47 2年生最後の日
2042年2月28日金曜日。2月最後にして、2年生最後の日。そんな日の6時間目の防衛任務は、私たちの班の担当だった。
「最後の日なのに、やっぱり暇だなぁ」
「暇なのは、いいことなんだけどね」
「でも暇なものは暇だね……」
「それは、確かに……」
上から順に、河原、私、B組の四木章俊くん、そして島田くん。
防衛任務にあたり、学年とバディ順位に応じて私たちは、20人を3~4人の6グループに分けられた。私は、学年順位の一番高い河原をリーダーとしたB班だ。
四木くんも島田くんもそんなに順位は高くないが、ちょっとしたことでは動揺しないくらい肝が据わっているので一緒にいて心強い。
しかし、本当に清々しいほど何にもない。
この島には外部の情報はほとんど入ってこない―――というより、軍が規制をかけていて外部の正しい情報がほとんど入ってこない。そんな中でなんとか手に入れた外部の情報によれば、大きな選挙が3月頭に1回、そして6月末にも1回あるらしかった。
選挙というもの自体をあまり良く理解していないけれど、なんでも政府の役人を決める大事な行事なんだとか。
軍には選挙なんて制度はなく、各部のメンバーは昇格試験や上層部の判断で決まっていく。
任務中とはいえ、暇なものは暇だ。
私たちの班は相談して、4人中2人が逆方向に歩いて見回り、墓地のレンガの壁まできたらまた引き返す、帰ってきたら残りの2人と交代、という形をとることにした。今は四木くんと島田くんの担当だ。
私はビルの屋上に座って、んーっと伸びをして体を少しひねる。実践中は動くことも多かったけれど、任務中は本当に動かない。それこそせいぜい歩くくらい。
「おいおい、随分余裕だな、葛西?」
「河原……あんたもね?」
クスクス笑う河原も、伸びをして、さらにあくびまでこぼしている。
河原が横に並んで大きく深呼吸をした時に、ふと気付いた。
「あれ」
「ん?どうした?」
「そういえば、硝煙の匂いがしないわね、最近」
少し前まで絶えず河原から匂っていた硝煙の匂いが、いつの間にか消えてる。そのことを指摘すると、河原は少しだけ照れたように笑って頭を掻いた。
「気付いてたんだなぁ」
「そりゃ当然でしょ。馴染みのない匂いではないんだし」
「まあそうだよな。……七瀬さんに、言われたんだよ」
「え、七瀬さん?」
七瀬さんというのは、教官の同僚で先輩でもある七瀬孝一郎さんのことだろう。でも、なぜ彼が…?
河原はそんな私の思考を読んだらしい。ははっ、と笑いながら答えた。
「教官の差し金かもしれねぇけどな。…練習してたら、ある日突然七瀬さんが来たんだよ。それで、話を聞いてもらって、アドバイスもしてもらった」
「へぇ……そうなの」
それは確実に教官の差し金だろう。教官は、河原が悩んでいたことも知っていたし。
だけど、自分ではなく七瀬さんに頼んだあたり、きっと教官はわかっていたのだろう。―――自分では力になれない、ということが。
教官が最初の任務の時に感じた葛藤は、私が感じたものとは同じだったけれど、自分の力不足を感じるものではなかったようだし。
「七瀬さんも俺と同じで、初任務の時に自分の力不足を感じたんだって。でも、それを感じる人は、任務の結果に満足する人よりもずっと多いらしい」
ゆっくりと隣に腰を下ろした河原は、凪ぐ藍色の海を見下ろした。
「…あの人、狙撃の前に色々言っただろ、信頼してないわけじゃない、とか。そのこと気にしてたみたいでさ」
「そんなのいいのに……もちろん、悔しくなかったわけじゃないけど」
私が実践が怖くなった要因の一つに、きっと彼の言葉もあったんだろう。でも、彼を恨むようなことはしない。むしろ今は、現実を見せてくれて感謝すらしている。
まあ、全て、克服した今だからこそ言えることだけど。
「あの言葉のせいで俺が葛藤してるんだと思ったみたいで。そりゃ全く関係ないとは言わないけど、でも気にしてないですよって言ったら、七瀬さんは笑って相談に乗ってくれたんだ」
「そっか……それはよかったね。それで、どうだったの?」
「初任務だったことや、まだ若い年齢のことを言い訳にはしたくないだろうけど、でも一時的な逃げ道にするのはいいんじゃないか、って。逃げるのは嫌いだけど、自分を守るための逃げも中には必要だ、って教えてくれた。そして、成長してからその道に戻ってきて、ちゃんと向き合えばいいさ、って。その言葉を聞いたら、急に心が軽くなったんだよな」
彼の言葉に、小さく息を飲んだ。―――守るための逃げ、か。たしかにその通りだ。
彼も乗り越えたのだ。その事は、いつの間にか前よりもずっと逞しくなっていた河原の横顔が語っていた。
「そっか。それはいい考えね」
「だろ?だから、無茶な特訓もやめた。成長しようとして無理したら元も子もねぇからな」
「本当にその通りだわ」
あの任務は私たちに大きな傷跡を残したのも事実だけど、それよりも大きな成長を与えてくれたのもまた事実なのだ。
受けてよかった、と今は心の底から思えた。
そう思ったのとほぼ同時に、頭上に落ちてきた2つの黒い影。驚いて河原と顔を上げると、そこにはこちらをのぞき込んでいる四木くんと島田くんがいた。
「何話してるの、2人して?」
「バディの密会かよ?ずりぃな」
「違うわ、そんなんじゃない」
「そうそう。ていうか、いつ帰ってきたんだ?」
「今さっきだよ」
「てことで、交代な」
ほい、と手渡されたのは無線機。1つの班に3つしか支給されていないので、見回り2人に1つずつと、待機組に1つという使い方をしているのだ。
「ありがとう。それじゃ」
「いってきまーす」
2人に手を振って河原と下へと伸びている階段を下る。カンカンと乾いた耳障りな鉄骨の音が鳴り響く。
「あ、そういえば」
「なんだよ、まだあるのか?」
真ん中くらいまで降りた時、私はもう1つ聞きたいことを思い出して一瞬立ち止まる。
「教官といつ仲直りしてたの?」
「あ―――……それは……聞きたい?」
「もちろん」
忘れたとは言わせない。
防衛任務を告げたれた時、河原も教官もお互いに反抗的な態度をとっていた。喧嘩ではないけれど、それに私がどれだけ肝を冷やしたか。
それなのに、この前松本さんの墓参りに行った時は何事も無かったかのようにお互い接しているものだから、正直かなり戸惑ったのだった。
「……まあ、そりゃ、さすがに怒らせたかなぁ……とは思ってたんだけどさ」
再び歩き出した河原の横に並ぶ。しかし河原は妙に歯切れが悪い。
「何、言いにくいこと?」
「いや、男と男の約束って言うか……」
「何それ?」
別に言いにくいことなら無理に聞こうとは思っていない。そのことを伝えようとした瞬間、河原は両手で顔を隠してしまった。…乙女か。
「……泣いた、俺が」
思考が一瞬フリーズした。
「え、泣いたの?」
「え、何その反応。驚かないわけ?」
「いや、驚いて反応できないんだけど」
それはつまり、河原は教官に泣きついたということだろうか。
「へぇ…………」
だんだん通常の状態に戻ってきた脳で今一度話の内容を整理する。
河原は、教官の前では泣かない。あの任務の時ですら、きっと教官の前では泣いていないはずだ。
もちろん初等部の幼い頃は泣いたこともあるけれど、中等部以降泣いてないと思う。もちろん私の知らないところで泣いている可能性は否定出来ないけれど、でもこんなに恥ずかしそうにしているということは、本当に泣かなかったのだろう。
「……何で泣いたの?」
「そりゃ……」
入口はすぐそこ。河原はきっと、言わずに逃げようとしている。もしくは言い逃げか。
言い逃げならいいけれど、言わずに逃れられるのは、流石にここまで知ってしまったら見逃せない。
足早になる河原の腕を握ると、彼はぎょっとしたように私の手を見た。
「逃がさないわよ」
「うっ……」
その一言に観念したらしい河原は、大きなため息をついて頭を掻いた。
「……もし、このまま関係が険悪になって、葛西と教官と3人でいられなくなったら、って思ったら……その、涙が勝手に」
「河原……」
正直に言おう。
―――かわいい。申し訳ないけれど、かなりかわいい。
河原を可愛いと思う日が来るなんて。
だけど、そんなこと気にならないくらい可愛くて、嬉しいのだ。
「何言ってるの、大丈夫よ。だって私には教官も河原も必要だし、教官にも私と河原が必要なはずなんだから。自惚れかもしれないけど、でも不必要ではないはずよ」
コン、と音を立てて地上に降り立った私は、握っていた河原の手を離してビルの外へ出た。
目の前に広がるのは、黒ずんだ血の跡や銃痕が至る所に見られる古びたボロボロのビルの林。そして、その間からわずかに見える藍色の海。
「こんな所で背中を任せられるの、河原だけよ。……ありがとう、5年間」
2年生最後の日。バディ5年目最後の日。
去年も今頃になってようやく、お互いの実力を理解して、受け入れて、本物の相棒になれた気がする、なんて言っていたっけ。
だけど、それは今年も同じらしい。
「今年も色々あったけど、でもやっぱり変わらないことがある。……バディが河原でよかった」
「葛西……あぁ、ありがとう。俺もだ」
冷たい2月の海風が首筋を吹き抜けていく。あまりの冷たさに身震いしながら、2人でおかしくなって、心が温かくなって笑った。
手を振って、私は右、河原は左へと進んでいく。しばらく歩いてから振り返ると、既に河原の姿は見えなくなっていた。
見回りながら、今年1年間を振り返る。
―――徹夜続きの教官から進級祝いにネックレスを貰ったのは、2年生初日のことだった。
栗山さんと出会ったのも今年だし、紗也と河原の告白騒ぎも今年だった。
それが一段落した頃に教官の誕生日があって、河原と財前と色々準備をして、教官に喜んでもらえて…でも、それが富井を傷つけていて。
島田くんとの一件で、改めて自分の置かれている立場を痛感させられたけれど結局仲良くなれて、本気組と馴れ合い組の争いも終焉を迎えた。
そんな中起こった政府からの攻撃。
最初は怖くて仕方がなかったけれどどこか他人事だった。でも私たちは当事者側にいくことになって、初めて“軍人”として任務をこなして。
その時、初めて人を殺すことに恐怖を覚えた。私が言えたことではないけれど、人の命に価値も無価値もないはずだ。だけど、実践よりもずっと意味のある任務だったはずなのに、命を奪う意味がわからなくなった。
河原も自分の実力不足を感じて、だけどそんな私たちを救ってくれたのはやはり教官だった。
白雪姫も今となってはいい思い出。
防衛任務を任されたことも、今はいい経験だとみんな思えるようになってきたようだ。
でも、分かっているのだ。
「……まだ、何も終わっていない」
ピタリ、と歩みが止まった。
―――目をそらしても無駄だ。河原の、というか七瀬さんの言葉を借りると、この逃げは自分を守るためではない。現実を受け入れたくないだけなのだ。
内通者の存在を疑い続けているであろう上層部は、きっと今でも忙しく動き回っている。教官と会う頻度もかなり少なくなった。
ほかの生徒がどう思っているかは分からないけれど、でも内通者の存在を疑っていることを知っているのは、私と河原だけのはず。
外からの攻撃に備えた防衛任務も大切だ。しかし何より怖いのは、居るのかすら分からないその内通者が、秘密裏にうごいているかもしれないということ。
私は知っている。―――政府との争いは、まだ始まったばかりだということを。
そして、この日常は、平穏は、虚構だということを。
高等部3年生。―――学生でいられる最後の年。
ふと見上げた空は、さっきまで晴れていたはずなのに、遠くの方に厚い灰色の雲がのぞいていた。
「雲行き、怪しいな……」
柄にもなく、そんなことで不安になってしまうけれど、でも、と頭を大きく横に振る。
大丈夫、未来は努力次第で何とでもなるのだ。




