63 ホワイトエクスプレス(vi)
「佐伯、さん……?」
「え……?」
任務3日目に突入した深夜の3時半。
この時間だ。寝ぼけているのかもしれないと典型的に頬をつねったが、それでも目の前にいる男性はどこからどう見ても標的だった。
しかし、疑問点だらけだ。
まず、何故彼の服装は乗務員のものなのか。
それに、向こうは私の顔にピンときていない様子。パーティーで話をしたし、それ以前にも昼間の一件のせいで顔を覚えられていたから、この反応は不自然だ。
極めつけは、今のこの明らかに動揺している動き。もしこれがコスプレならば、すぐにそう弁解すればいいだけの事なのに彼はそうしない。つまりこれはコスプレではなく、それ以外に彼が人に見つかって動揺する理由があるということだ。
「あの、佐伯さん、ですよね……?」
何の言葉も発さない彼に向かって、今一度念押しでそう声をかける。しかし、どうやら相当混乱しているらしく、彼は私の問いかけにただただ首を縦に振るだけだ。
―――おかしい。彼の位は教官にこそ及ばないが、私はもちろん栗山さんよりも高い中佐で、それ以前に私たちの先輩である夜桜学園の卒業生だ。例え相手のことが分からなかったとしても、こんなあからさまな態度をとることはない。
導かれる結論は1つ。―――彼は、標的本人ではない。
それは確信に近いものだが、だからといって下手に手出しもできない。とりあえず、様子見か。
「それよりどうしたんですか?その格好。コスプレですか?」
「え……あ、うん。恥ずかしくて、なかなか言葉が出てこなくて……」
「いいんじゃないですか?もちろん、びっくりはしましたけど」
「あはは……ごめんね」
「いえいえ」
―――違う。確実に違う。
まずら彼は真っ先に言い訳をした。なにか自分にとってまずいことがある時、人は本能的に言い訳をしたり口数が多くなるということを授業で学んだ記憶がある。
それに、標的の演じる“佐伯”はもっと好青年で、それでいて飄々としていた。まるで、外向きの河原のような人物だった。こんなに自信なさげに話す人ではなかった。
確信は得た。
そして芽生える新たな疑問。―――それならば、彼は何者なのだろうか?
その疑問を抱えながらしばらく彼との会話を続けたが、彼の正体は分からず。例のWi-Fiのことを栗山さんに報告しなくてはならないので、標的らしき人と一旦別れることになった。
正直なところ、彼と一瞬でも離れることにはかなり迷いがあったが、私は日本軍の軍人としてここにいる。優先すべきは報連相だ。
「それじゃあ、また」
「あぁ、うん。またね」
会釈して、踵を返して栗山さんの待つ部屋へと戻る。―――これが、私が“佐伯さん”と話した最後だった。
まだ薄暗い廊下を歩いて部屋へと向かう。疑念は胸につかえたままだが、ふと見た窓の外はわずかに明るくなっているような気がした。
今日はホワイトエクスプレスに乗り込んで3日目。つまり最終日。疑念が消えようが消えまいが、標的を確保できようができまいが、この旅はあと数時間で終わるのだ。
どんな結末であれ、旅は終わる。
でも、最悪の情けない結末になんて絶対にさせない。
気持ちを今一度引き締め、たどり着いた栗山さんの待つ部屋のドアを開ける。電気のついた明るい部屋の中、栗山さんの背中が見えただけで安心感が湧いてくる。
「おかえりなさい」
「はい、ただいま戻りました」
「遅かったけど何かあった?」
「それも含めてお話します」
振り返って私の表情を見た栗山さんは、瞬間的に何か予想外の出来事があったことを察したらしい。タブレット端末を操作するのをやめ、こちらに向き直った。
「まずWi-Fiですが、私の予想通りでした」
「つまり、一般的なものではないということ?」
「はい。特殊なもので、こちらからホームページなどにはアクセス出来るけれど、外部の人間へ連絡はとれないというものでした」
「へぇ……それは厄介だな。その技術、ぜひ他のことに役立てて欲しかったものだ」
「えぇ、本当に。……こちらから連絡が出来ないということは、向こうからこちらへの連絡も不可能ということになるようです」
「なるほど。まぁ、当然だろう。それで、いつ繋がるんだ?」
「明確な時間はないようです。ただ、日が昇ったら、とだけ」
「日が昇ったら、か……」
顎に手を当てて俯いていた栗山さんが、不意に顔を上げて私の顔を見た。その瞳の奥が一瞬ギラリと光るのを見て、ハッと息を呑んでしまう。
「……それで、それ以外にも何かあったんだろ?」
「あ……はい。実は、標的に遭遇しました」
「標的に?彼はでも、部屋で寝て……」
「いや、それがちょっと変で……」
「変?」
「彼は、このホワイトエクスプレスの乗務員の服を着ていたんです。あと、私に見覚えもなかったようです」
「つまり、よく似た他人ってことか?」
「そう考えるのが妥当かと。でも、彼が双子だなんて情報はないから、やっぱり本人としか考えられなくて……」
「確かにそうだな……」
双子ではない標的に、同じ顔の協力者が存在する…?それとも、多重人格なのか…?それともたまたま…?
たまたまなんて都合のいい考えでも、突拍子のない考えでも、そう考えざるを得ないこの状況。このままでは埒が明かない。
「栗山さん。私、日が昇ったらもう一度彼に接触します」
「あぁ、よろしく。俺も行くよ」
「はい、お願いします」
時刻は午前4時。あれからたったの30分しか経っていない。日の出まではあと2時間ほど。
普段ならとっくに寝ている時間だけど、当然ながら今は眠気なんて微塵も感じられない。身体がやけに興奮している。まるで、約1年前のあの任務の時の感覚だ。あの時は冷静でいようとしたけれど、実は怖くて怖くて仕方がなかったのに、身体は興奮していた。
今は恐怖はない。ただ、嵐の前のような静寂を感じるだけだ。こんな感覚、体験したことなかった。
たった2時間。されど2時間。
寝ている標的を監視しながらちらっと窓の外を眺めると、空は先程よりもさらに明るくなっていた。真っ赤な見事な朝焼けを東の空に見ていたその時、ブブッとマナーモードの端末が震えた。
「ッ……!」
急いでディスプレイを見ると、そこに表示されていたのは―――
「河原……!」
午前6時。待ち焦がれた知らせがついに届いた。
「栗山さん、河原です!」
「あぁ!こっちも今、聖菜さんから連絡が入っている。通話が終わり次第、内容を教えてくれ!」
「了解です!」
安堵と緊張が入り交じって小刻みに震える指で通話ボタンを押せば、それとほぼ同時に聞きなれた声が聞こえてきた。
『葛西か!?』
「河原よね!?」
『あぁ!はぁ……よかったぁ……繋がらねぇから心配したんだからな!?教官、葛西と繋がった!』
「え、教官もいるの?」
『もちろん!事情は後で聞くから、とりあえず俺の話を聞け』
「えぇ、わかった」
なんて安心する声なのだろう。普段は何も感じないのに。それに、彼とこれほどまでに離れていたことはあっただろうか。
たった2日。けれど、相棒がいない2日は、私にとっては“たった”ではなかった。
河原も不安で仕方がなかったのだろうか。かなり強ばった声色をしていたけれど、それでも努めて優しく私に話りかけた。
『よく聞けよ、葛西』
「うん。でもその前にとりあえず聞きたいんだけど……私たちが追っている標的は情報科が追っている人物であってるのよね?」
『あぁ、それは間違いない。それで、そいつは実は双子だった。んで、どっちも政府に籍があったんだよ』
「えっ!?で、でも、事前に聞いた情報にはそんなこと……!」
『特別養子縁組に出されてたんだよ、標的の片割れは』
「特別養子縁組……」
―――特別養子縁組。
聞いたことはある。普通の養子縁組と養子に出されるところはもちろん同じだが、違いはそれが戸籍に記入されないところ。
それが特徴であり、そして私たちの頭をなやませていた直接的な要因。
「なるほど……じゃあ、私がさっき会ったのは標的じゃなくて、片割れだったってわけか」
『お前、片割れに会ったのか!?ていうか、片割れもホワイトエクスプレスに!?』
「うん。確か、乗務員の格好をして……」
鮮明に思い出せる先程の出来事のことを考えながらそう言った瞬間、唐突に電話の向こうが騒がしくなった。何事かと耳を澄ませる。そういえばさっきから、何か羽音のようなものも聞こえる。
一体何が起こっているのだろう。状況が分からず黙り込んでいると、突然向こうから聞こえてきた別の声。
『乗務員!?それは本当か、葛西!?』
聞こえてきたのは、河原と同じくらいか、それ以上に焦っている教官の声。彼のそんな声は今までに聞いたことがなかったので、私まで焦り始める。
「きっ、教官!?」
『あぁ、そうだ!で、どうなんだ!?』
「え、えぇ……本当ですけど」
『まずいな……お前、標的と接触したか?』
「はい。パーティーの時に、少しだけですけど」
『その時、自己紹介は?』
「しました。もちろん、偽名ですけど」
『そうか……なら、すぐに行動を始めろ。栗山にもそう告げろ』
「えっ、なんで…―――あっ!」
そこまで言いかけて、ようやく自分のしでかした失敗に気付く。
事前に戸籍を調べて標的が双子じゃないことを確認していたとはいえ、何故特別養子縁組の可能性を全く考えなかったのか。
「しくった……!」
あの格好から察するに、標的の片割れの職業はこの列車の乗務員。あれはコスプレでもなんでもなく、彼にとっては普段着だったのだ。
乗務員である片割れは、標的から彼が接触した人物の名前を聞き、それを乗客リストと参照することが容易にできる。そんなことをされたら、三坂茜も中村信二もこの列車には乗っていないことが丸分かりだ。
画面の中の標的はまだ布団の中。情報科の使うカメラは超小型で超高性能のため見つかりにくく、見つかったとしても映像改ざんなどはされないはず。標的もその片割れも、そのカメラを作った“機械に強すぎるとある情報科の人”以上の知識も技術もないはずだ。
しかし、既に彼が私たちが日本軍からの刺客であることに気付いている可能性は十分ある。
つまり、勝負は彼が目覚めてからということになる。
「わかりました、教官。すぐに行動に移ります」
『あぁ、頼む。俺たちもすぐ向かう』
「はい。―――って、え……!?」
すぐ向かう、ってどういうこと……?
列車は依然として山の中を走行中。外部からの直接的な接触はほぼ不可能のはず。彼らは一体、何をしでかすつもりなの……?
謎が1つ解けたが、また1つ増えてしまった。
けれど今は、そんなことを言っている場合ではない。ほぼ同じタイミングで電話を切った栗山さんと顔を見合わせる。
「どうやら、結論は同じようだな」
「はい。日も昇りましたしね」
「あぁ。それに、標的も起きたようだ」
「あの感じからすると、おそらく彼はこちらの監視に気付いていますよね」
「態度にこそ出さないけどね。……おそらく、カメラの場所は分からないが、監視されていることは確信している、といったところか」
バレているなら開き直るしかない。私たちも向こうも、この列車の中ではもはや逃げ道はない。途中の停車駅は全て通り過ぎてしまったのだから。それならむしろ、逃げ道がない方がやりやすい。
「えぇ。……それでは、まず私が行ってきます」
「あぁ。気をつけて」
「ありがとうございます、栗山さん」
明るくなり始めた廊下に出て、標的の部屋に少しずつ歩みを進める。おそらく標的にも、片割れから私が接近している情報が入っているはず。列車内には堂々と監視カメラが存在するのだから、私たちのような姑息な手を使う必要は無い。
恐怖はない。
……そのはずなのに、体の芯が徐々に冷たくなっていくのを感じる。これは一体なんの予感なんだ。おそらく良い予感ではないということは察しがつくが、ここまで来て逃げるわけにもいかない。
標的の乗っている車両のドアを開けると、向こうから標的がやってきた。ナイスタイミングはきっと、故意的なもの。
「佐伯さん、おはようございます。早いですね」
「やあ、茜さん。君の方こそ。フィアンセはいいのかい?」
「えぇ。彼はお寝坊さんだもの。……それより、昨夜はびっくりしちゃいました」
私の言葉に、標的は一瞬顔を曇らせた。しかしすぐにいつもの人当たりのいい笑顔に戻る。
なるほど―――おそらく標的と片割れは、小型のインカムか何かで連絡がとれるようになっているのだろう。それを使って、片割れから今しがた昨夜の出来事を聞いた、と言ったところか。
私と栗山さんも、超小型インカムで連絡をとれるようにはなっている。ちなみに彼は、今のところ何も言っていない。
「あはは……恥ずかしいところを見られたな。実は趣味でね」
絵に書いたような気まずげな笑い声。この場では逆に、気まずげな雰囲気のリアリティを出している。
「いやいや、お似合いでしたよ。私も少し興味があります」
心にもない言葉。しかし標的は、きっとその言葉を待っている。
「へぇ……なら」
果たしてこれは、掛かったと思うべきか、掛けられた思うべきか。
「ちょっと、一緒に来て話でもどうかな?」
私は、標的の瞳が一瞬、鋭く光ったのを見逃さない。
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。実は仲間も欲しかったし」
「へぇ。ならお言葉に甘えちゃおうかな」
「うん、是非そうしてよ」
一見すると何も変わったように見えなくても、その表情は僅かに緩んだように見える。
その顔を確認して、私もとびきりの笑みを浮かべて見せた。心臓がバクバクしている。高揚が抑えられない。それを必死に隠そうとしたその瞬間、耳の中で響いた優しい声色。
『……俺も今から行く』
ようやく栗山さんから聞こえた声もまた、この旅の中で一番高揚しているような気がした。




