61 ホワイトエクスプレス(ⅴ)
「……ふふっ」
「どうしたんですか?」
「いや……ただ、まさかこの短時間で兄妹や婚約者になってしまうなんて夢にも思ってなかったから、つい」
「そ、それは……!」
「ははっ、やっぱり葛西さんをからかうのはたのしい」
―――数時間後。
列車内のパーティー会場の端の方のテーブルにて。
昨晩同様、今晩も豪華なパーティーが催されている。目の前に広がる豪奢な装飾は昨晩とは雰囲気が異なっているものの、相変わらず眩しいくらいだ。
このパーティーにドレスコードはなく、簡単に言えば昼間のパーティーをそのまま豪華にした感じ。このパーティーには老若男女様々な乗客が参加していたが、ありがたい事にあのボンボン集団の姿は見られなかった。
同じ会場の別のテーブルでは、標的が数人の乗客たちとワインを飲んでいる。標的は一人で乗船したので、どうやら初日のパーティーで仲良くなった人たちのようだ。
見た目だけなら、本当に“いい人”を体現したような人だ。初対面の人と仲良くなれる社交的な性格でも頷ける。
「……それじゃあ、行こうか」
「……はい」
栗山さんと2人、顔を見合わせて小さく頷き合う。
「あの……隣、いいですか?」
「ん?……あぁ」
まずは私から。標的の横に並んでそう声をかけると、彼は真横を向いて私を一瞥した。わたしの顔を見た瞬間、すぐに合点がいったらしい。彼は大げさに頷き始める。
「君はたしか、昼間のフィアンセ宣言の」
「あはは……覚えていらっしゃったんですね。お恥ずかしい」
「まあ、あそこまで目立ってたらね。忘れられないよ」
「ですよねー…」
あはは、と明るく笑う彼に合わせて笑う。
近くで見ても彼に対する印象は変わらない。やはり、どこにでもいるような“いい人”の顔立ちと雰囲気で、本部のどこかですれ違ったことがあるかもしれないが、決して印象に残るようなタイプではない。
「そういえば、例の彼氏はどこにいるの?」
「えぇ、彼は向こうに。彼は花より団子で」
「なるほど。それで、手持ち無沙汰ばかりが集まっているこのテーブルに来たわけか」
「ご名答。でも、楽しそうに見えたから」
「うん、それは正解。今はワインのテイスティングをしているんだよ」
お酒のせいだろうか。事前に聞いた情報よりもかなり饒舌だ。
―――やっぱり、悪い人にはみえないんだよな……。
こうやってじっくり見ても、やはり同じテーブルにいる紳士たちと同じようにいい人にしか見えない。
まあ、人は見かけによらない。教官だって、マフィアか殺し屋みたいな顔をしているけれど、本当は優しくていい人だし。
私が笑顔の裏で考えていることを知る由もない標的は、優しい笑顔で私にワイングラスを手渡そうとする。
「君もどう?えーと……名前は……」
「あ、三坂です。三坂茜」
「茜さんね。いくつ?」
「22です。でも、お酒は苦手で。すいません」
「いやいや、構わないよ」
彼の質問に答えながら、脳内で2人で考えた設定を再生する。
私は三坂茜、22歳の大学4年生。中流企業の社長の娘。
栗山さんは中村信二、25歳で父親が社長の企業に務める社員で次期社長。
2人は許嫁で幼い頃から面識はあったが、結婚を決めたのはちゃんと2人の間に愛が芽生えたから。
私の偽名は教官とお母さんから、栗山さんは情報科のメンバーの中村さんという人と、渡辺さんから。
年齢は、婚約しているならさすがに未成年はまずいだろうが、私と栗山さんは同い年にも見えないだろう、ということで22と25に。
そのほかの設定はなかなか大雑把だが、その場しのぎにはなるはずだ。この列車には様々な身分の人がいるわけだし、この設定は無難なものだろう。
その100%嘘の設定を信じている様子の標的は、私のことをまじまじ眺め回す。かなり恥ずかしいが、動じないようとりあえず笑顔だけは貼り付けておく。
「それにしても若いなぁ。その年で結婚か……」
私を眺めながら、彼がしみじみとそう呟く。
「はい。もちろん彼のことは愛してますけど、私たちは俗に言う許嫁なんですよ」
「あぁ、なるほど。だからそんなに早いのか。へぇ……いろんな世界があるんだなぁ」
私との会話の中ですっかり感心した様子の標的は、うんうんと頷きながらまた1杯、ワインを飲んだ。
その後も標的との会話はゆっくり続いた。まわりの紳士たちも巻き込みながら、じっくり彼の情報を収集する。
―――彼の名乗った名前は佐伯。これはもちろん偽名だ。設定は、中流企業に務める社員で、この列車には日頃の自分へのご褒美として乗車したらしい。
私も人のことは言えないが、向こうもかなり抽象的なことしか話さない。具体的なことなんてないのだから当然だけど、話題が少ないので話を広げにくい。
どうしたものか。話は何となく続いているが、作戦は手詰まりだ。
「三坂って言えば……」
「え……?」
そんな中、唐突に標的が話題を切り替えた。
「いや、僕の上司にもいるんだよね、三坂って名前。もちろん関係ないと思うけど」
―――ドクリ。心臓が大きく跳ねる。その動揺を悟られないよう、必死にポーカーフェイスを保つ。
「へぇ……まあ、珍しい苗字ではないですしね」
「うん。でも、その三坂さんも仕事が出来ることで有名な人でね。まあ、僕のことなんて向こうは知らないだろうけど」
「憧れですか?」
「憧れか……そうかも。といっても彼、僕より年下なんだけどね」
「へぇ……」
間違いない。この“三坂”は三坂徹―――教官のことだ。
軍内に三坂という苗字はいるのかもしれないが、憧れられるような存在の三坂は教官くらいなものだろう。
―――しかし、なぜ今このタイミングで彼は上司の話をしたのだろうか。まさか、私たちが軍の人間じゃないかカマをかけてきたのか?
教官は最高司令部のホープとして下級軍人の間でも有名だから、軍内に知らない人はほとんどいない。たしかにカマをかけるにはもってこいの名前かもしれない。
頭では冷静に分析しているが、表向きの化けの皮は剥がれやすい。心臓はより一層はやく拍動し始める。
―――今、一瞬沈黙をつくってしまった。もしかして怪訝に思われた……?三坂茜が偽名で、私も軍の人間だとバレた……?
不安が次々と湧き上がってくる。黙り込まないようになんとかその場しのぎの言葉を紡ぎ続けるが、だんだん息苦しさを覚え始めたその時だった。
「おーい、茜ー!」
声のするほうを向けば、そこには当然栗山さん―――もとい渡辺信二さんがいた。
「あ、信二さん……!」
標的とその他数名の紳士が、やってきた好青年に目をやる。その好青年は彼らを一瞥し、爽やかにほほ笑みかけた。
「どうも。彼女がお世話になりました」
そんな好青年に悪い印象を抱くはずもなく。標的が同性なのに何故か顔を赤らめ、恥ずかしそうに首を振った。
「いやいや、こちらこそ。茜さんには我々のつまらない話に付き合ってもらって、ありがたいです」
「いやいや。彼女、飽きっぽいんで、本当に面白い話じゃないと付き合わない人なんですよ」
「へぇ、そうなんですか。さすが婚約者さんですね。茜さんのことをよく分かっていらっしゃる」
「ははっ、まあ婚約者ですからね」
2人の会話をぼんやり聞きながら、栗山さんの口からつらつらと出てくる追加設定を頭にインプットする。
―――追加設定、三坂茜は飽きっぽいお嬢様で、興味のあることしか耳を貸さない、と。
どうやら栗山さんの登場に安心し、脳が動くのを完全にやめてしまったらしい。予想外の展開に自分が一番困惑しているが、ここであたふたしてもどうしようもない、むしろ挙動不審なので、彼らの話を聞くふりをしながらぼんやりと栗山さんを眺める。フィアンセなのだから、彼を見つめていても変ではないだろう。
それにしても、当然だが、やはり栗山さんの演技は上手い。誰が見ても違和感なく、言うこと全てが本当の事であると信じてしまう。
というか既に、私ですら設定が事実のような気がしてきた。恐るべし。
婚約者登場に一瞬強ばった雰囲気が、みるみる緩んでゆく。それどころか、むしろさっきまでよりも良い雰囲気にすら感じられる。これを流石と言わずしてなんと言う。
隣にいる栗山さんは、ワインの誘いは丁重に断りつつ、知識だけは嫌味なく披露して標的や紳士たちを感心させている。
その姿を一言で表現するならば“可憐”。
三坂という名前が出たことにすら反応してしまうような私とは大違い。軍で積み重ねたキャリアももちろんあるのだろうが、きっとこれは天性の才能なんだろうと直観的に感じた。
パーティーが終わったのは夜の23時過ぎ。私も栗山さんも一旦自室へ戻り、軽く荷物をまとめて監視部屋へと運び込んだ。
疲れを癒すには1人の空間が必要だろう、ということで一応個別の部屋こそ取ったものの、最高級列車では最低ランクの部屋ですら広すぎるくらいで、2人同室で一晩過ごしても疲れを癒すことはできるだろうという結論に落ち着き、最終夜は2人で監視部屋で過ごすことになったのだ。2人一緒なら、もし何かあったとしても対処しやすい。
交互にシャワーを浴び、2時間交代で一晩の監視を続ける。
「やっぱり、カメラには気付いてなさそう……」
午前3時。標的は1時過ぎにベッドに潜り込み、やがて静かに寝息を立て始めた。部屋に戻ってきてからここまでの間、彼が不審な動きをしたところは見ていない。彼の部屋には盗聴器も設置してあるが、それからも何も聞こえてこない。
標的が眠りについたあとの監視は暇だ。
列車内の別の監視カメラに映るのは、警備をしている帽子姿の乗務員のみ。この時間はクラブやバーのある車両以外は乗客は映らない。
「はぁ……」
バタンっ、と音を立ててベッドに倒れ込む。思いっきり両手を上に伸ばしてリラックスしようとして、左手が硬く冷たいものに触れた。
「ん?……あぁ、端末か」
そういえば、シャワーを浴びる前に枕元に置いていたのをすっかり忘れていた。
端末を手に取り、画面を確認する。依然として本部隊からの連絡はない。
「河原……」
私が不安に思ってもどうしようもない事だけど、1つも連絡がないとさすがに不安にもなる。進捗でもなんでもいいから、1つくらい連絡をくれてもいいのに。
―――いや、待て。
ここまで考えて、はたと気づく。
―――おかしい。これは、おかしい。
初日なら連絡が無いのは分かる。でも河原の性格上、丸一日経てば進捗くらいは報告してくるはずだ。
河原がしなくても、栗山さんの端末に聖菜さんが連絡を寄越すはず。それすらないのはさすがにおかしい。
端末の画面を今一度見る。
いつも通り、画面の左上にはWi-Fiのマーク。楽園では島中でとんでいるので見慣れたマークだ。
「なんで……?」
―――そのはずなのに、何故か感じる違和感。おかしいところなんてないのに、直観的に変だと告げているような感覚。
なんの根拠もないけれど、今はこの直感を信じるしかない。
「栗山さん、すいません」
窓際の椅子に腰掛け、眼鏡をかけてタブレット端末で資料整理をしている栗山さんに声をかける。
「ん?どうした?」
「私、ちょっと乗務員に聞きたいことがあって……だから、聞いてきます」
眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。それはまるで教官の眼差しのようで、一瞬怯みかける。
「それはいいけど、聞きたいことって?」
「それは……」
そう、これは私のただの勘。彼には彼の考え方があるわけで、変なことを言って不安を煽るのはいかがなものか。―――一瞬そんな考えがよぎったが、頭を振ってすぐにかき消す。
大切なのは“報連相”。初等部で習う、軍人じゃなくても大切な基本中の基本だ。
「……栗山さん、本部隊から連絡来ましたか?」
「いや、まだ。でも、聖菜さんは結果をあげるまで連絡してこない人だから。そこは心配いらないだろう」
「でも、今回は教官が……三坂さんがいます」
「……どういうこと」
「彼は、結果が出なくても、その事を連絡する人です。それは彼の教え子である私と、河原も」
「なるほど。つまり、丸一日以上連絡がないのはおかしい、と」
「はい」
「……確かに一理ある。今回の任務のトップは聖菜さんだが、あの人は三坂さんに一目置いてるからな。彼の流儀の邪魔はしないだろう」
不穏な空気が立ち込め始める。
「……つまり、葛西さんは、ここでとんでいるWi-Fiがどういうものか、聞きに行くんだね」
「はい。……いいですか?」
「もちろん。俺は君のその直感を信じよう」
そんな空気の中でも、栗山さんの言葉は明るく光っている。私を信じてくれるその光を、私も信じよう。
部屋を出て別の車両に移動すると、すぐに乗務員に出会った。向こうはこんな時間に出歩くネグリジェ姿の女を、不審者を見るような目で見ている。少しいたたまれないが、そんなことを言っている場合ではない。
「すいません」
「こんな時間にどうされましたか?」
「いえ、少しお尋ねしたいことがあって」
「いいですよ、なんでしょうか?」
「この車内では、Wi-Fiがとんでますよね?」
「えぇ、はい。もちろん乗客は無料で使えますよ」
「はい。そのWi-Fiなんですけど……外に繋がってますか?」
突飛な質問。普通は怪訝な顔をするはずだ。Wi-Fiがとんでるのに、外に繋がらないなんてことはない。
そのはずなのに、目の前の乗務員はあぁ、と言いながら話を続けた。
「あぁ……この車内のWi-Fiは特殊で、今の時間は車内で調べ物をすることは出来るけど、外との連絡はできないんですよ」
―――カチリ、と音を立てて歯車が噛み合った。失くしたはずのパズルのピースが見つかった。
上手く表現出来ないけれど、それは確実に事態を前進させる言葉だった。
「どういうことですか?」
「そもそも今列車がいるのは山の奥の奥で、普通の電波は届かないんですよ。だからそれを利用して、先ほどのパーティー開始時から、乗客には喧騒から離れ、“静寂”を感じてもらっています。そういうプランで、合意もしてもらっているはずですよ」
なるほど。そういうことか。
そもそも標的が乗っているこの列車は、作戦を立てた時には既に予約でいっぱいだった。表向きの任務じゃないので日本軍の名前を使うわけにもいかず、結果あらゆる手段を駆使してなんとか予約をもぎ取ったものだから、乗らないという選択肢が存在しなかったのだ。故に、プランにも合意書にもちゃんと目を通さなかった。もちろん、通していても乗ってはいたけれど。
「なるほど……それで、外との連絡が取れるようになるのはいつですか?」
「予定では日の出と共にだから、朝の6時くらい……つまり、あと2時間半後くらいですかね」
「わかりました。……実は、急用を思い出しちゃって。でもあと2時間半なら大丈夫です」
「あぁ、それならよかったです。それでは、引き続き静寂を楽しんでくださいね。では」
「ありがとうございます」
―――これは偶然だ。偶然が重なってしまったのだ。
一番悪いのは、しっかりプランに目を通さなかったこと。連絡が取れない時間が分かっていれば、その時間に連絡することを避けた計画を立てることが出来たはずだ。
それをしなかったが故に、本部隊からの連絡は私たちに届かないし、向こうもこちらと連絡が取れずに焦っているだろう。
俯き、その場に立ちつくす。
―――本部隊からの連絡がくるとしても、あと2時間半。その間は、また寝ている標的を監視することしかできないのだろうか。だけど、なにかするにしても、一体何を……?
とりあえず栗山さんのところに戻らなくては。そう思い、顔を上げて歩き出した瞬間、角の向こうからやってきた乗務員とぶつかる。
「す、すいません……!」
「いや、こちらこそ!お怪我はありませんか?」
「えぇ、私は大丈夫です。あなたは……?」
「私は大丈夫です。……誠に申し訳ございません。後からでも怪我などございましたら、遠慮なく救護室へいらしてください」
「はい、ありがとうございま―――…」
―――どこにでもいるような優しい口調と雰囲気。今までにどこかですれ違ったことがあったとしても、決して印象に残るようなタイプではない。
私は今日、誰かに対して全く同じ印象を抱いた気がする。それは、確か……
「佐伯、さん……?」
「え……?」
―――そう、標的に対して。
私の目の前にいるこの乗務員は、私たちの監視している標的と、全く同じ顔をしていた。




