49 吐露
―――2042年、夏。
ピアスホールもやっと安定してきた頃、初夏。6月。
日本軍と日本政府の休戦期間が終了し、虚構の平和が消え去る日が刻々と近付いていた。
最近の上層部はわかりやすく慌ただしい。
今まで何も告げられていなかった後輩たちは当然困惑を深め、防衛任務にあたっていた私たちですらその慌てようには正直戸惑っている。
最高司令部の教官たちはもちろん、情報科の聖菜さんや栗山さんに話を聞こうにも彼らもまた忙しいらしく。それどころか下級軍人である赤羽根教官たちですら忙しいようで、授業はしょっちゅう自習になっている。
「なんか、あの任務の時を思い出すよな……」
「えぇ……」
慌ただしい様子は察せても、依然として生徒には現状は全く知らされることがない。何かが起こっていることは明らからなのに、何も知らない、何も出来ない自分がもどかしい。
防衛任務は変わらず行われているけれど、私たちだけではなく軍人も配置されるようになった。
そんな防衛任務の中で、軍人の指示で後衛にまわされた私と河原は、ふくれっ面をしながら最前線にいる彼らを眺めている。びゅうびゅう吹く生ぬるい風が耳元でうるさい。
「なぁ、やっぱり教官のところに行こうぜ」
横にいる河原が静かに立ち上がる。冷静でいるように務めているのだろうが、その横顔には焦りの色が滲み出ていた。
「そりゃ、私もそうしたいけど……でも、迷惑じゃないかな、やっぱり」
「そんなこと言ってたら、俺らは結局、また中途半端な駒で終わるだろ!?」
耐えきれなくなった河原が声を荒らげ、やがてすぐにバツの悪そうな顔をして顔を背けた。
「ごめん……」
辛そうなその顔に、胸がきつく締め付けられる。
気持ちは同じなのに、私はどうしていつも肝心な時に優等生でいようとしてしまうのだろうか。決して普段は優等生なんかではないのに。
優等生でいようとすること自体は悪いことではないだろうけど、でもそれは自分の意志を抑えてまで振る舞うことではない。
ごくり、と自分が唾を飲む音が耳元で大きく響いた。―――私は自分を変える。
意を決して顔を上げ、そして河原の名前を呼び、肩を勢いよく掴んだ。
「河原っ!」
「な、なんだよ!?」
突然の出来事に目をぱちくりさせている河原。そんな彼に向かって、私は大声で叫んだ。
「やっぱり行こう!迷惑なんて関係ない!私たちは、私たちで行動を起こすしかない!」
「葛西……」
にやり、と河原の口角が上がった。
「その言葉、待ってたぜ!」
終了のブザーが鳴ったのと同時に駆け出し、止まるまもなく本部へと駆け込む。幸いにもエレベーターは1階に止まっていたので、そのまま乗り込み120のボタンを押す。
やっと立ち止まった私たちは、2人とも膝に手をつき肩で息をする。
「こんなに…急ぐ必要…あった…?」
「急がば…急げ…だろ…?」
息は上がっているし、言っていることはめちゃくちゃだけど、自然と心は落ち着いている。
2人なら何でもできるような、何とでもなるような気がするのはいつものことだ。
120階は当然ながら慌ただしい。それは予想の遥か上を行っていた。そんな中で突っ立っている自分たちが、えらく場違いな存在に思えてくる。実際場違いなので否定はできないけれど。
「教官、部屋にいるかな」
「いなくても探すのよ」
「さっすが!そう来なくっちゃ」
動き回る上級軍人たちは、私たちには気付いていないようだった。ならば幸い、途中で誰かに止められることもないだろう。
教官の部屋はエレベーターホールからそれほど離れていない。
かつては他の部屋との違いがわからなかったけれど、今では一発で分かる。それはつまり、それほど去年はこの部屋にたくさん来たということだ。深呼吸をして軽くノックをする。
「……返事はないね」
もう一度だけ、少し強めにノックをする。しかし、やはり返事はない。
河原と顔を見合わせ、そして大きく頷き合う。
「……入るか」
「それしかないよね」
今一度、大きな黒い扉を見上げる。
ロック解除のためのカードキーも暗証番号も知らないので、入るためにはピッキングするしか手はない。
最高司令部の個室だ。そう簡単に開くわけがないし、ピッキングがバレた時が末恐ろしいけれど、でも今はそうも言ってられない。
念のため、と持ってきていた簡易的なピッキングの道具を、恐る恐るポケットから取り出そうとしたその瞬間、後ろから名前を呼ばれた。
「葛西と河原か……?」
慌ててポケットから手を出し、勢いよく声の聞こえた方を振り向く。
「「教官!!」」
そこに突っ立っていた教官は、徹夜明けの疲れきった顔をしていた。ぼんやりとしたその瞳は、どうやら私の怪しげな動きは捉えていなかったらしい。
訪れたタイミングは最悪だったようだけど、この慌ただしい中で会えたことだけは上出来だろう。
ぼーっとしている教官は、部屋に私と河原を招き入れてくれたまではいいけれど、ソファに座ってそのまま動かなくなってしまった。
「……寝てる」
「寝てるな……」
やがて聞こえてきた規則正しい寝息。
教官が寝ているところなんて久々に見た。普段は付け入る隙すらあたえない堅物でも、私たちの前では少しは気を許してくれているのだろう。
強ばっていた気持ちが、少しだけ綻んだ。
―――教官はぴったり2時間後に目を覚ました。静かにすっと目を覚ました教官は、右を見て河原を、左を見て私を視界に捉え、大きく目を見開いた。
「葛西と河原か……!?」
「あ、教官、起きたんだ」
「おはようございます、教官」
「お前ら、どうしてここに……!?」
どうやら教官は、私たちと会ったことすら覚えていないらしい。珍しく狼狽えているのが可笑しい。
そんな笑いをぐっと堪えて一通りの出来事を話せば、教官は大きなため息を吐きながら頭を抱えてしまった。
「お前ら……全く……」
はぁ、とまた1つ大きなため息を吐く教官。
そんな教官の肩を掴んだ河原は、真面目な顔で教官の目を見つめた。
「教官、教えてください。今、どうなっているのか」
傍から見ても分かる、とても真剣な眼差し。教官も、流石にその思いを蔑ろにすることは出来ないのだろう。さらに1つ大きなため息を吐いて、河原の肩を叩いた。
「分かっている。俺も数日中には、お前らに告げようと思っていた。……まぁ、独断だがな」
そう言って眼鏡の奥を光らせた教官につられて、私たちもニヤリと笑った。
「6月3日に政府の代表者を名乗る者がやって来て、休戦期間の終了を告げてきたんだ」
「6月3日って……一昨日、ですよね」
「あぁ。しかし終了してから1週間は、お互いに準備期間が必要だということになってな。今上層部はその対応に追われていた。それが落ち着いてから、生徒にも後々告げるつもりだ。まあ、告げるのは3年生だけだがな……」
「後輩は、何も知らないままなんですね。何かがあったことは察しているようですけど……」
「そうか……でも、3年生以外には告げない。それが最善だろう」
「はい、俺たちもそう思います」
教官の話から分かったことは、休戦期間は既に終了していること。そして今日は、約束の1週間まであと5日だということ―――つまり、5日後に必ず何かが起こるということ。
「5日後の防衛任務は、3年生はもちろん下級軍人、そして俺たちも出動する予定だ」
「上級軍人も……?」
「あぁ。所詮政府と軍の……国内でのいがみあいだから、大規模な爆発なんて激しいことにはならないだろうが、念には念を、という意味だ」
「政府も、俺たちのこと―――夜桜学園のこと、隠している仲間、ですもんね」
「夜桜学園の外のイメージは、地上の楽園ですしね……」
“地上の楽園”
このイメージを壊すことは、すなわち事実を世間に告げるということ。すなわち、日本軍は組織の崩壊に、日本政府は世の信頼を失うということにつながる。
お互いにとって損失しか生じないのだから、政府も外にバレてしまうような激しい攻撃は仕掛けてこないだろう。
起こっていたことはほとんど予想通り。むしろまだ事態はそこまで深刻ではない。安心できる状況ではないけれど、怖がって何も出来ない状況でもない。
「私たちも、教官たちが3年生に告げに来るまでは黙ってます」
「でも、葛西と2人で出来ることは探しますけどね」
「あぁ、頼む。それだけでかなり助かる」
そう言いながら教官は、ソファの上に置いてあった上着を羽織った。それとほぼ同時に
私たちも最後の一滴まで飲み干したコーヒーカップを机の上に置いて立ち上がる。
その時、部屋にノック音が響いた。教官の身体が僅かに強ばる。
「静かに隠れろ、2人とも」
強い語尾で教官にそう言われ、2人揃って反射的に口を手で抑えてソファの後ろに隠れる。
―――そうか、今の教官は休憩中。まだ生徒に伝えてはいけない情報を告げたことがバレたら、めんどくさいことがあるのかもしれない。
「はい」
いつも通りのトーンで教官がそう応じると、扉の向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
「三坂、今ちょっといいか?」
「あぁ……七瀬さんか……」
ガチャリ、と音を立てて開いたドアの向こうにいたのは、教官の上司である七瀬さん。私は前の任務の時にお世話になったし、河原にいたってはその後の悩み相談にも乗ってもらった信頼できる人だ。
「失礼しまー……って、河原くんに葛西さん?」
「こんにちわ、七瀬さん」
「お邪魔してます」
「ははっ、ここは三坂の部屋だけどね」
七瀬さんはソファの影から現れた私たちに一瞬怪訝な表情を浮かべたが、やがて全てを察したように静かに微笑んだ。
再びソファに腰掛けた私たち。4人分のコーヒーを入れ直してくれた教官がソファに腰掛けたのと同時に、七瀬さんは勢いよく教官の背中を叩いた。
「ちょ…!?」
「三坂、また2人に教えたな?まだ生徒には教えるなって言ったのに」
「いや、それは……!」
言い訳できるわけがない教官は、バツが悪そうに視線をそらす。
―――いけない。このままでは教官が全て悪いことになってしまう。河原と顔を見合わせ、深く頷き合う。
「あの、それは私たちが悪くて……!」
「そうなんです!俺たちが勝手に押しかけただけで……!」
私たちが何を言っても意味がないかもしれないけれど、言わないよりはマシだろう。そう信じてその後も必死になって言葉を並べていると、唐突に笑い声が聞こえてきた。
「「え……」」
その声に恐る恐る顔を上げると、前にいる七瀬さんと教官は珍しく肩を震わせて笑っていた。
「三坂、やっぱり教え子に愛されてるなぁ」
「すいません、今回ばかりは、俺も少しだけそう思いました」
「だろうなぁ!まあ、あそこまで熱烈なラブコール受けたら、そりゃそうだ」
軽い笑い声を漏らす2人にキョトンとした視線を向けていると、それに気付いた2人は目尻に浮かんだ涙を拭いながらまた笑った。
「大丈夫、俺は怒ってないよ」
「ほ、本当に……?」
「あぁ。君たちには前もお世話になったしね。実力も今ではよく分かっている。それに、一度関わってくれたのに、終わったら関係ないの一言で突き放すのはどうかと俺も思ってたんだ」
そう言いながら、七瀬さんは河原と私の肩に手を置いた。その優しい顔と、その後に見える教官の心なしか安心したような顔を見ていると、私たちまで安心できるのだった。
「教官と七瀬さんの休憩時間が被ってたから、いろんな話聞けたし、笑いあったりもしたけどさ……」
「結局、休戦期間は終了した…ってことでいいのよね」
「……あぁ」
午後6時。夏も近付き、この時間でもまだ随分外は明るい。
部屋に帰るのはもったいないということで、射撃場のあるフロアに降りた私と河原は、更衣室で練習着に着替えて射撃場へと向かう。
窓の外に見える海は凪いでいて、いつもと何一つ変わらないように見える。でも、事態は今、この瞬間にも着実に変わっている。
「うわっ、風強いなぁ!」
「きゃ……っ!」
突然勢いよく吹き込んできた風。乱れる髪を抑えながら横を見ると、河原が廊下の窓を全開にしていた。中層部でもなかなかの高さなので、吹き込む風はかなり強い。
「なんで窓開けてるのよっ!?」
髪を抑えたまま河原を睨みつけて抗議する。しかし当の河原は反省するどころか、むしろ楽しそうにはしゃぎ始めた。
「なぁ、風めっちゃ強い!」
「そんなの知ってるって!もう!」
「風、気持ちいいなぁ!」
わははっ、と心の底から楽しそうな河原の笑い声。それなのに、風のむこうにみえた外を眺めている河原の横顔は、楽しそうなのにどこか寂しそうに見えてしばらく目が離せなかった。
「……怖いよ、俺」
不意に、風に乗せてそんなつぶやきが聞こえてきた。
「え……」
思わず声を漏らすと、河原はゆっくりこちらを見て、目元を細めた。
「俺、本当の戦いなんて初めてだし。話聞いてたら、俺らだけじゃなくって、教官たちですらも駒になるんだなって思った」
「……えぇ、そうね」
「だから今、俺、めちゃくちゃ怖い!」
潔く恐怖を認めることができるようになった河原は、弱音を吐いているはずなのに、数ヶ月前よりもずっと頼もしく見える。
「だからさ、葛西、頑張ろう。……生きよう」
「河原……」
“生きる”
たった3文字。その3文字は、とても重大な意味を持つ言葉。
生き延びなければ何も始まならないということは、今までの経験で理解しているつもりだ。だからこそ、河原は今、この言葉を言ったのだろう。―――“生きよう”、と。
再び河原を見ると、彼は変わらず窓の外を眺めていた。拳を強く握って、そして私も河原の開けた窓の隣の窓を、勢いよく開け放った。途端にぶわっと吹き込んできた風は、前髪も後ろ髪も全て後ろに流してしまう。
「うわっ、風強すぎ!」
「って、お前も開けてるじゃねーかよ!」
ごうごう音を立てて吹く風に負けないような大声の河原。そんな彼に届くよう、深呼吸をして、窓の外に向かって叫んだ。
「河原、生きよう!!」
6月。初夏。―――虚構の平和は既に消え去り、私たちが現実と向き合わなければならない時は刻一刻と近付いていた。




