表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/90

20 約束

―――2041年、夏。

梅雨も明けた7月下旬、空の高いところでは太陽が憎たらしいほど燦然と輝いている。


紺色のノースリーブのロングワンピースの胸元をパタパタと仰いでも、残念ながらこの蒸し暑さが解消されることはない。あまりの蒸し暑さに思わずクローゼットの奥から引っ張り出してきたが正解だった。制服は相変わらず長袖ブラウスを腕まくりしてなんとか凌いでいるけれど、半袖を出すことも真面目に検討したほうがいい気がする。それくらい、この暑さは殺人的だった。



蒸し暑い空気に触れて、ふと、去年の今頃はなぜか河原と入れ替わっちゃった、なんていたずらをしたことを思い出す。それを懐かしめば、今年の梅雨の河原と紗也の一件も思い出さざるを得ない。


あれから河原と紗也の関係は、元通りとまでは行かないけど少しずつ戻りつつある。

あれが2人にとって正しい選択だったのか、なんて私に分かるわけがない。でも、少しずつでも2人の関係が修復されつつあることは純粋に嬉しい。


富井も、なんとなく察しているだろう。

この1ヶ月、紗也は私や富井とあまり一緒に行動しなくなったり、河原は今まで以上に財前と一緒に居るようになった。つまり、分かりやすく河原と紗也はお互いを避け合っていた。

2人と仲がいい人間からすれば、間違いなく何かがあったということを察するのは容易い。まあ、男女で気まずいといえば答えは1つしかないようなものだろう。


でもきっと、彼女にはそれを聞く勇気なんてない。

彼女は授業としての読心術の成績は良くはないけれど、決して察しが悪いわけではない。むしろ、人の心の変化には敏感な方だ。


(あーもう!……私には、難しすぎる話だって……)


まあ、私がこんなに悩んだって何の意味もないんだけど。今回、私は相棒と悪友に巻き込まれたようなもので、自分自身は恋愛に興味はない。というよりは、考えられないというべきだろうか。

どうして人は、そんなにも他人を愛そうとするんだろう。私は自分を大切にするので精一杯なのに。

はたしてそれは私の視野が狭いのか、それとも彼らが私より随分大人なのか。どっちにしろ、私には今は関係の無い話だ。



気晴らしに訪れた植物園の中は、外とは対照的に快適だった。季節特有の花を育てるため、本部内みたく年中適温というわけにはいかないようだけど、それでも外と比べれば天と地ほどの差がある。


「んー……気持ちいいー……」


青々とした芝生に寝転んで見上げた先では、天井のステンドグラスが光を受けて輝いている。

外で見るとあんなに憎たらしいのに、ここではむしろ魅力的に見えるのだから不思議な話だ。世の中はそんな事象で溢れている。歴史上の人物や、私たちの身近な人たちだって、誰かにとってのヒーローは別の誰かの敵だったりするのだ。


(まあ、だから何だって話なんだけどねー……)


穏やかな光を浴びて、徐々に意識が遠のいて行くのを感じる。そういえば最近、なぜかあまり寝つきが良くないんだった。理由が分からないからどうしようもなくて放置していたけれど、ここでなら少しくらい眠ってもいいだろう。

訪れるたびに思うけれど、ここには滅多に人がいない。本部内ではないとはいえ別にさほど遠いわけでもないのに。まあ、その落ち着いた雰囲気が気に入っているので全く問題はないのだけど。

それこそ、数ヶ月前に栗山さんと出会った時以来、ここで人を見かけたことはない気がする。


(あ、これは本格的に寝ちゃいそう……)


視界が徐々にフェードアウトしていく。もはや逆らう気力もない。

遠くで足音が聞こえたような気がしたけれど、確認する前に私の意識は途切れてしまった。



「おーい、葛西ー?……ダメだ、起きねぇ」

「うーん、というかそもそも、藍がこんなところで寝落ちてるの、珍しいよね」

「あー、なんか最近、しょっちゅう欠伸してた気がする」

「そうなの?眠れてないのかなぁ…それなら起こしちゃうの、可哀想な気もするんだけど」


不意に頭上から聞こえてきたのは、よく聞きなれた声。そして彼らの話題の中心は、なぜか私。

ゆっくりと瞼を持ち上げると、この空間にいることにどうしても違和感を感じてしまう2人の姿が見えた。


「河原に、財前……?」

「あ、起きた」

「藍、こんなとこで寝てたら風邪引くよ?」

「いや、風邪は流石に引かねぇだろ」


目の前にいるのは、誰がどう見ても河原と財前だ。

しかし、この2人が植物園にいるところなんて今まで見たことがない。初等部から数えて今年で11年目の付き合いだけど、その11年間一度たりとも、だ。


「寝ぼけてるのかなぁ……」


思ったことをそのまま口に出すと、目の前の2人は不思議そうな顔をする。


「何でだよ?」

「俺たちが見えるんなら寝ぼけてないよ?」

「でも、河原や財前がこんな、花がたくさん咲いたところにいるわけないじゃない?」

「相変わらず失礼だなー、葛西」

「本当だよ、もう!」

「あ、痛い痛い!」


拗ねたような表情の2人から両頬をつねられて、その痛みでこれが現実だとようやく認識する。ただ、どうしても素直に受け入れがたい。というか実際、何かしらの用事がないとこの2人が植物園に来ることはないだろう。


「俺たちだって、植物園に来ることくらいあるんだからね?」

「えー……そうなの…?」

「だから、そんなこの世の終わりみたいな顔するなって、葛西……」


当の本人たちは、そんなことを言いながらこれみよがしに必死に花を愛でている。なんというか、いたたまれない。

河原、あなたが取って付けたように「花言葉も良さそうだよな、うんうん」なんて言いながら愛でている白いカトレア、実際の花言葉は”魔性”だからね。まあ確かにカトレアは綺麗だけども。

ただ、そうやって揚げ足を取っていては一向に本題に入れない予感がするので、とりあえず置いておく。花言葉の話はまた今度だ。


「それで、そろそろ本題を聞いてもいい?」

「あぁ、そうだった」

「すっかり忘れてたよ」

「あはは……なあ、葛西、夏休みは暇だよな?」


夏休み。そうか、すっかり忘れていたけれどもうそんな時期か。

去年は意図せず実家に帰ったこともあったけれど、基本的に夏休みは初等部の頃からずっと練習漬けだ。


「夏休み?まあ、練習する以外に用事はないけど……」

「ならちょうどいいね。藍、8月の第二日曜日に外部への外出申請出しといて」

「8月の第二日曜日……?」


(その日、何かあったっけ……?)


今年の8月の第二日曜日は8月11日。

日付さえ分かれば、その答えはすぐに出てきた。


「あ、教官の誕生日」

「そうそう、ご名答!」

「そっか。もうそんな時期かぁ」

「そうそう。それに、約束も今年だろ」

「約束……そっか、もう10年なのね」

「あぁ。早いよなぁ、本当に」



約束―――それは、私たちと教官の小さな口約束のこと。


初等部に入学した10年前。その当時の私たちは、教官に誕生日を覚えててもらえただけで嬉しくて仕方がなくて。

彼の誕生日も当時から知っていたけれど、幼い私たちにはプレゼントを用意することができなかった。悔しくて泣く私と河原に、当時の教官はそれはそれは困惑した表情を浮かべ、ぎこちない手つきで頭を撫でながらこう言ったのだ。

―――“じゃあ、10年後に祝ってくれ”、と。


その約束から10年後、それが今年の誕生日になる。



河原がここに来た理由はよく分かった。

しかし分からないのは、河原に同伴している財前だ。その約束をした時、その場に財前はいなかったはず。確かに最近2人一緒に行動する場面をよく見かけるけれど、休日の真昼間に、こんな個人的な用件を伝えるためにわざわざ一緒に出かけるだろうか。


「…でも、何でそこに財前が?」

「あー、ほら、俺も三坂さんにはお世話になったしね」

「あぁ……そうよね、教官も喜ぶよね」

「うん、そうだといいなぁ」


単刀直入にそう尋ねれば、彼は優しく笑ってそう答えた。

財前は初等部の頃、三坂教官ではない別の教官に師事していたけれど、彼と三坂教官が知り合いだったこともあって度々合同授業が行われていたのだ。その中で、私たちは財前と仲良くなったし、教官も財前のことを教え子同然に気にかけている。そんな財前からも祝ってもらえるのだ。教官も、私たちだけよりも喜ぶだろう。



「そういうこと。あと、1つずつプレゼントも用意しようと思ってて」

「そう!一也はネクタイで、俺は名刺入れにするつもり!」

「なるほど……私はどうしようかな」


教官にプレゼント、か。

新学期が始まった時にもらったクロスのネックレスを思い出す。結局、実践につけて行って壊してしまうのが怖くなってしまい今は部屋に箱ごと置いたままだけど、大切なものであることに変わりはない。

プレゼントと一言に言っても様々だ。河原と財前は物だけど、食べ物などの消耗品でもいいわけだし。


うーん、と一人頭を悩ませていると、河原が意外そうな声をあげた。


「葛西、悩んでんの?」

「え、そりゃ悩むでしょ」

「いや、俺、葛西は花束でもあげるんだろうなー、って思ってたんだけど」

「花束……そっか、花束か……」

「そう。教官も花に詳しそうだけど、葛西も花、好きなんだろ?」

「うん…そうだね」


花束。プレゼントの代名詞であるこれをどうして忘れていたんだろう。

河原の言う通り、教官はああ見えて花に詳しい一面があるらしい。そして、それを知ってから私も少しずつ花に興味を持つようになった。植物園に来るようになったのだってその影響だ。


「じゃあ、私はとびきり素敵な花束にするね」

「いいね、藍っぽい!」

「葛西のセンス、期待しとくぜ?」


そう言って無邪気に笑う2人が一瞬、初等部の生徒に見えた。

あの時は10年後、こうして全員で無事に祝えることを疑いすらしなかったけれど、今ならこの瞬間が奇跡のようなことだとよく分かる。実践が始まってからの4年ちょっとは生きた心地がしない日々の方が多いけれど、今まで生きてきてよかったと心の底から思うのだった。



2人と一緒に植物園を出て本部へ戻るその最中、ふとした疑問が頭に浮かぶ。


「そういえば2人とも、何で植物園に来たの?」

「何で、ってどういうこと?」

「いやほら、電話やメールでもよかったんじゃないかな、って。それに、植物園に行くなんて誰にも言ってなかったし」


私からすれば単純な疑問。けれど河原は何かを思い出したらしく、急に不満げな表情を浮かべた。


「そうだった!葛西、お前、外に出る時は端末くらい持っていけよ!」

「え?……って、あ、本当だ」

「そうだよー、藍?一也、結構心配してたんだから?」

「あー、それは悪いことしちゃった……ごめん」


外に出て数時間。時間を確認することもなかったから気付かなかったが、確かに端末を部屋に忘れてきてしまったみたいだ。

忘れ物くらい誰でもするだろうけれど、連絡が取れないというのは確かに不安になる。ましてやここは日本軍本部。基本的には平和な場所だけど、私たちが知らないだけで物騒な面も持ち合わせているとも聞く。

なるほど、これは確かに悪いことをしてしまった。


でも、尚更もう1つの疑問が深まる。

―――何で、2人は植物園にたどり着くことができたのだろうか。


植物園に来る機会が多いと言っても、それはあくまで他の人と比べてというだけの話。

数ヶ月に一度程度で、普段の休日なら下層部のカフェでお茶をしたり、図書館で本を読んだりしていることの方が多い。それにそもそも、私はこの2人によく植物園に行く、なんてことを言った記憶がない。


「でもじゃあ、本当に何で植物園に…?」


改めて尋ねれば、今度は2人揃って何故か不思議そうな顔をした。


「それなんだけどさ……葛西、ストーカーとかされてねぇか?」

「はあ、ストーカー?」

「そう、ストーカー!」


ストーカー。つまり、私の後を執拗に追い続ける変質者。

話の流れがいまいち掴めずに混乱しかけるが、そもそもそんな変な気配を感じたことはない。学生の女子寮のあるフロアに立ち入ることは誰でもできるけれど目立つし、私のストーカーどころか変な大人が居た、なんて話すら聞いたこともない。


「ストーカーはいないと思うけど……でもまた、何で?」

「……実はさ、見知らぬ人が教えてくれて」

「見知らぬ人?どんな人なの?」

「身長は俺たちよりも高かったから、多分185センチくらいで、すごく綺麗な人だったよな」

「そうそう、かっこいい、というよりは綺麗な人って感じ!威圧感はなかったけど、オーラみたいなのは感じたよね」

「あぁ、だから多分軍人だとは思うんだけど……葛西、心当たりがあるか?」



心当たりがあるか、と聞かれれば、ある。

たった一度しか会ったことがないので知り合いと言っていいのか分からないけれど、その条件に当てはまりそうな人物は私の知る限りでは一人しかいない。―――栗山さんだ。

彼が私のことを覚えていたことに驚きつつも、脳内では新たな疑問が浮かび始める。


「心当たりはある、けど……その人はなんで、私が植物園に居るって分かったの?」

「なんでって……確か、俺と財前が葛西の話してたら、葛西さんを探しているのか、って聞かれて……」

「急に言われたからびっくりしたけど、探してたのは事実だから素直にはい、って言ったんだよ。そしたら、植物園にいるのを見たって教えてくれて、でもそのまま消えちゃった」

「どこの誰かすら分からないから正直半信半疑だったんだけど、植物園に行ったら本当に葛西がいてびっくりしたんだよ」

「そうそう。まあ、俺たちはあの人の名前すら聞きそびれちゃったんだけど……藍、知り合いなの?」

「ええ、まぁ、一応……」


栗山さん。情報科に所属する軍人で、聖菜さんの部下。

一度しか会ったことはないけれど、その時に色々な話を聞かせてもらった。そういえば、彼と出会ったのも植物園だった。


ふと、植物園の芝生の上でうとうとしていた時のことを思い出す。

そういえば意識が途切れる寸前、ほとんど人が来ない場所なのに足音が聞こえたような気がする。小気味良いあの音はおそらく革靴のヒールの音。つまり、あれは栗山さんだったということだろう。


「……まあ、兎にも角にも、葛西とちゃんと会えてよかったよ」

「うん!藍、あの人にお礼言っといてね」

「うん、わかった。まあ、そんなにすぐ会える人ではないんだけど、いつか必ず伝えとく」


その機会がいつ訪れるかなんて全く予想もつかないけれど、その時にはまずお礼を伝えて、次にうたた寝をしていたことを忘れてもらおう。あんな無防備な姿を見られていたと思うと、今更ながら恥ずかしくて仕方がない。


「え、藍、顔真っ赤だよ?大丈夫?」

「えっ、あっ、うん!暑いからかなー……」



恥ずかしくて真っ赤に染まる顔をベタに夕日のせいにしようかと思ったけれど、見上げた空はまだ明るい。

しかし、財前のお腹の虫が夕食時だということをご丁寧にお知らせしてくれる。夏至は過ぎたけれど、まだまだ昼の時間の方が長い季節だ。


「うへー、お腹すいたー…」

「何か食べて帰るか?せっかくだし、教官の誕生日の計画も立てながらさ」

「いいね、それ。私もお腹すいたし」

「やったー!俺、今日は和食の気分!」

「それなら15階のレストランゾーンに行こうぜ。俺も和食の気分」

「じゃあ、3人とも和食の気分ってことで合意ね」


最近リニューアルした店が美味しいんだ、と楽しそうに話す財前と、その話題に目を輝かせて相槌を打つ河原。

奇跡的に3人ともこうやって今、生きているのだ。今のこの時も、教官の誕生日も心の底から楽しまないと損だろう。


(花束か……うん、頑張ろう)


半月後の素敵な予定に期待を馳せながら、私たちは夕食の待つレストランへと歩みを進めるのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ