41 白雪姫(ⅰ)
11月下旬。
夜桜学園の生徒たちは、額に汗を浮かべ、袖をたくし上げて本部内を奔走していた。私もまた然り。
夜桜祭の概要が発表されて早3週間。
生徒たちは待ちに待った夜桜祭に向け、すぐに準備に取り掛かり始めた。
今年は高等部の2年B組の人数がかなり少なく、そもそも2年生の人数が元々少ないということで例外として、私たちは全員合同で出し物をすることになっている。
出し物は演劇。そして、その総監督を務めることになったのは―――
「甘いっ!まだまだ気持ちがこもってないっ!」
「あんた、本当に鬼監督みたいね、富井……」
セーターを数十年前のプロデューサーのように羽織っている富井は、見た目だけなら確かに大物監督。
「そもそも、この劇は主役が大事なんだからね!」
そんな富井大監督が目尻を吊り上げ、ビシッと指さしたのは紛れもない私。
どうしてこうなってしまったのか。
―――思い返せば去年の夜桜祭。授業をサボってしまったせいでうさ耳メイドなんてものをするハメになってしまい、だから今年は絶対に役を決める時にその場にいる、と固く誓ったはずなのに。
「どうしてこうなっちゃったの……はぁ……」
ため息をつく私の横にすっとやって来た紗也は、半分同情するような顔で、半分面白がるような顔で笑いながら言った。
「まあまあ、適任でしょ?弓使いの白雪姫?」
「ちょっと、その呼び方やめてよ……」
“弓使いの白雪姫”
脚本も演出も何もかも、すべて富井によるこの劇。一体どれほどハチャメチャなのだろうかと、最初は皆がいろんな意味でドキドキしながら台本を手にした。
しかし読み進めるうちにその懸念は打ち消され、代わりに湧いてきたのは驚き。
―――美しい長い黒髪を持った白雪姫は、その可憐な容姿に反して気が強く、運動神経抜群。長所は美しいその容貌と、国内では負け無しの弓矢の腕だけ。そんな白雪姫のことを、誰ひとりとしてお姫さま扱いはしなかった。
ある日、白雪姫は隣国との境にある森の中で弓の稽古をしている時、そこに迷い込んだ1人の青年と出会う。気の弱いその青年は、凛々しく強い白雪姫に一目惚れする。しかし最初、白雪姫はそんな男の子には目もくれない。
そこから始まる白雪姫と青年の交流。弓や剣の稽古を共にするだけの関係が、徐々に変わっていく。それと同時に白雪姫の心に溢れる今まで感じたことのない気持ち。
それが恋だと気付かせてくれたのは、いくつか年上の、幼なじみの隣国の王子だった。
青年との秘密の交流を続ける白雪姫だが、そんな美しく成長した白雪姫を、国王は政の道具にしようと企む。
突然発表された隣国の王子との婚姻。兄のように慕う王子との婚約に戸惑う白雪姫。それだけでなく、白雪姫は弓や稽古はおろか、城の外に出ることすら許されなくなってしまった。
実は婚約した王子の国ではない、別の国の人間だったその青年は、白雪姫の婚姻の話を知ることはない。そもそも一緒に稽古していたのが、名を轟かせる白雪姫だということにも青年は気付いていなかったのだった。
やがて、強制的に女性的にされた白雪姫が王子に嫁ぐ日が近づく。しかしその前夜、白雪姫に密かに恋していた闇の魔女の手下によって、白雪姫は眠りの呪いをかけられてしまう。
城内騒然。迎えに参上した王子に、伝承通りキスをしてもらっても白雪姫は目覚めない。
何をしても目覚めない白雪姫に、誰もが諦めかけたその時、隣国の騎士を名乗る青年がやってくる。その騎士こそ、白雪姫と共に切磋琢磨し、心身ともに成長したあの青年だったのだ。
白雪姫の眠りの呪いの噂は瞬く間に広がり、そこでようやくその青年は、自分が恋をしていた相手が白雪姫だと気付いたのだった。
騎士は、自分と白雪姫の秘密の交流のことを話した。それを聞いていた王子は、彼こそ白雪姫の運命の人ではないかと提案する。
その提案をのんだ国王により、騎士は白雪姫にキスをする権利を与えられ、そして唇が触れる程度のキスをする。
その瞬間、白雪姫の体が黄金に輝き、そして白雪姫は眠りから目覚める。周りは興奮し、感動し、騎士に感謝を述べる。
しかし騎士は、最後にあった時とは違いすぎる白雪姫に驚きを覚える。だが騎士は、白雪姫に手を伸ばし、微笑みかけてこういうのだった。
「愛しき弓使いの白雪姫。どんなに強く、凛々しくともあなたは私にとっては姫です。どうか、私とともに来てはくれませんか?」
そこで物語は終了する。白雪姫の返事やその後は、読む人に想像を委ねる形になっているのもなかなか面白い。
富井にそんな才能があるなんて知らなかったので、読み終わった時は私もみんなに混じって富井を褒めちぎった。
しかし次の瞬間、私は自分の耳を疑うことになる。富井は何でもないように、普通に言い放った。
「ちなみに主人公は藍ね。これは監督の決定事項だから」
―――一斉に私のことを見る、目、目、目。
呆然と富井のことを見つめていると、彼女はそんな私に気付き、可憐にウインクを決めた。
「よろしく、白雪姫っ!」
というわけで、私は自分の意思とは全く関係なく主役になってしまったわけだ。
何度も断ったが富井が聞き入れるわけもなく。あれよあれよと騎士や王子の役もキャスティングされていき、どうやっても断れる雰囲気ではなくなってしまった。
さすがに自分ひとりのわがままで劇を台無しにするわけにもいかず、仕方がないので主役は引き受けてしまったわけだが、先が思いやられる。
ちなみに横でニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべている紗也は、闇の魔女役。彼女ほど適任な人物を私は知らなかったので、そこは大賛成しておいた。
王子役は河原。これもまあ適任だろう。それにきっと、富井の中では王子様は河原しかいないんだろうし。流石にそこまでは言及してないけれど。
そして騎士役は、意外なことに島田くん。若干の気まずさと後ろめたさは消えることはないが、例の一件から数ヶ月も経てばそれなりに言葉も交わすようになっている。そもそもこの学園の生徒たちの割り切りの良さは、恐ろしさをおぼえるくらいなのだ。
ここ数ヶ月は実践はなかったし、夜桜祭までも実践は行われないので、まあ険悪な雰囲気になることは無いだろう。
それに、彼もはまり役だと思うし。
その他の人も役の大小はあれど、皆一人一役演じることになっている。もちろん富井もだ。ちなみに彼女は白雪姫の妹役。
実はこっそり聞いた話だと、騎士と共に行った白雪姫の代わりに王子は、白雪姫の妹と婚約した、というアフターストーリーが富井の脳内には広がっているらしい。
―――つまり王子様は河原で、真のお姫様は自分ということ。
なんじゃそりゃ。全然想像におまかせしていないじゃないか、と思ったりもしたが、まあ大監督の多少のわがままくらいいいだろう。アフターストーリーを聞いている私以外、その本当の意図に気づくわけないだろうし。
とまあこんな感じで劇の練習を毎日放課後に行っているわけだ。裁縫の上手な施川さんたちがクオリティの高すぎる衣装を作ってくれたりしているし、これはますます失敗できない。
「ってことで、今日もビシバシっ!やってくよーっ!」
丸めた台本を上に突き上げた富井のそんな掛け声に、私たちは戸惑いながらも声を出す。
「「「お、おぉ~……」」」
「声が小さーいっ!!!!」
「「「おっ、おーっ!!!」」」
一抹の不安を残しながら、着々と夜桜祭は近づいてくるのだった。
『あなたは、なんて弓が上手なんでしょう。それに比べて私は、あなたの足元にも及びません……』
『そんなことないわよ。あなたにはこの剣があるじゃない?』
―――「カットカット!!!もう藍っ、もーっとダイナミックに!藍と違って白雪姫はじゃじゃ馬なんだからっ!そんな冷静に褒めないんだよっ!?」
「そんな事言われたって……」
今日の練習は、森で青年と白雪姫が話を交わすシーン。決して見せ場という訳では無いけれど、富井は少しも妥協を許さない。
引き受けたはいいが、演劇経験なんてない私にはかなり難しい。いつも通りの自分と劇の役は違う、ということは頭では理解していても、なかなか声や動きがついてこないのだ。
「はぁ……難しい……」
休憩中、みんなの輪からは少し離れたところに腰掛け、小さくため息をつく。
「お疲れ様、葛西さん」
「あ……お疲れ、施川さん」
そんな私のところへスポーツドリンクを持ってきてくれたのは、衣装の図案を山ほど抱えた施川さん。彼女も今では、私の良き友人の1人だ。
私の隣に腰掛けた施川さんは、控えめに微笑みながら私の顔をのぞき込む。
「主役、大変そうだね。でも弓使いの白雪姫は、私も初めて台本読んだ時から葛西さんしかいない、って思ってた」
「そんなことないでしょ?」
「ううん。だって富井さんも葛西さんのこと思い浮かべて書いたんだと思うし。弓ってつまりライフルのことでしょ?」
「あー、そういうことなの?でも私は、富井本人がやるのかと思ってた」
「あっ、それもありそう」
顔を見合わせて小さく笑う。
知れば知るほど控えめな性格の施川さん。そんな彼女は私に“仲間になる”と言いに来た時、どれほどの勇気を出したのだろう。それを思うと、彼女にはいつまでたっても感謝しかない。
休憩が終わり、再び練習が始まる。
やっぱり演じることには慣れないけれど、この経験がいつか役に立つ日が来るかもしれない。まあ、じゃじゃ馬のお姫様なんて演じること、もう二度とないだろうけど。
でも、そう思えば少しずつ練習も楽しくなるし、役にも入りやすくなった。
『あなたは、なんて弓が上手なんでしょう。それに比べて私は、あなたの足元にも及びません……』
島田くんがセリフを言う。それを聞いて、思いを巡らせる。
―――私はじゃじゃ馬お姫様。弓の腕前には自信しかなく、素直に大人しく褒めたりなんてしない。もっと焚きつけるように、挑発的に……。
『そんなことないわ!それに、あなたにはその剣があるんじゃないの、ねぇ?』
いつもの自分とは似ても似つかない。こんな大声で激しく言葉を言うことなんてそうそう無い。
だけど、妙にしっくりくる。―――楽しい。
「藍っ!完璧っ!まりんの思い描いてる通りの白雪姫っ!」
演技が終わった途端、勢いよく飛びついてくる富井を受け止める。
恥ずかしくないわけではなかったけれど、こうやって誰かが喜んでくれるのは気分がいいし、自分の気持ちもこころなしか少しすっきりしている。
「いや~、さすが葛西。はまり役だな?」
そんな私たちのところに笑いながらやって来た河原。
「ちょっと、はまり役って何?」
「いや、だってお前実践の時とか、さっきセリフ言ってた時と同じ顔してるし」
「え、嘘」
「本当」
河原にそう言われ、思い返す。
……確かに、気持ちが高ぶった時、あんな感じで言ったこともあったかもしれない。
つまりあれは演技ではなく、自分の本心ってことになってしまう。そう気付くと、途端に恥ずかしくなった。顔が熱い。
「あ、葛西顔真っ赤」
目ざとく見つけてからかってくる河原。
だけど彼も、ある意味はまり役なのだ。
「そんなこと言って、あんただって相当なはまり役じゃない?」
「え、どこが?」
そう問われ、少し意地悪く答えてやる。
「例えば、去年、私のこと守ろうとしすぎた所とか?」
「そ、それは、そうかもしれねぇけど……!」
「そういう所、王子様にぴったりよ?」
形勢逆転。今度は河原の顔がみるみる赤く染まる。
去年1年のお互いの空回りの仕方は、今思えば相当恥ずかしく、相当面白い。
そう思えるようになっただけ、私たちは少しは成長したってことだろう。
「えっ、なにそれ聞きたいっ!絶対面白そうっ!」
「と、富井は聞かなくていいよ!」
「えーっ、なんで!?まりんだけ仲間はずれ!?」
富井の潤んだ瞳で見つめられた河原は、さらに顔を赤く染める。
富井は河原のことを沢山知りたいんだろうけれど、河原は逆に好きな子には自分が空回りした話なんてしたくないんだろう。
そんな面白くてもどかしい2人の元を静かに離れ、少し遠くにある椅子に腰掛けると、隣から小さな笑い声。
「あ、島田くん」
そこにいたのは、ペットボトル片手にその場に立っているこの劇のもう一人の主役。
あの一件以来、彼もまた
「あ、葛西。お疲れ」
「うん、お疲れ様。おかしいわよね。あの2人」
「あぁ。でもなんか、楽しそう」
彼にそう言われて、今一度河原と富井をみれば、確かに楽しそうに笑っていた。
「本当だ。確かに」
そんな2人を見ていると、私たちも自然と笑みが零れた。
「葛西、ごめん。俺が相手で」
そんな中、唐突に言われたそんなセリフ。
突然のことすぎて口をあんぐり開けて固まってしまった私を見て、島田くんは困ったように笑った。
「ははっ、間抜けな顔」
「なっ……そ、それは、島田くんが変な事言うから……!」
「……ごめん」
―――また。
やっぱり彼は少し気の弱いところがある。だからこそ、騎士ははまり役だと思ったわけだけど。
「なんで謝るのよ。昔は散々私に強気で色々言ってきたくせに」
「それは、頭にきていたからで……」
「じゃあ今は、私が頭にきそうなんだけど?」
「う……」
途端に表情を強ばらせる島田くん。
そう言えば彼には以前、自分でも驚くほど冷たい口調でものを言ったことがあったっけ。
それはもしかしたら、彼の中では一種のトラウマなのかもしれない。
「ふふっ、冗談よ」
私がそう言って肩に手を置くと、彼はわかりやすく胸をなでおろす。
「でも、謝るのは違うわよ。だって私、騎士が島田くんでよかったって思ってるから」
「えっ……」
今度は驚いて目を見開く島田くん。一挙一動がわかりやすく面白い。そんな素直な彼には、私も少しだけ素直にちゃんと気持ちを伝えよう。
「島田くんだから、安心して背中を任せられるもの。むしろ感謝してる」
その言葉だけで、島田くんはみるみる笑顔になる。
きっと私も彼も、お互い不安だったのだ。私は彼の友人を殺し、彼は私に友人を殺された。恐ろしいほど割り切りがいいこの学園の生徒とはいえ、何も無かったことにはできない。
だけど、今この瞬間、お互いに信頼しあえていることは確かなことなのだ。
島田くんはまた困ったように笑った。
「ありがとう、葛西。でもそれじゃまるで、戦地に行くみたいだな?」
「あ、確かに。ごめんなさい」
「いや、全然。まあ、ある意味戦地か、この劇も」
「まあ、あながち間違ってないわよね」
そう言ってまた笑いあいながら、私は改めて考えるのだった。―――騎士役が、島田くんでよかった、と。




