50 再襲撃
―――5日後、早朝6時。
日本軍全軍人と夜桜学園高等部の全3年生は、シェルター外に並び、曇り空の下の深い藍色の海を見つめていた。
真東の方角に見えるのは10隻の黒い船。歴史上では、我が国の政府は黒い船に乗った異国人に攻められたのに、今は我が国の政府の人々が乗っているのだから皮肉なものだ。
徐々に近付いてくる黒船。その内の1隻がこの島の岸につけた瞬間、全身に稲妻のごとくほとばしる緊張感。
何が起こるかわからない。話し合いだけで済む可能性は捨てていない。けれど、戦闘が勃発する可能性も大いにある。
握りしめた拳に爪がくい込むことも気にならないくらい、意識を政府と軍の代表者―――亀山大将にむける。
久しぶりに見た亀山大将は、やはりほかの軍人とは一線を画していた。
「なるほど。やっとお出ましですか、日本軍大将」
カツン、カツンという耳につく甲高い音を響かせながら船から降りてきたのは、絵に描いたようなイヤミ顔の中年男性。近くにいた軍人の囁き声で察するに、彼は日本政府の大臣の1人らしい。
そんな彼に応えるように、亀山大将も一歩前に出る。それだけでより一層威圧感が増す。
亀山大将は静かな殺気を発しながらニヤリと笑い、そしてその男性の顔を睨みつけた。彼の顔がわかりやすく強ばり、こちらまで背筋が凍りそうになる。
「私の出る幕ではないと思っていたのでね」
低い声が、腹の底に響いた。
しばしのにらみ合い。どちらの大将も動くことなく、緊迫した時間が過ぎていく。
―――刹那、鳴り響いた銃声。
腹を抑え、その場に崩れ落ちたのは亀山大将だった。
「「「亀山大将ッ!?!?!?」」」
最高司令部の軍人たちが、一斉に亀山大将に駆け寄ろうとする。しかし亀山大将は肩で息をしながら、片手をあげてそれを静止する。
「来るな……ッ!……ッ全員……速やかに後退しろ……機関銃を…撃ちながら……ッ!」
「ですが……!」
「命令は絶対だ……ッ!」
息も絶え絶えの状態で、自らの命が危険にさらされている中でも、彼は日本軍大将としての任務を果たしている。それはまさに命懸け。
「全員後退!!!!」
遠のきかけていた意識を呼び戻したのは、教官の声だった。ハッとして横を見ると、教官や七瀬さんたちが亀山大将を運び始めている。
「葛西!俺たちも……!」
「えぇ……!」
軍の人たちに倣うように、私たちも機関銃を撃ちながら後退する。シェルターまでの距離は、ゆっくり歩いて3分。たった3分が、いつもの何倍もの長さに感じられる。
日本軍の猛烈な機関銃の攻撃によって、上陸していた日本政府の使者―――つまり裏社会の人間たちは全滅。
大臣の男だけは、人間の壁に守られながら船に乗り込み、そして残りの船は全て退散していった。
シェルター越しに目の前に広がるのは、見知らぬ死体と血の海。
誰が殺したのか、自分が殺したのかすら分からない。
「藍……どうしよう……まりん……どうしよう……」
制服の袖を掴んできた富井の手は震えていた。あたりを見渡せば、同級生は全員震えてその場に座り込んでいる。初任務ではない私と河原だけが、辛うじて正気を保っているような状況だった。
「葛西、こいつら……」
「……うん、わかってる。でも、軍は亀山大将のことで手一杯だろうから、私たちで何とかしないと」
「あぁ、そうだな……」
かく言う私も、普段の何倍もの速さで心臓が脈打っている。それはきっと河原も同じ。
勢いに任せてしまうと、冷静な判断はできないだろう。何としても、正気だけは保っていないと。
しかし、初めて本物の戦場に立った彼らが負った傷は予想よりもかなり深いものだった。
しばらく経っても誰も立ち上がることができない。誰かに声をかけられる状況ではない。
―――解決策が浮かばない。どうすればいいのか分からない。唇を強く噛みすぎたせいで、口の中にじわじわと鉄の味が広がっていく。
「こんな時、教官なら……」
―――慰める?叱る?鼓舞する?
きっと教官は、その時のその人の状態に応じてそれを使い分ける。しかし、今の私にはそれは出来ない。
考えれば考えるほど、正解から遠のいていくような気がする。負のスパイラルに陥りかけたその時だった。
「皆、大丈夫ッ!?!?」
遠くから聞こえたその声に、ハッと顔を上げる。軍人の波をかき分けてこちらへやって来ていたのは、血の滲んだ軍服を着た赤羽根教官だった。
「赤羽根教官……!教官こそ大丈夫ですか!?血が……!」
「あっ、葛西さんの河原くん!この血は俺のじゃないから大丈夫。それより2人とも、本当に……強くなったね」
「教官……」
こんな時ですら優しく強い赤羽根教官に、涙が溢れてくる。
かつては突然誰かが泣きだしたら戸惑うだけだった赤羽根教官は、今では優しく肩を叩いてくれる頼れる存在だ。
「とりあえず、みんなを本部内へ連れていかなきゃね」
「はい。でも、この状態じゃ……」
依然立ち上がることすら出来ない富井たち。
―――気持ちはわかる。私だってあの任務の後、一体どうやって教官の部屋まで来たのか、今でもわからないのだ。けれど1つだけ分かるのは、私は自分の足では歩いていないということ。
今の彼らは、あの時の私だ。意識が朦朧として、気を保つのがやっとなのだ。
赤羽根教官が来てくれたおかげで私たちの気持ちは楽になったけれど、状況は変わらない。解決策も見つからない。
やはりここは、無理矢理にでも立ち上がらせるしか手はないのだろうか。分からなくなってまた俯きかけたその時、突然河原が私の手を取った。
「えっ、何!?」
「あーもう!もう俺たちが運ぶしかねぇだろ!!」
「えぇ!?そんな、無理でしょ!?何人いると思って……」
「でもやるしかねぇだろ!?俺には……俺らにはまだ、三坂教官みたいにみんなを即座に立ち直らせるなんてこと、できねぇんだから!」
「河原……」
そう言う河原の必死な顔は、どことなく教官に似ていた。そして思うのだった。―――あぁ、やっぱり私たちは相棒だ。
河原と赤羽根教官が男子、私が女子を2人ずつ前と後ろに抱えて歩く。河原の声を聞いて協力してくれた総務部の軍人も同様に生徒を抱えている。おかげで全員一度に運べそうだ。
「ねぇ、藍」
「ん?どうしたの、富井?」
私の背中でぐったりとしている富井が、か細い声で私の名前を呼んだ。
辛い時でも、悲しい時でも、声だけは大きい富井らしからぬその声に正直かなり戸惑ったけれど、それを悟られないように努める。
「藍は、なんで平気なの?なんでそんなに強いの?それとも……まりんが弱いだけ?」
不安げで、今にも消えてしまいそうなその声。
―――違う。私は決して強くなんかない。むしろ、富井の方が私よりも強いだろう。
教官は本番に強い、と評価してくれているけれど、自分では本当かどうかはわからない。
私は、みんなより少し早くチャンスをもらっただけ。たったそれだけなのだ。
「ううん、違う。富井は全く弱くない。それどころか強いわよ。さすが学園1位って感じ」
「そんなことないよ……」
「あるのよ。大丈夫、自信を持って。……もちろん、今そんなこと言われても戸惑うだけでしょうけど、でも大丈夫だから。富井は強いよ」
「藍……」
私は不安を教官に聞いてもらい、河原と分け合った。それ以外にも多くの人に助けてもらった。―――次は私が誰かの力になる番だ。
そう心の奥で誓い、奥歯をぐっと噛み締めた。
教室に戻ってきた私たちを迎えたのは、思ってもいなかった人たちだった。
電気のついていない薄暗い3年生の廊下の前に、何やら動く集団を見つけたときは一瞬身構えたけれど、その正体に気付いた時には予想外すぎて拍子抜けしてしまった。
「なんで、君たちが……?」
「私たちにも、知る権利はあると思うんです。だから教えてください、葛西先輩」
そこに居たのは高等部2年生の後輩たち。
その場に私と河原と赤羽根教官だけでなく、見知らぬ軍人がたくさんいたこと、そして生徒の大半は私たちに抱えられていたことに彼らはかなり動揺しているようだった。
「君たちには教室待機を言い渡したはずだけど」
後輩たちに向かってそう言い放つ赤羽根教官。彼らはその言葉に怯みかけたが、ぐっと堪えて私たちのことを見据えた。
「そうですけど、でも気になってそれどころじゃないです!」
「先輩たち、特に実践が激しい学年だったのに、最近犠牲者が少ないようだったし、みんな仲良さそうだったから、怪訝に思ったんです」
「絶対、何かありましたよね?」
彼らは怯えた子鹿のようだけど、どこか獲物を狙う狼のようにも見える瞳で、こちらをじっと見つめて声を震わせながらも必死に言葉を紡いだ。
「楽園は、襲撃されたんだ」
突然聞こえたその声に、私たちはその声の主を見つめた。
どうするべきか、赤羽根教官たちが測りかねている中、河原はなんの前置きもなくいきなり本題を切り出したのだった。
後輩たちは、ここ最近の様子から予想はしていたのだろう。騒ぎ立てるようなことはしなかったけれど、当然ながら動揺していた。
「それって、危ないですよね……!?」
「俺たち、どうしたら……!」
徐々に広がる動揺の波。赤羽根教官たちも、突然のカミングアウトにどうしたらいいのかお手上げ状態らしく、呆然とその場に立ち尽くしている。
「ちょっと、河原……!」
「いいから。俺に任せて」
「でも……!」
しかし当の本人は何故か、かなり自信があるらしく、堂々とした態度で後輩たちの前へ歩み出た。
「俺たち3年生は、今年の1月からずっと防衛任務を任されている。今までは何も無かったんだけど、任務が始まってから今日、初めて襲撃があった」
「そんな……先輩たちは、これからどうするんですか?」
「俺たちは変わらず日本軍の防衛任務にあたる。でも、君たちはそんなこと知らなくていいし、考えなくてもいい」
「え……」
優しいのかと思いきや、突然突き放されて何がなにやら理解に苦しんでいる後輩たち。私ですら今の河原が何を考えているのかわからないので、ただ黙って河原の言葉に耳を傾ける。
河原の顔をじっと見つめる目、目、目。そんな瞳に応えるように、河原は再び優しく微笑んだ。
「防衛任務は俺たちに任せて。君たちは、ほかの後輩たちが不安にならないよう、ちゃんと先輩をしてくれたら嬉しいな」
―――度々思うことだが、河原のこういう時の機転の利き方は常人のそれを超えている。
河原の言葉はその声色と相成って、かなりの安心感を後輩たちに与えたらしい。彼らは強ばっていた顔を少しだけほころばせた。
もし同じことを言ったとしても、私や赤羽根教官たちではこうはならなかっただろう。
「河原、最初から後輩たちにああ言うつもりだったの?」
2時間後、本部前広場にて。
大きな木の周りに円形に設置されたベンチに腰掛けて上を見上げる。曇り空はいつの間にか雨空に変わっていた。鈍い雨音がシェルター内に響き渡る。
「ん?あぁ……実は、最初はなんの考えもなかったんだよ」
隣に座っている河原は、そう言いながら苦笑した。
「なんだ、やっぱりね」
「なんだ、やっぱり分かってたのかよ」
それでも、あの時の河原には脱帽だったけれど。それは恥ずかしいから内緒だ。
その後もいくつか会話をしていると、ふと数人の軍人が慌ただしく本部から出ていくのが見えた。
「……亀山大将、大丈夫かな」
「…何とも。でも、信じるしかないわよね」
彼らの向かう先は、全員揃って病棟だった。
亀山大将の容態はわからないけれど、すぐに連絡が入らないということは、決して安心できる状態ではないということだろう。
ゴロゴロ、と遠くで大きな稲妻の鳴る音が響く。雨は、先程よりも強くなっているようだった。




