出来だろう。
いびつな形をしたその穴をすり抜け、車内へ入る。
周りをぐるりと見回す。―――数種類のロープに古びたつなぎ……。
なるほど。予想通り、やはりここは物置らしい。しかも、長らく掃除もされずに放置されていたはずの。
少し吸っただけで咳き込んでしまう埃っぽい空気が、そのことを物語っている。
放置された物たちは、床の上に足の踏み場もないくらいに散乱している。豪華列車にもこんな場所があることに驚きつつ、その上を歩いて扉を開け、部屋の外に出る。すると、たまたま目の前にいた乗務員の1人とバッチリ目が合ってしまった。
彼はこの状況も相成って、混乱したのだろう。突然現れた私をただ呆然と眺め、そして突然大声をあげた。
「な……き、君は誰だ……!?」
「ッ……落ち着いてください!」
「敵か!?犯人か……ッ!?」
「えっと……っていうか、むしろ逆です!」
「え、逆……?」
その言葉を聞いた瞬間の、彼の浮かべた心なしか安心したような表情が胸を締めつける。
―――私は、犯人かと問われると否定は出来ない。一因は確実に私だ。でも、だからってここで尻込みしている場合ではない。
「ていうか君、どこから入ってきたんだい?」
「あー……屋根の上です。まあ、それは置いておいて……」
「屋根の上!?本当に君は一体……!?」
絵に描いたようなびっくり顔の乗務員。笑ってる場合じゃないのに思わずこみ上げてくるその笑いをぐっと飲み込み、話を続ける。
「それはおいおい。……とりあえず、運転手の所へ連れて行ってもらえますか?」
「え……運転手?」
どうして?と言いたげな顔。唐突すぎる要求であることは分かっている。
でもどうやらこの目の前の彼は、片手から血を垂れ流す、不審ななりをした私のことを信じてくれるらしい。
「……わかった。こっちだ」
混乱している乗務員の間をすり抜け、たどり着いた先頭は、冷静に見えて何処よりも混乱している様だった。
そんな状況で突然見知らぬ顔が現れたら、余計に混乱するのは当たり前。だから、彼らに騒ぐ隙を与えない。
「列車を動かしてください!」
「え……!?」
「ここは橋の上。いつ崩れるかわかりません。火元の車両は、私の仲間が切り離してくれましたから、早く!」
「き、切り離すって、どうやって……」
「気合いです!彼なら、絶対に大丈夫ですから……だから早く!」
脳裏に、栗山さんのあの優しい笑顔が浮かぶ。
力ずくで、なんて無茶なことを言っていたけれど、彼ならきっと大丈夫。私が彼にとって信用に足る人間なのかは分からないけれど、私にとって彼は命を預けられるほど信頼出来る人間だ。
ゆっくり列車が動き出すのを感じる。ふぅ…、と詰めていた息を吐き出す。
窓の外を見ると、周りは木々で覆われていた。つまりここはちゃんと地の上ということ。これでとりあえず橋が崩壊して全滅、という最悪のルートは確実に免れたはずだ。あとは……
「このまま終点を目指してください。これでとりあえずは大丈夫なはずです」
「あ、あぁ……ところで君は―――」
「では、失礼します」
「あ、ちょっと……!?」
―――一刻も早く、栗山さんの所へ向かわなくては。
動き出した列車の窓からするりと屋根へと移動する。まさか人が目の前で屋根の上に消えるなんて思っていなかったのだろう。ざわつく乗務員たちのそんな声を聞き流しながら後ろを見る。―――その瞬間、思わず笑みがこぼれた。
「栗山さん!」
「無事にやり遂げたみたいだね、葛西さん」
「はい!栗山さんの方こそ」
「もちろん。それに、彼も協力してくれたからな」
すぐ後ろの車両の屋根の上、そこに佇んでいる栗山さんと片割れは、どちらも晴れやかな表情をしていた。
見上げた空は、黒煙なんて全く見られない澄み切った空。時間的には昼前くらいだろうか。生ぬるかった風が、確実に熱を孕んだものになっている。それでもこの風は心地いい。
こちらへ伸びる栗山さんの手を取って、彼らのいる車両の屋根へと移る。その時、その手のひらを見て絶句した。
「栗山さん、その手のひら……っ」
「あぁ……まぁ、勲章みたいなものだろう」
「そんな……っ」
手のひらに広がっていた真っ赤なシミ。痛々しいそのヤケドは、見ているこっちが痛くて泣きそうになる。
彼は本当に、力ずくで火元の車両を切り離してくれたのだ。本当に命懸けで……
「もう……本当に……」
「え、ここで泣くの?ていうか俺、君が泣いたの初めて見たかも……ありがとう」
「なんでお礼なんて……っ」
「その気持ちが嬉しいから、かな」
「あぁもう、何でもいいです……!」
―――やっぱり私は一生、この人には絶対に適わない。
その後、無事車内に戻った私たちは、車掌のアナウンスにより落ち着いた人々の間をかき分け、例の監視部屋へと戻ってきた。
当然片割れも一緒だが、すべて終わったこと。今更関係ない。
列車は深い森を抜け、街中を走っている。終着駅はすぐそこ。長かった旅もようやく終わるのだ。
まだ続けたいなんて思わないけれど、少し寂しい気持ちはある。物事の終わりはどんなことであれ寂しい。こんなハチャメチャな旅でもそう思ってしまうのだから、実は私は相当肝が座っているのではないか、なんて微妙な気持ちを抱えながら外を眺めていると、突然栗山さんが片割れに話しかけた。
「そういえばお前、どうやって気付いたんだ?」
「え……?何をだ?」
「ほら、俺たちがホワイトエクスプレスに乗り込んでいる事だよ。偽名がバレる前から何となく分かってたんだろ?」
「あぁ……そのことか。懐かしい」
「懐かしい、って……まあ、懐かしいか」
車両を切り離した時に何かあったのだろう。2人の間に流れる空気は穏やかだ。
「……監視カメラだよ」
「え……いやでも、あれは超小型で……」
「あぁ、普通気付かないだろうな。ただ、運が悪かった」
「運?」
「……私は、政府内のそういう仕事―――軍の情報科のような場所にいるんだよ。否、もう“いた”と言うべきか」
「なるほどな……」
つまり、最初から標的たちには軍からの刺客の存在は知られていたということ。確かに運が悪かった、としか言いようがない。
でも、そんな状況の中でも何とか標的と片割れを捕らえることは出来た。もちろん事態を大事にしてしまったことに対する上からの叱咤は避けられないだろうけど、どんな形であれ目的が達成出来たことに変わりはない…はず。
『長らくお待たせ致しました。当列車は間もなく終点に到着いたします』
車内に響いたアナウンスに胸をなでおろしたのは、私たちだけではないはず。乗客乗務員全員の安堵のため息があちこちから聞こえてきそうだ。
それはもちろんこの部屋からも。
「「はぁ……」」
ほぼ同時にため息をついた私と栗山さん。顔を見合わせて笑い合う。それだけでまた安心感が胸の中に広がっていく。
「それじゃあ、降りる準備しましょうか」
「うん。お前の手にはハンカチを掛けるから」
「あぁ……わかった」
「栗山さん、私、機材の撤収してきます」
「あ、待って、葛西さん」
「え、はい……?」
「撤収は俺がするから」
「いや、でも……」
「だから、君はこれを」
「え……?」
優しく微笑む栗山さんから手渡されたのは、見覚えのない白いパフスリーブのブラウスと、目が覚めるような真っ青なスカートと、黒いベレー帽だった。
日本一との呼び声の高いホワイトエクスプレスの到着は、終着駅にとって一大イベントらしい。ただでさえ一目見ようと人が押し寄せているけれど、今回はそれだけではない。
あの爆発はもちろん既にニュース速報として報道されているらしく、記者やカメラマン、アナウンサーらしき人たちの姿も多く見られる。
「こんな正しく連行、なんて場面はテレビに映すわけにいかないからな」
「……了解です」
ぞろぞろと人が降りていく。
パーティーで見かけたご老人たち。そういえば絡まれたこともあったボンボン集団。当然ながら皆疲れきった表情をしている。
彼らも記者たちに話を聞かれていたけれど、一番揉みくちゃにされているのは車掌。彼も事態を把握することが出来ていないはずなのに、堂々とした態度なのはさすがだ。
そして、記者たちにつかまらなかった乗務員たちは、人混みを掻き分けて“誰か”を探している様子。その人物はきっと……
「本当に栗山さんの言う通りだ……」
「俺はむしろ、君が予想してなかった方がびっくりしてるけど」
「ずっと思ってたんですけど、栗山さん、私のこと買い被りすぎですよ」
「それはどうかな。まあでもとにかく、彼らが葛西さんを探しているのは間違いないから」
「えぇ、そうっぽいですね」
当然と言われれば当然だ。
突然現れて、勝手に指示して、屋根の上に消えた不審な女を探さない方がおかしい。
でも、私は彼らにに見つかるわけにはいかない。命を救った英雄としたて称えられようが、勝手な行動をしたため晒し者にされようが、下手をすれば、私の存在から日本軍―――つまり夜桜学園の存在が明るみに出てしまう可能性もゼロではないからだ。
栗山さんに渡された服に着替え、髪をまとめてすべてベレー帽の中におさめた私は、確かに傍目に見れば先程までとは別人だろう。
さっきまで私が着ていたのは、黒いトップスに深紅のスカート。そんな出で立ちの長い髪の女を探している人たちからすれば、真逆と言ってもおかしくないような格好をした今の私なんて目に留まらない。
片割れも目深に帽子をかぶっているので、一瞥しただけでは誰かなんて分からない。
こうしえ乗務員たちに知られてしまっている私たちの存在を、栗山さんは見事に消してしまったのだ。
「ところでこの服、どうしたんですか?まさか私物なんてこと、ないですよね?」
「まさか。聖菜さんに持たされてたんだよ。あの人、この手の仕事の経験が豊富だから」
「あぁ、なるほど。それじゃあ、栗山さんも?」
「一応ね、真逆の雰囲気の服を持たされてるよ」
なるほど。聖菜さんの考えだったのか。それならただ真逆の雰囲気であるだけでなく、センスも感じられるこのチョイスにも納得出来る。
今回の本部隊のトップを務めている聖菜さん。姉ような母親のような不思議な存在だけど、やはり尊敬できる立派な軍人だ。
やっとの思いで人混みを抜ける。
ぱっと開けた視界、その先にいたのはつい数時間前に再会した、けれど既に懐かしい顔。
「葛西、おかえり!」
「河原!ただいま」
「あぁ!栗山さんもお疲れ様です!」
「ありがとう、えっと……」
「河原一也です。葛西のバディです」
「なるほどね。ありがとう、河原くん」
「河原でいいですよ、栗山さん」
人当たりのいいいつもの笑顔を浮かべた河原。その顔を見るだけで疲れが吹っ飛んでしまいそうだ。
しかしそんな彼でも、片割れの存在を意識すると表情が強ばる。笑顔をすっと消し、真面目な顔をして栗山さんに尋ねた。
「……彼が、双子のもう一方―――政府の人間ですね」
「あぁ。引き渡したいんだけど……三坂さんは?」
「教官……三坂さんは今、標的を引き渡しに行ってて……もうすぐ来ると連絡があったんですけど……」
「なるほど。じゃあ待とうか」
栗山さんがそう言いながら、近くのベンチに腰を下ろそうとした時だった。
「その必要は無い」
硬い口調なのに、心地いい低い声。
ハッとして声のするほうを向けば、そこに居たのは当然―――
「教官……っ!」
労うような眼差しをこちらに向ける教官。
いつもはカチッと着こなしているスーツが若干くたびれているのは、彼もまた相当大変な仕事をしたという証。
「ご苦労だったな、栗山、葛西」
「ありがとうございます。でもまだ、終わってませんので」
「あぁ、そうだな。最後まで頼む」
「はい、わかりました」
上司としての、私たちの見慣れない顔をする教官。だけど、それですら懐かしい。
―――本当に、無事に終わってよかった…。
河原と教官と栗山さんの優しい顔を見ながら、ようやく終わった実感が湧いてきて、心の底からそう思えたのだった。




