45 捨て駒
―――2042年、冬。
新しい年になって早1週間。始業式後、会議室に集合させられた私たち。しかしその雰囲気は、決して和やかだとは言い難いものだった。
「……納得いかないよ、まりんは」
最前列に座っている富井がぽつりとそう呟いた。その声が耳に届き、その場にいた全員が一斉に彼女の方を見る。
「……事情とか関係ないもんッ!まりんたちは生徒だし!」
甲高い声、次いで荒い息遣いが会議室に響き渡る。ちらりと周りにいる生徒たちの顔を伺えば、彼らにも動揺の色が見られた。もちろん私だって動揺していないわけではない。
新学期、集められた高等部2年生に告げられたのは、この島の防衛任務―――つまり日本軍の防衛。
私と河原は前回の任務のこともあったので、この平和が虚構だということを知っているけれど、何も知らされていない富井やほかの人たちが、突然言い渡された半強制的な任務をすぐに受け入れることなんてできないということも理解できるつもりだ。
「……もう一度、ちゃんと説明してくれませんか……三坂中将」
富井の横、堅く唇を結んだ河原は、鋭い目つきで中央に仁王立ちしている彼―――三坂教官を見た。
状況が状況なので、河原は教官のことを階級で呼ぶ。しかしその声色には明らかに反抗の色が滲んでいたし、教官も教官で私たちのことを見る目つきは、いつものあの優しいものではなかった。
今の彼は、あくまで“日本軍最高司令部の三坂中将”。教官は、自分を睨みつける富井と河原の事を恐ろしい目つきで見下す。その気迫と威圧感に、2人が短く息を飲む音が聞こえた。
ふぅ…、と短めのため息を吐いた教官は、富井と河原の事を交互に見て、再びため息を吐いた。横目で隣に座っている河原の表情を伺うと、河原は依然として怖い顔をしていた。
「……そうだな、河原の言う通りだ。もう一度、丁寧に説明しよう」
教官のいつもよりも低い声が会議室に響いた。その場にいる全員が顔を上げ、教官の事を見つめた。
「君たちは、ここの学生であると同時に、日本軍の軍人でもある。それは理解しているな、葛西」
「あ……はい!」
突然名前を呼ばれ、反射的に返事をする。
いつもの癖か、もしくは河原のこの態度にはさすがの教官もイラついているのかもしれない。教官はそれを隠すように、私の名前を強い口調で呼んだ。
「君たちは今年、最高学年になる。そんな君たちだからこそ、この任務を頼みたい。……来年度、政府との緊張状態が解けるまで他学年の実践は休止、最高学年のみ数人ずつの班に分かれて防衛任務に当たってもらう。これは最高司令部をはじめとする各機関の合意の結果だ」
「防衛任務、か……」
誰かがそう呟いた。
―――何も難しいことは言っていない。だけど、なぜか胸の奥のモヤモヤとした感情が消え去らない。
その原因を、見て見ぬふりをしていた原因を、富井は教官にも負けず劣らずの強い口調で言い放った。
「やっぱり納得いかないよ……。だってまりんたち、軍の駒じゃないもん!実践やらなきゃ、軍に入った後役立たずになっちゃうんでしょ!?」
「富井、やめとけって……!」
「一也は黙っといて!それともいいの!?駒みたいに都合よく扱われて!」
―――そうだ。私たちは今、目の前で“都合のいい駒”として使われようとしている。軍に入っていないが、学生としては一番強いであろう最高学年の私たちは軍にとって、とても使い勝手のいい駒だ。
だけど、それが気に食わない。私たちは駒扱いされていると痛感しているけれど、決して駒ではない。意志を持った人間なのだ。
教官がそんなことを忘れていると思わないし、きっと彼は彼なりに悩んだのだろう。彼は私の話だってよく聞いてくれたし、接し方を今でも考えていると話してくれたばかりだ。何度も言うけど、教官はとても優しい人だなのだ。
でも、河原だってそんなことはわかっている。だからこそ、仕事とはいえ無慈悲に言い放つ教官が哀しくて、イライラしているのだろう。逆に教官もまた、思っていることがちゃんと伝わらなくて、伝えられなくて哀しいのだ。
何より、自惚れかもしれないが、私と河原がいるこの学年に防衛任務に当たらせるというこの決定に教官はきっと心の底から従っているわけではないと思う。
だからこそ、私は教官の苦渋の決断に従う。けれど、ここにいるのは軍に対して反抗心を持っている人の方が現在圧倒的多数。この状況を覆すのはなかなか難しいだろう。
「……三坂中将、1つ聞いてもいいですか」
「……何だ、河原」
刺々しい口調の河原は、やはり鋭い眼光で教官を見た。教官はさすが、表情を変えることはないけれど、その顔は心なしか寂しそうに見えて仕方がなかった。
「さっさと戦うとか、和解するとか……他に方法はないんですか?」
「あぁ……今はな。今更和解なんて無理な話だろうし、政府も軍も、結局は母体は日本という国家だからな」
「それは、大人の事情だろ……」
「あぁ、そうだ。でも故に、お互いの事情を加味して休戦期間を設けている。その期間が今年の6月上旬までだ」
「じゃあ、それを過ぎたら…防衛任務って言うより、本当に捨て駒ですね、俺たち」
「河原、だからな……」
苦しそうな教官の声。だけど同じくらい苦しそうな河原の声。どちらの味方もできない私は、ただひたすら俯くことしか出来なかった。
だけど、分かっている。このままではいけない。
学年1位と2位は程度に差こそあれ、どちらともこの決定に従いたくないという意思を表している。でも、これは決定事項。覆ることはないだろう。だったら……。
「藍はこの決定に賛成なの!?」
「おい富井、今葛西は関係ねぇだろ!?」
「一也は黙っといて!まりんは藍に聞いてんの!」
「おい……!」
河原と富井の言い合いが、突然こちらに飛び火してきた。しかし丁度いい。これできっかけができた。
なかなか答えない私に富井がしびれを切らしかけた瞬間を狙って、私は彼女の瞳を見つめて冷静にはっきりと答えた。
「賛成してる」
瞬間、しんとその場が静まり返る。ちらりと正面を見ると、教官ですら固まっていた。そんなに予想外だったのだろうか。
「え、藍、今なんて……」
「葛西、なんでだよ……」
さっきまで喧嘩していた2人が口を揃えて尋ねる。
もちろんこの2人の気持ちもよくわかる。私だって気持ちは同じだ。だけど、自分の気持ちに正直になることがいつでも正しいとは限らない。例えば今だってそうなのだら、
このトップ2人の意思を変えることが出来るのは、そして他の人たちに訴えかけることができるのは、今は学生3位の私しかいない。それに、これ以上教官を困らせたくなかった。
「何でも何もないでしょ。さっきから聞いてれば、駒になりたくないとか、勝手だとか……。…三坂中将も仰ったでしょう、私たちは既に“軍人”なのよ。組織に属するものは、上の決定に従うもの。それを理解してる?」
「それは……」
富井が視線をそらして口ごもった。
私だって、駒にされたくないと思ってたし、もちろん今だって思っている。
―――でも、知ってしまったのだ。この世の中には、どうにもならない事がある。軍の端くれでしかない私たちにできることは、この不自由を打開することではなく、その決定に従うことだ。
それに、亀山大将だって悩んだはずだ。栗山さんの時と同様に。だけど、彼は軍のトップで、教官もまたトップの一端を担う人物。彼らもまた、上級軍人として憎まれ役を買わなくてはいけないという不自由の中で生きているのだ。
「軍人である私たちに出来ることは、この本部を守ること。今の平和は虚構であって、真実ではない。……だけど、それを真実にする手伝いが出来るのよ?他の先輩達よりも先に軍人として仕事が出来るのよ?それを感謝こそすれ、反抗的な態度をとるなんてことは、私はしないわ」
誰も何も言わなかった。否、言えなかったと言うべきなのかもしれない。
さすがに自分でもきついことを言っているという自覚はある。河原はともかく、富井たちは襲撃のことなんて忘れかけていたに違いない。だって生徒達にはなんの通達も無いのだ。そんな中で防衛任務だなんて言われたら困惑して当然だろうが、そこに追い打ちをかけるような同級生のきつい言葉。
嫌われてしまったとしてもしょうがない。そう思いながら何も返ってこない生徒の群れをじっと見つめていると、突然大きな声が私の名前を呼んだ。澄んだはっきりとした声―――財前だった。
「藍!……俺は、藍の言う通りだと思う。だってむしろ、俺たちついてるよね!早めに出世できるんだもん!」
「財前……」
涙が出そうなのをぐっと堪える。
何度彼に救われただろう。1年生の時も今も、彼の言葉は驚くほど私の心を軽くする。
財前の言葉に続くように紗也が大きく頷き、それにさらに続くように他の人たちも頷いたり、そうだそうだと声を上げ始めた。
それを見て困惑しているのは河原と富井。啖呵をきった分、素直にはなりにくいのかもしれない。
しかし、2人は決して自分の心に嘘をつくような人ではないのも、私はよく知っている。
「……はぁ、全く。葛西、お前いつからそんなに強くなったんだ?」
「本当にっ!まりん、感動しちゃったもん!」
「河原、富井……」
「お前の言う通りだ。俺は何を忘れてたんだろうな……。もちろん、教官の指示に―――軍の決定に従うよ」
「まりんも!だって軍人だしね!」
こうして、私たちの意思は一つになったのだった。
「教官、どうしたんですか?」
会議後、解散して教室に戻ろうとした私の腕を突然掴んだ教官は、黙って教室のないエレベーターホールの方へと私を引っ張っていった。予想外のことだったが、とりあえず河原に言伝ておいたので大丈夫だろう。
教官はそのままこの階をぐるりと回って、結局すっかり人気のなくなった会議室へと戻ってきた。
「ちょっと、教官ってば……」
「ありがとう、葛西……」
―――消え入りそうな弱々しい声だった。
こんな教官の声を聞いたのは、ずいぶんと久しぶりなような気がする。ゆっくり振り返った教官は、目を細めて私のことを優しい目で見つめた。―――あぁ、いつもの“教官”の顔だ。
「教官……」
「……正直堪えた。普段はなんだかんだ言って、ちゃんと周りを見れている河原ですら従えないということは、他の奴らが従えるわけがないからな……。俺の言い方がまずかったかと、頭を抱えこみたくなった」
いつもはとても大きく見える教官が、今だけは幼くて頼りない小さな少年に見える。
「……でも、葛西に救われた。お前はあの一件後、こんなにも成長したのかと感動すらした。……ありがとう」
「そんなこと……」
ない、と言いかけて、でも確かにそうか、と口ごもる。
私だってあの任務がなければ、河原や富井と同じように反抗していたかもしれない。
くしゃりと笑った教官は、ぎこちない手つきで優しく私の頭を撫でた。安心する大きな手は、いつもと何も変わっていない。
「葛西、何度も言うがありがとう。成長したな」
「教官……ありがとうございます」
それはつまり、私は教官の力になれた、という事だろうか。自惚れてもいいのだろうか。
だってそうだとしたら、とてつもなく嬉しいのだ。憧れの人の助けになれたのだから。
その後、数言会話を交わして私たちは別れた。
教官のいなくなったエレベーターホールで、私はどんどん増えていくエレベーターのデジタル数字を見つめながら呟いた。
「成長、か」
そのたった一言が、胸の奥でじわじわと広がっていく。
「よかった……」
私の言ったことは何も無駄ではなかったのだ。むしろ、教官を助けることができたのだ。その事実を噛み締めながら、私は小さくガッツポーズをした。
教室に戻れば、既にホームルームは終了していた。入口に立ち尽くしていた私を見つけた赤羽根教官が、大きく手招きをした。
「葛西さん、どこ行ってたの?」
「教官に……三坂さんに呼ばれて」
「三坂中将に?そっか……それならいいよ。初日からサボったのかと」
「あはは、そんなことしませんって」
「どうかなぁ。君、いつの間にかふらっとどこかに消えてるから」
そう言いながら苦笑いする赤羽根教官。
私が言うことじゃないけれど、彼もまた成長したのだろう。
今の彼はもう、“俺なんて”という言葉は言わない。自信に溢れた、立派で尊敬できる軍人の1人だ。
赤羽根教官に会釈して席に向かうと、近くで駄弁っていた河原と財前が私の方をゆっくり振り向いた。
「葛西、教官となに話してたんだ?」
「んー…秘密」
「えー、なんだよそれ!まぁ、今回の俺が言えたことじゃないけど……。失望したかな」
そう言いながら目を細めた河原のその悲しそうな顔は、驚くほどさっきの教官に似ていた。さすが教え子と教官だ。
「そんなことないよ。大丈夫」
「そうか……?」
まだ不安げな河原。やっぱり彼は教官の事が大好きなのだと感じた。
「えぇ。それより2人は何話してたの?」
「別に大したことじゃ。な?」
河原がそう言いながら財前の顔をのぞきこんだ。
「あー……うん」
しかし、何故か歯切れの悪い財前。河原の方を見ると、彼も怪訝な顔をしていた。どうやら河原もこの歯切れの悪さの原因は分かっていないらしい。
しばらく考え込んでいた財前は、やがて上目遣いで私たちを見た。
「あのさ……2人にお願いがあって」
「「お願い?」」
河原と私の声が揃う。財前は少し視線を逸らしながら頷いた。
「うん……あのさ、2月の頭の日曜日、暇?」
「2月の最初?えぇ、死んでなければ」
「おいおい、葛西……。まぁ、その通りだけどな」
「あはは……まぁ、防衛任務に変わったし、休戦期間だし大丈夫だよね」
小さく確認するように数度頷いた財前は、私たちの目を見つめて、そして頭を下げた。
「その日、一緒に来てほしいんだ」




