46 追憶
防衛任務といえども、やはり休戦期間。財前の予想通り、1月はあっという間に過ぎて行った。もちろん死者どころか怪我人すら出ていない。
1月、2月、3月は昔から“行く、逃げる、去る”と言うと教官が教えてくれたが、正しくその通りだと思う。
「―――あっ、あったあった……」
来たる2月の最初の日曜日。引き出しを開いて、久しく付けていなかった教官からの贈り物である大切なネックレスを取り出す。例の襲撃以来、壊れるのが怖くて、取られるのが怖くてしまい込んでいたのだ。
壊れるのはともかく、シェルター内は安全なのだから取られることはないと思うけれど、それほど私にとってこれは大切なものなのだ。
私と河原にとって、教官はとても大切な存在だ。尊敬できる軍人であると同時に、父親のような安心感も与えてくれる人、それが教官なのだ。
そして、私たちに三坂教官がいるように、他の人たちにだって“教官”はいる。今でも仲良くしている方が珍しいとも聞くが、初等部の教官は特別な存在だという人も多い。
そのネックレスをしばらく見つめ、そして再びしまい込んでから身支度をしていると、コンコンという軽いノック音が部屋に響いた。
「はーい」
白いシャツワンピースの上にグレーのセーターを急いで着て、慌ただしく入口へと向かう。開いた扉の向こうにいたのは河原。約束していたのだから、当然といえば当然だけど。白いシャツにグレーのセーターに黒いジャケット姿は、普段よりもずっと大人っぽく見える。
「あ、服かぶったな」
「わ、本当だ。まあいいわよ」
「まぁな。……本当は制服着ようかとも思ったんだけどな、まあ堅すぎるのも息苦しいかと思って」
「うん……そうだね」
2月の最初の日曜日。祝日でもなんでもない、なんてことない普通の日。だけどそれは2年前の今日、変わってしまったのだ。
「2年かぁ……長いね」
「本当にな……」
―――2年前の今日、日本軍は援軍を出し、たくさんの犠牲者を出した。その中の1人が三坂教官の親友であり、財前の恩師でもある松本剛士さんだった。
本部前の広場に降りていくと、そこには既に財前がいた。彼も私たち同様、普段よりは若干落ち着いた印象の服を着ている。
「おまたせ、財前」
背後から声をかけると、財前は振り返って、そして困ったように笑った。
「あー……やっぱりバレてたかぁ。藍と一也だもんね」
「あぁ。それに、俺たちにとっても松本さんは大切な人だったからな」
「えぇ」
「そっか。……うん、ありがとう」
えへへ、と笑う財前の顔は寂しそうで、2年という月日が流れても、心の傷が癒えることは無いのだと痛感する。
松本さんが教えていた生徒は、財前も含めて3人。その内2人は既に死んでしまったが、それは高等部に入ってから。財前はその2人が死んだと知った時、“教官が待ってるから大丈夫だよ”と弱々しく笑っていた。いつも元気な彼の無理やりなその笑顔に、胸が強く締め付けられらのを覚えている。
財前は既に独りぼっちなのだ。私には河原も三坂教官もいるのに。もし本当に神様がいるとしたら、私は神を恨むだろう。
3人でいるのに今日は言葉数が少ない。富井を呼んでいないのは、富井に気を遣わせたくないという財前の配慮だろう。
芝生の真ん中に伸びる舗装された小道を歩いて向かうのは、シェルターの外へと繋がっている出口。しかしその出口だけは、地獄へは繋がっていないのだ。
他のシェルターの入口は学生証があっても休日は学生は出入りできないが、ここは例外。3人分の学生証をセンサーにかざすと、ピッという音を立てて扉のロックが解除された。
その向こうに広がっているのは、一面の芝生。そこに点在しているのはお墓だ。
ここは軍人の墓。他のシェルター外の場所とは大きなレンガ造りの壁で仕切られていて、まるで海外の墓地のような見た目をしている。
私がここに来たのは数回だけだけど、ここに来る度に時間を忘れそうになる。この島の中でここだけは、ゆったりとした時間が流れているようだった。
小高い芝生の丘を登った先に松本さんのお墓はある。白い大理石に“松本剛士”と刻まれているのを見る度に、本当に死んでしまったのだと今でも胸が苦しくなる。
そばにそっと花束を置いた財前が、優しい口調で語りかける。
「教官、久しぶり。俺はまだ生きてるよ。3人で楽しくやってる?……俺は大丈夫。バディのことも守らなきゃいけないし、辛い時に頼れる友達もいるから」
もちろん返事はない。だけど何故か、すぐそこに松本さんがいるかのように感じる。それはきっと、財前と松本さんの絆の強さ故なのだろう。
その後は軽く掃除をしたり、お墓の前で3人で最近の出来事を話したりした。話は尽きないが、気付けばここに来て既に数時間が経過していたらしい。西の空が茜色に染まり始めていた。
「それじゃ、また来るね、教官」
財前は名残惜しそうに優しく微笑み、そして踵を返して前を向いた。前を見据えたその瞬間、彼が突然、あっと声を漏らした。
「三坂さん……!」
その名前に反応した私と河原も勢いよく振り返る。すると教官は珍しく吹き出しながら笑った。
「びっくりしすぎだ、お前ら」
いつもと変わらないスーツ姿の教官の片手には、ピンク色の映える大きな花束が握られていた。しかしそれは墓参りの定番の菊ではなく、まるで恋人にあげるプレゼントのようだった。
「教官、その花は……?」
「ん?あぁ、これはローダンセの花束だ。あいつも一応、花言葉は知ってるからな」
教官はそう言いながら、優しい手つきで花束をなでた。細いピンク色の花弁で彩られた中心に、小さな黄色い花を咲かせている可憐な花。
「……花言葉は“変わらぬ思い”、“終わりのない友情”」
ハッと息を飲んだ。一斉に顔を上げた私たちが教官に視線を向けると、彼は花がほころんだような柔らかい笑みを浮かべていた。だけどその笑みが切なくて、私は再び目を伏せた。
それにしても、なんて教官と松本さんにぴったりな花なのだろう。
2人の友情のことを全て知っているわけではないけれど、教官と松本さんにとってお互いは、いつまでもかけがえの無い友人なのだ。
「……素敵な花言葉ですね」
「……あぁ。あいつが死んだと知って、花を供えなくてはと思った時、ふらりと立ち寄った花屋で見つけた花なんだ。柄ではないが、まるで剛士が“先に死んでごめん。でも、ずっと友達でいてくれ”って言ってるのかと思ったよ」
「すごい……友情の成し得ること、ですかね」
ボロボロだった教官の心に、この花言葉は傷を癒すように染み込んできたのだろう。
お墓に供える花ではないだろうけど、でも教官が松本さんに捧げる花としては、きっとこれ以上のものは無い。
再びシェルター内に戻った私たちは、教官に誘われて、別館の中の小さな喫茶店へとやって来た。
「三坂さん、ここは…?」
「あぁ、ここは……松本とよく来たところだ。お互い独身の時、よくここで朝食をとった」
手頃な価格の朝食のセットメニューがいくつもある。私たちが朝食をとるような店と大差ない。
教官たちも、こういうところで朝食をとったりすることがあったんだな、と少し意外に思いながら店内を見回した。
「そろそろ夕食の時間だろ。俺が奢ろう」
教官はそう言いながら、河原の頭に手を置いた。途端に喜び出す河原。
「えっ、やった!」
「河原、まずはお礼!」
「あっ!ありがとうございます、教官!」
やばい、怒られる。―――そう思い、2人で勢いよく頭を下げたが、飛んできたのはゲンコツでも怒声でもなく、苦笑いだった。
「全く…。大丈夫だ、構わん」
そう言ってふっと微笑んだ教官。私たちは一瞬戸惑って顔を見合わせたが、やがてそれに応えるように彼に向かって笑いかけたのだった。
「俺、教官のことで1つだけ知らないことがあるんだよね」
―――寮への3人の帰り道。寒空の下、財前がシェルター越しの星を眺めながら呟いた。
「何?」
「何なんだ?」
私と河原がほぼ同時にそう尋ねると、財前はこちらを振り返って笑った。
「教官の家族の話」
「家族、って……松本さんの?」
「うん」
前に向き直った財前が、また星を見た。
「教官、結婚してたんだよね。俺が知ったのは、教官のお葬式の時だったけど」
初耳だった。
財前のことを息子のように可愛がっていた松本さんは、暇さえあれば財前にちょっかいを出していた印象が強い。そんな人に家庭があったなんて、失礼だけど意外だった。
でもそういえば、さっきの教官も“お互い独身の時”と言っていた気もする。
「奥さん、かなり衰弱してたみたいで、お葬式のときもずっと黒い布被ってたから、顔は知らないんだけどね」
黒い布。それはここだけの独特の制度だ。
ここには様々な事情の人がいる。極端な話、表向きは死んだことになっている人もいると聞いたことがある。そういう人は、葬式のようなたくさんの人が来る場にはほとんど顔を出さないけれど、もちろん彼らだってお世話になった人間や、親しい人間の葬式くらいは出たいに決まっている。
そういう人たちに向けて作られたのが、薄い黒い布の付いた帽子。被れば顔が布で隠れて、顔バレが防げるのだ。
葬式に参加するにも、学生証や身分証明書を専用の機械に認証してもらう必要があるので、顔が見えなくても外部の人間が紛れ込むことは無いらしい。それにたとえ事情持ちの人とはいえ、ちゃんと上層部は彼らの事情を把握しているらしいから身分証明書は発行されているらしいし。
松本さんの奥さんは、そういう事情を持っている人ではないだろう。だけど、衰弱した様子を見られたくないのなら、黒い布はうってつけだ。
「俺、なんか怖くてさ。奥さん、俺なんかよりもずっと悲しんでたから、俺が話しかけたら…教官のこと話しちゃったら、思い出しちゃうかもな、って」
「だから、今でも財前は奥さんのこと、知らないんだな」
「うん。でも、もちろん知りたいって思うこともあるよ。教官のこと、忘れたくないから……いろんな人と、話したい」
「そうね……」
財前は優しい。だから、財前の願いを叶えてあげたいという気持ちは私にも河原にもある。
だけど事情が繊細なことだし、それに今まで財前が必死に堪えてきたことなのだ。
私たちは、下手に手出しはできない。してはいけない。
前を歩く財前は視線を落としたまま無言を貫いている。落ち込んでいるのだろうか、と河原と顔を見合わせるが、良い励まし方が思い浮かばない。
「財前…あの……」
私たちにはどうしたらいいのか分からなくなってしまった時、財前は唐突に顔を上げてまたこっちを見て笑ったのだった。
「でもね、今はいいんだ!」
「「えっ」」
河原と私の声が重なった。
「わっ、2人とも息ぴったり!」
そう言ってケラケラ笑う財前のことを、私たちは間抜け面で見つめてしまう。
「い、いいの?」
「うん!だっていつか会えると思うし。その時にはきっと、お互い笑って教官のこと話せるって信じてる!」
「財前……」
もし三坂教官が死んでしまったら、私はたった2年でここまで強くなれるだろうか。
そんなことを教官に言ったら怒られてしまいそうだけど、でもきっと私には無理だ。
「…強いね、財前は」
「あぁ。えらいえらい」
「うわっ、ちょっとどうしたの、一也!?」
わざとらしく大げさに財前の頭を撫でる河原。突然のことに驚きながらも、嬉しそうな財前。
「なぁ、財前」
ピタリと手を止めた河原が、財前の目を見据えた。
「なに、一也?」
「お前は、独りじゃないからな。俺も葛西も、富井だっている。三坂教官だって」
「一也……」
財前の目尻に一粒、光る物が浮かんだ。
そういえば財前が泣いたところを久々に見た気がする。彼は、松本さんが死んでから泣かなくなったのだ。
「そうだよ、財前。私たち、仲間だからね」
「仲間……」
仲間なんて、馴れ合いなんて、と思っていた私を変えたのは財前と富井だ。
おかげで私は高等部での生活を、予想していたより何倍も楽しめている。
そうだ、私たちは仲間なのだ。何を今更、都合のいい奴だと言われても構わない。何を言われても今の私は、彼らを“仲間”だと胸を張って言える。
「ありがとう、一也、藍!」
満面の笑みを浮かべた財前は、まるで太陽のようで、私たちは夜だというのに少し目を細めて笑ったのだった。




