65 bellissima -Side.S-
窓枠に足をかけ、勢いよく上に消えた彼女の耳にキラリと輝く赤いものを見た。その時、あぁ、この子はピアスをするくらいには大人なのだと、5つ年下の少女がやけに大きく見えた。
―――「私は、標的を追うためだけじゃなく、あなたを守るためにここにいるんですから!」
彼女にそう言われた時、正直ドキリとした。
決してそんなつもりで彼女を今回の任務のパートナーに選んだわけではない。理由は細々とあるけれど一番大きな理由は、純粋に彼女に興味があったのだ。
出会ったのは1年ほど前、植物園でたまたま。
その時はなんとも思わなかったし、その場限りの関係だと思っていた。けれど、話すうちに彼女が聖菜さんが一目置く例の少女であることに気付き、徐々に彼女に対する見方が自分の中で変わるのを感じた。
第一印象は控えめ。それでいて美人。
しかし話すうちに、彼女はかなり厄介な性格だということに気付いた。あの三坂徹中将の教え子にして愛し子だ。自分の実力に相応の自信は持っているし、自分自身に誇りも持っている。性格面では彼にそっくりだ。
その一方で、そう自分に言い聞かせている節も垣間見えた。
少々調べさせてもらったところによると、彼女の学年順位は3位。歴代稀に見る実践の激しい学年で3位というのは十分だと思うが、おそらく彼女にとってはそれは大きなコンプレックス。自信の裏にチラつく違和感は、恐らくこれなのだろう。
最初は小さな興味。
情報科を目指しているのなら、数年後に同僚になる可能性もある。だからちょっと観察しようと思っただけだった。
それが変わったのは、約1年前のあの任務。
彼女自身の中でも大きなターニングポイントになったであろうあの任務の時の彼女を、俺は直接見たわけではない。けれど、噂に聞いた。あれは美しき化け物だった、と。
噂なんて普段は面白いと思うだけで、心の底から信じたことなんてない。けれど、その時の彼女の噂だけはストンと心に落ちてきたのだ。
―――美しき化け物、か。言い得て妙じゃないか。
こうなったらもう止められなかった。
その任務の延長線上にある今回の任務にも、当然のように彼女とその相棒は駆り出された。それを聞くやいなや俺は上司に直談判していたのだ。彼女と―――葛西藍と組ませてくれ、と。
そういうわけで無事に彼女と組めることになり、今回の任務に当たることになったわけだったが。
大人びて見える彼女だが、実は俺が思っているよりもずっと初心だった。
冷静になればまだ生徒である彼女が経験豊富な方がおかしな話だ。
しかし、俺が少し顔を近づけただけでもあの反応。自分の顔が整っているという自覚はある。そうじゃないと情報科の表の仕事なんてできない。
しかし、バディとの距離感がかなり近いと聞いていたからてっきり慣れていると思っていたのだ。
そんな彼女を程よくからかいながら無駄な緊張をほぐし、初めて標的と接触しようとした時だった。
その時の思い出すだけで胸糞悪くなる出来事は割愛するが、ひょんなことから俺と彼女は婚約者になってしまった。
その時の彼女の突飛な発想を見た時、やはり噂は本当だったのだと確信した。
―――やはり彼女は美しき化け物だ。
その美しき化け物は、土壇場で上司が俺と自分を組ませた本当の理由に気付いてしまったらしい。
何度も言うが、俺には決してそんなつもりはない。しかしこれでも一応、情報科の一員としてそれなりの活躍はしてきた。
彼女も確かに将来有望だが、現時点ではただの優秀な生徒―――つまりただの駒にすぎない。
要するに上からすれば、彼女は俺のパートナーではなく、万が一の時の身代わりとしてここに送り込まれた、というわけだ。
「察しの良すぎる子だな……全く、惚れそうだよ」
誰もいなくなった部屋の窓から強い風が吹き込む。一瞬見えた真っ赤なピアスが何故か頭から離れない。
彼女はあの一瞬で相当な覚悟を持って標的を追った。その彼女の気持ちを無駄にしてはならない。先輩として俺が今できるのはそれだけだ。
えんじ色の絨毯のひかれた廊下を歩く。
俺が彼女とインカムで連絡を取り合っているように、標的も片割れと連絡くらいはとっているはず。つまり、片割れも今の状況は分かっているだろう。それなら……
「……全く、探させないでくれ」
「ッ!な……!」
「なんでここにいるのかって?それはな―――」
自分の腕を力任せに壁にぶつける。ドンッ、と派手な音がした。腕の中では、恐怖に染まった片割れが斜め下から俺のことを見上げている。
俗に言う壁ドン状態。しかし男2人がこんな状況では当然ながら色気なんて皆無だ。
「―――こっちも大事な子を、上にやってしまったからだ」
彼がいたのは最後尾の列車の連結部分。最後尾は、乗客の大きな荷物や乗務員の荷物が置いてある倉庫のような車両だ。つまり、連結を解除してその場に置き去りにしても他の乗客の生命には大きな影響はないということだ。
片割れの身体能力がどれほどかは知らないが、揃って森の中に逃げてしまえばとりあえずこの場からは逃げられる。それに、彼らは警察の指名手配犯ではないので、整形でもして偽名を使ってしまえばそのまま行方知れずになるだろう。
しかし、そんなことをされては俺たちがここに来た意味がなくなる。彼女が命を懸けた意味がなくなる。
故に、彼らを逃がす選択肢なんてハナから存在しないのだ。
「俺たちから逃げられると思うな」
「ッ……!」
「一瞬でも変な動きをしたら、その時は……」
壁ドン状態を保ったまま、ジャケットの内ポケットから取り出したのは拳銃。それを片割れの額に当ててやると、彼は恐怖で涙を流しながらガタガタ震えだした。
「……容赦なく殺すからな」
少し脅しすぎたかもしれない。
まあ、標的や彼女の感じている恐怖に比べればこんなの、造作もないことだろう。
彼女が話していたとおり、片割れはかなり臆病な性格らしい。標的と双子ということは俺と年齢は2回りくらい離れているはずなのに、年上の感じが全くない。
もちろん拳銃を額に当てられて怖がるな、なんて無理なことは言わない。けれどその後は魂が抜けたようにぼーっとするばかりで、捕らえる時もなんの抵抗もしなかった。
もちろんありがたい話だし、こちらの理想としては2人ともこうやって捕えられることだったが、こうも素直だと少し拍子抜けしてしまう。
……でもまあ、当然か。
標的は中佐の位を持つ軍人だが、片割れは政府の人間とはいえ一般人だ。この国のルールでは、拳銃は警察が持っているものというイメージなのだろうから、唐突に拳銃が出てきたらそりゃあ魂も抜けるだろう。
彼の腕に手錠をかけ、体ごと柱に縄でぐるぐる巻きにする。そんな状態でも一切抵抗しない彼のことが、不意に不気味になる。
「……痛くないか」
「あ……いや……」
「……どっちだよ」
「……大丈夫だ」
―――なんだこの会話は。というか俺は、なんで唐突にこいつの心配をした。
おそらく無意識のうちに、この地に足の着いていないような気持ち悪さを解消しようとしたのだろう。そうに違いない。
無理やり自分を分析して結論づけ、再び片割れの方を向いた時だった。
「ッ……!?」
彼は俯いて、ギラギラした瞳で笑っていた。
背筋が凍るとはまさにこの事だろう。
情報科に配属されて5年。上司たちに比べたらまだまだだが、それなりの数の任務をこなしてきたし、修羅場もくぐり抜けてきた。
その中では今回の任務はさほど難しいものではなく、それが上が俺の頼みを聞き入れ、彼女と組ませてくれた理由の1つでもある。俺は、これよりずっと難しい任務をこなしたことだってあるのだ。
しかしこの感覚は、そういう難しい任務の時―――しかもピンチの時に感じるもの。
誰がどう見てもこちらが有利なこの状況。彼だって、武者震いのごとく笑っていただけかもしれない。
だけど、何かが引っかかる。ただの勘。されど勘だ。この気持ち悪さを一刻も早く払拭したくて仕方が無い。
もやもやした気持ちを抱えたまま、なんとなく片割れの横に座る。
背筋が相変わらずゾクゾクする。もしかしたら久々に風邪をひいたのかもしれない。そう思い、自分の手のひらを額に当てた瞬間だった。
「……ねえ」
「ッ!?」
突然、横の彼の雰囲気が一変した。そして一瞬で悟る。―――彼はまだ諦めていない。必ず何か、奥の手が存在する……!
焦りを悟られないよう、散々訓練したポーカーフェイスを貼り付ける。
「……何だ」
「君はさっき、自分も大事な子を上にやったと言ったね」
「それが何か?」
「君はひとつ、大きな勘違いをしている」
「へぇ……勘違い?なんだろう」
「君にとってあの子は大事な子でも、私は自分の片割れが大事な人だとは一言も言っていない」
「……どういうことだ」
「私はね……」
クククッ、という不気味な笑い声がこだまする。
「……正直なところ、彼が死のうが生きようが、どっちでもいいんだ」
「え……」
どういうことだ―――そう聞こうとしたまさにその時。
―――しばらく、何が起こったのか分からなかった。
突然鳴り響いた地を揺らすような轟音と、身に降りかかる熱風と火の粉。咄嗟に顔を伏せ、再び顔を上げた時、目の前に見えたものは巨大な炎の塊だった。
肌がチリチリする。否、チリチリなんて可愛らしいものではない。おそらく肌が数カ所焼けているのだろう。
けれど、今はそんなことどうでもよかった。
「てめぇ……ッ何してんだッ!?」
「おいおい、声を荒らげないでくれ」
「2人がどこにいるかも分からないのに!そもそもあれだけ揺れたら、ただでさえ不安定な屋根の上で……!」
「あーもう、言っただろう。私は、片割れの安否なんてどうでもいいんだよ」
「どうでもいいってなぁ……!」
どんな時も冷静でいろ、という上司の言葉が脳内で響く。しかし申し訳ないが今はそれどころではない。
彼女は無事だろうか。火だるまになっていないだろうか。振り落とされていないだろうか。
上は確かに彼女を俺の身代わりにしたのかもしれない。けれどそれは決して、こんな結末を想定したわけではないはずだ。何よりこんな結末、俺自身が許せない。
縄に囚われた状態だと言うのに、片割れの表情は不気味なほど明るい。ギョロリと見開いた瞳で炎の塊を見据え、甲高い笑い声を響かせる。
―――こいつ、狂ってやがる……!
「クソ……ッ」
こんなつもりじゃなかった、なんて後悔しても遅い。けれど、これは俺のせいだ。ただの興味で彼女を連れてきた俺の落ち度だ。自分の無力さを痛感する。
何とかしなければ。でも、どうやって……?
頭が回らない。けれど、徐々に頭は冷たくなっていき、焼けた皮膚が痛み始める。意識ははっきりしているはずなのに、脳に膜が張ったようにぼんやりとした感覚もする。
遠くで人々の泣き叫ぶ声が聞こえる。それが他の乗客のものだと気付くのにかなりの時間を要してしまい、自分が一番冷静さを欠いていることに気付く。
そうだ、これはもはや政府と軍だけの話ではなくなってしまったのだ。
自分が泣いていると気付いたのは、なんとなく触れた頬が濡れていると気付いたからだ。涙を流すなんて、一体いつぶりだろうか。
とめどなく溢れる涙を拭っていると、ふと遠くから鳴き声でも叫ぶ声でも破壊音でもない、別の音が聞こえた気がした。
耳を澄ます。徐々に大きくなるこの音は……
「プロペラ……?」
何故、こんなところでそんな音が……?
疑問に思い、空を見上げて唖然とする。
「は……!?」
列車の上空、そこには山奥にあるはずのない巨大な鉄の塊が浮かんでいた。




