39 襲撃(xiii)
―――100階、テラス。普段は解放されていない屋上を除けば、この島で一番高い場所であるここから私たちは“始末”を行う。
体が震えるのは高さと肌寒さのせいにして、目を皿にして例の3人を探す。双眼鏡を使えば地上もはっきりと見えるが、今のところ彼らの姿は見えない。
「赤羽根教官からの連絡は?」
「俺のところにはない。葛西は?」
「私のところもよ」
赤羽根教官からの連絡もない。最高司令部や情報科は、私たちが失敗した後の数手先まで考えて総出で動いているので援護はない。少し悔しいけれど、でもその後ろ盾があるのはとても心強くて有難い。
びゅうびゅう音を立てて吹く風。シェルターの中にどうやって風を取り込んでいるのかは未だにわかっていないけれど、今はそんなことはどうでもいい。だけど今は、そんなどうでもいいことが心を落ち着かせてくれるのだから不思議だ。
お互いにお互いのことを気にして、それなのに目が合っても微笑み合うことしか出来ない。
分かっている。お互いに言いたいことは一緒で、その言葉は喉まで出かかってる。
―――“失敗したらどうしよう”
その言葉はきっと呪いの呪文のようなもので、言ってしまえば楽になるのも分かっているけれど、絶対に言ってはいけないのだ。
居心地の悪い沈黙。お互いに集中していると口数が少なくなるのは承知の上だけど、こんなにも沈黙が重く感じるのは初めてかもしれない。
そんな沈黙を破ったのは、お互いのポケットから聞こえたバイブ音。一瞬で反応して携帯端末を取り出すと、そこには予想通り、赤羽根教官からのメッセージが入っていた。
「……“3人を連れ出すのに少し時間がかかった。ごめんね。俺も少しだけ話がしたくて。……今から彼らを広場に連れていきます。後はよろしくね”」
口に出して読めば、じわりじわりと赤羽根教官の覚悟が胸にしみてくるようだった。
裏切り者とはいえ、学生生活で切磋琢磨しあった仲間たち。軍に協力した赤羽根教官だって、彼らからすれば裏切り者だ。仲間たちから最期に“裏切り者”と思われる覚悟を決めた赤羽根教官の心が痛いほど伝わって来た。
赤羽根教官も覚悟を決めた。
精神疾患患者になってしまったりもしたが、この結論を下せた彼は強い人だ。そして私たちは、彼の教え子なのだ。彼の覚悟を受け止めなくては。
「……葛西、決めよう」
「……うん、分かってる」
長かった任務は終焉を迎える。その瞬間はすぐそこまで来ている。
河原の握った拳が小刻みに震えていて、その頼りなさげな拳を包み込もうとして、自分の手も震えていることに気付いた。河原もその事に気付いたらしく、私の顔を見てぷっと吹き出した。
「お互い様だな」
「えぇ……本当に」
互いの震える手で、互いの手を包み込む。
任務が始まってからも、始まる前も、何度勇気づけられたかわからないけれど、今も変わらず思っていることは一つだけ。―――ありがとう、相棒。
ビルの真下に人影が4つ。赤羽根教官はわかりやすいようにと配慮してくれたのか、まだ時期的には早いのに自分だけ真っ赤なマフラーを身につけてくれていた。
だけど彼は知らないのだろう。ライフルのスコープが一体どれだけ鮮明に標的を捉えるか。
私たちと赤羽根教官たちの差はわずか数百メートル。しかしライフルは、1、2キロならば致命傷を与えられるレベルなのだ。
至近距離での射撃なら拳銃の方が手っ取り早いかもしれないが、長距離ならばライフルに劣るものはないと思う。もちろん扱う人の腕や種類にもよるけれど。
標的は3人。ライフルは2挺。1回で全員を仕留めることは出来ないが、間髪開けずに仕留める技術が必要になる。果たしてその技術が、今の私と河原にあるのか否か。
そこまで考えたところで、その考えを自分で否定する。あるのか否かではない、やるしかないのだ。
「河原は左、私はとりあえず右ね」
「あぁ……」
隣にいる河原の声がやけに頼りなく聞こえて、何故か怖くなって恐る恐る横を見ると、彼は真っ青な顔をしていた。実践の時だってこんな顔は見たことない。
「河原……?」
私が今一度名前を呼べば、彼はハッと目を見開いて、まるでロボットのようにぎこちない動きで私を見て微笑んで見せた。しかしその表情が余計に不安心を煽る。
ふと、昔、教官に言われたことを思い出した。
―――“河原は普段の安定性があるが、葛西は本番に強いんだな”
その言葉を聞いた当時の私は、普段の成績がいい方が学年順位に反映されるのだからいいに決まってる、と思いながら頬を膨らませた。
しかし今ならわかる。普段安定している分、彼は本番に弱い。河原の中では実践はあくまで練習。私も河原も本番を迎えるのは初めてなのだ。
まずい、と直感的に思った。
顔面蒼白の河原。身体も先ほどとは比べ物にならないほど震えている。
これでは標的を撃ち殺せないどころか、赤羽根教官に当たってしまう可能性だってある。
―――私は今まで散々河原に助けられてきた。だったら、私が今することなんて決まっている。
震える河原の背後からライフルを支えると、河原は焦点の定まらない瞳で私を見た。
「葛西、俺……」
「いいから、大丈夫だから」
「……ごめん、役立たずで……」
「何言ってるの。河原は今まで私のこと、助けてくれたでしょ。助け合うのがバディ。違った?」
「葛西……」
「なんのための相棒なのよ?だから、大丈夫」
そう言いながらゆっくりと河原の構えていたライフルを下ろしていく。
ライフルが地についたその瞬間、彼の中で細い糸のように張りつめていた緊張が解けたのだろう。
見たこともないほどの大粒の涙を目に浮かべてポロポロと流す河原は、出会った頃よりもずっと幼い子供のようだった。
私はこんなふうに河原の前で何度、泣いてきただろうか。その度に彼はきっと、自分も泣きたいのを我慢して私のことを助けてくれたのだ。
ぎゅっと拳を握って空を見上げた。―――今度は私の番だ。
河原の背中をさする手を止め、再び自分のライフルを手に取り構える。スコープを覗けば、まだ3人は自分の置かれている状況に気付いていないらしかった。赤羽根教官だけが時折泣きそうな表情を浮かべていて、胸が締め付けられる。だけど私がそんなことを感じてはいけない。
だって私はこれから、もっと彼のことを悲しませるのだ。
ふぅ…、と大きく息を吐いてトリガーに指をかける。
大丈夫、3人を撃ち抜くイメージだって完璧だ。そう自分に何度も何度も、大丈夫だと言い聞かせる。
そして照準を合わせ、耳に装着していた小型のインカムの電源を入れる。彼らの会話は、シェルター全体にはられている妨害電波のせいでノイズが混じっていてはっきりとは聞こえないが、赤羽根教官に私の声は届くはずだ。
「……赤羽根教官、今から順に撃ちます」
聞こえているだろうか。そう思いながらスコープ越しに赤羽根教官を見つめていると、彼の肩がビクリと揺れた。
『……ありがとう、3人とも。これでお別れだ』
それからしばらくして、インカム越しに赤羽根教官のそんな言葉が聞こえてきて、再び拳を握った。
彼の覚悟を無駄にしてはいけない。決めるなら一発、一瞬で。
トリガーを引いた瞬間、まるですべてがスローモーションのようにゆっくりに見えた。
自分の指がトリガーを引いたすぐあとに3人のうちの1人が頭から血を出して絶命。
突然のことに驚いて何も出来ない残りの2人のうちの1人にすぐに照準を合わせ、素早くトリガーを引けば彼も絶命。
最後は、逃げようとする残りの1人に素早く照準を合わせてトリガーを引く。
たった三度。だけど、今まで弾いたどのトリガーよりも重く感じた。
倒れ、絶命した3人にふらふらと歩み寄った赤羽根教官は、堪えきれなくなったのか彼らを抱きしめ、大声をあげて泣いた。彼の号哭はここまで聞こえてきた。その声が聞こえた瞬間、痛感した。
―――私はやったのだ。やってしまったのだ。
「葛西、ごめん……!」
呆然とする意識の中、背後から聞こえた河原の声だけが妙にはっきりと頭に響いて、気付いたら私も大声をあげて泣いてしまっていた。
「河原……私、私……ッ!」
「あぁ……葛西は、良くやったよ……ッ!」
「本当に、これで合ってたの……分かんないよ……ッ!」
「合ってるッ!!お前は、間違ってない……ッ!!」
泣いても泣いても涙が尽きない。
こんなことは初めてで、でも戸惑いよりも何よりも悲しみが大きくて。その悲しみを生み出したのは、他でもない自分自身だというのに。
自分の引くトリガーの重みを痛切に感じた。引いた瞬間、もう戻ることは出来ないのだ。
その後のことはよく覚えていない。
最高司令部の誰かが私と河原を迎えに来たような気がするが、そこで私は意識を手放してしまったらしい。
次に私の意識が戻った時、私は見慣れた教官の部屋のソファに横たわっていた。
ガンガンする頭を抑えながら体を起こすと、キッチンにいた教官が私に気付き、優しく微笑んだ。
「教官……」
「……良くやったな、葛西」
その一言を聞いた瞬間、収まったはずの涙がまた溢れてきた。
「教官、私……ッ」
「良くやった、葛西。お前は最高司令部の期待以上の事をしてくれた。……本当に凄いな、お前は」
ゆっくりこちらへ歩み寄ってきた教官は、いつもよりずっと優しく私の頭を撫でて抱きしめた。初等部のころと変わらない硬い胸板の感触と、柔軟剤の懐かしい香りがした。
「彼らの死体はあの後すぐに回収されたから、おそらく他の奴は今回のことは知らないままだろう」
私か落ち着いた頃を見計らって、慣れた手つきでコーヒーをテーブルに置きながら教官はそう告げた。
「そうですか……それなら、よかったです」
「……あぁ」
机に置かれたコーヒーカップを手に取って、そういえば河原はどこにいるのだろうかとあたりを見渡す。、しかしテーブルの上にはコーヒーカップは2つしかないし、そもそもこの部屋に河原の気配は感じられなかった。
私が誰を探しているのか気付いたらしい教官は、表情に少し影を落とした。
「……河原は射撃場だ。今回のことが相当こたえたようだ」
ズキン、と胸が痛んだ。
「河原は何も悪くないのに」
考えるよりも先に言葉が出ていた。だけど誰だって、突然任務を任されたら緊張する。熱を出してしばらく休んでいたら尚更だ。その熱だって出したくて出したわけじゃないのだから、河原は何も悪くない。
しかし、今河原にそれを告げてもきっと逆効果なのだろうということも分かっている。
「……あいつは葛西に感謝していた。あいつがいなかったら、俺はきっと死んでいた、とな」
だが、と教官はコーヒーを一口飲んで続けた。
「同時に後悔もしていた。そして、自分の弱さを恨んでいた」
河原が気負う必要なんて全くない。だけど、そのことを言えば河原は余計に自分を責める。つまり、今私に出来ることはないという事だ。
「……今は、時間が経つのを待つしかないってことですよね」
「……あぁ、そうだな」
2つしかないコーヒーカップがやけに寂しげに見えた。
―――翌日、私は119階の会議室に呼び出された。
予定より30分も早く着いてしまったが、そこには既に最高司令部や情報科の面々が勢ぞろいしていて、そしてそこにはもちろん赤羽根教官もいた。
私だってちゃんと覚悟は決めたはずなのに、今になって恐怖が襲ってくる。拒絶されたって仕方がないことをしたのだから、彼から拒絶されても仕方がない。
だけどはっきりと、それは嫌だと思ってしまった。だから余計に怖くなったのだ。
赤羽根教官の顔が見れない。
どうしていいか分からずに俯いていると、驚いたことに赤羽根教官の方から声をかけてくれた。
「葛西さん」
「赤羽根教官……あの……」
なんて言えばいいのだろうか。口ごもって何も言えずにいる私を見て彼は困ったように笑って、私と視線を合わせるために顔を覗き込んできた。
「ありがとう、葛西さん。ちゃんと撃つ時、教えてくれて」
「え……」
「ちゃんと俺はあいつらに、お別れの言葉を言えたからね。ありがとう」
そう言って笑う赤羽根教官の目は、まだ赤みが残っていた。
「強くなったな、赤羽根」
突然横から現れた三坂教官は、赤羽根教官にそう言いながら頭を撫でた。どうやら褒める時に頭を撫でるのは、三坂教官の十八番らしい。
赤羽根教官は最初は照れたように笑っていたが、やがて唇を噛み締めながら俯いた。
「ありがとう、ございます……ッ」
赤羽根教官も複雑なのだろう。
一度は怒られた相手に褒められたのだ。しかしそれは、仲間の死を受け入れたから。
だけどきっとその辛さと強さは、三坂教官が一番よく分かっている。彼もまた、仲間の死を受け入れた1人なのだから。
赤羽根教官と三坂教官のまわりに人が集まり出したので、そっとその場から離れて入口付近へ向かう。
部屋全体を見渡し、そして小さくため息をつく。
「やっぱりまだか……」
上層部からの呼び出しをばっくれるような人じゃないけれど、でも不安に思ってしまうのだ。
―――河原は、ここにくるだろうか。
「なんでそんな顔してるんだよ」
また一つ、ため息をついたその時だった。背後から聞きなれた声が聞こえてきて顔をあげれば、目の前には探していた張本人。
「河原……!」
「お、おう?どうしたんだ?」
「河原、来ないかと思った……」
「あー…まぁ、それも考えたけど……とりあえず、任務が終わったことは感じたくて」
「そっか……よかった……」
いつも通りに見えるけれど、制服から微かに硝煙の匂いがする。それがどういう意味か、分からないわけはなかった。
技術の進歩で、今の拳銃やライフルからはほとんど硝煙の匂いはしないようになっているが、全くしない訳では無い。犯罪防止のため一発でも硝煙反応は出るし、たくさん撃てば匂いもするのだ。
「なぁ、葛西」
名前を呼ばれて顔を上げる。横に立つ河原は、真っ直ぐに前を見据えていた。
「俺、強くなるし本番にも強くなる。だから、これからもよろしくしてくれるなら、よろしくな」
「もう、何それ……」
そんな不安そうな顔で笑わないで欲しい。だってこっちには、よろしくしないつもりなんて微塵もないのだから。
「こちらこそ末永くよろしくね、相棒」
不安がすべて解けたせいでまた涙が出てきた。
「泣き虫だなぁ……」
そう言いながら河原は困ったように笑ったけれど、それ以上は何も言わなかった。
―――痛感する。今回の任務、標的を撃ち抜いたのは私でも、私がプレッシャーに負けなかったのは河原がいたからだ。
「ありがとう、河原」
指の腹で涙をぬぐいながらそう言えば、河原もいつも通りの笑顔を浮かべて頷いた。
「こちらこそ。ありがとう葛西」
その後、時間通りに亀山大将がやって来た。
扉が開いたその瞬間、その場にいた全員が一斉に彼の方を向いて敬礼した。それに応えるように亀山大将も敬礼をして、そしてその顔に笑みを堪えて高らかに告げたのだった。
「ここに、今任務の終了を宣言する!」
その場にいた全員の歓声が、会議室中に響いた。
もちろん彼ら3人を始末したからと言って、政府との緊張状態が解けたわけではない。河原が指摘していたように、まだ内通者がいる可能性だってある。
まあその件は解決していないとはいえ、栗山さんは解放されたようで一安心だけど。
だけどとりあえず、こうして私の初めての任務は終焉を迎えた。―――それは10月の終わり、秋も深まりつつある日のことだった。




