51 忙しい1日(ⅰ)
再襲撃から数日。
私たちは授業すら受けずに、ただただ自室から外を眺めるだけの日々を過ごしていた。その間の防衛任務は、全て下級軍人が担ってくれていると赤羽根教官から聞いている。
初めての戦闘であれだけの死者数。目の前に広がってゆく紅の海。―――全てがトラウマになるには十分すぎるものだった。
富井や財前をはじめとするほかの同級生は、数日経った今でも部屋から出ることすらできないと聞く。
そう言いながら余裕を装っている私も、あの光景を思い出すだけで背筋がゾクリとして、身体がガタガタと震えそうになる。
あれは決して気持ちのいいものではなかったし、安心できるものでもなかった。でも、軍に入るということはすなわち、あの光景に慣れるという意味だ。
果たしてそれが、自分に出来るのだろうか。
そして、今回もまた、ふとした瞬間に自分に問いかけてしまうのだ。―――本番で役に立てない自分が今まで奪ってきた命は、果たして価値のあるものだったのか、と。
そう考えてしまうのはきっと、他の人たちも同じなのだろう。
価値の有無なんて私が決められるわけがない。誰がどう言おうと私たちが奪ってきたのは、同じ歳の人間の命だ。
実践で死んだ生徒の葬式は、軍が最低限のものを行うだけ。お墓はシェルター外の墓地に共同のものがあるらしい。
そんなことすら最近知った。―――今までは知ろうとしなかった。興味がなかったのだ。
自分たちのやってきたことの重さも、自分の手が真っ黒だということも知っている。
だけど、それでも私たちは生きていくしかないということも分かっているつもりだ。
生きるのは軍のため、だなんて綺麗事は言わない。生きたい理由なんてのは本当に簡単で、ただ自分が死にたくないのだ。
自分の命は、1つの命の重みではない。私が死んだ瞬間、私が殺した人の命も死ぬ。
それはきっと、この島の生き残りにかけられた呪いのようなものなのだろう。
梅雨時ということもあり、シェルターの外では雨が降っているらしい。窓から見えるシェルター内もの景色も、今日は全て灰色に見えた。
「結局、この呪いからは永遠に抜け出せないんだろうなぁ……」
教官に話を聞いてもらって確かに心は軽くなったし、少しは強くなれたと思うけれど、実践の意味を考えることを辞めることは出来ないのだろうか。
それこそもしかしたら、赤羽根教官や三坂教官、七瀬さんや聖菜さんや栗山さんのような軍人ですら、未だに囚われているのかもしれない。
やはり割り切るしか手はないのだろうか。
今の私には実践を失くす力も手段も人望もない。どう手を尽くしても現状は変わらないだろう。
すっかり冷めてしまったアップルティーに視線を落とす。そこにゆらゆらと映ったのは弱気な自分の顔。それを見て、ハッとして首を激しく横に振る。
「……ううん、違う」
―――そうだ、違う。私は決めたのだ。
もう、自分の気持ちには嘘をつかない。
「私はいつか、必ず、実践をやめさせる」
誰が聞いているわけでもない。だからこれは、自分への宣言だ。
私が言えたことじゃない、なんて逃げはやめよう。言えたことではないかもしれないけれど、経験者だからこそ言えることもあるし、わかる気持ちもある。
何年、何十年かかってもいい。私は諦めない。
“地上の楽園”―――実践がなくなったところで、そのイメージ通りの場所にここがなることはないだろう。ここが永遠に夜桜学園―――軍事学園であることには変わりがない。
でも、今までの“戦いの中で強くなる”なんて理論はやめるべきだ。
自分たちのことだからよく分かる。―――今の私たちに結果が全く出ていない、とは言わない。けれど、代償に対する成果が小さすぎるのも事実だ。
それならいっそ、全員で射撃訓練を1時間する方がよっぽど結果が出るのではないだろうか。
「あ……」
窓の外の景色に一筋の光が差し込んだのが見えて、思わず声を上げる。灰色の景色に差し込んだ光は本当に細いものなのに、その場が一気に明るくなったような気がして、妙に安心感があって、自然と自分の顔がほころんだ。
―――きっと大丈夫だ。今は出口も解決策も見当たらなくても、どこかにそれは必ずあるのだから。
入れ直した温かいアップルティーを飲みながらクッキーを食べていると、ブーブー、と羽音のような音を立てて、ベッドの上に置いていた携帯端末が震えた。突然のことに少しだけ肩をびくつかせてしまったが、すぐに立ち上がって端末を取りに行く。
「メール……?」
届いたのは1通のメール。
河原なら電話か直接来るだろうし、それは富井や財前や紗也も一緒だろうから、生徒ではない。ならば誰だろうか、と首をかしげながら端末のディスプレイを見てハッと息を飲んだ。
「教官……!」
教官も普段は電話をしてくることが多い人。だけど、大切なことは彼はメールで伝える。きっと今回もその例に漏れないだろう、と思いながら急いでメールを開いて内容を確認すると、そこに書いてあったのは簡潔に纏められた味気ないけれど、とても大切なこと。
「やっぱり……」
―――内容は会議の開催場所と日時。そして、3年生で来れる人は来てもいいということ。
「行かないわけ、ないわよね」
ゴクリと唾を飲む。
突然開かれることになったであろうこの会議。間違いなく議題は先日の再襲撃のことについてだろう。そうでないと3年生が呼ばれるわけがない。
会議の始まる時刻は3時間後、場所は80階の大会議室。
しばらくして再び震えた端末に届いたのは、河原が教官からのメールを引用したものだった。つまり、河原もこのメールを見たと言うことだ。
来るか来ないか、なんてそんな野暮なことは聞かない。私たちが今考えていることは、きっと全く同じだろう。
そのメールが届いた数十秒後、突如響く激しいノック音。誰かが部屋のドアが激しくノックしている。
「ちょっとちょっと……」
今にもドアが壊れてしまいそうなほど激しい音。今、私の部屋を訪れて、かつこんなに激しくノックをしてくる人なんて1人しかいない。
ゆっくりとドアを開けた瞬間、飛び道具のように勢いよく部屋に飛び込んできたのは予想通りの人物。
「葛西、行くよな!?」
「わっ!……えぇ、もちろんよ、河原」
目の前にいる河原は、額に汗をにじませながらニヤリと笑った。
河原を部屋に招き入れ、残っていたアップルティーを出す。どうやら全力疾走してきたらしい河原は、息も絶え絶えだった。
「おっ、サンキュー!」
「いえいえ」
息切れが治まって落ち着いてから、河原は揺れる赤い水面を満足げに見つめ、そして勢いよくアップルティーを飲んだ。そんなに急いで飲む必要はないのに、と少し笑ってから、単刀直入に本題を切り出す。
「河原、会議のことなんだけど」
「……あぁ。間違いなく再襲撃のことだよな。……あと、亀山大将のこと」
「やっぱりそうよね」
―――再襲撃ももちろんに気になるけれど、それよりも私たちが気にしていることは亀山大将のこと。
撃たれてすぐに意識を失ったわけでは無かったけれど、かなり血が出ていたような気がする。遠目だから確かではないけれど、それが余計に不安をそそる。
「最悪の事態、ってありえるのかな……」
「おい、やめろよ、そんな不謹慎なこと」
「あ、ごめん…」
「…でも、考えずにはいられねぇよな」
なんとも言えない沈黙がその場に落ちる。
亀山大将は強面で実際怖いところもあるけれど、本当は優しくて少し不器用な人だ。教官のことだって本当はとても信頼しているのが丸分かりだし、教官だって苦手と言いながら本当に亀山大将の事を嫌っているわけではないようだった。
人望がなければ軍のトップが務まるわけがないのだから当然だ。
もしそんな人が今、いなくなったら、日本軍はどうなるのだろう。
私たち学生は普段は亀山大将と関わることはない。私もだったが、名前すら知らない人の方が多い。
けれど、彼なしでは今の日本軍は成り立たない。要が崩れれば後はあっという間なのだ。
「葛西、外行こうぜ、外!」
自分たちではどうしようもない重苦しい沈黙に耐えきれなくなったのだろう。河原は突然立ち上がったかと思うと、窓の外を指さしながらそう言った。
「そ、外?」
「あぁ、外だ!」
「曇ってるのに?」
「曇ってるけど、雨は降ってないだろ?」
「えっ」
そう言われて外を見ると、確かに雨は止んでいるようだった。まあ、シェルター内から出る訳では無いから、雨が降ろうが降らまいが関係はないから、これは気持ちの問題だ。
「うん、行こうか、外」
雨上がりの外の景色は、まるで全てが洗濯されたように輝いている。そんな時に部屋に閉じこもるのも、確かにもったいない。
エレベーターに乗り込んで下向き矢印のボタンを押す。妙に静かな雰囲気に疑問符を浮かべていると、河原がポツリと呟いた。
「そっか、休んでるのは俺たちだけか……」
「あ、そっか……」
そういえばそうだった。私たちの学年以外は普通に授業があることをすっかり忘れていた。
普段なら少しでも優越感を感じそうな事なのに、今はむしろ自分が情けなくなる。
それは河原も同じらしく、自分で言っておきながら、少しだけ表情に影を落とした。
本部の外に出ると、シェルター越しに光が差し込んでいるのが見えた。
「わぁ……」
その光は、まるでスポットライトのように薄暗い世界を所々照らし出している。その様子があまりに綺麗で、しばらく目を奪われてしまう。
先ほどまで雨が降っていたのが嘘のようなその光景。我ながら単純だと思うけど、それは明るい未来を予感させるもののような気がした。と言うよりむしろ、こんな時だからこそ、そう信じたいのかもしれない。
隣にいる河原を横目で見る。
彼も前を見ていた。けれどその瞳が見据える場所は分からない。怪訝に思って声をかけようとしたその時、彼は指をまっすぐ伸ばして遠くを指した。
「え……?」
「なぁ、葛西。シェルターの入口まで行ってみないか?」
「シェルターの入口?いいけど、何で……?」
そう言って首を傾げる私を見た河原は、一瞬下を向いたが、しかしすぐに顔を上げた。
「現状、ちゃんと見ておきたい」
「現状、か……」
「……あぁ。いつまた、戦闘が始まるかわらないから。少しでもちゃんと、どうすればいいか考えたい」
「河原……。えぇ、いいわ。行こう」
私の返事を聞いて、河原は少し安心したように口元を緩めた。
河原の瞳はいつもより強い光を秘めているようで、雨上がりの外の景色よりもずっと眩しくて、私は無意識に目を細めてしまう。
シェルターの表面にはいくつも雨粒が残っている。残念ながら視界良好という訳にはいかなかったけれど、外を見るにはそれで十分だった。
さすがに死体や血の処理はされているけれど、その痕跡はここからでもいくつも見える。真新しい血の跡、何かを引きずったような跡。全てが今の現状として、私と河原の眼前に広がっていた。
ふぅ、と大きく息を吐いた河原は一歩前に出てシェルターの内側に手を添えた。その手が震えているように見えたのは、きっと見間違いではないだろう。
「ここで俺たちは人を殺してきたし、傷つけられてきた。もちろんそれは俺たちだけじゃない」
「……うん」
それは正論。河原だって、私だって、おそらく他の人だって、特にここ数日は嫌というほど考えただろう。
考えすぎたせいだろうか。今は、目の前に広がる現状を見てしまえば無意識にでも考えてしまう。
「葛西。俺、決めた」
しかし河原はぐっと顔を上げたまま、シェルターの外の戦場から目を逸らさない。
「何を?」
「俺はもう、何からも逃げない。全部受け止めて、向き合う」
「河原……」
―――きっと今、河原が考えているのは、前の任務の時に彼がしてしまったあの失敗。河原は失敗だと気にしているけれど、私はあれは失敗だとは思わない。
私はたまたま運が良かっただけ。河原のあの反応の方がむしろ自然だったはずだ。
でも、あれがあったからこそ今の私がいるように、河原だってたくさんの事をあれから学び、影響を受けたのだ。
「河原、私も決めたことがあるの」
河原は自分の意思を告げた。はっきりと宣言したのだ。
だったら、私だって結果を恐れて何も言わないなんてことはできない。
「え、何?」
「私は、いつか、何年かかったとしても、必ず……」
強い光が宿っている河原の瞳を見つめる。いつ見ても澄んでいる、一番信頼できる相棒の瞳だ。
「―――実践をやめさせる」
みるみる河原の目が見開かれていく。自分の顔が曇りだすのがわかって、必死に取り繕おうとするがなかなか上手くいかない。
しばらく何も言わなかった河原だったが、しかしすぐに目を細めて笑みを浮かべ、そしてすっと右手を差し出した。
「いいな。それ、お前だけじゃなくて、俺達の夢にしてくれないか?」
「河原……」
視界が一瞬滲んだ。
震えそうな手で、骨ばったマメだらけの手を握る。力強い、安心できる手だ。
「もちろんよ。ありがとう」
―――全てが上手くいくかどうかなんてわからない。目の前の再襲撃のことですら、私たちはまだ何もわかっていないのに、未来のことなんてはっきり分かるはずがない。
だけど1人の時は抱えていた不鮮明な未来に対する不安は、今はずっと小さくなった。
胸に手を当てて、そっと目を閉じる。―――大丈夫、何とかなる。
再三自分にそう言い聞かせた私は、河原と共にシェルターに背を向けて本部へと歩みを進めた。




