43 白雪姫(ⅲ)
あれからすぐに泣き止んだ健太くんの手を引きながら歩く。河原にはすぐに連絡したので、そのうち合流できるだろう。
「お父さんと一緒に来たんだよね?」
ふと横を見ると、健太くんは下を向いて歯を食いしばっていた。その顔はやはり教官にそっくりで、この子は教官の血を引く子供なんだと改めて感じる。
「あ……うん!」
そして、こうやって無理やり元気に見せようとするところも。本当にそっくりすぎるほどそっくりだ。
「健太くん、大丈夫だから。ね?」
「あいちゃん……」
そんな彼の手を優しく握れば、健太くんは笑顔を浮かべて強く私の手を握り返してくれた。
しばらく歩いていると、背後に不意に感じた気配。私が背後を取られても不快感を感じない人物は限られているが、この場にいるとすればそれは1人しか有り得ない。
「全く、待ちくたびれたわよ」
「ははっ、さすが葛西だな。気付かれるとは思ってたけど」
「当たり前でしょ?相棒なんだから」
振り返らずにそう声をかければ、返ってきた声は予想通りの声。その人物を見つけた健太くんは、花のような笑顔を咲かせた。
「かずやっ!」
我が相棒―――河原は、その呼びかけに応えるように笑う。そんな彼の元に小走りで向かう健太くん。しかし手はしっかりと私の手を握ったままだったので、私も走ることになってしまったけど。
「おーおー、今日はえらく懐いてくれるな?」
「河原を見たら安心したんでしょ。いいことじゃない」
いつもは河原に対して憎まれ口ばかりたたく可愛い口は、今日はただただ可愛いだけだ。
まあ、結局いつでも可愛いんだけど。
午後になって、だいぶ人の減った夜桜祭。しかし常と比べればまだまだ多い。
それでもやっぱり教官たちの姿は見当たらない。これだけ探していないのだ。他の階にいる可能性の方が高い。教官もさすがに自分の息子がいなくなったのだ。探しているだろうけれど連絡はない。
そこではた、と気付く。否、気付いてしまった。冷や汗が一筋、首筋を流れていく。
「河原、あのさ……」
「ん?教官から連絡あったのか?」
「いや、その……私たち、端末の電源入れてたっけ?」
「……あ」
時が一瞬、止まったような気がした。
「……入れるよ」
「……あぁ」
2人でごくり、と唾を飲み込み、意を決して携帯端末の電源を入れる。劇があったので電源を切っていたことをすっかり忘れていた。
電源が入った瞬間激しく震え出す端末。しかも、私のも河原のも同時に。まさかあの人は、仕事用もプライベート用も同時に使っているのか。仕事用なんて、普段は絶対に私たちに見せもしないくせに。健太くん、恐るべし。
「か、葛西出ろよ!」
「わ、私!?嫌よ!?」
「俺も嫌だよ!?」
今、きっと教官の機嫌は最悪。もし健太くんが迷子だと知らなかったなら、どんなに良かったか。まあ、健太くんが今でも泣いているよりはよっぽどいいけど。
河原とそんな出る出ない、という心底どうでもいい小さな言い合いをしながらふと下を見ると、健太くんが不安げな顔をしていた。そうだった、ここにはこの子がいたんだった。
これ以上情けない言い合いを見せて、この子の不安を増幅させるわけにはいかない。
「……分かったわよ。出る」
変わらず震え続ける端末。いっそ教官の気が振動させてるのでは、と思ってしまう。
通話ボタンをタップして、耳に端末を当て、そして―――
「……はい」
小さな声で返事をしたその瞬間。
「遅ぇ!!!お前は!!!!前も言っただろう!?!?いつでも連絡は取れるようにしとけ、って!!!!」
―――鼓膜が破れるかと思った。
スピーカーにしていないのに、辺り一帯に響き渡る教官の怒声。河原が呆れたようにわざとらしく指で耳を塞いでいる。健太くんも驚いて肩をびくりと震わせて、河原に抱きついてしまった。
突然叱られる私。正直かなり理不尽だけど、教官の気持ちも分からなくはないので仕方がない。
「すいません、教官……」
普段は冷静な教官でも、家族がいなくなったら冷静ではいられないのかもしれない。そう思いながら一応謝っておく。
「……いや、俺の方こそ。頭ごなしに叱って悪かった」
しかしまさかの逆謝罪。いつもはそんなことしないので、少し驚く。
「教官……いえ、大丈夫です」
「そうか……。葛西、お前健太を見てないか?」
かなり不安げな声。
彼は父親だ。子供がいなくなったら不安になるのは当然だろう。
「健太くんは一緒ですからご安心を」
「そうか……それならよかった」
私がそう告げれば、不安げな声は明らかに安心した声に変わる。
普段とは違うその声が何だかおかしくて笑ってしまうと、電話の向こうの教官は少しムッとしたような声を漏らした。
「何だ?」
「いえ、ただ……教官って、ちゃんとお父さんなんですね。いや、知ってましたけど」
「何だ、それは……当たり前だろう」
そう言いつつも、何となく恥ずかしそうな嬉しそうな声。電話越しだと案外教官はわかりやすいのかもしれない。もしくは、家族が絡んでいるからか。
どちらにしても、教官の珍しい一面が見れたことには変わりない。少し得をした気分だ。
現在地を告げれば、3分後には教官はそこへやって来た。中等部にいたので非常用階段を駆け上がってきたと言っていたが、約10階分の階段を上ってきたにしては早すぎる。流石としか言いようがない。
「おとうさん……っ!」
教官を見つけた瞬間、河原から離れて勢いよく教官に抱きつきに行く健太くん。そんな健太くんを受け止め、抱き抱える教官。
「健太、ごめんな」
「ううん、大丈夫!あいちゃんと、かずやといたから」
「そうか。偉いな」
優しげなその眼差しは確かに父親のものだった。私には父親がいないから父親がどんなものかは分からないけれど、でも直感でそう思った。
しばらく教官が抱きしめられていると安心したのだろう。健太くんは眠ってしまったらしい。すぅすぅ…、という可愛らしい寝息が聞こえてきた。
「ありがとう、河原、葛西」
健太くんを起こさないよう、教官はいつもより小さな声でそういった。
「偉かったんですよ、健太くん。たくさん泣いてたけど、大声出さなかったから。初等部の訓練でありましたよね、泣き方講座みたいなの」
「あー、あったあった。懐かしい。葛西は上手かったよな」
「逆に河原は下手だったよね。今もだけど」
「えー、そうか?」
「そうよ。……健太くんのこと、褒めてあげてくださいね」
念押しでそう言えば、教官は優しく微笑んだ。
―――河原と教官。そういえば私は今朝、この2人に届かない助けを求めたっけ。
気持ちはかなり落ち着いたけれど、本質は変わってくれない。このままでは、実践が始まった時に確実に河原と仲違いしてしまう。
今聞くことではないかもしれない。だけど、知りたいのだ。
教官が初めて任務を行った時に感じたこと、全てを。
下の階にいるという幸那さんと駿くんの元へ向かいながら、さり気なく尋ねてみる。
「そういえば教官が初めて任務に携わった時って、どんな感じだったんですか?」
「はぁ?なんだ突然」
「いや、その……何となく?」
不自然では無かっただろうか。
実践をくぐり抜けて今を生きているこの人には、絶対に実践が怖くなっただなんて言えない。言ってはいけない。
それに、怖くなったと言って、期待を裏切りたくない。まあ、このままでは遅かれ早かれそうなってしまうだろうけど。
教官は少し考えて、そしてあぁ、と声を出した。
「思い出した。確か入軍してすぐのことだったはずだ。狙撃任務で、確かその時……」
突然、教官は黙り込んだ。何かを深く考えているようだった。
「教官?」
怪訝な顔をした河原が教官の肩を叩くと、教官は優しい顔をして私たちを見た。
「……とても怖かったな。実践と本番の違いを思い知らされた。同時に、少しわからなくなった」
「どういうことですか?」
河原は首をかしげたが、教官は優しい眼差しで私たちを見返すだけで、それ以上は何も言わなかった。
しまった、と思った。きっとこの人に、私の不安がバレてしまった。
幻滅されただろうか。そう考え出すと負のスパイラルは止まらない。また息苦しさがぶり返してきた。
深呼吸で何とか息苦しさを抑えて、別の話題をふる。分かりやすすぎたかもしれないが、他の方法を考えられるほどの余裕はなかった。
「それより、健太くんよく眠ってますね」
「ん?……あぁ、本当にな。怖い思いをさせてしまった」
途端に変わる教官の眼差し。
普段、家にお邪魔する時もちゃんと父親をしているけれど、今回は特に教官が父親らしく見える。
「教官ってちゃんと、父親なんですね」
「どういう意味だ、河原。そういえば電話越しに葛西も似たようなことを言っていたな?」
河原に答える教官の口調はいつもと変わらないけれど、その声色は優しさを帯びている。
教官の問いかけに、河原は頭を掻きながら恥ずかしそうに答えた。
「いや、その……実は俺、ここに来る前、幼稚園の頃に迷子になったことがあって……その時迎えに来てくれたのが父親で、なんかその時の父さんに、今の教官そっくりだから」
実の家族と過ごせたのなんて、たったの6年。家族の元で過ごした時間よりも、ここで過ごした時間のほうが既に長い。
私は幼稚園の頃の記憶なんてほとんど残っていないけれど、きっと河原の中では鮮明に覚えているのだろう。
「そうだったのか。まあ、父親なら子供の心配をするものだ」
「そういうものなんですか?」
「あぁ、そうだ」
そうやって父親のことについて話せる2人が、少し遠く眩しく思えて羨ましくなった。
―――仕方がない。だって私にはもう、家族と呼べる人は存在しないのだから。
普段はそんなこと、なんとも思わないのに、今はメンタルが弱っているからだろうか。少しだけ、胸の奥がチクリとした。
「葛西は家族のこと、覚えてるのか?」
「え……」
突然河原に話題をふられてようやく、自分の意識がここから遠のいていたことに気付く。
河原と家族の話なんてしたこと無かったから、彼が私の家族のことを知っているはずがない。もちろん教官も。
「あー……えっと、その……私、実は父親がいなくて。母親も私がここに来た後に、行方不明になっちゃったみたいで……」
「えっと、その……そうなのか……」
とたんに重くなるその場の空気。やっぱり言うんじゃなかった。嘘でも、想像でも、適当なことを言えばよかった。
俯いたまま盗み見た河原と教官の顔は、なんとも言えない気まずそうな顔。2人に悪気があったわけじゃない。悪いのは、突然センチメンタルになってしまった私自身。
「でも、父親は生まれた時からいなかったから、いないものが当たり前だと思ってたし、お母さんは一緒に暮らしてた時はとても優しくしてくれたから、寂しい思いなんてしたことなかったよ」
ちゃんと笑えていただろうか。心配はかけてないだろうか。
気まずい時に自分が饒舌になるのは自覚している。きっと河原も気付いているだろう。お互い様だし。
だけど今は、何かを喋っていなくてはと思った。なんでもいいから、何かを喋らなくては。
「なんて顔してるの、2人とも。私はむしろ、父親について知りたいからたくさん話してよ」
「でも、葛西……」
「大丈夫だって。ね?」
健太くんにも言った言葉を、今度は自分自身に言い聞かせる。
その後はさすがに家族の話題を続ける気分でも無かったのだろう。今更この3人でいて気まずくなるような事はないけれど、でも2人の口数が少ないのはおそらく勘違いではない。
やっぱり私がなにか話すべきだろうか。でも、何を話せば自然なのだろう。
考えれば考えるほどわからなくなる。いっそもう一度家族の話題を振ってみようか、と迷走しだしたその瞬間、んん…と小さな声が聞こえてきて、3人で一斉にその声の方を向く。
「おとうさん……?」
「健太、起きたのか」
「ここどこ?いえ?」
「いや、まだ本部だ」
寝ぼけ眼の健太くんはキョロキョロ周りを見渡す。しかしここは非常用階段の中。普段の生活ではエレベーターを使うので、ここの中を見たことは無かったのだろう。健太くんはわかりやすく首をかしげた。
―――よかった。彼のおかげで話題が逸れてくれた。
こんなつもりでは無かった。私はただ、この恐怖をどうすればいいのか聞きたかっただけなのに。
「葛西」
俯きながら歩いていると、上から教官が私の名前を呼んだ。
「はい?」
「今度、120階に来い。話を聞いてやる」
「教官……」
ちらりと河原を見る。健太くんとじゃれあっている河原は、おそらく教官のこの誘いは聞いていないだろう。
やっぱり教官はすごい。だからこそ、少し申し訳なくもあるけれど、でもここは甘えてもいいだろうか。
「……はい。ありがとうございます」
努めて明るく返事をしたつもりだったが、声が震えてしまった。それを敏感に感じた教官は、少し悲しそうな顔で久々に私の頭を撫でたのだった。
「お前のその呪い……俺が解けるといいんだがな」




