58 反撃(ⅱ) -Side.K-
日本政府本部。―――それが、霞ヶ関に鎮座する大きなビルの正体だ。
話を聞くところによると、日本政府は10年ほど前に政治のほとんどの機能を1つにまとめてしまったらしい。その結果、本人達が仕事をする分にはもちろん便利になったが、攻め入るこちらとしても攻めやすくなった。
「きっとこの後、日本政府本部は解体するだろうなぁ……」
「同感だね~」
「まあ、機能を1つにしているって点では、日本軍も人のこと言えたものじゃないけどね」
「それも同感~」
攻め入る、とは言っても、ここは首都の真ん中。そこに広がっているのはいたって普通の光景。まさに日常と呼ぶに相応しいもの。
目の前にあるすべてが目新しく見える俺たちが、実はいちばん驚いたことは、あの人も、あの人も、あの人も―――この道を歩いている人はなんと全員、別々の会社で働いている可能性が高いらしいということ。
ずっと日本軍しか見てこなかったから、世の中にどれほどの会社が、働く場所があるのかなんて想像もつかない。
そんな日常に溶け込めているかどうかは分からない。
けれど、そこに溶け込むためという理由で、俺たちは集合場所に着くまでは自由行動。決められているのは、それぞれ目の届く位置にいることだけ。
なんて規律がなっていないんだ、と思うかもしれない。けれど、全員の能力が高く、全幅の信頼を置けるがゆえのカモフラージュだと思うと、捉え方は逆転する。
そんなわけで、教官と華田さんの背中をかなり後ろから追っていた俺たち。しばらく歩くと、だんだんとその姿を現す巨大な日本政府。
120階建ての日本軍本部と比べると全く高く見えないが、ここ一帯では確実に一番高い建物だろう。日本軍本部がシャープでスマートな印象を受けるなら、こちらは強くて頑丈、と言ったところだろうか。
そんな日本政府本部の正面を通って、侵入口である裏へと向かう。その時正面から見えた本部は、異常事態が起こっているようには見えなかった。そもそも普段の様子を知らないのだが、なんて野暮なことは言わない。
「……さてと、それじゃあ行くわよ」
「「「はいっ!」」」
華田さんの掛け声と、それに続く他の軍人の控えめだけど、しっかり揃った返事。
本当にいよいよ始まるのだと、身体中の細胞がざわめき立つ。
静かに、けれど素早く突入するとそこにあったのは、外からは想像出来ないほどの喧騒。
慌てふためき、恐怖で身体を震わせつつも、侵入を食い止めようとその場を動かない政府の役人。そんな彼らを力ずくで押しのけ、なんとか奥へと歩みを進める。
入口を入ってすぐのところにある建物案内をちらっと見る。昨日の会議の話を加味すると、選抜部隊が向かっている先は最上階の資料保管室だろう。
―――葛西たちの力になれる情報がありますように……!
切なる願いを込め、選抜部隊に続くように上へと向かう軍人たちの背中を見送る。
選抜部隊も先程追っていった人たちも、優秀な軍人ばかり集まった今回のメンバーの中でも、特に優秀と見なされた人々だ。俺にはあまり馴染みがないけれど、彼らは情報科の一員。情報収集は朝飯前だろう。
あとは―――……
「おい、河原」
「うわっ、教官!びっくりした!」
「びっくりするな。あと、ぼさっと突っ立っとくな」
「あっ、はい!」
―――俺も足でまといにならないよう、踏ん張らなくては。
「ふぅ……こんなもんか」
「うん、上出来じゃない?」
開始から約一時間。
俺たち3人は、赤羽根教官たちとともにその場にいた人すべての腕を紐で結び終え、彼らの見張りをしていた。
見張りといっても彼ら―――特に偉そうな奴らが変な素振りをする様子はないし、もし仮に外に現状を告げたとしても国民の混乱を招き、政府の信用を失いかねない。状況が悪化するのは目に見えているのだ。
そんな状況だから、このまま俺たちが大人しく帰るのを待つのが得策だということは、この場にいる誰もが分かりきっているのだろう。
ふっ、と窓の外に視線をやる。正面玄関が見えるが、人だかりが出来ている様子はない。中で、こんなに大きな騒ぎが起きているなんて、誰も想像だにしていないのだろう。
視線を戻す。彼らは、恐怖、憎悪、苦痛―――そんな表情を浮かべ、依然として震えている。
もしかしたら、ここの中にも、楽園の―――夜桜学園の本当の姿を知らない人だっているのかもしれない。政府と軍の共闘関係を疑っていなかった人だっているのかもしれない。
そう考えると、そういう人たちには少し申し訳ないような気もする。
でも、こちらだって譲れない。
何も知らない政府の役人たちは、入学したての夜桜学園の学生と同じ。自らの意思かそうでないかは違うが、大きな組織に属してしまったがゆえに従うしかない運命なのだ。
―――思い出すのは、初等部の頃のこと。
まだ何もわからない頃から武器の扱いを教えられ、人を殺すことを正当化されてきた。
それが今では、どれだけ頭がイカれたことだったかが良くわかる。けれど当時の俺たちは―――否、むしろ少し前の俺だって、それが正しいと思って生きていた。
実践でしか結果を残せない、実践が強ければ将来が約束される、殺される前に殺さなきゃ―――その考えに囚われた1回目の任務を終えた後の俺は、自分の実力のなさを恨み、そしてただただ実践を求めた。自分ではそんなつもりなかったけれど、周りが見えなくなっていたのだ。
そんな中でも、葛西や教官、財前や富井も俺を見捨てはしなかった。葛西なんかは、特に俺に気を遣ってくれていたような気がする。それは決してよそよそしい気遣いではない。ただ、ずっと言ってくれたのだ。―――“私には河原が必要だ”、と。それだけでどれだけ安心できたことか。
やがて防衛任務が言い渡され、自分たちが軍の駒でしかないことを痛感した。実践をあんなに求めたのに、それが自分たちをどんどん駒にすることに気付き始めてしまった。
だから教官に八つ当たりをしてしまって、でも俺たちの間を取り持ってくれたのもまた、葛西だった。
彼女はきっと、俺よりもずっと前から、この世の中には一人の力ではどうすることも出来ないことがたくさんあることに気付いていたのだろう。そして、そんな運命を受け入れていた。だから防衛任務にも反対しなかったのだ。
今ならわかる。それがどれだけ正しく、けれど、あの場で言うにはどれだけ勇気のいる事だったか。そして何より、俺と真逆で、どれだけ教官のことを救ったのか。
自分の子供っぽさが、情けなくて情けなくて仕方がなかった。でも教官も葛西も温かかった。弱いと言われても構わないと、俺はその温かさに甘えた。そして、そんな俺を2人は受け入れてくれた。
もしかしたら、2人とも無意識でやっているのかもしれない。2人はよく似ている。自然とそういうことが出来てしまう人間だ。
不意に、心に暖かい灯がともる。
こんな状況だけど、だからこそ2人のことを考えると心強い。
別部隊の教官と、ここにはいない葛西。2人に感謝を伝えるために、俺は出来ることを精一杯やるだけだ。
そんなことを考えていたからだろう。自然と口元が緩みだす。
「何笑ってるの、河原?」
そんな俺を目ざとく見つけたのは赤羽根教官。財前と富井にバレないよう、小声で話しかけてきた。
「えーと……いや、何でもないですよ?」
「えー、そう?……まあいいや。何となく察してるから」
「え、それ―――」
どういうことですか―――そう言おうとした瞬間、突然フロアが騒がしくなった。
何事かと顔を上げると、選抜部隊の人たちが階段から続々と降りてきている。敵が何かした訳では無かったことに、こっそり胸をなで下ろす。
「華田中将、ただいま戻りました」
「えぇ、ご苦労さま」
彼らの両手には大量の資料。それらを見て、華田さんは口元に笑みを浮かべる。
「良くやったわね」
彼らはその言葉に顔を見合わせ、僅かに表情を綻ばせた。
そんな彼らを、華田さんも心なしか満足げに眺める。そして、力強い声色で指示を出す。
「それじゃあ、撤退するわよ」
「「「はいッ!!!」」」
それに力強く頷く選抜部隊。それを合図に、俺たちは突入時と同様、静かに素早く撤退を始める。
「―――あ、そうそう。一つ言っておくけれど」
日本政府本部を出る直前。
華田さんはふと立ち止まり、振り返って萎縮しきった役人たちを見た。
「これで本当に、政府と軍は運命共同体。自分の可愛さをとるか、国民の信用をとるか……そんなの、決まっているわよね?」
―――氷のように冷たい声色と視線。表情は見えなかったけれど、結果的によかったのかもしれない。
見なくてもわかる。あの視線を正面から浴びていたとしたら、しばらくは身体が震えて動けないだろう。そう思って身震いする。
「バケモノ集団め……!」
誰かがそう呟いた。
―――バケモノ集団、か。なるほど、なかなか面白い発想だ。いいじゃないか、バケモノで。
華田さんをはじめとする情報科の面々や、優しくて頼もしい赤羽根教官。そして何より、とても怖いけれど尊敬してやまない教官。あんな立派な軍人になれるのなら、俺はバケモノで構わない。
すぐ目の前を、まるで何事も無かったかのような顔で歩く彼らを見ながら、心の底からそう思った。
その後も俺たちの仕事は終わらない。
奪ってきた役員一覧を全員で確認し、葛西たちが追っている標的が内通者である証拠を探す。
しかし、それが簡単ではない。何しろ数が膨大すぎるのだ。この国を支える人々は、こんなにいるのかといっそ関心してしまう。
積み重ねられたファイルの山を眺めているだけで、気が遠くなりそうだ。
「これも違う……これも……これもかぁ……」
ひとりでぶつぶつ呟きながら、ファイルのページをめくる。
ハッキングが怖いのだろう、日本政府は役人たちの情報をすべてアナログな紙媒体で保管している。デジタルなら簡単に検索がかけられるのに、どうしてこういう所は古風なんだろうか。
そんな不満を漏らしても仕事が終わる訳では無いが、言いたくなる気持ちくらいは許して欲しい。
ちなみに日本軍の軍人のデータは、すべてデジタル。データベースを守るのは世界最高レベルの防壁。なんでも、ものすごく情報系に強い人がいるらしい。
用心深い最高司令部が信用するくらいだから、相当の実力者なのだろう。物語の黒幕っぽくて少しかっこいい、なんて呑気なことを考える。
そんなことを考えながらも、ぼんやりと少しずつ作業を進めていたその矢先。
「ん……?」
―――この顔、どこかで……?
「ッ!」
―――って、どこかで、じゃない!正しく、俺たちが探している奴じゃないか!
疲れきった瞳が大きく見開かれるのがわかった。人は本当に驚いた時、声が出なくなるらしい。
しかし、ここで僅かな違和感に気づく。
「あれ、この人、名前……」
名前が、事前に聞いていたものとは違う。
偽名を使っているのだろうか。しかし、何故か腑に落ちない。でもどう見てもこの人は、葛西たちが今追っている標的だ。
違和感が胸に残る。俺の独断で変なことを言うわけにもいかないので、華田さんたちにいう前にとりあえず教官に言おう。そう決めて、部屋をぐるりと見渡す。
部屋の中では、赤羽根教官や富井や財前も、先程までの俺と同様、真剣に、けれど疲れきった眼差しを資料に向けていた。そんな彼らの向こう側、隅の方で一人で作業をしている教官を見つけた。
「あの、教官」
「ん?……なんだ、河原?」
俺の声に顔を上げた教官もまた、俺たちと同じような目をしていた。珍しい、と思いかけて、いや、最近見ていないだけで、この人は結構無理をする人だったと思い出す。突然目の前で寝られたことも、一度や二度ではない。
「標的、見つけたんですけど、その……」
歯切れの悪い俺に、何かあると察したのだろう。落ち着いた声で、教官は尋ねる。
「何か気になるのか?」
「……名前が、違うんです。偽名かと思ったけど、なんかその、引っかかって……」
「なるほどな……少し貸してみろ」
「はい」
力強い眼鏡の奥の眼差し。それを見るだけで安心できるのはいつもの事だ。
教官は俺から手渡された資料をしばらく眺めていたが、やがてひとつだけ、大きな息をついて再び俺の方を向いた。
「確かに妙だな」
「やっぱりそう思いますか」
「あぁ。偽名を使っている可能性は否定できないが、日本軍も日本政府も大きすぎる機関だ。どちらに偽名を使うにしても、リスクが大きすぎる……」
語尾を弱めながら、教官は再び俯く。
―――そうだ。違和感の正体はリスクだ。軍にしろ政府にしろ、偽名を使うのはデメリットだらけだ。
「暗い顔してどうしたのよ、徹くん。一也くんも」
「「うわっ!?」」
「ちょ……うわって何よ、うわって!」
俯いている俺たちの前に、なんの前触れもなく突然現れたのは華田さん。分厚いファイル片手に、素晴らしいスタイルを惜しみなく晒すスーツを着こなしている。
「全く、師弟は似るのね。失礼な所まで!」
「う……すいません、聖菜さん」
俺たちの反応に不満げに頬を膨らませた華田さん。しかしすぐに真面目な顔に戻り、俺たちのことを見つめた。
「君たち、標的見つけた?」
「いえ、その……まだです」
違和感が消えないまま、華田さんに伝えるのは気が引けたのだろう。教官はほんの少しだけ嘘をつく。しかし何故か、その回答を聞いた華田さんは満足気だ。
「聖菜さん……?」
「ふふっ、でしょうね。だってもう、見つかってるんだもの」
「「え……?」」
―――一体、どういう事だ……?さっき見つけたのは、そっくりなだけの別人か……?
「ッそうか!そういうことか……ッ!」
突然、隣にいた教官が大声をあげた。あんな大きな教官の声、聞いたのは久しぶりだ。
「え、待って、どういうこと、徹くん?」
「教官……?」
「詳しいことはあとだ。とりあえず、葛西と栗山に連絡しろ……!」
「ッはい!」
―――葛西藍と栗山朔夜が2日目を終えようとしていた頃、三坂徹と河原一也と華田聖菜は重大な事実に気付いたのだった。




