35 襲撃(ⅸ)
翌日。
しかし残念ながら河原の熱は下がらず、それどころかむしろ上がっていた。こればかりはどうしようもない。
もちろんそんな状態の河原に会議に参加しろ、なんて私も教官も亀山大将ですらもらいえるはずがなく、今日の会議は私1人での参加となった。
しかし、それはあくまで河原と一緒ではない、という意味。実際は、とても重要な人と2人で会議室に行かなくてはならないのだ。
「藍、一緒にご飯食ーべよっ」
―――昼。今日の授業はこれで終わり。上はまだまだ色々と忙しいらしい。
いつ赤羽根教官に声をかけようか悩んでいると、いつの間にか4限まですぎていたらしい。そしていつも通り、富井が昼ごはんを一緒に食べようと誘いに来た。
息が詰まりそうな毎日の中で、富井や財前や紗也と話している時は一番の息抜きになる。
富井の誘いに頷くと、近くにいた紗也と財前がやってきた。
「まりん、俺もいい?今日一也いないから」
「いいよいいよ!大空なら大歓迎!ねっ、藍、紗也ちゃん」
「もっちろん!一緒に食べよ食べよ!」
「財前ならもちろん」
たわいのない会話。それがどれだけ幸せなものか。かつては普通に流れていた全てが、今は全部大切に思える。
同じ階にある食堂へと向かっている最中、ふと振り返ると後ろから見覚えのある人が歩いてくるのが見えた。―――赤羽根教官だ。
「あ、赤羽根教官だ」
「あー、本当だ。相変わらずぼーっとしてるねぇ。大空みたい」
「えー、ひどい!」
相変わらず酷い言われようだけど、それは裏を返せば彼がそれだけ好かれているということ。本当に彼に、仲間を裏切ることはできるのだろうか。心配は消えないが、私がどうこう言える問題でもない。
「ごめん、私教官に用があるから先行ってて」
「ん?どしたの?待とっか?」
「ううん、大丈夫。先に席でも取っててよ」
「りょーかーい。じゃあね~」
3人に断りを入れて、赤羽根教官のところへと走っていく。前をゆっくり歩く3人は私を見送った後も変わらず、笑い声を漏らしながら楽しそうに雑談しているようだった。
しかし前にいる赤羽根教官は違う。踵を返して自分のところへとやってくる私を見て、怪訝な表情を浮かべる。
「葛西さん?どうしたの?」
「いえ……教官に伝えなきゃいけないことがあって」
彼は軽く息を切らす私を心配しつつ、目を丸くして首を傾げる。
「俺に?なんだろう?というか、今日は河原くんは休みなんだね、珍しく」
「あー、はい。風邪引いたみたいです」
「そうなんだ。無理は禁物だね、葛西さんも」
えへへ、とお人好しな笑みを浮かべる赤羽根教官。本当に彼を見ていると心配になってしまう。だけどここまで来てしまったのだ。もう引き返せない。
ぐいっと顔を上げ、赤羽根教官の澄んだ瞳をしっかりと見据える。
「教官、昼食後のホームルームが終わってから一緒に来てください」
「え……?」
当然だが、その言葉を聞いた赤羽根教官はより不思議そうな顔をした。
「えっと、その……どこに?」
「最高司令部です」
「さ、最高司令部!?無理無理!?俺が行ける場所じゃないよ!?ていうか葛西さんもね!?」
頭をこれでもか、というくらい激しく横に振る赤羽根教官。気持ち悪くならないのか、と心配になってくる。
「私は用事があるんです。そしてそれは、教官にも関係あることなので」
「えぇ!?俺何かしたのかな!?」
「いえ、何も。というかむしろ、これからする、と言うべきかも」
「えぇ!?するの!?」
大声をあげてオーバーリアクションをとる赤羽根教官のことを、近くにいる生徒はもちろん、遠くにいる生徒までもが驚いたように見た。しかしそんな彼らの視線にも赤羽根教官は気付いていない。いっそ大物なんじゃないかと疑うレベルの鈍感さだ。
「とにかく、お願いしますね。じゃあ」
「えぇ!?ちょっと待って、葛西さーん!?」
やっぱり頼りない赤羽根教官。ここでどうこう言っても何も理解してもらえないだろうから、話すのは後にするべきだろう。そう考えて、申し訳ないけどその声を無視して私は食堂へと走った。
食堂は珍しく人で溢れていた。みんな下層のカフェやレストランなどに行くことが多いので空いているかと思っていたけれど、これは意外だ。
しかしちゃっかり4人分、しかもど真ん中に席を確保しているのが富井と財前と紗也だ。既に温かいうどんを食べている富井と、順番待ちの札を持って席に座っている紗也と財前に声をかける。
「おまたせ」
「あっ、藍!用事はすんだの?」
「赤羽根教官の叫び声?みたいなの聞こえたけど、大丈夫だった?」
「あー、うん。それは大丈夫」
やっぱりここまで、あの頼りない大声は聞こえていたのか。
「一瞬食堂が静まり返ったよね」
「そうそう!何事かと思ったよ」
「あはは……」
そりゃあんな大声出されたら、私だって驚く。当事者じゃなければ尚更だ。
しかしなかなか理由は言わない私を見て、私が上層部に出入りしていることを知っている財前と富井は、それに関連することだと察してくれたらしい。紗也も察しは恐ろしいくらい良いので、私が上層部に出入りしていることは知らなくても何かしらの訳ありだと察してくれたらしい。3人ともこれ以上は赤羽根教官のことについては触れないでいてくれた。
「……ありがとう」
「ん?何が?」
そう言って何も知らない風を装っている富井だが、その顔にははっきりと得意げな笑みが浮かんでいた。
終礼のチャイムがなってホームルームが終わると、みんな散り散りに教室から出ていく。
「藍、これからまりんちゃんとカフェ行くんだけど、一緒に行く?」
カバンを肩にかけた紗也が私のところはやってきた。その誘いは魅力的だが、あいにく私には行かなくてはならない場所がある。
「あー、ごめん。今日はちょっと」
「そっかぁ、残念。んじゃ、また明日ね!」
「うん、また明日」
手を振る紗也と富井に手を振り返しながら、“また明日”と言えることがこんなに素敵なことだなんて忘れていた、なんてことを考えて、なんてセンチメンタルなんだろうかとため息を吐く。
―――昨日1日色んなことがありすぎたのだ。私まで熱を出さないように気をつけなければ、と両頬を軽く叩いて気合いを入れ直して前を見ると、ほかの生徒と話しながらもちらちらと私の方を伺う赤羽根教官と目が合った。
「あ……」
「教官、どうしたの?」
「いや、その……」
「大丈夫ー、教官?」
私と目が合ってあからさまに動揺する赤羽根教官。なんで私は動揺されなきゃいけないんだ。というかそもそも生徒と目が合っただけで動揺する教官って大丈夫なのだろうか。こうやって周りの生徒にまで心配されてるし。
このままでは埒が明かないので、人差し指を教室の外に向けて口パクで“エレベーターホール”と伝える。読唇術は基本中の基本。さすがの赤羽根教官だってわかるだろう。
彼が本当に理解したかはわからないが、理解していなくてもエレベーターホールには来るだろう。
カバンの中に授業で使うタブレット端末をしまうと、私は赤羽根教官を一瞥して教室から出た。
「本当に大丈夫なのかなぁ……」
エレベーターホールに向かう途中、ふと漏れたそんな不安。
赤羽根教官を信頼していないわけじゃない。彼だって一応軍人なわけだし、実践だってくぐり抜けてきたわけだし。だけど、どうしても不安になるのは、彼を見ていたら仕方が無いことなのだ。
「はぁ……」
またひとつ、ため息を漏らす。
「何ため息吐いてんだ」
「えーだって……―――って、ええ!?き、教官!?」
突然聞こえたその言葉。なんの違和感もなく返答してしまうところだった。
顔を上げて振り返るとびっくり仰天、後ろには腕を組んだ三坂教官が立っていた。というか、なんで教官がここにいるのだろうか。
「なんでここにいる、って顔だな」
ハッとして教官を見ると、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた教官が私のことを見下ろしていた。
「い、いや、そんなことは……!」
「葛西は本当にポーカーフェイス下手だな」
「そりゃ、教官が上手すぎるだけですよ」
「うん、そうかもしれん」
「否定しないんだ……」
やけに機嫌のいい教官。少し不気味だけど、不機嫌よりはずっといい。
「―――じゃなくって!」
いけないいけない。話を逸らされるところだった。
勢いよく教官のところへ走っていくと、教官は少し驚いたように仰け反った。
「な、何だ?」
「教官、なんで高等部にいるんですか?」
「あぁ、そんなことか」
私の質問に教官は愉快そうに笑った。
やっぱり機嫌が良すぎる。不気味を通り越しそうだが、もうこれ以上は何も考えないようにしよう。それが身のためだ。
教官は可笑しそうに笑いながら、私の頭を雑になでた。髪が乱れる、なんてことは今更言わない。
「なんでって、葛西を迎えに来てやったんだよ。あと赤羽根凱斗も。まあ、当人は見当たらんがな」
「あぁ……赤羽根教官なら、他の生徒と話していたので、エレベーターホールで待ち合わせしてますよ」
「なるほど。ちゃんと話はしたんだな」
「そりゃ、ここまで来たら引き返せませんよ」
「そうだな。えらいえらい」
「うわぁ……わざとっぽい」
昨日の河原よろしくジト目で教官を睨むが、相変わらず笑みを堪えている教官。本当に一体なにがあったのか。
怖いからやっぱり聞けないけれど。
そんなこんなでエレベーターホールに着いた私たちは、端にあるソファタイプのスツールに腰を下ろして赤羽根教官を待つ。
「会議って何時からでしたっけ」
「さあな。俺が着いたら始まる」
「なんで横暴な……」
教官はそんなことも出来るのか、と感心しかけて気付く。
「もしかして今日、亀山大将いらっしゃらないんですか?」
「え」
みるみる教官の笑顔がはがれ落ち、首筋を汗が一筋伝っていく。
「やっぱり。やけに機嫌いいなと思ってたらそうだったんですね」
私がため息を吐くと、教官は少し気まずそうな顔をする。教官にこんな顔をさせてしまう亀山大将はすごい、なんて的はずれなことを考えていると、やがて観念したように教官もため息を吐いた。
「間違ってはない」
「やっぱり」
「でも、それだけじゃない」
教官が嬉しそうに笑って私を見た。
「栗山が解放されるかもしれない」
「えっ!」
その言葉を聞いた瞬間、考えるよりも先に勢いよく立ち上がってしまい、さらに大きな声まで出てしまった。周りの生徒たちが何事かと一斉に私たちを見る。もともと教官がここにいる時点で、少々目立っていたから今更だけど。
「栗山さん、解放されるんですか!?っていうか早くないですか!?」
「俺も正直かなり驚いてる。まあ、あいつの今までの行いや功績や人柄から、上も疑う余地はないと判断したんだろう」
「そっか……よかった……」
彼は勇ましい姿をしていたけれど、心配じゃないわけがなかった。
実践の授業に代表されるように、軍には冷酷な面もある。疑わしきは罰せず、という言葉は通用しないのだ。それがたとえ身内だとしても。
「亀山さんは、そのための手続きで1日予定がびっしりだからな。今回の会議には出ないんだ」
教官も私に話すことで実感が生まれたのか、二重の意味で安心したらしく、瞳を細めている。
そんな話をしていたから、私たちはここで待機している理由を忘れかけていたのだ。
「ごめんごめん、葛西さん……―――って、み、三坂中将!?!?!?」
さっきの私の大声の比じゃない声量。それなのに頼りなさげな風貌の赤羽根教官はやってきて早々、私の隣に座るいかつく威圧感のある三坂教官を見て、言葉の通り腰を抜かしてその場にへたりこんでしまった。
「大丈夫か……?」
赤羽根教官への心配と、任務遂行への心配。
今度は二重の意味で心配する教官は、私の顔を見て、これはどうしたものか、大きくため息をついた。




