60 ホワイトエクスプレス(ⅳ)
しばらくトイレに行く以外は動きを見せなかった標的がやっと動き出したのは、2人で監視を始めてから約2時間後。
部屋から出ていったまま帰ってこなくなった彼が代わりに現れたのは、例のパーティーが行われているレクリエーションルーム。どうやら彼もちらっと参加するつもりのようだった。
「それじゃあ、俺達も行こうか」
「そうですね」
かちりと視線がかち合う。
やっと見慣れてきた美しい瞳。その瞳の奥はすべてを見透かしていそうで、申告する必要はないだろうけど、何故か隠し事をしてはいけないような気がして。
「……実はちょっと気になってて。何するのかな、って」
その謎の圧に負け、小さな声でそう漏らすと、栗山さんは一瞬きょとんとしたが、やがてククッと笑い始めた。
「大丈夫大丈夫。実は俺もだから」
―――というわけで私たちも会場へと繰り出したわけだが。
「あーっ、昨日のイケメンくんじゃん!」
「また会えるなんて奇遇っ!これ、運命じゃない!?」
「あはは、どうですかね」
「あれ、昨日の腹筋すごい娘じゃない?」
「お、本当だ。顔とのギャップに俺、やられちゃったんだよねー?」
「あ、はは……」
―――どうしてこうなってしまったのだろう。
私たちがやってきたのは、慎ましいお年寄りのためのパーティーのはず。その会場に、何故かボンボン集団がいたのだ。乗客だからいてはいけない理由はないけれど、彼らはこの場では明らかに浮いている。
しかも、彼らは楽園には―――特に私たちの学年にはいないタイプの人間。
人間、成功するためには多少の戦略的な図々しさは必要だろうが、彼らの図々しさはそういう類のものではない。ただただ面倒くさいもの。
……正直に言おう、かなり苦手だ。
―――というかなんだ、この絵に描いたようなうざっだるい話し方とチャラチャラした態度は!
ホームシック気味に加え、こんな人達に囲まれてしまうと、いよいよ楽園が恋しくなってきた。
暴言を吐き散らしたい気持ちをぐっと堪え、とりあえず笑顔を貼り付ける。栗山さんほど自然な笑みは浮かべられないけど、この場ではこれくらいが丁度いい。
いや、むしろ早く察してくれ。
しかしそんな願いも虚しく、私抜きで私の話を始めるボンボン集団。
「そういやこの子、雑誌のモデルやってない?」
「あー、確かに。見たことあるかも」
―――いや、雑誌のモデルなんてやったことないんですけど!?なんなの、そのどこから湧いてきたのかさっぱりな嘘!?しかもなんでそっちが得意げなんだ!?一体お前は私の何を知っている!?
喉まで出かかったため息を飲み込む。
河原のことをかなり天然だと思っていたし、彼に直接言ったこともあるけれど、戻ったら訂正しよう。どうやら彼は、世間一般的にはあれでかなり察しがいい方らしい。
「あれ、退屈しちゃってる?」
「ていうか名前は?教えてよ~?」
「えーと……その……」
―――私は任務中なの!名前なんて教えられるわけがない!
イライラも最頂点。なりふりかわまず叫んでいいなら確実にそう叫んでいる。
わいわい騒いでいる若者は、明らかに悪目立ちしている。標的も何度かこちらを伺って、私と栗山さんに同情的な視線を送っている。もちろん、栗山さんも私も彼に顔は知られていないけれど、目立つのは避けたい。悪目立ちなら尚更だ。
でも、どうやって切り抜けるのが最善なのだろうか……?
「ッ……!」
―――刹那、降りてきた閃き。それはまるで神の啓示。
「ねえねえ、名前は?」
「え、無視?」
依然としてチャラチャラしている彼らを一瞥し、少し離れたところで露出度の高いドレスに身を包んだ派手な女性に囲まれている栗山さんに視線を送る。
彼女たちの纏うたくさんの香水は、各々は上品でいい香りでも、混ざりすぎるとかなり不快なものになるらしい。ポーカーフェイスが崩れそうになり、一瞬視線を逸らした栗山さんと視線がかち合った。
にやり、と効果音が付きそうな笑みを浮かべた私と、怪訝な表情を浮かべる栗山さん。
身動きの取れない彼の方に、一歩ずつゆっくりと歩みを進める。突然動き出した私にボンボン男たちは動揺の色を浮かべ、突然やってきた私にボンボン女たちは冷たい視線を送る。
「え?誰?」
「邪魔しないでくれない?」
「ねえ、どうしたの君?この男と知り合い?」
一触即発。雲行きが怪しくなりはじめた空間に、その場の全員が息を呑む。
そんな彼ら全員に聞こえるよう、私はとびっきりの笑顔で宣言する。―――栗山さんの腕に自分の腕を絡ませて、そっと寄り添いながら。
「私は三坂茜。彼は私のフィアンセよ」
その場にいた全員の表情といったら。
私はきっと、この瞬間の高揚感と満足感を一生忘れないだろう。
―――15分後。
「もう、びっくりさせないでくれよ。予想外すぎて心臓止まるかと思った」
「あはは。すいません」
「ねぇ、本当に反省してる?」
例の監視ルームにて。
私の突然のフィアンセ宣言にその場の空気は固まり、そして白けた。
ボンボン集団はブツブツ言いながら面白くなさそうにその場から去り、慎ましい老夫婦たちからは感謝と優し差のこもった眼差しが送られた。
その眼差しが恥ずかしくて耐えられなくなったのと、標的がパーティーから退散したのがほぼ同時。というわけで、私たちもいそいそとパーティーから離脱し、こうして再び部屋に戻ってきたわけだ。
「えっと……どうすればあの人たちから逃げられるか考えたら、あの時はあれしか思いつかなくて」
「いやまあ、悪くはなかったけど。でも、余計に目立ったよね。あと三坂茜って誰?」
「あ、それは教官の名字と自分の母の名前を借りました」
「なるほど……―――って、そうじゃない!」
はぁ、と息を吐く栗山さん。その頬がまだ赤みを孕んでいて、なんだかこちらまで恥ずかしくなる。
ちょっとした今朝の仕返しのつもりだったけれど、予想以上の反応だ。高揚感で、再び心の底が疼き始めるのを感じる。
「あの……そんなに恥ずかしいこと言ったつもりはなかったんですけど……」
ちらり、と見上げた私の視線と栗山さんの視線が交錯する。見つめられると逸らすことのできないその眼差し。体の芯を射抜かれてしまうような心地がする。
「……葛西さん、わかってる?」
「何がですか……?」
「あの宣言のせいで、これから君と俺はこの車内で婚約者として見られるんだよ?」
「え……こ、婚約者……」
「そう、婚約者」
そう言って面白そうに微笑む栗山さん。その瞬間、私は悟る。
―――この人こそ、絶対確信犯だ……!
フィアンセ―――婚約者とは。
辞書でひけば“結婚を約束した相手”とでてくる。つまり恋人同士がなるもの。
しまった。それは考えていなかった。
そう考えるとたしかにものすごく恥ずかしい。恥ずかしすぎる。あの時の私の思考は、何でそこまで行き着かなかったんだ。
「あれ、恥ずかしくなったか?」
「いや、その……」
否、恥ずかしいというよりは、ものすごく申し訳ない。実際は全く違っても、あの場にいた乗客は全員、私と栗山さんを婚約者として見るわけだ。
形勢逆転と言うべきか。自分の顔が急激に熱くなるのを感じる。
「ふふっ、そんな照れなくてもいいんじゃない?さっきまでの威勢はどこへ行った?」
「うっ……」
この確信犯め。さっきまでの恥ずかしそうな顔も態度も全て演技だったのか。
いや、この際そんなことはどうでもいい。重要なのは、これから先の任務期間中の振る舞い方だ。
深呼吸して、弄ばれたせいで高揚している気持ちを落ち着ける。心の底の疼きなんて、いつの間にやら消えていた。
こんなこと、河原にされても絶対に冷静でいられるのに。これが情報科の実力なのか。
あこがれが強すぎて、情報科に対してかなりフィルターがかかっているのかもしれない、という自覚はある。しかし、そう考える他ないほど、私には今の栗山さんは無敵に見えてしまったのだ。
何も言い返せずに黙り込む私を見て、しばらく可笑しそうに笑っていた栗山さん。
しかし、なんの前触れもなく不意に真面目な顔に戻る。
「まあ、ふざけるのはここまでにして」
「あ……はい」
そんな彼を見て、オンオフの切り替えがが極端だな、なんて間抜けなことを考える。しかし、すぐに当初の目的を思い出して私も気を引き締め直す。
「とにかく、俺と君はこれから婚約者なわけだ。事実は違うけど、周りからはそう見られる」
「えぇ……はい」
「うん。あれだけ堂々と宣言してしまったんだから、逆にそれを利用しよう」
「え、利用……?」
「あぁ。今までの経験上、感じのいい若いカップルに対しては、俺自身も警戒心が薄れるように思う」
「なるほど……つまり、警戒心を薄れさせる、感じのいいカップルを演じるというわけですね」
「そういうこと。あの場にいたボンボン以外には、俺たちは良い印象を与えたようだし」
なるほど。確かに一理ある。
実際、楽園でもそういうことはよくある。私と河原は決してカップルではないけれど、2人で一緒に行動していれば大概、教師や周りの大人たちから微笑ましい視線を送られる。ちなみに富井と財前も然り。
軍内で変なことをしようなんて気は毛頭ないが、ドッキリをしかける手段としては有効かもしれない、と思ったことも実はある。もちろんしないけど。
一応あの場で面識はあるわけだし、これならもしかすると標的と急接近することができるかもしれない。気を抜きすぎるのはご法度だが、ビビって遠目で眺めていても埒が明かないのも事実。
「いいですね、それ。大賛成です」
「当たり前だ。誰が考案したと?」
「あ……すいません」
「冗談冗談。よし、じゃあ決まり。葛西さんと俺はフィアンセだ」
「はい」
―――かち。再び視線がかち合った。
その瞬間、ほぼ同時に口角を上げ、微笑み合う。
「それじゃあ、よろしくお願いしますね、ダーリン?」
「あぁ、こちらこそ、ハニー?」
―――この瞬間、私たちは偽りの“婚約者”となった。
もちろん勝手なことを言ったことは反省している。迷惑をかけているのは事実なので、後でちゃんと謝罪をしなくては。
だけど、栗山さんにはとても申し訳ないけれど、それ以上に予想不可能な未来に今はワクワクを抑えきれないのだった。




