44 白雪姫(ⅳ)
翌日。夜桜祭2日目、最終日。
店を出している学年は引き続き出店の仕事があるが、劇をした2年生は今日は1日全てフリー。強いて言うなら、朝教室にとりあえず出席確認のために行って、あとはダンスパーティーの時に体育館に行けばいいだけだ。まあ、ダンスパーティーも任意だけども。
教官と昨日部屋に帰ってから電話をすると、お互いゆっくり予定が空いているのが今日しかないということで、急だが早速話を聞いてもらえることになった。よって、私は今日も夜桜祭を楽しむわけではない。
でも、それで良かったと思っている。だってこの問題は、一刻も早く解決しなくてはならないものだから。
「葛西、今年もパーティーサボるのか?」
朝のホームルーム前、そういいながら河原が席にやってきた。そうだ、彼に私は伝えなくてはいけないことがあった。
「その事なんだけど、河原……富井と行ったら?」
「え!?」
途端に顔を真っ赤に染める河原。反応が面白い。
「い、いや、それはさすがに……!しかも今日は……ていうか、富井も財前と行くだろ!?」
「そこは任せて」
ちらっと周りを見て、近くに2人と紗也の存在を確認する。3人は私が名前を呼べば、すぐにこちらへやって来た。突然のことすぎて、河原だけがあたふたしている。
「どしたの、藍?」
「まりんたちになにか話?」
「えっ、なになに?気になる!」
「今日、ダンスパーティーあるじゃない?でも私、今日予定があって行けないから、河原を入れてあげて」
「え、藍行けないの?もったいないよ、せっかくなのに」
「まぁ、別にいいでしょ」
「いや、だから今日は……」
「とにかく、用事なのよ」
富井は何故か食い下がるけど、でもあながち間違ってはいない。ダンスパーティーまで話が長引くとも思っていないけれど、今はそんなことはどうでもいい。
財前は置いておくが、河原と紗也と富井がいれば必然的に、ダンスパーティーには富井と河原が一緒に行くことになるだろう。
富井は詳しくは知らなくても、紗也と河原が一緒にダンスパーティーに行けるほど仲が回復しているとは思っていないだろうし、そもそも自分が河原と行きたいだろうし。
逆に紗也も河原とはまだまだ気まずさが残っているだろうし、富井の気持ちも知っている。富井と河原が一緒に行くよう策を練るに決まっている。
ついでに河原も然り。紗也とは気まずいが、富井のことはむしろ好き。それなら当然富井を選ぶだろう。
「それじゃ、後はよろしく」
「んー…おけおけ!任せといて、藍~」
上機嫌で返事をする紗也のにやけ顔が容易に想像できる。
「おい、葛西!?ねぇ、葛西さーん!?」
河原が私のことを呼ぶ声がするが、それは全力でスルーして私は教室を出る。
もちろん赤羽根教官に出席、と告げたけれど。
120階は何度来ても慣れない。慣れるほど来た覚えもないけれど、独特の緊張感が常に漂っていて、しかもそれは日に日に大きくなっているような気がする。
部屋のベルを鳴らせば、数秒後には教官がドアから顔をのぞかせ、私に向かって手招きした。
「おはようございます、教官」
「おはよう、葛西。すまんな、今朝食をとっていた」
「あ、ごめんなさい。…早すぎました?」
「いや、俺が普段より遅いだけだ。今朝も、健太や駿の世話で朝からてんやわんやでな…はしゃいではしゃいで…」
「あはは…それは大変だ」
やんちゃをして教官と幸那さんを困らせる2人が目に浮かぶ。でも結局可愛いから、私たちも教官でさえも本気で怒れないんだけど。
今日は珍しくコーヒーではなく紅茶らしい。私はコーヒーより紅茶の方が好きだから全然構わないけれど。
紅茶をカップに注ぎながら、教官は単刀直入に切り込んできた。
「実践が怖いのか」
「……ッ」
やはりバレていた。しょうがないし、それを相談しに来たわけだけど、いざその時になると言葉が出なかった。
だけど、何かを言わなくては始まらない。激しく脈打つ心臓を抑え、息を吐きながら無言で頷く。
教官は紅茶の上に輪切りのレモンを乗せながら続けた。大好きなレモンティー。
だけど私は、レモンの果肉にみるみる紅茶が染み込むのをじっと見つめることしか出来なかった。
「……きっと今の葛西には、実践について何を言っても逆効果なんだろう。でも、お前の抱えている葛藤と、河原の抱えている葛藤は真逆だ」
「分かってます…」
痛いほど、苦しいほど分かっている。だからそこ、どうしたらいいのか全くわからないのだ。
「……お前は優しいからな。河原を優先して、自分の辛さは二の次なんだろう。それが間違っているとは言わないし、それぞれが抱えている辛さに優劣を付けるつもりもない。だが……」
レモンティーを一口飲んだ教官は、真っ直ぐに私の目を見つめた。
「河原が抱えている葛藤より、葛西が抱えている葛藤の方がずっと重く、やっかいだ。自覚はあるか?」
気まずいのに、逃げたいのに、どうしても目がそらせない。
やばい、と思った時には既に時遅し。目の奥が熱くなって、気付けば涙が溢れて止まらなかった。
「葛西……」
「ごめんなさい、教官、あれ…なんで私……」
―――なんでなんて嘘。理由はちゃんとわかっているけれど。
教官は哀しそうに私の名前を呼ぶ。
教官が苦しむことなんてない。だけど彼は優しいから、私の考えていることを分かろうとしてくれる。それがいつもありがたくて、とても申し訳ない。
教官は少しぎこちない手つきで私の頭を撫でた。ごつごつした手のひらが心地良かった。
「……私、去年より強くなったつもりだったし、河原だって守れるって思ってたんです」
「あぁ。葛西が努力しているのはわかっている」
「でも、たった一度の本番のせいで、ポンコツに逆戻り……」
涙も言葉も溢れて溢れて止まらない。
「なんで私、こんなに弱いんだろう……私なんて、きっと強くなれない……」
私は、教官の前で“私なんて”と言ってしまったことにも気付かない。教官もさすがに今回は、こんな状態の私を怒るなんて出来なかったのだろう。重たい沈黙がしばらく続いた。
「……俺も怖かったし、分からなかったさ」
沈黙を破ったのは教官だった。彼は窓の外を眺めながらそう言った。
「え……」
ゆっくり顔を上げた私の目を見て、彼は困ったようにくしゃりと笑った。なかなか見せないその笑顔に、一瞬胸がドキッとする。
「初めての任務の時、命じられるがままに人を殺して……標的は、ある国の大臣だった。表向きは人当たりのいい優秀な大臣だった奴は、実は裏で国民を使った戦争を企んでいてな……つまりは、裏切り者だ。お前が殺したあいつらのようにな」
ソファに腰を下ろした教官は、静かに語り出す。初めて聞く、教官の若い頃の話。
「殺した時はなんとも思わなかったさ。俺は正しいことをしたと思った。だが……裏切り者だったとしても、国民には慕われていた。……国民の泣き叫ぶ声を聞いた時、突然わからなくなったよ。俺のした事の正誤が、な」
「それって……」
「……あぁ。今のお前と一緒だ。実践の時はなんとも思ってなかったが、その時初めて、なんとも思ってなかったわけではなく、思わないようにしていたんだということに気付いたよ」
教官も一緒だったのだ。
正しいことをしたはずなのに、全員が喜ぶわけではない。でも、放置するわけにはいかなかった。
なら、どうするのが正解だったのか。
教官も初めての任務の時、分からなくなったのだ。
教官はもう一度私の頭を撫でた。さっきのぎこちなさはなくなっていた、いつもの感じ。
「葛西はそれを学生で経験してしまったから、あと1年が怖くなったんだろう。それは何もおかしくない。むしろ俺が声をかけなければ、自分で解決しようとしていたんだろう?そんな奴のこと、誰も弱いだなんて思わねぇよ」
「教官……」
いつもは言葉数が少ない人なのに、こういう時はたくさん欲しい言葉をかけてくれる。やっぱり彼は私にとって、いつまでも“教官”だ。
その後また涙が止まらなくなった私を見て、教官はぎょっとしたような顔をしたけれど、結局何も言わずに頭を撫で続けてくれた。言葉はなくても、手のひらから伝わる温もりだけで十分だった。
「……教官、ありがとうございます。私、頑張る」
「あぁ。もう、お前なら大丈夫だ。でももし、辛かったら……ちゃんと、俺でもいい、河原でもいいから、誰かを頼れ」
「……はい」
教官の言葉はもっとも。でも、頼ることで相手をがっかりさせたくない。そう思うと、素直に頼れないかもしれないと少し怖くなった。しかし教官は、そんな不安を見抜いてしまったようだった。
「……大丈夫だ、俺もかつてポンコツになった時期があったが、たくさんの人に助けてもらった。頼ることは何も恥ずかしい事じゃない」
「えっ、教官がポンコツに……?」
「あぁ。数年間、本当に使えない奴だったよ、俺は」
今の姿からは想像できない。私たちの知っている彼は、怖い時もあるけれど本当は優しい教官で、子煩悩な父親で、とても仕事のできる優秀な軍人だ。
「落胆したか?」
「いえ、そんな……!」
「あぁ、わかっている。だけど聞いた」
「もう……」
眉を下げて可笑しそうに笑う教官。今の彼があるのは、そんな過去を経たからなのだ。
私もいつか、こんな大人になれるだろうか。なれるのならば、今の葛藤は決して無駄ではないということだろう。
そう考えると、今までよりずっと心が軽くなった。
「ありがとうございます、教官」
―――夕方。すっかり日も落ち、あたりは真っ暗だ。教官はわざわざエレベーターまで送ってくれた。
「いや。俺もかつての教え子に頼られるのは悪い気はしない」
「教官……」
優しく笑う教官は、どことなく幸那さんに似ていた。夫婦は似る、というけど、どうやら本当らしい。
「教官、昔よりずっと優しくなりましたよね。昔から頼りにしてますけど、でも、今の教官はとても頼りやすくて、一緒にいて安心します」
「そうか。まぁ、俺だって考えた。葛西と河原はかつての教え子だが、今はどちらかと言うと子供みたいなものだからな。俺の役目は、お前らの逃げ口になってやることかもしれない、と今は思っている」
「そんなこと、考えてくれてたんだ……」
昔は、初等部生の私たち相手にさんざん怒っていたのに。私たちだって最初は、彼のことは全然好きじゃなかったのに。
教え子ではなくなった今も、教官はちゃんと私たちに対する接し方を考えてくれていたなんて。素直に嬉しかった。
―――初等部では3、4人に1人の教官がつくのが普通だが、私たちは人数調整のせいで2人に1人の教官だった。当時はなんで私たちだけこんなに怖い教官なのか、と河原と2人で泣いたこともあったけれど。
でも今は違う。
「教官、ありがとう。私、教官の教え子で良かったです」
心の底からそう思う。これが運命なのだとしたら、私は最高についている星の元に生まれたのだと胸を張って言える。
「葛西……いや、それはこちらのセリフだ。今でも慕ってくれる教え子なんて珍しいからな。ありがとう」
締まりゆくエレベーターの扉のむこうに見える教官が、初等部の頃は大嫌いだった。だけど今は名残惜しいのだった。
携帯端末の時間を確認すれば、そろそろダンスパーティーの始まる時間。河原と富井は上手くいっただろうか。紗也の話術があれば心配するだけ無駄だと思うけれど。
「まぁ、何とかなってるでしょ」
今朝の4人の様子を見ていれば自然とそう思えた。そこに自分がいないのが少し寂しく思ってしまったのもきっと、このセンチメンタルのせいだ。
さて、しかしどうしたものか。
ダンスパーティーが終わるまで生徒は誰も暇ではないし、下の店に行っても夜桜祭の時はあまり営業していない。
でも自室に戻ると、一人になるとまだ息苦しさが戻ってきそうで少し怖かった。
「植物園、かな……」
だから、他に行けそうな場所なんてそこしか思いつかなかった。
季節は冬。温暖な植物園とはいえ鮮やかな花が咲いてるとは思わないけれど、そこに行くしか選択肢はなかった。
本部の外に出ると、首筋を冷たい風が吹き抜けていった。同時に落ちてきた冷たい雫。
「あ……」
雪だ。白くてふわふわした小さな粒が、上からいくつか降ってくる。
しかしここはシェルター内。雪が降るはずがない。なのに雪が降ってくるなんてどういう事だろう。
不思議に思って首をかしげていると、上から微かな笑い声が聞こえてきた。しかし暗くてよく見えない。端末のライトで照らしても効果はあまりなかった。
一体あれは誰なんだろうか。一度本部内に戻ろうかと思った時、突然端末が震えた。
「電話…?」
誰がこんな時間に、と思いながら画面を見てハッとする。再び上を見ると、その人は上から手を振りながら電話を掛けていた。
お茶目な小さないたずらに、少しだけ寒さが和らいだような気がした。おかしくて笑いながら、私は画面をタップして通話モードに切り替えた。
「何やってるんですか、聖菜さん?」
『あらら、ばれちゃった』
電話特有のノイズのまじったくぐもった声が耳元で響いた。安心する声。
「そりゃもちろん。ていうか、なんで雪なんですか?」
『外で降ってたのよ。で、面白そうだから持って帰ってきちゃった。ちょっと待ってて、下に行くわ』
プツリ、と音を立てて切れた通話画面を眺めている僅かな間に、聖菜さんは私の元へとやって来てくれた。温かそうなフワフワのコートは、彼女がさっきまで外出していたということを物語っていた。
「どこ行ってたんですか?」
「島外でちょっと、ね。家族とディナーよ」
「聖菜さんって、結婚されてたんですか?」
「えぇ。一応子供もいるのよ?まぁ、子育てはほとんど夫に任せっきりだけどね」
ふふっ、と楽しそうに聖菜さんは笑った。つられて私も笑う。
「でも、今日はちゃんと会いたかったのよ。だってクリスマスだもの。プレゼントも渡さなくっちゃ」
―――そうか。すっかり忘れていた。まぁ、忘れていても困ることではないけれど。
「そっか、もうクリスマス……」
「あら、忘れてたの?」
「は、はい。まあ、困ることはないからいいんですけど」
「あらあら、ロマンのない」
だけど、これで全てが繋がった。何故か食い下がってくる富井はロマンチスト。聖夜のダンスパーティーがよっぽど楽しみだったのだろう。もしかすると教官のレモンティーも、プレゼントだったりしたのだろうか。
だけど、今年は教官からはもっと大きなプレゼントを貰った。教官は私にかかっていた負の魔法を解いてくれただけでなく、勇気という名のプレゼントまでくれたのだ。そう言えば教官もなかなかのロマンチストだったっけ。かくいう私も相当のロマンチストかもしれないけれど、今日くらいはいいだろう。
「藍ちゃんはなにかプレゼント貰ったの?」
「……はい。とっても素敵なものを」
聖菜さんの問いに、私は笑って答えた。きっと彼女のことだ。何となく察しただろう。
「そう。それは良かったわね。……じゃあ、私からも少しだけ」
「えっ」
そう言われた瞬間手の上に感じる重み。聖菜さんは微笑みながら、小さな可愛らしい紙袋を私の手の上に置いた。中に入っていたのは、小さいけれど繊細なスノードーム。まるでシェルターの中のようだけど、この世界は中で雪が降っている。
「これを見て、何故か唐突に藍ちゃんの顔が浮かんだのよね。それで、衝動買い。まぁ、他の人にも色々買っちゃったから気にしないで?」
「聖菜さん……ありがとうございます!」
「いいのいいの!このドームの中は本当に綺麗よね。雪が降ってて……だから、外の雪をちょっとだけ集めてみたのよ。まさか藍ちゃんに会えると思わなかったけど、ちょうど良かったわ。きっと運命ね」
相変わらず魅力的な人だ。妖艶なのに、それでいて温かい。
「ねぇ、藍ちゃん。ダンスパーティーはいいの?」
「はい。だって私今、誰よりも幸せだと思いますから」
「あらあら!それは良かったわね!なら、中に入ってちょっとおしゃべりしない?温かい飲み物でも飲みながらね」
「はいっ、是非!」
植物園に行くのはまたまた延期。だけど、今はとても穏やかで幸せな気持ちだ。きっともう1人で自室に戻っても、息苦しくはならないだろう。だってもう白雪姫の呪いは、少し怖いけれど本当は優しい騎士と、優しくて温かい女騎士のおかげで解けたのだから。




