38 襲撃(xii)
扉にかけた手が震える。引いてしまえば一瞬のことなのに、なかなか手が動かない。
もし、顔を見た途端泣かれたらどうしよう。謝られたらどうしよう。否定されたらどうしよう。―――不安が浮かんでは消え、浮かんでは消え、をひたすら繰り返す。
それでも、ここまで来て引き返すわけにはいかない。財前のお母さんだって協力してくれた。彼女だって立場はそれなりに上とはいえ、面会謝絶の患者の部屋に人を入れるなんてバレたらどんなことを言われるか。ハイリスクなだけでリターンは全くないのに、彼女は息子への友人のために動いてくれたのだ。その厚意を無駄にしてはいけない。
今一度大きく深呼吸して、太鼓のように脈打つ心臓を落ち着かせる。大丈夫、きっと大丈夫―――そう自分に言い聞かせれば、いくらか楽になった気がした。
静かに開いたドアの先には、ベッドに腰掛けて窓の外を眺める後ろ姿。顔は見えないけれど、この髪の毛は、この背中は絶対、赤羽根教官だ。
やっと会えた安心と、喜びと、とてつもない罪悪感。目の前がみるみるうちに滲んでいく。だけど、今ここで泣くわけにはいかない。
目尻の涙を親指で拭って一歩踏み出す。突然室内に響いた足音に、彼はハッとして勢いよく振り返った。
「赤羽根教官……」
「ッ!?葛西さんに河原くん……!?」
大きく見開かれた目が痛々しい。頬も痩せこけていて、瞳には覇気がなく、まるで2週間前とは別人のようだった。
彼は私と、その後ろにいる河原の存在を認識するや否や、両手で耳を塞いで俯いて唸り声をあげた。
その姿は傷ついた獣そのもの。目を背けたくなっても、彼をこうしてしまったのは私たちなのだ。彼から逃げてはいけない。
「……すいません。病院の方は悪くありません。私たちが勝手に来ただけです」
財前と彼のお母さんは配慮してくれたらしく、部屋の中にはいなかった。財前の妙に聡いところは母親譲りだったらしい。
「……出ていって……。……作戦には、参加するから……あいつらにも、何も言ってないから……」
全身から絞り出されたような頼りない声。
彼の願いの通り、今すぐここから出ていくべきなのかもしれない。だけど私はここから逃げる訳にはいかないのだ。
「……ごめんなさい。それは、できないです」
「出てけ……」
「私は、あなたに謝りたい……!」
「出ていってよ……!」
―――これはきっと、私のエゴだ。
彼はむしろこの事実から目を背け、逃げるべきなのだ。そうしないと彼は壊れてしまう。
だからこれは賭けでもある。彼が自分の持つその権利に気付いた瞬間、私は彼と話す権利を失うのだ。
落ちる沈黙。その沈黙が自分の卑怯さを痛感させる。去年も、私は河原に対してそれを強く実感した。
だけど、決めたのだ。河原からも、彼からも、誰からも私はもう逃げない。
河原の方を向けば、彼は優しい顔で頷いた。それだけで勇気をくれるのが私の自慢の相棒だ。
「話を聞いてください、赤羽根教官」
「……お願いだから、帰って……」
依然として俯き、声を震わせる赤羽根教官。罪悪感に負ける訳にはいかない。
「……ごめんなさい、赤羽根教官。もっと早く来るべきだったし、私は間違ってたのかもしれない。だからあなたは壊れたのかもしれない……。だけど、あなたとならできるって、思ったんです……」
「……葛西さん……」
瞬間、感じた。―――彼の意識は、私の話に向いている。大丈夫、まだ私に権利はある。
「……うまく言えないけど、でも私も初めての任務で不安で、だから……」
―――違う、これでは私は自分のことしか考えられていない。彼の不安がすべて受け止められるとは思わないけれど、でもその一部を受け入れることはできるはずだ。
「違うの、教官……。……教官、ごめんなさい。本当はあの時、私は嘘をつきました」
「嘘……?」
赤羽根教官が初めて顔を上げて、怪訝な表情でこちらを見た。
「……富井や財前を殺せって言われたら殺すか、と聞かれた時、私は殺すと言いました。だって、それが軍に属する者なら当然だから、って」
背後から河原が息を呑む音が聞こえた。そうか、彼はこの話を知らないんだった。
赤羽根教官は変わらず私を見ている。私も彼から目をそらさず続ける。
「……でも、きっと私も本当は同じ。彼らのこと、殺せない」
私がそういえば、彼は頼りない笑みを浮かべて頷いた。
「……そりゃそうだ。でも、俺もあの時は本当にずるい質問をしたと思ってる」
―――違う、私が言いたいのはそんなことではない。
「ずるくない……!教官はずるくないです!」
気付けばここが病院だということを忘れて、思わず声を荒らげてしまった。
赤羽根教官も河原も突然のことに呆然としている。自分でも正直驚いている。
だけど分かる。―――今だ。今しかない。
「……教官、本当に嫌なら任務を放棄したって誰も責めません。三坂教官も亀山大将も誰も責めません。だけど、もし……もし、彼らのこと……あの場に呼んだ私のことを許してくれるなら……」
ちらりと覗いた彼の瞳が少しだけ、輝きを取り戻したような気がした。―――大丈夫、いける。まだ終わっていない。
「……赤羽根教官、私たちを信じて、協力してください。もちろん、無理にとは言いません。だけど、私は……私たちは、あなたを信じてます」
「葛西さん……」
彼が私の名前を呼ぶその響きは、私がこの部屋に入った時のものとは全然違うものだった。それだけで私は確信できた。―――もう彼は大丈夫だ。
「あ、一也と藍。もう話は終わったの?」
「うん。……お母様は?」
「あー、母さんは仕事で呼び出されちゃって」
「そっか。お礼をしたかったんだけど」
赤羽根教官の病室を出て、角を曲がったところにあるオープンスペースのベンチに財前は腰掛けていた。
「いいって。母さん、お礼とかされるの慣れてないし」
財前は苦笑いしながらそんなことを言ったが、実際はそうもいかない。彼女のおかげで赤羽根教官と話すことが出来たのだ。その感謝は何とかして伝えたい。
「いいの。私がしたいだけだから」
私がそういえば、彼は少し考えて、やがて何かを閃いたように瞳を輝かせて私と河原のことを見た。
「じゃあ、ちゃんと2人がやらなきゃいけない事が終わったらね!」
そんないつもと変わらない財前は、まだ母親と話したいことがあるらしく、仕事が終わるまで病棟で待つ、と言って私たちと一緒に寮へは帰らなかった。
2人きりの帰路。話すことが特にないからか言葉数は少なかったけれど、普段通りといえば普段通り。
お互い、三坂教官の前や、実践や今抱えている任務のことになれば饒舌になるけれど、普段はどちらかと言われれば口数は少ない方なのだ。まあそれも、富井や財前や紗也の前ではだいぶ話すようになってきたけれど。
「ねぇ、河原」
私が名前を呼べば、彼はこちらを向いて首を傾げる。何もおかしいことはないのに何故かおかしくて笑うと、彼も何故か笑い出した。
「なんだよ、もう」
「ううん、なんでもない。ただ、名前を呼んだだけ」
「なんだよそれ?変なの」
どれだけ笑ってもまた笑いがこみ上げてくるのはお互い様。なんでこんなにおかしいのかわからないけれど、でもそれでもいいかと思った。
三坂教官に期待されて、河原がちゃんと元気で隣にいて、赤羽根教官とも分かり合えて。“始末”の日が近づくにつれて少しずつ不安が増すのも事実だけど、今ならもう何も恐くないと思えてしまう。
「葛西」
「何、河は―――」
名前を呼ばれて顔を上げると、河原は突然私のことを抱き寄せた。咄嗟のことで驚いて声が出なかったが、でもその顔を見れば、彼の求めている言葉はなんとなく察することが出来た。
「……誰も河原のこと、責めなてないよ」
私が抱きしめ返してそう言うと、びっくりするほど硬く、彼の体が強ばった。そんな背中をさすってあげれば、緊張が解けていくのが分かって少し安心する。
「大丈夫、熱出たのだって不可抗力だし。あそこで無理してたら、もしかしたら今でもまだ熱あったかもしれないでしょ?それなら、早く治ってくれて本当によかった」
「葛西……ごめん、俺、またお前に一人で背負わせた……」
「大丈夫大丈夫!今こうして一緒にいてくれるだけで心強いんだから」
―――気づいていなかったわけじゃない。
河原は責任感が強い。飄々としているように見えて、誰よりもしっかり周りが見えているし、周りのことを考えられる。
だからこそ、自分の体調不良で私を一人にしたことが許せないのだろう、ということくらい容易に想像がついた。
「河原、いつも私のこと守ってくれるじゃない?そのことに対して、私はもう変な意地とか張らないって決めたし、本当に感謝してる。対等に見てない、なんてことも思ってない」
「葛西……俺はお前の相棒を名乗ってもいいのか?」
「何言ってるの?それはこっちのセリフなんだけど?」
息苦しいほど強く抱きしめれば、河原はいつも通りに戻ったようだった。
「苦しい苦しい!葛西、苦しい!」
「あははっ、そんなネガティブ思考したバツよ!」
やっぱり饒舌になる私たち。私たちは似たもの同士なのだ。
「……2週間か」
河原がポツリと漏らしたその言葉に肩を震わせたのは私。不覚だけど。
「……怖いのか?」
そんな私を見て河原は驚いていたけれど、おそらく私と河原のどちらが怖がりかと聞かれたら、それは間違いなく私なのだ。
「……そりゃ、人間ですからね」
だけどやっぱり恥ずかしくて目を逸らすと、河原はニヤニヤしながら私の頭を撫でる。―――形勢逆転。
「大丈夫大丈夫、俺がついてるって」
「何よ、偉そうに!さっきまでのしおらしさはどこへやら!?」
「それはそれ!これはこれ!」
少し悔しいけれど、でもそれ以上に安心した。大丈夫、河原もいつも通りだ。
翌日の放課後。
三坂教官に赤羽根教官のことを報告すべく120階へとむかう。長いエレベーターの後、開いたドアの向こうにはいつも通りの静かな黒く、青い蛍光灯の映える廊下が広がっているはずだった。
しかし、目の前に広がったのは忙しそうに動き回る最高司令部の面々。それだけじゃない。聖菜さんも見つけたので、情報科の面々もいるのだろう。
いつもは無駄に広いだけの廊下が、今日はキャパオーバー。私たちを乗せて到着したエレベーターには、私たちを降ろすまもなく人が次々乗り込んできた。
「ちょっと……!?」
「何事だよ……!?」
事態は全く理解できないけれど、何かしらの緊急事態だということだけは分かった。とにかく今は誰かに話を聞かなくては。
エレベーターは110階で止まった。そこで一斉に降りていく人々。私たちもとりあえずそこで降りて、大きく息を吐いた。
「「はぁ―――……」」
それにしても一体全体何があったんだろう。
誰かに聞きたくても誰も話を聞ける状況じゃない。だけど、話を聞かなくては何も始まらない。
どうすればいいのか悩んでいると、聞こえてきたのは聞き覚えのある名前。
「孝一郎!!!」
孝一郎―――思い出した、七瀬さんの名前だ。ちゃんとこの前の会議の後に聞いたのだった。
ハッとして声の聞こえた方を向くと、予想通り、そこには自分で自分の方を揉みながらため息をついている七瀬さんがいた。暇なわけはないが、話は聞いてくれそうだ。
「河原、行こう!」
「だ、誰かいたのか!?」
「七瀬さんがいた!」
そんな私たちの声に気付いたのだろう。七瀬さんは顔を上げて私たちの存在を認識すると、小さく手招きをして、そして近くの部屋の扉を開けて中を親指で指さした。私たちは顔を見合わせて頷いて、急いで彼の待つ部屋へと向かった。
「「七瀬さん!!!」」
部屋に入るや否や声をあげた私たち。そんな私たちに向かって七瀬さんは、人差し指を口元に持っていって苦笑いした。
「久しぶり、葛西さん、河原くん」
その笑顔はいつも通りに見えたけれど、隠しきれていない疲れの色が滲んでいた。
「手短に話そう。君たちにとっても重要な話だ。……事情は把握している?」
「いえ、何も……」
「……そうか。それはかなり混乱したね。その中でもここまで落ち着いていられたのはさすが、三坂の教え子だ」
そう言いながら七瀬さんは私と河原の肩を叩く。そして、より一層真剣な眼差しになって、苦虫を噛み潰したような表情で私たちを見た。
「……例の3人がどうやら“始末”のことを知ってしまったらしい。赤羽根少尉は関係ないようだけどね」
「「ッ!!!!!」」
言葉を失うとは、まさにこの事だと思った。
今まで内密に内密に練ってきた計画が全て白紙。頭が真っ白になっていくのがわかった。
「彼らはそのうち身を隠すだろう。そうなれば下層部の奴らも不審に思う。ただでさえ高等部の指導科には不審がられているんだ……もうどうしようもない」
一番悔しいのは最高司令部の彼らだ。私たちにはどうすることも出来ない。
だけど、私たちが動揺していてもどうしょうもない。ならば、私がしなくてはいけないことは1つだ。
「七瀬さん、何か策はあるんですか」
七瀬さんに尋ねれば、彼は厳しい表情のまま首を横に振った。これで私の心は決まった。
「……なら、もう次の手は決まってますよね」
私のその言葉に七瀬さんは顔をしかめたが、今度は河原が厳しい表情を浮かべた。やはり、河原のこういう時の察しの良さは恐ろしい。
「おい、葛西。お前、まさか……」
「……多分、考えてる事は一緒だと思う」
「ちょっと、2人は何を考えてるの!?」
七瀬さんが大声を張り上げる。その声の威圧感でいくらか気持ちは落ち着いたが、でも考えは変わらなかった。
「―――“始末”、今からやりましょう」
しばしの沈黙。私の言葉に即座に反論しないあたり、さすが最高司令部だな、なんて失礼ながら冷静に思っていると、彼は携帯端末をポケットから取り出してどこかへとメールを入れた。
「……それは、確かにそうだ」
七瀬さんが小さく呟いた。
「何を俺たちは焦っていたんだろうな……。俺たちは勝手に、君たちのことを除外していた。もちろん除外する気なんてないんだ。でも、俺たちは君たちが戦う姿を見たことがないから……ごめんね」
申し訳なさそうにそう言う七瀬さんは、本当に悲しそうな顔をしている。
彼のいうことは最もなのだ。私たちのことを推薦したのは教官であって、彼らは私たちが実践を本当にしているところを見たことは無いはずだし。そりゃあまだ学生だし、信頼されていないのはしょうがないと思う。
悔しい気持ちがない訳じゃないが、そこで怒ってどうこう言っても仕方がない。
でも、私と河原は逆にそういう立場になると、余計に燃えるのだ。きっとこの性格は教官譲り。
「謝らないでください、七瀬さん。それはしょうがないですよ」
「だからこそ、信頼してください。絶対、成功させますから」
「だって私たちは―――」
目を合わせなくても、声をかけなくても、河原とは自然と息が合う。
「「相棒ですから」」
きっと今までもこれからも変わらない関係。温かく、心強い私の相棒。河原がいれば、私はきっと何でもできる。
七瀬さんは目を見開いて口をあんぐり開けていたが、やがて吹き出したかと思えば大声で笑い始めた。
「うん、そうだ……!君たちは三坂の子供だもんね、大丈夫だ!」
「七瀬さん……!」
「信頼するよ、もちろん。最高のバディなんだろう?」
「はい!」
河原のその返事だけで、彼にとっても私はきっとちゃんと相棒だ、ということを感じた。
思いは一緒。何があっても絶対に乗り越えられる。そのための2人なのだから。
その時、七瀬さんの携帯端末が震えた。届いたメールを確認した七瀬さんは、力強い眼差しで私たちを見た。
「三坂からも許可がでた。あいつは忙しくてここには来れないけど、君たちを信じてるってさ」
「教官……。教官からは何か連絡がありましたか?」
「あぁ。……今、赤羽根に対して、彼らをとにかく本部の外に出すようメールを送ったそうだ」
「赤羽根教官は何と?」
「了承、とだけ。……今は彼を信じよう」
「もちろんです。彼だって私たちの大切な教官ですから」
その言葉は自然と出た。
きっと赤羽根教官も大丈夫だ。彼はたしかに脆いけれど、でも強いところもあるということも今はちゃんと知っている。
本来の作戦の全貌はこうだ。
まず、3人を適当な用事で本部の外の広場に呼び出す。私たちは屋上から彼らを狙う。
本部及びほかのビルの出入口や窓はすべて締め切る。軍人と軍人の子供は一般人であることも多いので、本当は殺生はシェルター外でやるべきなのだが、それではあまりに怪しすぎる。かと言って他の人に自由を効かせすぎると、万が一のことがあってからでは遅い。
よって、これが最善だと判断された。
ちゃんと状況を整えた上で、私たちは彼らの脳天を狙えばよかった。
だけど、今はそうも言ってられない。
彼らが外に出た瞬間、本部及びほかのビルの出入口や窓はすべて締め切る。それは変わらないが、他の人が外にいるかもしれないという可能性は配慮してられない。すこしでもこちらが怪しい動きをすれば、彼らはすぐに勘付くだろうし。
彼らがどこに行くかはわからないが、私たちはどこからでも彼らを狙うしかない。
決して楽な任務じゃない。元から難易度は高めだったが、さらに難しくなった。狙う場所も、屋上ではなく100階のテラスからということになった。臨機応変に動く必要がある。
「……最後にもう一度だけ聞く。できるか?」
七瀬さんの声は緊張を孕んでいた。
軍の命運は、私たちに託されたも同然。不安は一気に押し寄せてくる。
だけど、大丈夫。私たちは2人だから。
河原と手を握り合い、顔を見合わせて頷き、そして七瀬さんの目をしっかりと見つめて大きく頷いた。
「「大丈夫です。やれます」」




