30 襲撃(ⅳ)
会議の後。
誰もいなくなった会議室から手を引かれるようにして出た私たち。目の前には、薄暗い非常用の螺旋階段を怖い顔をして無言でのぼる教官。その後ろを、私たちはただついて行くしかなかった。
実に15階分も階段をのぼってようやく120階についた時には、私たちだけでなく教官ですらも軽く息も上がっていた。しかし教官はそれでも止まらず、自分の部屋に着いて部屋に入ってからからようやく歩みを止めた。
「はぁ……」
そして大きなため息を一つ。
「あの、教官……?」
「悪い……いや……あの人と話すと、それだけでえらく疲れる……」
教官はソファに深く腰を下ろし、さらにもう一つため息をついた。
先程の会議を踏まえると、教官の言うあの人といえば、おそらく―――
「それって……さっきの、亀山大将ですか?」
恐る恐る河原が問いかけると、教官は一瞬ためらったが、やがて重々しく頷いた。
「……あぁ。俺はあの人が苦手で……いや、苦手というかもはや、顔を見るだけで動悸がするというか……」
「よくそれで、いつも仕事してますね教官……」
「あの人は普段は、自室にこもっていて会わないからな」
「あ、そうなんですか……」
まあ、そんなこと言われなくても、教官があの人のことを得意としていないことくらい察していたけれど。
でも確かに、教官があの人を苦手とするのもわからなくもない。
奥に座っている時は、まるでその場にいないかのように静かで存在感なんて全くなかった。しかし、あの一言を発した瞬間のとてつもない存在感と威圧感。あの時の驚きと気味の悪さはなんとも言えないものだった。
頭を掻きむしりながら、教官は珍しく言葉を選びながら話す。
「あの人は、亀山朱雀さんと言って、位は俺と1つしか変わらないが、年齢はもちろん、経験値が他の人たちとは比べ物にならないんだ。その能力は尊敬に値するし、確かにすごいんだが……」
不意に教官は眼鏡を外し、天井を仰ぎ見て、そして本日何度目かのため息をついた。
「あー……あれだ、苦手なものはしょうがない!」
しかし、それにしても気になる。
持ち前の―――というかもはや生まれつきなんじゃないかと疑うほど完璧なポーカーフェイスでいつも対人関係をうまくかわす教官が、ここまで苦手にする亀山大将とは一体どんな人物なのだろう。とても興味があるが、また面と向かって話したいとは恐れ多くて到底思えなかった。
教官も私たちに心の内を吐き出してすっきりしたのだろう。今後の連絡をいくつか伝えた後は、すぐに自室に戻るよう促された。なんて身勝手な、と思わなくもないけれど、それも今更だ。まあ、本来は生徒は全員自室待機だし、他の生徒に怪しまれる前に早く帰るべきだろう。
「くれぐれも、気を付けろよ」
「わかってるって。な、葛西」
「えぇ。それじゃ、また」
「あぁ。何かあればすぐに連絡しろよ」
「ありがとうございます、じゃあ」
頭を下げて教官の部屋から出た時だった。頭上から聞きなれつつある綺麗な声が聞こえてきた。
「あら、藍ちゃんじゃない!」
振り返ると、そこには思った通りの声の主である聖菜さんがいた。
昨日もだったが、最近の聖菜さんは鎖骨くらいの長さの黒の巻き髪姿。おそらくこれが変装も何もしていない姿なのだろう、なんてことを思いながら、すこし下から聖菜さんを見つめる。高身長に加えてかなりのハイヒール。完璧なプロポーション。相変わらずどこから見ても見惚れてしまう完璧な美しさだ。
そういえば河原と聖菜さんは、去年の夜桜祭の時に出会ってそれきりだったような気がする。しかし、お互いにお互いのことは覚えていたらしい。
「あ、教官の……!」
「あら、一也くんまで。もしかしてプチ会議中だったかしら?」
「いえ、今しがた終わったところです」
小首をかしげた聖菜さんの質問に答えたのは、うしろから現れた教官。教官の姿を確認した聖菜さんは、カバンの中からA4サイズの封筒を取り出して親指で部屋の中を指した。
「ならよかった。徹くん、ちょっといいかしら。……例の件なんだけど」
「えぇ、大丈夫です。入ってください」
「ありがとう。この子達もいいのかしら?まぁ……関係ない話ではないか」
聖菜さんはそう言いながら私と河原を横目で見る。その視線は何かしらの意味を含んでいるようで、けれどその意味を汲み取ることは出来ず、私と河原はただ顔を見合わせた。
結局教官の部屋にとんぼ返り。そういうほどの距離ではないけど。
「一応聞くけど、この部屋盗聴は?」
「されてません。こいつらが来る前にも確認しました」
「徹くんがそういうなら、そうなんでしょうね。信頼するわよ」
「はい」
たったこれだけの会話。しかしそれだけで、この話の重大さと、教官と聖菜さんの信頼関係の深さが伺い知れる。この会話で安心感を得たのだろう。聖菜さんはソファに寄りかかりながら封筒の中身を取り出す。
ニヤリと笑う聖菜さんと、眼鏡の奥の瞳を光らせる教官。
「それじゃあ、早速。……裏切り者、特定できたわよ」
「ッ!ありがとうございます……!」
裏切り者―――つまり、私たちが“始末”を任された人物。
しかし、襲撃されて裏切り者の存在を疑われたのは、昨日のことだったはず。いくら何でも早すぎるのでは……?
どうやら河原も同じことを思ったらしく、にわかには信じられないといった表情で聖菜さんを見た。
「早くないですか……!?」
聖菜さんはそんな河原と、彼と同じような顔をしていたのであろう私を見て、華麗なウインクを決めた。
「ふふっ、これが情報科の実力よ?」
その不敵な笑みに、私も河原もしばし見とれてしまったのは仕方が無い。
聖菜さんは取り出した資料を見ながら話を続ける。
「容疑者は3人。高度な匿名ソフトなんかを使ってたみたいだけど、残念ながら情報科には日本が世界に誇る天才ハッカーのサラブレッドがいるからね。特定するのなんて朝飯前よ」
「さすがですね。……彼ら、所属は?」
「えっと……全員少尉ね。まだ30歳になったばかりってことは、金で買われたかもしれないわね」
「その可能性は大いにありますね」
すぐそばで繰り広げられているのは、重大すぎる話。
聖菜さんの話によると、3人の容疑者は一昨年、つまり28歳までは通例通り、夜桜学園の教員を務める“指導科”に所属し、現在は指導科を経た日本軍人の約半分が所属する“総務部”に所属しているらしい。
私たちには軍の部署のことはよくわからないが、聖菜さんに言わせれば“普通の中の普通”らしい。しかし、精鋭部隊である情報科に所属する聖菜さんからすれば最高司令部以外は普通なのでは、と思わないこともないけど。
そんな普通な彼らにとって、政府からのスパイという立場はきっと相当魅力的だったのだろう。
「自分の力が認められたって勘違いしちゃったのね、彼らは」
聖菜さんはやれやれ、といった様子で首を横に振ってため息をついた。教官もなるほどな……、と言いながら鋭い眼差しで資料を眺めている。
そんな2人を見ていると、2人はやはりエリートの中のエリートなのだということを痛感する。
でもだからこそ、学園での実践を勝ち抜き、卒業後はすぐに情報科に所属した聖菜さんや、異例のハイスピードで最高司令部まで上り詰めた教官には、きっと彼らの気持ちはわからない。
そして、なんとなくわかるような気がしている私も、これでも学年順位3位。きっと彼らからすればわかってない部類の人間なのだろうし、それは順位が1つでも高い河原なら尚更だろう。
しかし、彼らが本当にスパイなのだとしたらそれを見過ごす訳にはいかない。
私たちは夜桜学園の生徒だが、同時に日本軍に所属する軍人でもあるのだ。正式な軍人ではないが、高等部に所属している今は一応、“伍長”という位だって与えられている。
ちなみに初等部は“上等兵”、中等部は“兵長”という風に、学部が変われば位も上がる仕組みになっている。
とにかく、私たちは上に従うしかない。それが最善なのだろうし、義務でもあるはずだ。
「これはほとんど事実と思ってもらっていいと思うわ。でも、決定するには証拠がなさすぎるのも事実よ。データの改ざんなんて今の時代、当たり前のように行われているもの。いい?……疑わしきは罰せずよ、徹くん」
「わかってますよ……聖菜さん」
「そう?なならいいのよ」
今にも3人を殺りそうな顔をしている教官。そんな彼をなだめるように、しかししっかり牽制するような口調で聖菜さんは言った。
「……聖菜さん、これからどうするんですか」
「そうね……一応、トップにも報告しておこうと思って。一緒にいく?徹くん」
「いえ、遠慮しときます……」
彼女の言うトップが最初、誰のことかすぐには分からなかったけれど、教官の苦虫を噛み潰したような顔を見ればその正体はすぐにわかった。
そんな態度の教官を見て、聖菜さんクスクス笑う。
「本当に亀山さんのこと苦手ねぇ。まぁ、私はどっちの気持ちもわかっちゃうけど」
「本当に勘弁してください……」
「はいはい、わかってるわよ」
可笑しそうに教官をからかう聖菜さんと、すっかり参ってしまっている教官。教官がたじろぐ姿なんて滅多に見られるものじゃないので、河原と2人、教官を凝視すれば睨まれてしまった。
「本当になんでそんなに苦手なんですか……?」
河原の素朴な疑問。私もうんうん、と大きく頷くと、教官は気まずげに視線をそらし、聖菜さんは少し困ったように笑った。
「亀山さんが溺愛していた教え子がいたんだけどね、徹くんがその子を奪っちゃったのよ」
私と河原の息を呑む音がシンクロした。2人顔を見合わせ、そしてほぼ同時に叫ぶ。
「えっ!?略奪!?」
「略奪……!?」
「人聞きの悪い!!」
すっかり劣勢に立たされてしまった教官。
そんな彼の肩を叩きながら、聖菜さんは話を続けた。
「まあ、結局徹くんはその子とは別れて、今は幸那ちゃんと結婚しちゃったけどね。その彼女のことも捨てたわけじゃないんだけど、亀山さんの中では、徹くんは許せない人なんでしょうねぇ。何しろ娘みたいなものだったから」
「なるほど……」
「そうだったんですか……」
というか、教官には幸那さん以外にも彼女がいたのか。そっちの方がよっぽど驚きだ。
まだまだ聞きたいことは山ほどあったけれど、身の危険を察したらしい教官は聖菜さんのことを半ば無理やり部屋から追い出し、ついでに私と河原も下行きのエレベーターに乗せられてしまった。
静かなエレベーターの中、頭の心が冷たくなって突然冷静になる。さっきまでの時間は確かに楽しかった。けれど本来あそこにいた目的は、“始末”のための話し合い。計画は着々と進んでいるのだ。
「なぁ、葛西」
「……何、河原」
「……絶対、成功させような」
少し震えている河原の声。横目で見た河原は緊張した面持ちだったけれど、その瞳には力が宿っていた。
「もちろん、絶対よ」
私の声も震えていた。だけど、その心はきっと彼に伝わったはずだ。




