22 感謝
そして、ようやくやってきた当日―――教官の誕生日。
ちゃんと外出許可もとったし、花束もプレゼントもメッセージカードも準備万端。
「あとは……」
クローゼットを開けて、中から先日買ったワンピースを取り出す。
あの時は勢いで買った部分もあったけど、改めて見ると、まあ女の子らしくて、着こなせる自信がない。
「まぁ、着るしかないけどさ……」
そうだ、ここで躊躇してる場合じゃないのだ。
―――首元のリボンを結んで、鏡の前に立つ。
なんというか、残念だがとても似合わない。髪型も紗也のアドバイスからハーフアップにしてみたりしたが、それで似合えば苦労はしない。
「うーん……しょうがない、行くか」
しかし今更そんなことを言ってもしょうがないし、約束の時間も近付いてるので、そろそろ出た方が良さそうだ。
机の上に置いてあった花束をつかみ、去年の誕生日に富井にプレゼントされて一度も履いていなかった紺色のハイヒールを履く。私に似合ってあるかはわからないけれど、ワンピースにはよく似合っている。
今一度時計を確認してから、空いているもう一方の手で鞄をひっつかみ部屋を出た。
幸いというべきか、知り合いに会うこともなく学園の外に出ることが出来た。あとは待ち合わせ場所に河原と財前と教官が来るのを待つだけ。
まだまだ暑い日は続くけれど、今日は風も吹いていて心地いい。私にはシェルターの構造はよくわからないけれど、全面ガラスで覆われているのに風は吹いているから不思議だ。
爽やかな風を肌に感じながら、真っ青な空を見上げる。
―――そういえば、季節は違うけれど、教官と初めて出会った時もこんな空だったっけ。
私の名前を聞いて、戸惑いがちな笑みを浮かべて、今日と同じような真っ青な空を指さして“この空みたいに綺麗な名前だ”と言われた記憶がある。
今思えば、あの頃の教官は私たちとの距離感がよくわかってなかったんだろう。だから、今なら恥ずかしくて言えないであろうそんなセリフを、ぎこちないものではあったけれど、ちゃんと笑顔で言えたに違いない。
「ふふっ、面白かったなぁ……」
―――あれからもう10年。教官にとってはあっという間だったのかもしれないけど、私にとっては人生が変わった、長い10年だった。
そんな事を思いながらしばらく空を眺めていると、少し遠くに人の気配を感じた。でも嫌な気配じゃない。むしろこれは……。
ゆっくり振り返ると、そこにはやはりというべきか、河原と財前がいた。
「おはよう、2人とも」
「おはよう、葛西」
「よく似合ってるじゃん、藍」
「なにそれ嫌味?」
「なんで?本当のことだよ」
「……そっか。ならありがとう」
財前に褒められてどう反応したらいいのかわからないのはいつものこと。とりあえず褒められるのが好きな人なので、褒め返しておく。ついでに河原も。
「そういう2人もよく似合ってるよ」
2人とも単純だから、私が褒めるとすぐに嬉しそうに顔をほころばせる。
「えへへー、そうかな?」
「そ、そうか?」
「ええ、本当本当」
「あ、思ってないだろ本当は」
こういうところが鋭いのが謎すぎるんだけれども。
「……そんなこと、ないけど?」
「間があったけど!?」
まあでも、似合ってるのは事実なんだけれども。
そんなどうでもいい話をしていると、突然背後から声が聞こえた。気配を背後に来るまで察せさせないのはさすが、しかし聞きなれた声は少し弾んでいるように聞こえた。
「なに3人して変な顔してんだ」
―――いつもと変わらないスーツ姿の教官。ただいつもと違うのは、ジャケットが黒ではなくベージュで、ネクタイが青と紫と白のボーダー、という少しカジュアルなものであること。
いつもは全身黒のスーツに、日本軍の黒地にピンクの桜がプリントされたネクタイ姿だから、ちょっと新鮮だ。
そのいつもと違うネクタイにいち早く反応したのは河原だった。
「あっ、教官!ありがとうございます!」
「いや、俺の方こそありがとな、河原」
「ん?どういうこと?」
「これ、俺があげたやつ。今日渡そうかとも思ったけど、せっかくなら今日つけてきてもらおうと思って、昨日渡したんだ」
「なるほどね。教官によく似合ってる」
河原も私と同じで武器にこそお金はかけるけど、それ以外は特にこだわりがない。それこそ服は着れればいい、って感じ。
だから、ここぞとばかりにお金を使ったんだろう。ファッションに詳しくない私ですら知ってるブランドの刺繍が、河原があげたというネクタイにはされていた。
しかし私もただ感心してる場合じゃない。私だって渡すものはある。ちゃんと心を込めて、大切に選んだのだ。
「財前、私たちも渡そう」
「うん!」
「何だ?お前らも何かあるのか?」
「もちろんです。ちゃんと教官にぴったりなもの、選びました」
私が花束を取り出したのと同時に、財前もプレゼントを取り出す。予定ではカードだったのに、財前が今もっているのはコルクボード。そこにたくさんの写真やメッセージが貼り付けてある。こういうところは流石だ。富井にでも手伝ってもらったんだろう。
というか、すごいというよりは、よく教官の写真見つけられたな、って感じなんだけど。
私から貰った花束をしばらく眺めた後、教官が呟いた。
「フリージア、スイートピー、ガーベラに……フウリンソウか」
「さすが。よくわかりますね」
「まあな。……なるほど、そういうことか。ありがとな、葛西」
「……本当に、よくわかりますね」
やっぱり、花言葉を考えたのは正解だったらしい。一瞬でバレた。
でもそうなると、今度は急に花言葉に感謝を込めて渡したのが恥ずかしくなる。比較的有名な花が多かったけど、教官はフウリンソウの花言葉なんかも知っているのか。
いまいち意味がわかっていない河原と財前が、2人そろってこてんと首をかしげる。
「藍、三坂教官、どういうこと?」
「俺らにはよくわからないんだけど」
「ああ、これは……これは、花言葉だよ」
「「花言葉?」」
2人の不思議そうな声が重なる。それでも意味が分からず険しい顔をする2人に、教官は困ったような笑顔と、小さな笑い声を漏らす。
そして答え合わせをするように私の方を向いた。
「……紫のフリージアは憧れ、スイートピーは優しい思い出、ガーベラは常に前進、フウリンソウは感謝の心……で、あってるか?」
いつもとは違う優しい眼差しが私を捉える。
「大正解です、教官」
―――あぁ、本当にこの人には敵わない。
花言葉を聞くと、河原と財前がすっかり感心してしまったらしい。
「すげぇな、葛西」
「よくそんなところまで考えるね。というか三坂教官も藍も、花言葉に詳しかったんだね」
「私はそんなにでもないけど、教官はすごく詳しいから、ちゃんと調べた方がいいかなって思ったの」
「なるほどなぁ。気持ちもこもるし、綺麗だし、花束は葛西に任せて正解だったな」
「それにしても花言葉かぁ。俺も調べてみようかなぁ」
どうやら私のプレゼントは大成功らしい。
もちろん財前のプレゼントも大成功で、教官はいつもとは比べ物にならないほど御機嫌だし、私たちも朗らかな気分だ。
その後教官とともにシェルターの外に出て、教官のクルーザーに乗り込む。
「あれ、新しい?」
「買い換えたんですか、教官?」
「あぁ。古くなってたしな」
1年半ほど前に乗った時とは違う、真新しい黒のクルーザー。決して大きくはないあたりが、妙に謙虚な教官にぴったりだと思った。
そんなクルーザーの乗り心地は最高で、あっという間に楽園の外に着いてしまった。
楽園の外も変わらず暑い。古びた貿易港に残る鉄骨やコンテナが、夕日と熱のせいで揺らいで見える。いくつも積み重ねられたコンテナもキリンのような風貌の大きな重機も、あの冬に来た時とは少しも変わってないように見えた。
それなのに少し寂しげに見えたのは、そこにあの時出会った少女―――河原の妹たちがいなかったから、だろうか。
彼女達のような人はむしろ珍しくて、こんな古びた所に誰も用なんてないのだろうという事は、私でもわかる。
だけど、何故か少しだけ寂しかった。
それはきっとここだけ唯一、楽園の外で好きになれた場所だったからだ。古びた港の静かな雰囲気の中にある少女達のはしゃぐ声という喧騒が、楽園の雰囲気に似ていたからだ。
そんなことをぼんやり思いながら、コンテナの迷路を抜けると、教官は近くの建物に入った。しばらくして出てきた彼は片手に何かを持っていた。小さなボタンが数個ついている、見慣れないものだった。
「教官、なんですかそれ?」
「これは車のカギだ。……もしかして初めて乗るのか、車」
教官がハッとした顔で私たちを見る。
「そもそも車っていうものを見ること自体、初めてですけど……」
「……そうか。まあ、6歳からあの島にいるんだから、当然といえば当然か」
―――車。聞いたことはあるし、写真で見たことはある。でも、本物を見るのは初めてだし、乗るのも当然初めてだ。
あの小さな島のシェルターの中では車なんて必要ない。自転車やバイクなんてものもなくて、人々はみんな徒歩かセグウェイで移動する。
セグウェイはキックボードに似た見た目をしている。だが足を使う必要は無いし、しっかり動くし免許なんかもいらないから、幼い子どもでも乗れる優れものだ。
初めて乗った車は、普通の大きさの4人乗りのものらしい。しかしそんな事は私たちには関係なく、しばらく車内を舐め回すように眺めた。
「これ、レンタルですか?」
「いや、俺の私物だ。こっちで仕事をすることもしょっちゅうあるしな」
「へぇ、そうなんですか」
この車も、教官らしいシルバーのスタイリッシュなものだった。
車なんて外の世界では当たり前のように走っているのに、私たちにとっては初めて見るもの。もしかしたら幼い頃に乗った事はあるのかもしれないけれど、残念ながら記憶にない。
しばらく走れば大きな道路に出る。そこには大量の車が走っていて、初めて見る光景に、私たちはまた瞳を輝かせた。そんな私たちを見て教官は悲しそうに笑った。
「……お前らは、もしかしたら誰よりも純粋なのかもな」
そうつぶやいた教官の声は、なんとなく寂しげだった。
その言葉は、私が聞いていいものだったのだろうか。……いや、ダメな気がする。だから、私は聞こえなかったふりをした。
「……純粋なのは、教官だって同じなのに」
なんだか悔しい。教官だって、私たちと同じ年の頃は、外のものを知る機会なんてなかっただろうに。教官だって、私たちと何ら変わらなかっただろうに。
やっぱり私たちは無知だということを思い知らされた。
でも1つ気になることが増えた。私たちは富井や教官から外の様子を教えてもらったり、見せてもらったりするからなんとなく知っていたりするけれど、教官はどうだったんだろう。誰かに教えてもらったりしたんだろうか。私たちにとっての教官みたないな存在は、果たして彼に居たんだろうか。
―――私たちは、教官のことなんて全くと言っていいほど知らないのかもしれない。教官は自分の学生時代のことなんて、滅多に話さないし。
憧れの人のことをもっと知りたい。そう思うのは当然だろう。しかしそれを聞いてもいいのかなんてわからなくて一人葛藤していると、突然車が止まった。
「よし、着いたぞ」
そう言われて窓の外を見ると、確かにネットで見たお洒落なレストランがあった。
車から降りてふと、私たちは他の人からどう見えているのだろう、と思った。高校生3人とおじさん1人。父親と三人の子供、というところだろうか。
あながち嘘でもないかもしれない。教官は私たちにとって父親みたいなものでもあるし。まあ、本人には言わないけれど。
レストランの中は白を主としたエレガント調。壁にはバラの花なんかが彫られていておしゃれな感じだ。
「いいレストラン。ありがとう、河原」
「俺も一緒に考えたけどね?」
「はいはい、ありがとう、財前」
「あはは、ありがとう、藍」
河原と財前が選んだそのレストランは、俗に言う高級レストランというやつらしく、ドレスコードもあった。だから私もこんな似合わない格好をしているわけだ。
出てくる料理も、見た目も味も美しいものばかり。花のような料理もあって、さすがだと思った。
こんなところ、きっと普通の高校生や若者ならこれないんだろう。そう思わずにはいられないくらい、周りは私たちよりずっと年上の人たちばかりで、私たちは少し浮いて見えた。
でも、教官がすごく満足そうな笑みを浮かべているのを見ていると、そんなことどうでもよく思えた。
「ありがとな、葛西、河原、財前」
笑みと言っても絵に描いたような満面の笑みではないけれど、この少しぎこちない、目を少し細めて口角を少し上げただけの笑みが、教官にとって満面の笑みと同意ということを私たちは知っている。
その顔が、私たちにとって一番嬉しいのだ。
レストランを出た後、教官は楽園とは逆方向に車を走らせた。
「あの、教官。どこに向かってるんですか?」
「……着いてからの楽しみにしておけ」
何度聞いても教官はそれしか繰り返さず、ただ車を走らせ続けた。ずいぶん街から遠いところに来たらしく、気付けば窓の外はぽつぽつと明かりが見えるだけだった。
「暗いね」
「うん。家の明かりはちらほら見えるけど……どこなんだろう、ここ」
「さっぱり分からねぇ」
後部座席で3人で外を眺めながらそんな話をしていると、突然体が少し後ろに傾いた。
「ッ!?何!?」
事故でも起きたのかと3人で身構えていると、教官が後ろを振り返って優しく言った。
「大丈夫だ。山を登っているだけだ」
「や、山……」
楽園には存在しないもの。山というのは確か、ほかの土地より高いところのことだったはず。なるほど、車は山も登れるのか。
そんなことに感心している間にも車は山を登り続け、そして少し開けたところに着くと教官は車を停めた。
「ほら、着いたぞ」
車から降りて暗闇の中を歩く。携帯端末の明かりだけを頼りに歩き進めると、突然視界が開けた。それと同時にたくさんの明かりが視界に飛び込んできた。
「うわぁ……!」
「すっごーい!」
「綺麗だな……!」
白とオレンジの光の中に、赤、青、ピンクなど、様々な色が見える。キラキラしていて、まるで宝箱を開けたような気分だった。
「あれは、我が国の首都だ」
教官がたくさんの光を指さしながら言った。
「首都……あれが……」
あの光はすべて建物の明かり。そこに数え切れない何万という人々がいる、我が国で一番栄えている都市―――それが首都。
一体あそこにいる人のうち、何人が私たちのような子供の存在を―――楽園の本来の姿を知っているんだろう。
中3の冬、河原と2人で初めて楽園の外に出た時は、あの貿易港の周りを少し歩いただけで帰ってしまった。その時はそれでいいと思ったけど、今は少し後悔している。
「ねぇ、一也、藍」
興奮した財前の声が聞こえた。
「いつか、俺たちもあそこに行ってみよう。もっともっと、楽園の外のことを知りたい」
「あぁ……!」
「うん……!」
私たちの生きている世界はとてもとても小さくて、狭い。世界には、もっともっともっと私たちの知らないことがたくさんあるんだ。
「じゃあ、いつか連れていってやる」
教官はそう言うと、踵を返して来た道を帰る。
視界は再び真っ暗になったけれど、あの光は、あの興奮は私たちの目に、心にしっかり焼き付いている。
車を置いているところまで戻ると、教官は今度は反対側の道を歩き出す。置いていかれないように私たちもついていく。
その道もやがて開け、その先にあったのは……
「あれが楽園だ」
首都とは比べ物にならないほど少ないけれど、誰かが生きているという証拠のように家の明かりが真下で輝き、その先には暗くてよく見えないけれど、おそらくあの貿易港らしきものがあって、そしてその先にはステンドグラスのようにキラキラ輝くドームが海の上に浮かんでいた。―――あの中で私たちはいつも、殺し合いをしているのだ。楽園と呼ばれる地獄で。
楽園を外から見るのは2回目だ。
確かに何も知らなかったら楽園に見えるかもしれない。
「……俺達はいつも、あの中にいるんだな」
「外からなら確かに……綺麗に見えるかもね」
「……でも、あれは真に美しくないわ。でも……」
目で見れば美しいのに、本質は全く違う。
なんて言えばいいのかわからなくて、3人で楽園を睨むようにずっと見ていた。
そんな私たちの頭を教官は軽くなでた。
「……それでも、あそこがなければ今日のこの瞬間は存在しないし、俺達が出会うこともなかったわけだ。……すべてを知った今だからこそ、俺はあそこが本物の楽園だと思えるようになってきたがな」
―――一体今日はいくつのことを教官に教わるんだろう。三坂教官が最後に私たちの教官だったのはもう8年も前なのに、今でも教官はたくさんのことを私たちに教えてくれる。だから、私たちも彼のことを教官と呼んでしまうのだ。
「……そうですね。確かにそうかも」
「あそこに行かなければ、俺はここにいる誰とも出会ってないんだな。そう思うと、なんだか特別な場所にすら思えてきた」
「うん。俺も」
「そう思えるだけ、お前らは成長してるってことだよ。さて、帰るか」
クルマの鍵をポケットから取り出した教官はまた私たちの頭を撫でて、そして車の方へ歩き出した。
その背中はやっぱり大きく見えた。だけど、いつもより少しだけ近くに見えた。




