34 襲撃(ⅷ)
「日本軍情報科渡辺班の栗山朔夜中尉だ」
―――教官のその言葉に、気付けば足が止まっていた。
「え……栗山さん……?」
「あぁ。……彼の父親は、内閣を構成する大臣の1人で、次期総理大臣との呼び声が高い人だ」
「そうなんですか……。でも、栗山さんは中尉なんですよね……?」
「そうだが、情報科には正直なところそんな肩書きは存在しないと思っていいだろう。全員少佐以上の実力も権力も持っているようなものだ」
「そうかもしれないけど、でも違うと思います……だって、あんなにいい人が軍を裏切るわけない……!」
「……あぁ、わかっている。だから、俺も亀山さんも少し悩んだんだ」
栗山さんは、聖菜さんと同じ情報科で働く人で、私にたくさん情報科のことを教えてくれる尊敬できる人だ。
尊敬し、感謝している人だからこそ、そんな人が疑われているのは辛いし、悲しい。
でも、それは教官たちも同じなのだ。亀山大将も信頼を寄せていると言っていたし、疑うのは不本意なのだろう。
だけど亀山大将と教官は最高司令部の軍人。全軍人のことを考えれば、自分たちの独断で疑わしい者を見逃すことは彼らにはできない、ということも理解しているつもりだ。
「そんな顔するな、葛西」
「教官……」
そう言いながら教官は、私の肩に手を置いて視線を合わせるためにしゃがみこんだ。初等部のころ、教官は妙に頑固なところがあった私に物事を言い聞かせる時、こうやって話し聞かせてくれたものだ。
「大丈夫だ。栗山は聡く、優秀な奴だからな。それはお前も知っているだろうし、主任の渡辺さんや、聖菜さんたちも理解しているだろう」
教官が優しい瞳を私に向ける。
この瞳も何もかも、幼い時から変わっていない。私がこの目に弱いのを知っていて、彼はこうするんだから、本当につくづく教官はずるい。
「そうですね……」
正直納得はできなかったけど、軍のためならば仕方がない。それはやはり、大きな組織に属していれば仕方が無いのだろう。
上は独断なんてできないし、下は上の判断に従うしかない。どちらにも厳しく、難しい世界だ。
とはいえ教官も考えたいことがあるらしい。
教官は亀山大将に連絡を入れ、栗山さんのところへ行くのは明日にする、と私たちに告げた。
教官がそう決めたのなら私たちはそれに従うしかないので今日はそこで解散し、自室へと戻った。
―――翌日。100階、オープンスペース。
広い空間の片隅に、栗山さんを見つけた。
「あ、三坂さん。それに、葛西さん……?」
「……こんにちわ、栗山さん」
「あぁ、こんにちわ。今日はどうしたんだ?三坂さんまで」
「ちょっとな。……栗山、今いいか?」
「……えぇ、大丈夫ですよ。ちょっと待っててください、飲み物を取ってきます。皆コーヒーで大丈夫ですか?」
「あぁ、ありがとう」
教官がお礼を述べると、栗山さんは笑みを浮かべ会釈してドリンクカウンターへと向かう。しかし教官は、悲しげな表情でその後ろ姿を見つめている。
「あいつ、気付いていたのか」
「え……気付いていたのか、って……」
反射的に、向こうで知り合いと笑顔で話している栗山さんを見る。彼は既に、自分に容疑がかけられているということに気付いているというのか。
「おまたせしました」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「いえ、全然。それで……俺は、どこへ行けばいいですか?とりあえず、亀山さんのところですかね?」
コーヒーを3つ、トレーに乗せて持って返ってきた栗山さんは、コーヒーを置きながら教官に普段と変わらないトーンで尋ねた。教官はそんな栗山さんの顔を見て、困ったように眉を下げて笑った。
「はぁ……さすがというかなんというか……栗山、お前は深くは聞かないんだな」
「まぁ。そりゃ、こんな事件でこんな身分ですから」
教官のその言葉に、栗山さんも困ったよう笑う。息苦しい、気まずい空気が流れる。
「……すまんな」
教官は耐えきれなくなったのだろう。ただそう言って謝る。そんな教官に対して、栗山さんはさらに困ったように笑った。
「いえ、しょうがないですよ。……子供は親を選べません」
「そうだな……あぁ、そうだ……子供は親を選べない……」
教官が小さな声でその言葉を反復すると、栗山さんは深く頷いた。
「そうです。だから、三坂さんが気にする必要はないです」
そう穏やかに笑う栗山さんの笑顔は、当然だけど少し苦しげに見えた。
「だからね、葛西さんもそんな顔しないで」
「え……」
唐突に呼ばれた自分の名前。どう反応すればいいのか戸惑う私の頭を、栗山さんは優しく撫でる。教官とは違う、少しぎこちない手つきだった。
本日2度目のその言葉。―――そんなに私は、情けない顔をしていたのだろうか。
栗山さんは私に向かって優しく微笑み、私の右隣の椅子に腰掛けて残っていた自分のコーヒーを飲み干した。
「それに、多分俺は君が思ってるほど聞き分け良くない」
そういった彼の瞳は、決意に満ち溢れているように見えた。
「俺だって、ただ疑われに行くわけじゃない。でも、人に疑われるくらいなら、自分で無実を証明したいだけだよ」
「栗山さん……」
「だから、安心して欲しい」
「……はい」
そう言う彼の表情は、決して全てを諦めた人のものではない。むしろ、どこか楽しそうにすら見えた。
最後にもう一度私に笑いかけた栗山さんは、ゆっくり立ち上がって教官を見た。
「行きましょう、三坂さん」
「……あぁ、わかった」
そう言われた教官は、飲みかけのコーヒーを机の上に置いて立ち上がり、栗山さんと共にエレベーターの方へ歩いて行く。
「葛西、河原」
「はい」
「明日の赤羽根凱斗のこと、頼む」
「……はい」
目の前にいたのは、既にいつも通りの教官と栗山さんだった。
同じ瞳をした2人の並ぶ背中を見送っていると、今の今までだんまりだった河原が、突然大きなため息を吐いた。
「なに、河原?」
私が尋ねると、河原はジト目で私のことを睨む。その眼光の鋭さに思わず背筋が震える。
「……葛西、あの人とどういう関係?」
「あの人って……あぁ、栗山さんのこと?」
「そう、あの男」
「あの男、ってね……」
何を河原が怒っているのかはわからないが、1つだけ確実にわかることがある。
―――それは、どうやら河原は栗山さんのことを何故か、よく思っていないということ。
「ていうか、河原、栗山さんと会ったことあるでしょ?言ってたでしょ、確か」
「はぁ!?あんなやつ覚えてねぇよ!高等部の生徒に色目使うようなやつは!」
「色目って……そんなんじゃないわよ……」
一体彼は何故こんなに怒ってるのか。理由として思いつくのは、栗山さんのことを河原はあまり知らないから、ということくらい。
もしかして嫉妬の一種なのだろうか。私が時々富井に感じる感情と同じなら構わないけれど、勝手に嫌われてしまっている栗山さんが、このままではあまりに不憫だ。
栗山さんが飲み干したコーヒーカップを睨みつける河原は、まるで大型犬のよう。
「あっ、ほら、夏休み前、私が携帯端末部屋に忘れた時、会ったって言ってなかった?」
話を戻そうと画策するけれど、河原は依然として怖い顔のまま。しかし、栗山さんに会ったことだけは思い出したらしい。
「あぁ……あの時確かに……」
「でしょ?」
「でもその時は、あんな奴だとは思ってなかった!葛西、あいつは危険だ!やめとけ!」
「あんたは私の父親か!」
ここまで来ると必死になっている河原がいっそ可愛らしく思えてきた。まあ、笑ったら余計に面倒くさくなるのは目に見えるので、そこはポーカーフェイスでぐっとこらえる。
とりあえず事情はなんとなく察した。しかし河原は、私と栗山さんの関係を大いに誤解しているらしい。
「河原、私と栗山さんはただの知り合いよ」
「嘘つけ。頭なでるなんてセクハラだろ」
「教官だってよくするじゃない」
「じゃあ教官もセクハラ」
「ちょっと」
―――話がずれた上に、何故か河原の頭の中では、教官がセクハラしたことになってしまった。いけない、話を戻さなくては。
「とにかく、本当にただの知り合い。私は彼のことを先輩として尊敬してるし、彼も私のことはただの後輩としか思ってないわよ」
「本当に……?」
「当然でしょ。少なくとも私はなんとも思ったことはないよ」
まあ、綺麗な顔だとは思っているけれど。
それを言うと余計にめんどくさくなるので、そこは省かせてもらった。
そんなこんなで、どうにかこうにか弁解すればようやく河原も納得してくれたらしい。
真っ赤だった顔もわずかに平常通りの色に戻り、鋭い眼差しも柔らかい笑顔に変わった。これで一安心。
「そっか。……うん、そうだよなぁ」
はぁ、とため息を吐きながら天井を見上げた河原につられて天井を見上げる。
「俺、葛西取られるかと思ってヒヤヒヤしたんだよ。ちなみに、財前や島田や北長瀬先輩たちに対しても、ぶっちゃけそう思う時がある」
「何それ?そもそも私はいつ、河原のものになったの?」
「いや、それはそうだけど、そうじゃなくって!」
なるほど。ここまで正直に言われると、嬉しいを通り越してもはや恥ずかしい一択だ。
自分の顔が赤くなってないか内心ヒヤヒヤしていると、河原は畳み掛けるように上目遣いでこちらを見上げてきた。子犬のような大きく潤んだ瞳がこちらを見つめる。
「……なぁ、葛西。お前も俺が富井と一緒にいる時、こんな気持ち?」
やけに素直な今日の河原。私の気持ちも少し落ち着いたらしく、たまにはいいか、と思い始め、私も素直に頷こうとしたまさにその時。彼の顔を今一度見て、はたと気付く。
―――そういえば、彼が素直すぎる時は大体……。
「河原、ちょっとごめん」
「へ……?」
キョトンとしている河原のおでこに手を当て、瞳を見る。彼は、とろんと溶けそうな目で、不思議そうに私を見つめる。―――やっぱり。
「葛西……?」
「河原、熱あるわよ」
「え、嘘」
「本当。おでこ熱い」
―――そう、河原が素直すぎる時は、本人も無自覚なことが多いけど、熱があることが大半なのだ。
そして残念ながら、今回も例外ではないらしい。大方疲れが溜まっていたんだろう。
実は、河原は本来はそんなに身体が強い訳では無いらしく、微熱くらいならそれなりの頻度で出すのだ。
さすがに病人をこれ以上連れ回す訳にはいかない。幸い最近は実践もないので、いつかのように、私が怪我をして河原が自分を責めるなんてことはないだろうけれど、今は実践よりもずっと大切なことがある。
しかし今は体調優先。自覚した途端にしんどくなったらしい河原の手を引いて、49階の男子寮へと向かう。
エレベーターの中、頭を抱えてしゃがみこんだ河原の背中をさする。
「大丈夫、河原?」
「あぁ……ていうか、俺よく気付かなかったよなぁ……」
「本当にね。朝からしんどくなかったの?」
「多分、アドレナリンでも出てたんだろうなぁ……」
「アドレナリンって……それは痛覚麻痺じゃ……」
河原は浅い呼吸を繰り返していて、見るからに苦しそうだ。エレベーターの小さな個室の中の空気が、ずいぶん薄く感じられる。
「河原、大丈夫?」
もう一度声を掛けたが、返事はない。不安になって横を見ると、すうすうと小さな寝息が聞こえてきてほっと胸をなでおろす。どうやら眠ってしまったらしい。
49階でエレベーターを降り、一番奥の河原の自室へと向かう。先程と比べても体が熱い。確実に熱があがっている。
「ごめんね、あとちょっとだから」
申し訳ないと思いながらも河原を起こす。しかし意識が朦朧として、とても歩ける状態じゃない。
こういう時、体を鍛えていて良かったと思いながら、なんとか河原を背負い、ゆっくり1歩ずつ歩く。
しかし、これがなかなかの重労働。どちらかといえば細身の河原だが、実際は筋肉の塊。私も鍛錬は怠ってないとはいえ、男女の体格差は大きい。
そろそろ限界かもしれない、と思った矢先、角から突然見覚えのある影が現れた。
「あれ、葛西と河原?え、葛西お前、男子だっけ?てか河原どうしたの?」
「北長瀬先輩!ちょうどいいところに!」
先程少しだけ話題に出た、いつもと変わらず気だるげな雰囲気を纏った北長瀬先輩。
しかし、いつもと様子の違う河原を見て、事情があると察したらしい。
私の背後にまわった先輩は、私から河原を剥がし、半ば無理やり河原を姫抱きした。途端に背中に感じていた重みと熱が一気に引いてゆく。
「頑張ったな、葛西。重かったでしょ、俺も重いもん。あと熱い」
「あはは……ありがとうございます」
「いいよ、別に。それより河原の部屋、どこだっけ」
「えっと、確かここをまっすぐ行って、左に曲がったところのはず……」
「えらい適当だなぁ。まあいいけど」
「しょうがないじゃないですか、女子寮とは廊下の造りが違うんですから」
ぶつくさ言いながらも、先輩は私の言うとおりに河原を背負って歩いていく。隣を歩いている先輩は、河原よりも財前よりも大きくて、やはり先輩なのだと感じる。
「ほら、着いたけど」
「え、あ、ありがとうございます」
そう声をかけられて、はっと顔をあげれば河原の部屋の前。急いで河原の制服のズボンのポケットから鍵を探り出し、部屋のロックを解除する。
「本当にありがとうございました、先輩」
「いや、さっきからすごく礼言うけど、別に葛西が礼を言うことじゃないでしょ。まあ、後輩を助けるのは先輩の務めらしいからいいよ」
「先輩もなかなかに適当ですね」
そう言いながら先輩は、部屋の端にあるベッドに河原のことを優しく横たえた。そして、勝手に冷蔵庫を物色しお茶を一杯飲み、ホッと一息ついた。
「うめぇ」
「人のものですけどね」
「恩人の喉くらい潤してくれるって、河原は」
そう言って先輩はふふっと笑った。その笑顔が珍しくて少し見とれていると、先輩はにやりとした。
「見とれた?」
「そんなわけ……!」
つい声を荒らげてしまい、ハッと自分の口を押さえる。河原の方をおそるおそる見るが、幸い彼は規則正しい寝息を立てていた。
ホッとしている私の前に、先輩はにんまり笑って立てた人差し指を突き出した。
「静かに。君の相棒が起きちゃうよ?」
「そ、そうですね…」
私が苦笑いすると、先輩も乾いた笑みを漏らした。
そんな先輩は、私が河原のために脱衣場にタオルを取りに行っている間に、いつのまにか部屋から立ち去っていた。気付けばいなくなっているあたり、先輩らしいけど。
タオルを枕元に置きながら、少し和らいだ表情の河原を見る。苦しそうなのには変わりはないけれど、先程よりは幾分か楽に見える。
河原は無理しすぎたり、ストレスを溜め込むところがある。それに気付いてあげられなかったのは、相棒である私の責任だ。まぁ、そんなことを言えば、河原は自分を責めてしまうけれど。でも河原だって、もし私が熱を出したとしても同じことを言うだろうけど。
「とりあえず、早く元気になってよね……」
返事はない。だけどそれはつまり、それだけぐっすり寝れているということだ。
部屋を去ろうと玄関まで行って、ふと思い立って再び部屋に戻る。
「……明日は任せて」
そう言いながら、私は栗山さんが私にしたように、ぎこちなく、けれど優しく河原の頭を撫でてみた。




