52 忙しい1日(ⅱ)
80階のエレベーターホールに降り立つと、そこには意外な人たちが顔を揃えていた。
最初に私たちの存在に気付いた彼が、小走りでこちらに駆け寄ってくる。
「やっぱり、もちろん2人は来ると思ってたよ」
「ははっ……財前もな。……富井は?」
「まりんもそのうち来るよ。まりん、すぐ落ち込むし傷つきやすいけど、復活も恐ろしいほど早いから」
「ふふっ、そうだったわね」
へへっ、といつも通りの優しい笑みを浮かべているのは財前だ。
正直なところ、富井と財前が来るのは予想通り。私たちが来るのに、学園1位と4位のバディが来ないわけはないだろう。
しかし驚いたのは、そのほかの人たち。
「でもまさか、島田くんと四木くんも来てるなんて」
「まあ、俺達も一応、お前らと一緒に戦ってるわけだしな」
「落ち込んでばかり入られないよね、って廉と話してたんだよ」
「れん?」
「島田くんの名前よ」
「へー!俺、初めて知った」
「うわっ、河原お前、失礼な奴だな!?」
そう言いつつも笑っているのは防衛任務で同じチームの島田くんと四木くん。決して順位が上というわけでもないけれど、彼らの成長は著しい。
そんな彼らに感化されたのだろう。島田くんのバディであり、初めて島田くんと話した時には震えて動けなかった西堂陽輝くんと、四木くんのバディである岩川澪もその場にいた。
とくに西堂くんは、あまりの怯え様によくここまで生き残れたな、と思ったのをよく覚えているけれど、確かに肝は座っているらしい。そうでなければここには来れないだろう。
「澪も来てくれたんだね」
「当たり前でしょ?この前は藍と河原にたくさん迷惑かけたからね。名誉挽回よ!」
澪とは初等部からの付き合い。その勝気なつり目に象徴されるように、ちょっとしたことには怖気付いたりしない性格なので、その場にいてくれるだけでずいぶん心強い。
そして施川さんと、彼女のバディで初等部からの付き合いの友人である雨野唯。富井や澪には“ゆっこ”というあだ名で呼ばれている。
落ち着いた控えめな性格の施川さんと、お世辞にも控えめとは言い難い性格の唯のコンビは、今までは特になんとも思っていなかったけれど、今見ると妙にしっくりくるのだから不思議だ。
「まさか施川さんと唯まで来るなんて」
「藍ちゃんたちばっかりにいい顔なんてさせないんだから!ねっ、奈歩!」
「わ、私はそんなつもりじゃないけど…でも、力になりたくて。もちろん、怖くないわけじゃないけど」
「……ありがとう、その気持ち、絶対無駄にはならないよ」
―――そしてもちろん彼女も。
「紗也……」
「……へへっ、柄じゃないけど来ちゃった。なんか、久々にバディ間で意見、合っちゃって。…ね?」
「……あぁ」
紗也とそのバディである篠塚宗大。どちらも初等部からの付き合いなのに、2人が一緒にいるところなんて実に何年ぶりに見ただろうか。それくらい2人の折り合いは悪く、実践の時ですらほとんど一緒にはいないのだ。
そんな2人が揃ってここにいるということが、どんなに凄いことで、いかなる意味を持つことか。
2人とも決して個人順位は低くない。それはつまり、あの戦場でお互いに1人で出した結果なのだ。
そんな2人が手を取り合ったのだ。もし今、実践が行われていたら、私や財前、河原や富井ですらうかうかしてられなかっただろう。
「藍が今何考えてんのかも、今まで何してきたのかも知んないけどさ…辛い時、愚痴聞いてあげられるくらいには強くなるから。頼ってよね?」
「紗也……ありがとう。頼りにする」
「おい、俺は放置か?」
「ふふっ、ごめんね、篠塚。あなたも頼りにしてる」
「……私も」
「あぁ、任せとけ」
総勢12人、6バディ。学年の半分以上。
もちろん全員本調子ではないだろう。あの会議独特の緊張感に耐えきれなくなるかもしれないし、話を聞くだけであの光景を思い出して辛くなるかもしれない。
しかし、そんなことも全部含めて覚悟して、私たちはこの場にいるのだ。
「……よし、行こうか」
「……えぇ」
富井も揃って会議10分前、私たちは身体を強ばらせたまま、指定された会議室のドアを開いた。
開いたドアの向こうに広がっていたのは、様々な階級の軍人たちの背中。全員が椅子に腰掛けて前を見ている。その光景の威圧感と緊張感は、とても言葉では表せないものだった。
「すっごい……」
「これが、会議なのか……」
「やばい、私もっとドキドキしてきた……」
私と河原以外の10人はその光景を目の当たりにして、大きく息を呑む。
かく言う私たちもこんなに大規模な会議に参加したのは初めてなので、正直かなり驚いている。前回までの会議は、重要性が高すぎる故に参加者は最高司令部と指導科のみだったのだ。
そんな私たちに気付いたらしい最後列に腰掛けていた下級軍人の1人が、ゆっくりこちらを向いた。その顔を見た瞬間、思わず叫びそうになる。
「きっ、北長瀬先輩……!」
「あれ、葛西?それに河原や、他の奴らまで……。何があったのか分からないけど、とりあえず座れば?」
今春にめでたく高等部を卒業した北長瀬先輩は、今は指導科の一員として初等部の教員をしている。噂には聞いていたけれど、実際に会ったのは卒業式以来だ。
そんな北長瀬先輩の声に反応した隣の女性もこちらを振り返る。その顔を見た瞬間、今度は富井が口をパクパクさせた。
「智宏、どうしたの―――って、あれ!?まりんちゃんたち!?えっ、どうしたの!?」
「なっ…!さっ、桜庭っ、先輩……っ!」
そこにいたのは北長瀬先輩のバディで、同じく会うのは卒業式以来の桜庭先輩。彼女も指導科の初等部教員として働いていると聞いている。
ちなみに昨年度の卒業生のトップは、結局在籍中と変わることなく彼女だった。
2人の先輩の1つ後ろの列と、もう1つ後ろの列に6人ずつに分かれて腰掛ける。
簡潔に事情を説明すると、2人は困ったような表情をして顔を見合わせた。
「君たち、かなり大変な状況にいたんだね……」
「俺たちは普段から実践のない初等部教員だし、この前の襲撃の時は多分お前らとは逆サイドに配置されてたから知らなかったけど……あそこにいたのか、お前ら。大変なこと、任されてたんだなぁ」
「まあ、一応……。本当に何も出来なかったですけどね」
「そんなことないよ。だって今、ここにいるじゃない。この前の今日でここに来れるって、それだけで凄いよ。今までだって、ここを守ってくれてたんでしょ?本当にありがとう」
そう言って桜庭先輩は微笑む。つられるように北長瀬先輩まで、珍しく優しい顔をしている。
そんな桜庭先輩の一言に救われた生徒も多い。周りをちらりと伺えば、何人かは顔をほころばせていた。それは私も例外ではない。
「これより報告会議を開始する」
そんな中で響いた低い声。一斉にざわめきが止み、緊張感がより一層高まる。
私と河原もハッとして顔を正面に向ける。遠くてはっきりとは見えなかったけれど、そこにいるのは確かに教官だった。低く威圧感のある声は、私たちと普段喋る時とは違うけれど、でも何度も聞いたことのある馴染みのある声だ。
「ではまず、亀山朱雀大将の容態について。……渡辺さん、お願いします」
「えぇ、分かったわ」
教官に促されて立ち上がったのは、あの渡辺玲子さん。初めて見た時と変わらない凛とした態度で前に歩み出た。
「最高司令部の渡辺です。……ではまず、亀山大将についてお話します」
大輪の花のような存在感。全員の視線が一斉に彼女に注がれる。玲子さんはこういう状況には慣れているのだろうが、全く物怖じしないのはやはり流石だ。
玲子さんはそんな私たちを一通り見渡し、そして落ち着いた口調で告げた。
「彼は依然として生命の危機に瀕しています」
その場にいた全員の息を呑む音が響いた。
「そんな……」
「マジかよ……」
私と河原も顔を見合わせる。
あの強く、逞しい、頑強人間の典型のような亀山大将が、瀕死だなんて。にわかには信じられなかった。……信じたくなかった。
「あのさ、一也、藍……」
そんな私たちに小さく声をかけてきたのは財前。その声に、隣にいた富井や後ろの紗也たちも反応する。
「ん?どうした?」
「そのさ……亀山大将、って誰?」
―――そうだ。私たちもあの任務以前はそうだったように、学生は亀山大将のことを知らない。まずはその説明をするべきだろう。
首をかしげている財前たちに、手短に亀山大将のことを説明する。
「亀山大将は、日本軍の最高司令部のトップよ。……彼なしでは、きっと今の軍は無かったでしょうね」
「そんなすごい人がいたんだね……」
「あぁ。まあ、それを鼻に掛けるような人じゃねぇし、学生の前には出てこない人だからな。知らなくて当然だ」
深刻な顔でそう告げる河原。財前や紗也は俯いて、現状の深刻さを改めて痛感しているようだった。
―――私は、私たちは、そこで自分たちの言ってしまったことに気付くべきだったのだ。
河原の話を聞いて暗い顔をする面々の中に、1人だけ、明らかに違う表情をしている人物がいた。
「え……じゃあなんで……」
その人物―――富井は手を震わせながら、河原の手を乱雑に取った。
「え、富井……?」
突然のことに一瞬肩を震わせた河原だったが、富井のその表情から何か言いたいことがあるということを察したらしい。
「……何だよ、富井」
不穏な雰囲気に、周りの同級生だけでなく北長瀬先輩と桜庭先輩まで不安げな表情で2人を伺っている。
突然心臓が激しく脈打ち始めた。―――嫌な予感がする。
目の前にいる富井は、一度視線を逸らしたが、すぐに河原のことを見た。ふわふわの前髪の隙間から、憂いのこもった瞳が鋭くなるのが見える。その視線にすっと背筋が冷たくなったのとほとんど同時に、富井はいつもとは全く違う声色で私たちに尋ねた。
「……なんで、一也は知ってんの?その、亀山大将のこと。……藍も知ってるんだよね?」
―――あぁ、やってしまった。そう思っても既に後の祭り。
恐る恐る周りを見渡すと、財前たちは戸惑いを隠せない、と言わんばかりの表情をしていた。首筋を冷や汗が一筋伝った。
「た、確かに……」
「河原の口ぶりからすれば、生徒は知らないはずだもんな…」
「なのに知ってるって、確かにおかしいよね……」
富井のその言葉に、周りのざわめきが徐々に大きくなる。
知られてはいけないことを知られた焦りと、ざわめきが大きくなることへの焦りで、首筋を冷や汗がいくつも流れる。河原の様子を伺えば、彼も同じく焦った様に俯いて、珍しく目を泳がせていた。
ここで正直に、一度軍の任務に携わった事があると言ってしまえば私たちは楽になるだろう。だけど、それはできない。
―――あの任務自体が、半年たった今でも極秘事項なのだ。それを私たちの独断で他人に話すことはできない。―――してはいけない。
しかし、ここまで問い詰められて、果たしていい逃げ口が見つかるのだろうか。
どうすればいいのか分からず黙り続ける私と河原、そんな私たちの周りでざわめきを大きくしていく財前や紗也たち。しかし、富井だけは黙って、ひたすら河原と私を見つめている。否、睨みつけていると言った方が正しいかもしれない。
やはり言うしかないのだろうか。どんなに考えても、うまい方法は思いつかなかった。―――否、言い訳はいくらでも思いついた。だけど、彼らに嘘をつきたくないと思ってしまったのだ。
拳を握り、歯を食いしばって意を決する。―――そうだ、すべての責任を私がとればいい。そうすれば全て解決するのだ。
その責任の取り方がどんなものになるか分からない。最悪の事態を考えて、それだけで身震いしてしまったけれど、これは自分でまいてしまった種だ。
話す前にもう一度だけ河原を伺う。しかし私以上に焦っている河原は、額に汗をにじませながら怖い顔で俯いているだけ。いつもは気付く私の視線にすら全く気付かない。
仕方がない。震えながら小さく息を吐いてから大きく息を吸い、言葉を紡ごうとしたまさにその時。
「あの―――」
私の声をかき消すような怒声が、部屋全体に響き渡った。
「おいそこの学生共!何をさっきからゴソゴソしている!」
その場にいた全員が身震いしてしまうようなその怒声。ハッとして顔を前に向けると、そこにはいつも以上に仏頂面の教官が、マイクを持って仁王立ちしていた。
「教官……」
河原がぼんやりと呟く声が耳に届く。
―――またやってしまった。怒られて……怒らせてしまった。
頭が一瞬で真っ白になり、体がすくむ。しかし、何かを言わなくては。その意識だけは何とか保たれていた。
机に手を付き、わななく足でなんとか立ち上がって前を向く。足が震えて立っているのもやっとの中、何とか教官の顔を見ようとする。しかし恐怖からかなかなか焦点が定まらない。
それでも何とか、教官の顔に焦点を合わせ、やっと彼の顔が見えた瞬間、真っ白だった脳内に突然色が戻ってきた。
―――目の前にあるのは何度も見てきた教官の怒った顔。だけど、今の教官はもしかして……もしかすると……。
「おい、葛西……」
下から聞こえた河原の声は、かなり頼りない。相当混乱しているのだろう。
自分たちが言わなければこんなことにはならなかったのだ。私だって河原だって責任を感じている。河原は人一倍責任感が強いから尚更だろう。
「……河原、大丈夫よ」
その言葉は、決してその場しのぎの言葉ではない。大丈夫だという確信があった。
私のその言葉を聞いた瞬間、河原の強ばった表情が少しだけ緩む。それを確認してから再び前を向く。
さっきまで遠すぎてぼんやりとしか見えなかったはずなのに、今ははっきりと見えるような気がした。
「葛西、会議中に何を話していた」
―――低い教官の声。さっきまで怖かったのに、今はなんてことない。
「はい。彼らに、亀山大将のことを教えていました。……学生が亀山大将と関わる機会が無いことは、三坂中将もよくご存知だと思いますが」
私が彼のことを“三坂中将”と呼んだからだろうか。彼は少しだけ肩を震わせたのを私は見逃さない。
しかしそこは流石最高司令部。教官は言葉に詰まることもなく、自然な流れで会話は続行された。
「あぁ、そうだな。……それだけか」
「はい。……ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
そう言って深々と頭を下げると、マイク越しのくぐもったため息が聞こえてきた。
「以後、このような事がないように。……葛西、この会議の後ここに残れ。少し指導する」
「はい」
―――その言葉で、それは確信に変わった。
とりあえずその場はそれで落ち着き、河原と富井も前を向き、財前たちも喋るのをやめた。しかし、ここで終わる話ではないだろう。
「葛西、悪い……」
小さな声でそう言った河原は、小さく深々と頭を下げた。流石にこの音量の声が聞こえるのは隣の私くらいだろう。
「いや。大丈夫。とりあえず、会議が終わったら教官の所に行ってくるね」
「あぁ……俺も行く」
「ううん……河原はいいよ。その代わり、ちゃんと富井と話して。……難しいこと、任せてごめんね」
「……あぁ、わかった。悪いな」
「ううん、こっちこそ」
互いに目線をそらして俯く。
その後の会議の内容は、全く頭に入って来なかった。
「……三坂中将。お手数おかけして申し訳ありません」
「……いや、こちらこそ。呼び立ててすまんな」
―――会議終了後。広すぎる会議室に残ったのは私と教官だけ。
教官は私のことを呆れたような眼差しで見る。
「……なぁ、葛西。とりあえず、その三坂中将ってのをやめてくれないか?」
「……何でですか?」
首をかしげてそう聞いてやると、教官はめんどくせぇ……、と言いながら頭をかいた。
「あのなぁ……大人をからかうな」
「ふふっ、ごめんなさい。でもこういう機会滅多にないから、つい」
「全く、呆れた奴だ」
そう言って私が笑い声をこぼすと、教官も困ったように小さく笑い声を漏らした。
「やっぱり、全部分かってたんですね?」
そんな教官に向かって私は笑いながら言う。教官は一瞬間を置いて、そして笑みを深めて頷いた。それの笑顔は、安心できるいつもの優しい顔だった。
「当たり前だろ。……まぁ、あの時は俺の立場もあるからな。許せ」
「とか言って、私が察せなかったらどうするつもりだったんですか?」
「馬鹿か、俺の教え子がそんな腑抜けなわけないだろう」
「うわっ、すごい自信」
そう言うと教官と私は、顔を見合わせてまた笑いあった。
―――私は知っている。
教官は、確かに理不尽に怒る時もあるけれど、その後は必ず心の底から謝ってくれるし、何より、彼は大勢の前で、理由も分からないまま頭ごなしに叱るようなことは絶対にしない人なのだ。
そして、そんな彼だから、私たちは今でも彼のことを信じて慕うことが出来るのだ。




