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68 ホワイトエクスプレス(ix)

「それじゃ、行ってくる」

「あぁ……わかった」


―――もう、そんな顔をしないでよ、河原。

目の前にいるのは今にも泣き出しそうな顔をしている相棒。それを見て見ぬふりをして背を向けた時、チクリと胸が痛んだ。



当然だけど、河原の突然の登場には心底驚いた。なんでここにいるのか分からなかったし、ただでさえ混乱していた頭が余計に混乱した。しかし、驚きの次に湧いてきた感情は安堵だった。


彼が来てくれたことにより、状況はかなり変わった。何より標的をここから脱出させ、軍へ引き渡す手段が出来た。これで私は車内へ戻ることが出来る。


河原にその事を告げれば、当然ながら声を荒らげて反対された。目の前で炎と黒煙をあげている場所へ戻ろうとしているのだ。彼の気持ちは良くわかるし、正直私も怖い。



―――これはただの自己満足だ。

仮に私が彼らを全員救出できたとしても、怖い思いをさせたことに変わりはない。そもそも当初は捨て駒として扱おうとしていた人間を救ったところで、私は彼らに顔向けなんて出来ない。

だからこれは、ただの自己満足なのだ。


その自己満足を渋々だが受け入れてくれた河原。しかし彼は私に告げた。―――自分の命を一番に守れよ、と。

その瞳があまりに切なくて、一瞬決心が揺らぎかけそうになる。そして察する。


河原も私と一緒だ。顔を見なかった2日間、ずっと不安だったのだ。


「……うん、わかった。ありがとう、河原」


決意はもう揺らがない。

河原の心配と信頼は痛いほど伝わった。それを直接感じられただけで十分だ。



そして冒頭へ戻る。


私がいるのは前方の車両。部屋のドアを少しだけ開けて廊下を見ると、そこは我先にと前へ行こうとする人々でごった返していた。その鬼気迫る表情に思わず息を呑む。

この様子では、逆走して後方車両へ向かうのは難しいかもしれない。


「でも、やるしかないか……よしっ」


意を決してドアを開ける。僅かな隙間しか開けることが出来なかったが、そこからなんとかすり抜けて廊下へと出る。

人の波の勢いは凄まじい。みんな死にたくない一心で必死に前へ前へと向かっている。その中を逆走するのは、予想よりもずっと体力と精神力がいる。



そんな波をかき分けて向かったのは、後から2番目の車両。後に向かうにつれて人は減り、目的地にいたのはたった2人。

そして、その2人というのは―――


「栗山さん……ッ!」

「え……葛西さん?標的は……?」

「詳しいことは後でお話しますけど……とりあえず軍に引き渡しました!」

「そうか……よかった……」


車両の後ろ、開け放たれたドアの向こうの炎を眺めていたのは、栗山さんと片割れだった。遠くからでもわかるほどボロボロになった彼の姿を見た瞬間、心臓を鷲掴みにされたような痛みを感じる。


片割れは魂を抜かれたような顔をして、その場に佇んでいる。栗山さんが腕を掴んでいるが、その手を離せば飛んでいきそうな気がした。まさに心ここにあらず。これもある意味、一種の燃え尽き症候群なのかもしれない。


そんな彼をの目の前にして怒りがわかないわけがない。でも、そもそもの原因である私が怒るのはお門違いなのはわかっている。それに、ここで怒ってもどうしようもない。栗山さんのことも困らせるだけだ。彼の方もかなり憔悴している。

―――冷静に、冷静に。拳を握りしめて、怒りを必死に押さえつける。


「栗山さん、乗客たちは……?」

「あぁ……とりあえず前に行くよう指示した。ここは危ないから……」

「そうですか……なら、私たちも早く前へ行きましょう」

「……」

「栗山さん……?」



再会した時からわずかに感じていた違和感が、はっきりと形を得て感じられる。―――おかしい。栗山さんの様子が明らかにおかしい。

憔悴しているのは分かっていた。私自身も傍から見ればそう見えるのだろうということも自覚済みだ。けれど、今の彼にはいつもの自信が全く見て取れないのだ。


「……俺は行けない」


だからその言葉を聞いた時、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けながら、でも心のどこかではあぁ、やっぱりと腑に落ちてしまったのだ。


「どうしてですか……!?」

「俺は、こいつを連れて逝かなきゃいけない」

「連れていくってどこにですか!?日本軍本部でしょう!?」

「上の要求は標的の確保だ。それなのにこんな大事にしてしまったのは俺のミスだ。だから……」

「そんなの身勝手すぎる……!」

「ッ……!」


軍の力は強大だ。故にこの事故の本当の原因なんて簡単にもみ消すことができるだろう。でも、だからといって私たち―――特に栗山さんに責任がない訳では無い。むしろ上層部の手を煩わせたのだ。当然だけど負う責任はより重くなる。


1年前のあの狙撃任務のように、日本軍は今でも命をもって償うようにと夜桜学園の生徒に教え込む。彼らは99%黒だったけれど、日本軍は基本的には“疑わしきは罰す”の姿勢。今回の確保命令は異例中の異例なのだ。

座学でも実践でもずっとそのことを教え込まれ続けると、人は知らず知らずのうちにそれを当たり前と考えるようになる。


ちなみに、私がある程度客観的に物事を見れるのは教官のおかげだ。

彼もまた最高司令部の軍人のはずなのに、彼は上層部が積極的に伝えたくないであろうことまできちんと教えてくれた。あの人は基本的には厳しいけれど、時に残酷に思えるほど優しい人だ。


兎にも角にも今の栗山さんは、自分の命をもって償う気しかない。その判断は確かに日本軍人としては間違っていないのだろう。

でも、彼と二度と会えなくなるなんて私は嫌だ。ただのわがままだけど、でも嫌なのだ。



標的を確保し、軍に引き渡すという目的を果たした今、彼を引き留められる理由は何があるだろうか。―――聖菜さん?渡辺さん?玲子さん?教官?七瀬さん?亀山大将?

……ダメだ。何も思いつかない。全て大切だけど、今の彼にはきっと逆効果。

そもそも私は彼のことをよく知らない。彼に恋人や家族はいるのだろうか。それだけでも分かれば、それが引き留める理由になるのに。


きっとよく出来た日本軍の理想通りの部下なら、彼の行動を止めずに自分も共に死ぬのだろう。そんなことは分かっているし、昨日の自分ならおそらくそう言っていた。

だけど、彼の―――たった1人の相棒の言葉が耳から離れない。彼のあの言葉が、存在が、私が簡単に死ねない理由になっている。

そう、たった一言でいいのだ。確信をつくたった一言で……―――



―――あぁ、そうか。


その馬鹿げた発想は突然おりてきた。そう、まるであの時の閃きのように。

そうだ、思いつかないなら作ればいい。私が彼を引き留める理由になればいいのだ。


「……嫌です」

「葛西さん……でも、俺は軍人だ」

「確かにルールではそうかもしれない……だけど私が、もう二度とあなたに会えないなんて嫌なんです……ッ!」

「ッ……」


友達ですら、死ねない理由になるのは簡単なことではない。ましてやそれほど関わりのないただの部下がなろうなんて、やっぱり馬鹿げた発想なのだろう。

でも、やるしかない。今この場で彼を止められるのは、河原に命を繋ぎ止めてもらっている私しかいない。


「葛西さん、君はまだ生徒だからわからないかもしれないけど……」

「分かってますよ、軍の責任の取り方くらい……!でも、それなら私だって……あなたが死んだら、あなたを守れなかった責任を取らなきゃいけない……!」

「それは……直接言われたわけじゃないだろう」

「直接言われなくても分かります!だってそうじゃないと、軍が私とあなたを組ませた理由はないでしょう……!」


どうやって彼を引き留めようか。―――そう考えていたはずなのに、その冷静な気持ちが徐々に消えていく。否、きっと最初から冷静な気持ちなんて存在しなかったのだ。自分で思っているよりもずっと、私の中で彼の存在は大きくなっていたのだ。


「私は、軍に入ってあなたと仕事がしたい!教えてもらいたいことがたくさんある!もっとあなたと話したい!だから……お願いだから……私と一緒に生きてください……ッ!」


―――勢いに任せて飛び出たセリフはまるでプロポーズ。とても恥ずかしいことを言ったと気付くのは、ずっとずっと後のこと。



「ふふっ……あはは……っ」


火の手はすぐそこまで迫っている。依然として余裕なんてない。そんな状況なのに、栗山さんは突然笑いだした。

そんな彼に、私だけじゃなく心ここに在らずだった片割れですらぽかんとしている。


「く、栗山さん……?」

「全く……君って子は……ふふっ……きっと気付いてないんだね」

「気付くって何を……?」

「いや……何でもないさ。でも、ちゃんと熱いラブコールは届いたよ。……ありがとう」

「栗山さん……」


熱いラブコールはかなり語弊がある気がするけれど、でもそんなのどうだっていい。

これは理由になれたと言えるのだろうか。それとも彼が折れてくれたのだろうか。―――そんなことを考えて、やめた。


そう、そんなことはどっちでもいいのだ。だって彼は今、私の前でちゃんと前を見据えて生きている。その事実だけでいい。



安心した途端に感じられる熱風。

すぐそこまで迫る巨大な炎に対する恐怖が、突然はっきりと感じられ始める。


とても長く感じられた時間は、実際はそうでもなかったらしい。しかし、状況は確実に刻々と悪化している。

炎をバックに目の前に佇んでいるのは、私が憧れているいつもの栗山さん。正直、彼がメンタルをあそこまでやられるなんて思っていなかったけれど、そこはさすが情報科。復活も恐ろしい程に早い。


「葛西さん、何か案はある?」

「とりあえず前の車両に行きましょう」

「あぁ。でもこの車両にだってじきに火の手が回る。だから、この車両を前と切り離そう」

「それは確かに得策です。でも、それには車掌の持つ鍵がないと……」

「心配しないで。もちろんそんなことは分かっている」

「ならどうやって……?」

「そんなもの決まってる。―――力ずくで、だよ」


え…、と唖然とする私に対して、優しい笑みを浮かべている栗山さん。言っていることと表情が一致していないけれど、でも不安はない。今の彼ならきっと、どんなことでもやり遂げてしまう気がするのだ。


「それなら私は屋根から前へ向かって、列車を動かすよう指示してきます」

「うん、頼んだ。あと、もちろん……」


ワントーン低くなる声。その視線の先には、腕を拘束されて俯いている片割れがいる。


「……お前にも協力してもらうからな」


彼はその言葉に一瞬顔を上げた。しかしすぐに栗山さんの視線から逃げるように再び俯き、そして力なく笑った。


「無駄だ……どうせみんな死ぬんだからな……」


その無責任な言葉に、腸が煮えくり返りそうになる。苛立ちを抑えながら栗山さんの顔を見上げ、ハッとする。

―――それはまるで夜の海。月明かりとのコントラストが美しいのに、全貌が見えなくてとてつもなく怖い。彼は、そんなオーラを纏っていた。


「……それは違うな」


そう言いながら片割れの胸ぐらを掴み、顔を無理やり上に向けた栗山さん。思わずぎょっとしてしまったけれど、止めることはしない。やり方は強引でも、それは決して感情に任せきったものではないとその目を見れば一目瞭然だ。


「……そんなもの、やってみなきゃわからない」

「はっ……さっきまで諦めてたあんたがいうのか……?」

「そうだよ。……死ぬしかないと思っていた俺が、今もまだこうして生きている。それは、あの子が諦めなかったからだ」

「……そんなの全部、綺麗事だ」

「あぁ……そうかもな。でも、悪くないだろ。落ちるところまで落ちたら、どんなにかっこ悪くたって許されるんだから」



彼のその言葉を聞いた瞬間、ぶわっと目頭が熱くなる。こみ上げる涙は必死にこらえた。


だって、私のやったことは無駄ではなかったと彼の口から聞けたのだ。彼が生きているという事実だけでもよかったのに、ちゃんと彼が生きると言ってくれた。今の私にとって、それ以上に嬉しいことはない。



彼の言葉で片割れが改心したのかどうかは分からない。正直、言葉だけで改心するような人間なら、こんな大事を起こしたりなんてしないだろうと思うけど。

でも、改心まではいかなくても、栗山さんの言葉は彼の心に少し響いたらしい。


「……どうせ死ぬなら、最後くらい善人面して死にたいかもな」

「お前……」

「何であんたが驚いた顔してるんだよ……ははっ、おかしな奴だなぁ……」


言葉だけならなんとだって言える。

だけど、彼の瞳がその言葉が上っ面だけではないと語っている。今の彼なら、この瞬間だけは信頼しても大丈夫だ。



「それじゃ、行ってきます」

「あぁ……頼んだよ」


そう言う栗山さんの顔が、あの時の河原の顔と被る。心配しているけれど、でも信頼もしてくれている表情だ。

河原と栗山さん。2人からの信頼を裏切るわけにはいかない。


窓の外は黒煙で真っ暗だ。先が見えないのはいつだって怖い。だけど、負けるわけにはいかない。

窓を開ける前に一度、大きく深呼吸する。そうして呼吸を整えてから窓を開け、そして再び勢いよく屋根へ上った。



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