36 襲撃(ⅹ)
112階の廊下にて。先程からずっと恐ろしいスピードで頭を下げ続けている赤羽根教官と、そんな彼を見て引き気味に戸惑っている三坂教官という、なんとも対照的な2人の後ろをついていく。
「先程はすいませんでした、中将……!」
「いや、構わん。呼び立てたのはこちらだしな」
「そんなことは……!」
「あぁ、もういい、頭をそう易々と下げるな」
「いえ、おまたせしたのはこちらなので……!」
まあ、ある意味予想通りといえば予想通りの光景だけど。
私たちが呼ばれている会議は、ちゃんと三坂教官に話を聞くと、遅くても15時開始ということしか決まっていないらしく、本当に彼の到着を持って開始するらしい。三坂教官の言葉は本当だったのだ。なんて横暴な。
端末の時計を確認する。まだ時刻は13時半。
しかし私たちが昨日三坂教官に来い、と指定されたのは14時だし、最高司令部の面々は既に会議室に勢揃いしているそうなので、三坂教官と話し合って少し急ぐことにした。今私たちが待たせているのは、私はもちろん、三坂教官にとっても大切な先輩なのだ。
それに、最高司令部の人を待たせたと知った赤羽根教官は、きっとまた目にも留まらぬスピードで頭を下げてしまうだろうし。その光景が容易に想像できてしまうのがなんとも情けない。
「すいません……!」
「あぁぁ、もういいから!!」
パッと見恐喝にしか見えない2人に苦笑いしながら後ろを歩いていると、唐突に赤羽根教官が私の方を振り返って私に微笑みかけた。
「葛西さんもごめんね」
「何でですか?」
謝られた真意がわからずに首を傾げると、彼は少し悲しそうな顔をした。
「いや、その……俺なんかが担任で。君と河原くんは、初等部のころからこんなすごい人の元で学んでいるのに、大切な高等部の担任が俺なんかで……」
「何言ってるんですか……?」
突然始まった自虐。彼にはそういうところがあるが、まさか三坂教官の前でそれが出るとは。
三坂教官は、自分に自信が無い人間が嫌い、というか許せないのだ。まあ、理由は“自分が自分に自信がないから”らしいけど。
案の定教官の表情がみるみる厳しくなる。しかし肝心の赤羽根教官がそれに気付かない。それどころがヒートアップしている。
「赤羽根、それは本気か」
―――ああ、やってしまった。そう思っても後の祭り。
流石に初対面だから、そんなに厳しい言葉はかけないだろうけど、その表情と声は人殺しのそれだった。
ようやく赤羽根教官も三坂教官の変化に気付いたらしい。肩をびくつかせて、小動物のように震えてしまっている。
しかしそこは流石軍人。上司を無視するわけにはいかないらしく、震える頼りない声だけどしっかりと受け答えをしている。
「は、はい……だって、その……事実、ですから……」
「誰がそんなことを言った。葛西か?」
「いえ……」
「葛西か河原なら、俺が頭を引っ掴んで地べたに額を擦り付けてやる。額が擦りむけ、頭が割れるまでな」
何やら物騒なことまで聞こえきた気がするが、怖いのでスルー。三坂教官も気にした様子はなく話を続ける。
「そうなのか?」
「ち、違います!俺が勝手に思ってることで……!」
「……だろうな。葛西も河原も目上のやつを蔑ろにするやつじゃあない」
褒められて嬉しいけれど、蔑ろにはしていないけど常に不安は抱えてます、なんてことを言えるはずもなく。
今にも泣き出しそうな赤羽根教官。そんな彼の顔を見て、三坂教官は眉を下げてふっと笑い、赤羽根教官の頭を撫でた。
その豪快な撫で方を傍から見て、私の頭を撫でる時はあれでも加減しているんだなと思った。彼は器用そうに見えて、その実とてつもない不器用人間なのだ。
「大丈夫だ。赤羽根は良い教官だ」
「三坂中将……」
「生徒に愛されていると葛西から聞いた。それに、こんな環境で優しくいられる方が珍しく、貴重だ」
だから、と三坂教官は両手を赤羽根教官の肩に置き、目をしっかりと見据えて語りかけた。
「自分に自信をもて、赤羽根」
三坂教官の言葉は赤羽根教官の心にも染みたのだろう。彼の瞳から一筋の涙が流れたけれど、その涙は悲しみの涙じゃないはずだ。
赤羽根教官は三坂教官の目を見返して、力強く頷いた。その姿は、今まで見たどの瞬間よりもかっこよく見えた。
112階の会議室に入ると、昨日と同じ場所に話のとおり最高司令部の面々が勢揃い。そしてこれまた話のとおり、その中に亀山大将の姿はなかった。
しかし、昨日と違って彼らは三坂教官が来たのに静かに席に座っている。不思議に思い首をかしげたが、視界に入ったカチコチに固まってしまっている赤羽根教官を見てなんとなく事情を察した。―――つまりは、赤羽根教官に威厳を見せつけるたい、ということか。
初めてここに来た時のことを思い出して、少し笑みを漏らす。懐かしく感じるけれど、まだ1ヵ月ほどしか経っていないのだ。まだ1ヵ月、されど1ヵ月だ。
強くたくましく尊敬できるのに、遊び心を忘れていない最高司令部の人たちは、私が事情を察したことに気付いたらしく、悪戯っ子のような顔で顔で私に笑いかけた。
「えー、それでは、会議を始めます」
そんな中響いた三坂教官の一言。それを聞いた瞬間一斉に立ち上がった最高司令部の面々。軽く一礼して、すぐに席に座るというルールのようなものにも少し慣れてきた。
「本日は、“始末”において協力を要請したい人を連れてきた。赤羽根凱斗少尉だ」
「あっ、赤羽根凱斗少尉であります!」
誰がどう見ても緊張しているようにしか見えない赤羽根教官は、いつもよりかなり高い上ずった声で自己紹介した。タジタジなその姿に笑いが漏れそうになるが、最高司令部の面々は全員変わらぬ表情のまま。彼らにとってポーカーフェイスは基本中の基本なのだ。私も下手と言われるが、一応ポーカーフェイスくらいならできるので、頑張って笑いをこらえる。
その後今日の会議の大まかな流れを説明した三坂教官は、私に一番前の席に座るよう指示した。私も素直に頷いて一番近くの席に座る。隣を見ると、優しく微笑む七瀬さんと目が合った。そういえば彼の名字は知っているけれど、名前を知らない。あとで聞いておこう。
「さて、本題に入るが―――」
三坂教官のその言葉にゆっくり顔を上げると、三坂教官の隣で依然としてカッチカチになっている赤羽根教官と目が合った。彼も私に微笑もうとしてくれたがとてもじゃないが人に見せられる笑みではない。おまけに私の近くの人が数人、ポーカーフェイスを崩されて小さく笑う声が聞こえてきた。こっちが恥ずかしいのは何故なのだろう。
前を向いていた三坂教官は、そんな赤羽根教官に気付いたらしく、彼の背中を勇気づけるように優しく叩いた。
やっぱり三坂教官は優しい人なのだ。
「……赤羽根、お前に頼みたいことがある」
「なっ、なんでしょうか!」
しかしきっと、この優しさの半分はこの後に続く言葉のため。
そこでようやく、私は思い出したのだ。なんで今まで忘れていたんだろう。こんな大切なことを。
「教官……」
そうだ、三坂教官は松本さんという親友を戦地で亡くしているのだ。彼は、友人を失う辛さを誰よりも知っている。
それに、三坂教官だって赤羽根教官と出会って感じたはずだ。―――彼にこの“始末”は辛すぎるものだ、と。どうやっても優しい彼は、友人を裏切るようなことはできないはずだ、と。
しかし、そんなことを今更言ってもどうしようもない。私だって散々考えて、今日赤羽根教官と共にここへ来たのだ。
私も三坂教官も最高司令部も、もう後戻りはできない。そしてそれは当然、ここに来てしまった赤羽根教官も同じなのだ。
なかなか“頼み”の内容を口にしない三坂教官を、赤羽根教官も怪訝な顔で見る。
三坂教官は相変わらずのポーカーフェイスだけど、その横顔には辛さが滲んでいるようにも見えた。
「ふぅ……」
意を決した三坂教官は小さく深呼吸して、そして赤羽根教官の目をじっと見据えた。
「この3名を、お前は知っているか?」
「え、えぇ……彼らが、どうかされたんですか……?」
手渡された資料にプリントアウトされている3人の友人の顔を見て、赤羽根教官は素直に頷く。しかし、三坂教官は淡々とした口調で赤羽根教官に告げた。
「……今現在、彼ら3人に容疑がかかっている。……情報漏えいの、な」
「えっ……!?」
赤羽根教官はひどく驚き、傷ついた顔をした。顔を真っ青にして、身体を震わせて、その場に立ち尽くしている赤羽根教官を見ているのは辛いものがあった。
彼にとっては、その友人がたとえ悪人だったとしても、大切な友人には変わりないのだ。
それに、赤羽根教官だって一応軍の人間。自分がここに呼ばれ、友人の裏切りを告げられてた真意がわからないわけがなかった。
「……俺には、できません」
静寂を破ったのは、赤羽根教官の小さいけれどはっきりとしたそんな声だった。
「あいつらがしたことは、そりゃ、本当なら裏切りだし、許されることじゃない。だけど、俺にはあいつらを、殺すことなんて……」
目尻に涙を滲ませた赤羽根教官は、ぐっと顔を上げて三坂教官の顔を見据えた。
「……できません」
再び静寂が広がる。
最高司令部の人々は決して冷酷な人ではない。むしろ人情に溢れた人だということを、私も短い付き合いとはいえちゃんと知っているつもりだ。―――だけど、彼らは軍のトップに立つ精鋭。自分の感情を最優先することなんてできない立場なのだ。
赤羽根教官が拒否することなんて、きっと彼らにはお見通し。対処法だっていくつも考えているはず。だけどこうやって赤羽根教官の思いを聞いてあげるのは、彼らの優しさの表れだと思う。
「……お前の気持ちがわからないわけじゃないんだ、赤羽根」
教官が鋭い眼差しで赤羽根教官を見ながら言った。この目で見られると目が離せなくなるのは、私も身をもって体験している。
「……だが、これはお前の意思でどうこうなる問題ではない。もしここでお前が拒否したなら、お前だって始末の対象だ」
「そんな……!」
酷いけれど、それもまた現実。
そして、その友人たちに手を下すのは私と河原なのだ。
「赤羽根教官」
私が名前を呼ぶと、彼は縋るような目で私のことを見た。
私だって実践で経験があるとはいえ、人を殺すのが楽しいわけがない。かつて島田くんにもそう言った。
だけど、三坂教官が最高司令部で優秀な狙撃手を探している時に私たちを推薦してくれた期待には応えたい。
冷たいかもしれないけれど、私の中の優先順位は何があっても変わらない。赤羽根教官が三坂教官を超えることはないのだ。
―――それはつまり、彼の期待には応えられないということ。
「葛西さんは……富井さんとか、財前くんとかを殺せ、って言われたら……殺せる?」
「それは……」
なんてずるい質問。でも、それだけ彼が追い詰められているということか。
「……上に指示されたことなら、殺しますよ。彼らは確かに大切な友人ですけど、私は夜桜学園の生徒とはいえ、日本軍の軍人ですから。……大きな組織に属する者なら、上に従うのが道理でしょう」
ここ最近、何度も心の中で考えたこと。
私や赤羽根教官は軍に所属しているのだ。上に従わないわけにはいかない。栗山さんに容疑がかけられた時だ、それを痛感した。
栗山さんは幸い殺されはしなかったけれど、でも状況は同じようなものだ。
「葛西さん……そうだけど、でも……!」
赤羽根教官がそういいかけたその時だった。
―――パチンッ
乾いた音があたりに広がる。突然のことだったけれど、今確かに三坂教官は、赤羽根教官の頬を叩いた。
突然の出来事に狼狽える赤羽根教官。信じられない、という瞳で三坂教官を見返している。
しかし三坂教官は怒りのこもった瞳で赤羽根教官を睨みつけていた。まさに殺人鬼。最高司令部の人たちですら短く息を飲んでいる。
「み、三坂、中将……」
「……お前の気持ちがわからないわけじゃない。だがな……お前は、自分の生徒にそんなずるい質問をして、同意を得て、どうしたいんだ!!葛西がもし殺さないと言っていたら、お前は葛西をどう利用するつもりだった!!!」
しん、と静まり返った会議室。
誰も、何も言うことができなかった。
「すいません……すいません……!」
湧き上がってくるような赤羽根教官の号哭に、私たちは何も言うことが出来なかった。
確かに、三坂教官の言う通りだ。
私がもし殺さない、と言っていたら彼はどうしたのだろう。
三坂教官が私と河原に甘いことは最高司令部の人なら知っている。赤羽根教官だって短時間で察したのだろう。
極端な言い方かもしれないけれど、彼は私を人質にしようとしたのだろう。そうすれば、三坂教官は自分の意見を聞くと思って。
依然として泣きじゃくる赤羽根教官。これ以上の会議の続行は不可能だった。
「……大声を出してすいませんでした。本日の会議はここで終わりたいと思いま―――」
三坂教官が淡々とした口調で会議の終了を告げようとした時だった。
「やります!!!!」
悲鳴のような大声が会議室に響いた。
皆一斉に声の主―――赤羽根教官を見る。彼は俯いて、肩を震わせていた。
「葛西さん、三坂中将、すいませんでした。俺が間違っていました。……やらせてください」
「赤羽根教官……」
嬉しくなる、とは変な表現だけど、でも彼が最高司令部の思いを理解してくれたのだと思って嬉しくなった。
「すまない。……ありがとう、赤羽根」
三坂教官はそう言いながら、赤羽根教官の肩に手を置いて顔をのぞきこんだ。しかし三坂教官の顔は、みるみる強ばっていく。
「赤羽根……?」
髪の隙間からチラッと見えた彼の顔を見て、私や最高司令部の人までもが息を飲んだ。そして、悟ったのだった。
―――彼は、何も納得していない。
それどころか、きっと自分も死のうとしている、と。
「……それでは、失礼します」
感情を失った顔で彼は無理やり笑顔を作って頭を下げ、逃げるようにその場から立ち去った。
「赤羽根教官ッ!」
私の叫び声だけが、静まり返った会議室で反響した。これは、まずい事態になってしまった。




