40 昼下がり
「秋だねぇ……」
「秋ですねぇ……」
「秋ねぇ……」
―――11月。例の事件の終焉から早半月。
すっかり秋は深まり、特にここ数日は適温になっている本部内でも、制服にはセーターが欠かせないほどの冷え込みが続いている。
そんな或る日の休日。
任務終了からしばらくは会議に参加したりして後始末をしていたが、それもようやく一段落して久々に自室で読書をしていた午前9時前。常ではありえないほど激しいノック音が部屋に響き、嫌な予感を抱きながらドアを開ければそこにはやはり富井と紗也がいた。
なんでも最近スイーツバイキングのお店がオープンし、女性に大人気らしく自分も行きたかったらしい。2人で行けばいいのにと思いつつも誘ってくれたのは素直に嬉しかったのに加え、任務遂行の報酬としてクレジットがたくさん入ってきたので、意識していないうちに財布の紐がゆるんでしまったらしい。
あれよあれよとことは運び、気付けば私は例のスイーツバイキングのお店の席に座っていた。
そして冒頭に戻る。
甘いものだけでなく軽食も置いてあるバイキングは確かに魅力的で、朝ごはんもまだだった私はかなり食べてしまった。
そんな私の目の前では富井と紗也が楽しそうに話している。それをぼーっと見ていると思わず笑みがこぼれそうになる。―――最近はいつもそうだ。
例の任務後、この普通の生活がいかに大切でかけがえのないものであるかをひしひしと感じる。実践をおろそかにしている訳では無いが、やはり本当の現場に立つこととは訳が違う。
だからこそこの“普通”を壊したくない。そして守りたい。
任務は終わっても、政府との緊張状態が解決した訳では無いのは分かっている。むしろ今回の任務の存在を知る人の方がずっと少なく、下級軍人からは“上は何もしない”と思われていると聞く。
しかし教官たちは落ち着く間もなく、また内通者がいる可能性を疑い、動き出したらしい。今回は殺さずに色々と尋問すると言っていたので、私たちはもちろん他のスナイパーも出番はない。
私たちも日常に戻った。
任務が終わった私たちはただの生徒。最高司令部の人たちと会うこともなくなり、知っている現状もほかの生徒と変わらなくなった。
それは赤羽根教官も同じらしく、3人で少し寂しい思いをしたりしているがしょうがない。本来の私たちは生徒で、赤羽根教官は指導科に属する下級軍人なのだ。
だけど1つわかっているのは、ここにある平穏は決して永遠ではない。いつ壊れてもおかしくない、虚構だということ。
「藍~?まーた変な事考えてない?」
「へ?……あぁ、ごめん」
私は相当難しい顔をしていたらしい。紗也が頬を指でつつきながらのぞき込んできた。
「ま、いいけど」
紗也は紗也なりに心配してくれているのだろう。彼女は優しさを表すのがまだまだ苦手なのだ。
そんな私たちを見ていたらしい富井が、両頬にケーキを頬張りながら言った。
「そういや、そろそろ夜桜祭やるのかなぁ」
そういえばそうだった。
例年10月に開催される夜桜祭。しかし今年は上層部がバタバタしていてそれどころでは無かった。皆今年の開催は諦めていたのだが、実は中止ではなく延期という扱いだったらしい。
「確かにそろそろかも。てかやらなきゃやばいよねぇ」
頬杖をついた紗也は、そう言いながら溜息をついた。でもたしかにその通りだ。
準備期間を1ヵ月と考えると、早くても開催は12月。3学期は学年の総まとめで催し物なんてしている場合ではないし、そろそろ概要が発表されてもいいころだろう。
しかし私たちがここでどうこう考えてもどうにもならない。決めるのは上層部なのだ。先の一件で、生徒が知らないところで色々なことが起こっているのだということを痛感した。
「とりあえず、今は食べるしかないわね」
「そうだねぇ」
「よしっ、たくさん食べるぞーっ!」
「富井は食べ過ぎ」
「あうっ」
だけど今は、それを知る前に戻りたいなんて思ってしまう時もあるのだから、私はなんて傲慢で弱虫なのだろう。
富井と紗也と別れ、しばらく行っていなかった植物園に行こうと本部の1階に行くと、そこで会うには珍しい人物がいた。フレアスカートの裾をひらひら揺らしながら歩いている彼女は、私に気付くと小さく声を漏らして、花の咲いたような笑顔を浮かべた。
「久しぶり、藍ちゃん!」
「こんにちわ、幸那さん」
小走りでこちらへやってくる幸那さんはいつ見ても教官とは対照的で、本当に彼女が教官のバディだったのか疑いたくなる。
でもその反面、教官の隣は幸那さんしか有り得ないと思うのだから不思議だけど。
「幸那さんが本部にいるの、珍しいですね」
「あー、確かにそうかも。駿を産んだ後は在宅勤務ばっかりだったから」
「あぁ、なるほど」
1階には、外部から客が来るはずもないのに何故か豪華なソファが設置されている。そこに腰掛けた私と幸那さんは、たわいのない話に花を咲かせる。
「でもそろそろ指導科に戻ろうかと思ってね。だから今日は来たのよ」
無料提供されているコーヒーを飲みながら幸那さんは控えめに笑った。紅茶よりもコーヒーを好むのはさすが夫婦、教官と同じだ。
「へぇ……指導科に。幸那さん優しいから、本当にいい先生なんでしょうね」
「ところがね、そんなことないのよ」
「いやいや、そんなわけ!……まあ、何はともあれ私たちの初等部の教官よりは優しいですって」
さり気なく教官の話題を振れば、幸那さんは声を漏らして笑って、また一口コーヒーを飲んだ。話の途中で何度もコーヒーを飲むのもそっくりだなんて思っていると、彼女は苦笑しながら自分自身を指さした。
「でもね、私はそんな鬼教官の妻なのよ?」
「あっ……確かに」
「ふふっ、でしょ?」
そう言って笑った幸那さんは、いつもの堅物で不機嫌そうな教官とは似ても似つかなかったけれど、笑顔を浮かべた時の教官にはよく似ていた。やっぱり、さすが夫婦。
その後もしばらく話をしていると、何やら外が騒がしくなった。何事かと入口の方を見ると、珍しく人だかりができている。
2人で顔を見合わせ首を傾げ、その人だかりを見に行くと、その輪の中にいる人物を見てさらにびっくり。
「教官!?」
「徹くん!?」
「幸那に葛西……!?」
そこに居たのはなんと教官。
しかし彼が騒がれているわけではなく、どうやら彼が警護している人物が、人だかりの原因らしかった。その人はよく見えなかったが、きっと亀山大将だろう。しかしそれにしては、少し細身で身長が低いような気もするけど。
なんて思っていた矢先、その人物が目深に被っていた帽子を取り払った。その瞬間、私は唖然としてしまった。それと同時に響き渡る悲鳴にも似た黄色い声。
「だ、誰……?」
―――その人は女性だった。
彼女は亀山大将と比べれば確かに細身だが、女性にしては身長も高く、体つきもがっしりとしている。しかし一目見て、只者ではないというオーラがあった。
「玲子様……!」
「あぁ、素敵だわ……!」
総務部の女性たちがうっとりしながらその人を見つめている。それは幸那さんも同様らしい。
「私、初めて見た……!あれが噂の玲子さん……!」
―――玲子さん。それが彼女の名前らしい。
彼女の顔をよく見れば、確かに総務部や幸那さんが黄色い声を上げるのも納得できる。
ベリーショートの髪もつり気味の瞳も赤い紅も、目元に刻まれたしわですら美しい。年齢は既に50に達しているように見えるが、それが逆にかっこいい。
若い頃はもっと美しかったのだろうな、と思いながらぼんやり彼女を見ていると、不意に彼女と視線があった。
なんて強い目力。目が合ってしまえば離せない。その瞳はまるで、好奇心の強い子供のような輝きを堪えていた。
そんな私の緊張を感じたのか、彼女は何を言うでもなくただ微笑んだ。
あっという間の出来事だった。
彼女と、その警護の最高司令部の人たちがエレベーターに乗り込んでしまうと、総務部の取り巻きは散り散りになる。幸那さんも火照った頬を両手で抑えながら、浸るように深くため息をついた。
「はぁ~……素敵な人だったなぁ……」
「本当に……」
まるで一目惚れ。初対面の人、しかも女性に見とれるなんて生まれて初めてだ。
たとえば聖菜さんなんかもかなりの美人だけど、第一印象はそんなに派手なものではなかった。まあ、普段の聖菜さんに会っていたとしたらそんなことはなかっただろうし、第一印象を自由に操作できるのはさすが情報科、と言うべきなのかもしれないけど。
「彼女、玲子さんって言うんですか?」
ぼーっとしている幸那さんに尋ねると、彼女はとろけそうな笑顔で頷いた。
「うん。渡辺玲子さんっていって、最高司令部のナンバーツーなの。つまり日本軍のナンバーツーよね」
「へぇ……すごい……」
教官たち最高司令部が警護するなんてどんな大物かと思っていたが、かなりえらい人らしい。しかしそこでふと疑問がわく。
―――例の任務の時、彼女はいただろうか……?
疑問がわけば、そのまま放置する訳にはいかない。
ちょうど幸那さんも指導科の人との約束の時間が近づいてきたらしく、二人揃ってエレベーターに乗り込む。
「なんか得しちゃったね、藍ちゃん?」
「ふふっ、ですね?」
そう言って2人で顔を見合わせて笑う。
幸那さんもまた、玲子さんのようなオーラや聖菜さんのような派手さはないけれど、彼女たちに劣らないほど素敵な女性なのだ。
それも当然、なんて言ったって彼女は教官が選んだ女性なのだ。
幸那さんに別れを告げてエレベーターを降りて向かったのは図書館。植物園はまた今度にしよう。
久々に訪れた図書館を見渡す。ここの本の数の多さは言わずもがなだが、ここには軍の資料もたくさん収められている。もちろん生徒に公開できるレベルだけども。
11階を丸々すべて使った図書館の奥の奥、ほとんど人のこない鉄の扉の向こうにその類の情報はまとめてある。
この島にはほとんど一般人なんていないけれど、軍人の子供の中には軍に入っていない人だっている。その人たちに軍の情報を見せるわけにはいかないので、この部屋に入るには軍人である証明書―――生徒の場合は生徒証明書―――が必要になる。
部屋の中には数え切れないほどの棚が天井まで伸びている。事細かに記された莫大な情報の中から、一体どうやって彼女の情報をあつめよう。高い棚を見上げながら考えていると、突然どこかから聞こえてきた規則正しい音。
「寝息……?」
すうすう、と小さな寝息らしい音が聞こえてくる。どこから聞こえてくるのか分からないが、この近くにいることに間違いはない。
迷路のように入り組んだ棚と棚の間をくぐり抜け、寝息の発生源を探す。
その発生源は、思いもよらない人だった、
「え……く、栗山さん……?」
棚を背もたれにして、腕を組んで俯き眠りこけているのは、私の見間違えでなければ栗山さんだ。
珍しい。こんな所で寝てしまうなんて、他の軍人でもなかなかないのに。
「あ……そっか……」
でもきっと、彼は疲れているのだ。例の事件の時、あらぬ疑いをかけられて、短時間だったとはいえ自由を奪われたのを思い出す。
彼は堂々としていただけでなく、私のことまで考えてくれたけれど、その時の精神的、肉体的な疲労はきっと大きかったはず。
彼だって強いけれど、でもちゃんと人間なのだ。
そんな栗山さんの一面に安心しつつも、流石にこのまま放置して行くわけにはいかない。
季節はもう秋も半ば。このままここに居ては風邪をひいてしまうかもしれないし。
「申し訳ないけど……」
風邪をひかれるよりはよっぽどいい。起こすのも致し方ないだろう。
そう思いながら、ゆっくり栗山さんの肩を揺らす。
「栗山さーん」
返事はない。どうやらかなり深く眠っているらしい。これはますます起こすのが可哀想になってくるし、起こしてしまう罪悪感も増してしまう。だけどやっぱり放置はできない。
もう少しだけ強く肩を揺らしてみる。
「起きてください、栗山さん」
すると彼は小さな唸り声をあげながら、薄く目を開いた。
「葛西さん……?」
寝ぼけ眼が私を捉える。まだ夢でも見ているかのような瞳だ。
「はい、葛西です」
「なんで、ここに?」
「それは後で。それより大丈夫ですか?こんな所で寝ちゃってましたけど……」
頭を抑えながらあたりを見回せば、栗山さんはだんだん覚醒してきたらしい。恥ずかしさで頬を赤く染め、両手で頭を抱えこんで俯いてしまった。
「うわ……!ごめん、葛西さん、見苦しいところを!」
「いえ、全然大丈夫ですけど……疲れてるんですか?」
「いや……大丈夫。それより君はなんでここに?」
顔を上げた彼はいつも通りのように見えたが、顔の赤みは完全に抜けきっていなかった。それが面白くて笑いそうになるのをこらえて事情を説明すると、栗山さんは目の前の棚を指さした。
「あぁ……玲子さんに関することはここだ」
言われるがままに向かいの棚を見上げると、上にはたしかに“渡辺玲子”と書いてある。それにしても莫大な量だ。
「彼女は実力もあり、立場もあり、人気もあるから。資料の量は、ほかの人よりはるかに多いよ」
「うわぁ……本当にすごい……」
上から下までぎっしりと詰め込まれた資料。この中からどれを読めば彼女のことを知れるだろうか。
頭を悩ませていると、突然栗山さんが横で笑い声を漏らした。
「何ですか……?」
「いや、かなり難しい顔をしていたから、つい」
「え、そんな顔してましたか?」
「あぁ、してた」
目尻に涙を浮かべて笑っている栗山さんを見て何故か安心する。それと同時に羞恥もこみ上げてきて、今度は私が顔を真っ赤にしていると、栗山さんは私の肩を叩いて微笑んだ。
「大丈夫、探さなくても俺が教えてあげるよ。玲子さんのこと」
なんでも栗山さんの所属している、情報科のトップ集団である“渡辺班”の主任は、玲子さんの旦那さんらしく、栗山さんも少し関わりがあるのだとか。
「彼女は日本軍のナンバーツー。でも、普段はここにはいないんだ」
「え……?どういうことですか?」
「彼女は普段、首都にある支部に勤めているんだ」
「支部?」
初めて聞く単語に首を傾げると、栗山さんは丁寧に教えてくれた。
「あぁ。全国に数箇所支部はあるんだけど、首都の支部は、ここの次に人数が多くて大きな支部だよ」
「へぇ……」
初めて知ったことに驚きと感動を覚える。そんな私を見て、栗山さんは可笑しそうに笑った。
「学生はこの島しか知らないから驚くよね。まあ支部とはいえ、何も知らない一般市民はその支部を日本軍の本部だと思っているし、一般人は軍に入ってもそこに勤めることになるから、あながち本部という扱いは間違っていないのかもしれないけど」
「へぇ……一般人も軍人になれるんだ……」
「うん。まあ、立場的には警察とそんなに変わらないらしい。ただ、国から任された、警察より危険な任務が多いから、職業自体は人気はあまりなくって。あと、彼らにはこの島の存在も知らされないらしいね」
栗山さんから聞く話はいつも新鮮で、私の知らないことをたくさん教えてくれる。
そんな彼の話を聞いて納得する。なるほど、だから彼女はこの前の任務の時はいなかったのか。それなら確かに辻褄があう。
栗山さんのおかげで疑問があっという間に解決して、さらに新しいことも知ることができた。ありがたいばかりだ。
「ありがとうございました、栗山さん」
私が深々と頭を下げ、顔を上げると、栗山さんは人差し指を立てて自分の口元に持っていった。ルックスがいい分、妙にさまになっている。
河原や財前もルックスはいい方なのに、どうしてもうも違うのだろう。やはり、これが大人ということなのだろうか。
そんなことを考えていると、栗山さんは少し恥ずかしそうに笑った。
「これに免じて、寝てたことは秘密にしてくれるとありがたいな」
「はい、それはもちろん」
「ありがとう。まあ、バレて何かある訳では無いんだけど……恥ずかしいしね」
自分でいいながらまた顔を赤くし出す栗山さん。そんな彼がおかしくて、今度は笑いをこらえきれずに笑いながら大きく頷いた。
「わかりました。約束します」
秋の光が小窓から差し込むそんな昼下がりの出来事は、やっと戻ってきた久しぶりの日常を感じるには十分なものだった。




