29 襲撃(ⅲ)
50階のエレベーターの扉が開いた先には、富井と財前がいた。2人とも俯いて不安げな顔をしていた。
「富井、財前」
私に名前を呼ばれると、2人は弾かれたようにこちらを向いた。
「藍、一也!」
「大丈夫?何話したの?」
「えっと……とりあえず、無事だよ」
河原が無事を伝えただけで、2人の表情は緩む。
私たちのことをこんなに心配してくれる仲間がいる。それがどれだけありがたいことか。
―――だけど、2人には“始末”のことは話せない。話してはいけないと言われた。
河原とだって、120階でしかその話をしてはいけないと言われた。この任務は極秘事項。どこで盗聴されているかわからないから、ほかの場所での他言は厳禁なのだ。とりあえず最高司令部の面々は信頼していいと教官が言っていたので、それは間違いないのだろう。
「藍?どしたの、怖い顔してるけど?」
「え……あ、ごめんね」
顔をのぞきこんできた富井の一言にはっとする。
そうだ、彼女たちは聡い。私と河原が何を抱えているか、内容まではわからなくても、それがとても大きなものだということは察しているだろう。それに、私たちはちゃんとお互いのことを信頼している。
だからこそ、教官と話したことは言えないのだということを伝えなくては。
「あのね、富井、財前……あの……」
言葉を選んで慎重に告げようとした矢先、財前がすっと手を挙げて制止した。
「いいよ、藍。俺たち、ちゃんとわかってるからさ」
「え……」
隣で俯いていた河原が顔を上げた。
「そうそう!まりんも大空も、藍と一也のこと応援してるからね。何するかはわかんないけどさ!」
2人の笑顔は何の穢れもない澄んだもので、
それは不安が和らいでいくだけでなく、勇気まで与えてくれる気がした。本当に不思議だけど。
それは河原も同じなのだろう。エレベーターの中でさっきまで握っていた手は震えていたのに、今は凛々しい表情をしている。
―――大丈夫、私たちは2人ぼっちじゃない。ちゃんと支えてくれる仲間がいる。それだけで十分。十分すぎるくらいだ。
翌日。相変わらず軍は忙しいらしく、実践はもちろん授業も休み。生徒も自室待機を言い渡されている。私と河原も表向きは自室待機になっていて、会議に出席するのは午後2時からだ。
しかし早く起きる習慣は体に染み付いてしまっていて、遅寝をすることもできない。そもそも遅寝なんてできるような気分でもないし。
ということで、こっそり自室を抜け出して植物園へと向かう。しばらく行っていなかったから、きっと花々もずいぶん違う顔ぶれになっているだろう。
少し胸を踊らせながら、忍び足で本部から出る。まあ、バレてもシェルター内であれば咎められはしないだろう。
「うわぁ……!」
9月の花々は美しく優しい。鮮やかな花弁があちらこちらに見られて心も華やぐ。
コスモスやダリアの華やかさと、ほのかに香る金木犀。外では政府と緊張状態が続いているのかもしれないけれど、ここはいつ来ても静かで穏やかだ。まるでここだけ時間が止まっているみたい。
ここは、何にも影響を受けない、いつ来ても優しい場所なのだ。
金木犀の下に寝転び、天井を見上げる。
本部の最上階にあった小さな楽園のような場所もここも、シェルター越しではあるが光が差す。その柔らかな光はやさしく花々を包んでいる。
「あ、葛西さん」
暖かな日差しにうつらうつらしだした頃、突然誰かに名前を呼ばれた。ハッとして目を開くと、すぐ側に栗山さんと聖菜さんがいた。
急いで体を起こして立ち上がる。
「こんにちは!どうしたんですか?」
「ううん、なんでもないのよ。ただ、会議会議で参っちゃってね。ちょっと休憩よ」
「それより君たち学生は自室待機じゃなかったか?」
栗山さんが、少し意地悪な顔をした。
どう返そうかと考えて、そういえばこの人たちが私と河原に与えられた任務を知らないはずがないと気付く。
情報科は最高司令部ではないが、立場はその片腕。立場的には対等なのだ。
「……なんか、難しくて」
考えるよりも先に漏れたその言葉は、たしかに不安を孕んでいた。不安には波があるのだろうけど、富井や財前のおかげで昨日ほどひどくはない。ほどよい不安と緊張は必要だと思う。
だけど私の言葉を聞いた2人は、少し顔を曇らせた。やっぱり“始末”のことは知っていたのだろう。
栗山さんが懐かしむような口調で話す。
「……そうだな。俺も最初はそうだった」
「え、栗山さんも?」
「朔夜くんだけじゃないわよ。私だって」
「聖菜さんもなんですか?」
聖菜さんと栗山さんが顔を見合わせて苦笑した。
「当たり前じゃない。私も朔夜くんも人間だもの。初めてはあるわよ」
「あぁ。身体が震えて震えて、何日も前から突然涙が出たりしてね。任務なんて、実践と大差ないと思ってたんだけど、そうはいかなかった」
「実践はあくまで実践。練習だったのね、って思い知らされたわ。……でも、私達は高等部を卒業してからだったけどね」
聖菜さんが私の頭を撫でる。細い指が頭の上で優しくすべる感覚がした。
「藍ちゃん。きっと大変ですごく怖いと思うけど、この経験は必ず将来役に立つから。だから頑張ってね。応援してるわ」
そばで栗山さんが頷いた。
「葛西さんならできるさ。俺も応援してる」
富井と財前が支えてくれている。
聖菜さんと栗山さんが応援してくれている。
河原が一緒に戦ってくれる。
教官が信じてくれている。
不安は消えない。きっと任務が終わるその瞬間まで消えないだろうし、消えてはいけないと思う。
だけど、もう怖くはない。一人で震えることもない。私には河原や、他にもたくさんの人がついている。
「はいっ……!ありがとうございます!」
任務を知らされてから一番、はっきりとした返事ができた、なんて考えながら頭を下げて植物園を出る。
振り返ると、手を振り微笑む聖菜さんと栗山さんが見えてふと、私はあんな風になれるだろうかと思った。
部屋に帰ったのはまだ12時にもならない頃だった。
富井や財前も今日は大人しく自室待機しているみたいだし、河原も色々思うことや考えることがあるのだろう。邪魔はできないし、もし1人では抱えきれなくなったら、河原は溜め込んだりはしないから連絡を入れてくるはず。しかし連絡は入っていないので、今のところは大丈夫なのだろう。
大丈夫だろうといいながら、自室待機を守らずに一度植物園に行ってしまったので、流石に二度目はないだろう。私も大人しく自室待機しておこう。
そう思ってベッドから腰を上げ、本棚の中から1冊の本を取り出す。―――初等部に入る前、お母さんがくれた本だ。何点かこの島へ私物を持ち込んでいいと言われ、お母さんの勧めでこれを持ってきた。
もうそのお母さんはどこにいるかはわからない。まあ、他の生徒も親には会えないわけだし、私だけが特別ってわけではないんだけど。
だけど、この本には何度も救われてきた。
「お願いだから……」
本を胸に抱き、小さくつぶやく。
「……助けてね」
本に助けを乞うなんて、自分でも変だと思うけど、でもせずにはいられなかった。
人といれば大丈夫な気がしても、1人になればどうしても不安が大きくなる。いい加減慣れなくては……。
気付けば2時20分前。河原が部屋のドアをノックしにやってきた。
チャイムを鳴らしてしまうと、周りの部屋の人にも聞こえてしまうかもしれない。極力そういうことは避けようと思って、わざとノックにした。
「おはよう、葛西」
扉を開けた先にいた河原は、昨日よりもずっと凛々しいいい顔をしていた。それだけで私まで安心してしまう。
「おはよう、河原。よく眠れた?」
「ははっ、まぁな。寝すぎたくらいだよ」
「それならよかったわ」
少し言葉を交わし、そして顔を見合わせる。
「……行くか」
「……うん」
エレベーターの中はお互い無言だった。しかしその無言は昨日とは違う。お互いがお互いに、ちゃんと自分の心を考えて整理したのだ。わずかに緊張感の漂う空間だった。
会議室は105階。基本的に100階以上は最高司令部や情報科が使っていると、昨日初めて知った。
開いた扉の先には、真っ直ぐに伸びる長い廊下。その突き当たりにある大会議室が、今回の会議の場所だと聞いている。
初めて足を踏み入れた105階。120階に行っておきながら何を今更、と言われたらそうだけど、でも“任務”として行ったことなんて今まで無かったわけで。そりゃ緊張しないわけがない。それに、初めての会議だ。
未知の空間へと足を踏み入れるドキドキとワクワクが交錯する。
「来たな、河原、葛西」
廊下の突き当たりまで来て、安心する低い声が聞こえた。横を見ると、そこには壁に寄りかかって立っている教官がいた。
「「教官……!」」
「ふはっ、なんて顔してんだお前ら。泣きてぇのか?」
私と河原の顔を見るや否や笑い出す教官。失礼な人め、なんて思いながら、でもあながち間違っていないから否定はできない。
しかし、私たちは昨日とは違う。それはちゃんと見せつけなくては。
教官に促されて入った会議室には、既にたくさんの人がいた。まだ皆席にはついていないが、忙しそうに資料を見たり話したりしている。
「着席」
そんな彼らに向かって教官は、それだけしか言わなかった。しかし、その一言だけで全員静まり返り、近くの椅子に皆腰掛け始めたのだ。
「すげぇ……」
河原が感嘆する。私だってびっくりだ。
私たちのような学生に良くしてくれるから普段は忘れがちだけど、教官は最高司令部の上級軍人だ。しかもまだ30代という若さにも関わらず、最高司令部の中でも中核を担う場所にいるらしいと、噂で聞いた。その噂は間違っていないようだ。
その現実を、目の前で見せつけられたような気がする。彼は本当にすごい。
教官が部屋全体を見渡し、近くにいる人に尋ねる。
「全員揃っていますか」
「あぁ、確認したよ」
「ありがとうございます」
40代くらいだろうか。教官に少し雰囲気の似た男性だった。最高司令部にはあんな堅物がゴロゴロいるのか、と失礼なことを考え身震いする。
「武者震いか?」
横で河原が小声で尋ねてきたので首を振る。まあこれもある意味、武者震いなのかもしれないけれど。
それからしばらくして、突然教官が私と河原の背中を押した。何事かと2人して教官を仰ぎ見たが、教官は前を向いたままだ。
「皆に紹介する。高等部2年A組の河原一也と葛西藍だ。本日より狙撃手としてこの作戦に参加する」
普通に喋っているだけなのに、威圧感の感じられる声。教官に紹介された私と河原は、さらにもう1歩前に出て、頭を下げる。
「挨拶しろ、2人とも」
小声で教官に催促され、教官からマイクを受け取った私は前を見る。
大きな会議室だけど、この場にいるのは30人くらい。これが、最高司令部の面々なのだろうか。皆日本軍の軍服ではなくスーツを着ているが、ネクタイとピンバッチに映える桜が、彼らが軍の人間だということを語っているようだった。
今一度頭を下げ、大きく息を吸う。
「高等部2年A組の葛西藍です。よろしくお願いします」
たった二言。それだけなのに、えらく緊張した。たくさんの目が私を見つめる。それがどれだけ緊張することか。
私からマイクを受け取った河原の手も、当然といえば当然震えていて。
「大丈夫」
小さな声で絞り出した一言。その一言に河原が力強く頷き、頭を下げた、
「同じく高等部2年A組の河原一也です。よろしくお願いします」
しばしの静寂の後、パラバラと起こり出す拍手。私も河原も、おそらく教官も胸をなで下ろす。
「彼らが、三坂中将が推薦した子たちか」
そんな拍手を一瞬で止めたのは、威圧感のある低いしゃがれた声だった。横に立つ教官の身体がこころなしか固くなったような気がした。
「はい、そうです。亀山大将」
「そうか」
亀山大将と呼ばれたその男性は、楕円形のテーブルの一番奥に鎮座していた。教官が幼い子供に見えそうなほど、いかつく恐ろしい風貌。実際威圧感は教官の比ではなかった。
日本軍の階級は、かつての陸軍のものをそのまま使用している。
大将―――つまり、最高位。彼はおそらく、この日本軍の頂点に立つ者なのだろう。
「……君たちには覚悟があるか」
鋭い瞳がこちらを見据える。身体が金縛りにあったかのように動かない。だけど、ここで逃げるわけにはいかない。
「「はい」」
何を示し合わせたわけでもない。だけど、河原と声が揃った。それはきっと、私たちの決意は同じ、ということでいいんだろう。
亀山大将は、しばらく私たちの目を見ていたが、やがて立ち上がって背を向けた。
「ならば、我々のために頑張って欲しい。期待している」
その言葉を残して彼は部屋を去り、それを合図のようにその場にいた人々も散り散りになる。
「……行くぞ、河原、葛西」
その場から動けず、何も考えられなくなっていた私と河原の耳に聞こえてきたのは、わずかに緊張を孕んだ教官の声だった。
軍の設定などはざっくりとしか調べていないので、本来のものとは異なっていても、そういうものとして見ていただけるとありがたいです(><)




