19 告白(ⅱ)
私と河原の間に流れる沈黙。時間が止まったような錯覚を覚える。
「そ……そっか。井上って……紗也?」
やっとのことで絞り出した言葉は、そんな当たり前のもので。気が利かない自分に嫌気がさすけれど、今はそんなこと言っている場合ではない。
河原もあまり表情には出ていないけれど、当然ながら混乱しているのだろう。いつもなら呆れて“井上は1人しかいねーだろ”なんて言われそうだけど、今日の彼は全てを諦めたような眼差しを向けるだけだ。
「そうだよ、葛西と仲のいい井上紗也で間違ってない」
「……だよね」
「あぁ」
「……どうして、今打ち明けてくれたの?」
「……さっき、井上に告白したんだ。でも、断られたけどな」
ぎゅっと胸が痛む。
河原の笑顔なんて今まで飽きるほど見てきたけれど、こんな悲しそうに笑う彼は私は見たことがない。
思い返せば河原といわゆる恋バナ、というものはしたことがない。
彼が富井の意中の相手ってことだけは有名で、河原が誰を好きかなんて考えたこともなかった。河原と私は一応男子と女子ではあるけれど、お互いをそういう対象として見たことはない。正確には、見ないようにしてきた。私情を挟めば自分たちが弱くなると思ったからだ。
それは結果として間違いではないのだろう。しかし、それが今回のこの結果を招いたのだろう。
(でも、なんでまた急に……?)
胸がざわつく。
バディだからといってお互いのことを完全に理解してるとは思っていないけれど、河原が思いつきで動くような人ではないのは知っている。つまり、告白したのには何かしらの理由があるはず。でも、それは一体何だというのだろう。
(まさか……河原、富井の気持ちに気付いたの?)
考えられる理由はこれしかない。
今までの鈍感すぎる態度が演技だったとは到底思えないので、最近意図せずに富井の気持ちを知ってしまったというところだろう。でも、本当にそうだろうか。もしかするともっと別の、私が想像し得ないような理由がある可能性も捨てきれない。
―――あぁ、駄目だ。いつもの何倍も頭が回らない。でも、何かしら話していないと余計に気まずくなってしまう。とりあえず何か喋ろう。
「その……いつから、紗也のことを?」
「……傷口に塩、塗りたくるなぁ、葛西」
(あー、もう!本当に気が利かないにもほどがあるでしょ、自分!一体誰に似たんだか!)
自分の不甲斐なさにすぐさま逃げ出したい気持ちに駆られるが、もちろんそんなことができるはずもなく。
「ごめん……」
「いや、冗談だよ。まあ、葛西に恋愛の話がわかるわけないもんな」
「ちょっと…!否定は、できないけど」
「あぁ、知ってる」
むしろ河原に気を遣わせるなんて、私はなんて役に立たないのだろう。
でも、混乱した思考が徐々に落ち着いてきたことによってわかったことがある。それは、河原は紗也との話を誰でもいいから聞いて欲しかったわけではなくて、私に聞いてほしいということ。それなら、とりあえず最後まで聞くのが礼儀だ。
ピン、と張り詰めていた空気が、少し緩んだ。伺った河原の表情は、心なしか先ほどよりも柔らかくなっていた。
「……高等部に入ってしばらくしてから、だったかなぁ。気付いたら、って本当にあるんだな、って思ったよ」
「そう、だったんだ……」
残念ながら恋愛のれの字も経験したことのない私には、気付いたら好きというその感覚はわからない。でも、河原はその気持ちを少なくとも1年間は大切にしていたのだ。
しかし、それなら尚更引っかかる。大切に育んでいたその感情を、河原はなぜ急に放り出すようなことをしたのだろう。私の予想は正解なのだろうか。それを聞くには単刀直入に聞くしかない。傷口に塩だとか、気を遣えないだとかいっている場合ではないのだ。
小さく息を吸い、河原の瞳を見据える。その瞳の奥には覚悟の色が見えた気がして、自分の考えが間違っていないことをひしひしと感じた。
「河原……なんで、急に紗也に告白したの?」
「急に、か。まあ、そうだよな……。でも、その理由は葛西だって知ってるんじゃねぇの?」
「一応、予想は立ててる。でも、万が一それが違った時、私には謝らないといけない相手がいるの」
「なるほどな……じゃあきっと、その予想は正解だよ」
―――やっぱり。
それはつまり、富井の気持ちが河原に伝わったということ。しかも、ただ伝わったのではなく、河原が急いで告白しなくてはいけないような状況で伝わってしまったのだ。
「さっき、富井と俺が図書館にいたのは知ってるんだよな?」
「うん、見かけたからね。その時に何かあったの?」
「まあ、そんなとこ。……あの時、その場には井上も居たんだよ」
「え、でも、私が見たのは河原と富井だけで…」
「多分、井上がお茶でも飲みに外に行ってる時だったんだろうな」
「なるほど。だから私は、河原と富井が2人きりって思ったわけか」
「あぁ。……そもそもは、今日の午前中に珍しく富井から一緒に出かけようって連絡が入ってて、予定もなかったから行くことになったんだ。そしたらその場に井上も居て、驚いたけど嬉しかったし、とりあえず3人で図書館に行くことになって……途中、俺が本を取りに行っているときにあの2人が俺の話を始めたみたいで、戻るに戻れず、聞き耳をたてる形になってしまって……」
「……その時に、富井が河原のことを好きで、紗也がそれを応援してるって構図を知っちゃったのね」
それはまさに運命のいたずら、とでもいうべきもの。
あの2人にとってはいつも通りの会話だったけれど、何も知らない河原にとっては衝撃的な内容だったに違いない。頭の隅の方で、やっぱり富井の気持ちには気付いて居なかったんだ、と呆れている自分がいなくもないけれど、今は見なかったことにしよう。
確かに、自分の思い人が、自分と別の人の恋を応援していたらショックだろうし、焦って行動したくもなる。恋は盲目、という言葉もあるのだ。
それを知って思い浮かぶのは、もう1人の当事者―――今、きっと自室で1人で様々な思いを抱え込んでいる紗也のこと。
「……紗也は、なんて言ってた?」
「あぁ、そうだよな……」
河原はその時のことを思い出したのだろう、少し苦そうな顔をする。
「……井上には、怒られた」
しかし返ってきたのは、想像もしていなかった返事。聞き間違えたのかと思って、思わず変な声が出た。
「はあ!?お、怒られた!?」
「あぁ。なんで、富井が好いてくれてるのに、自分なんか好きになるんだって、泣きながらそう言われた」
「紗也が、そんなこと……」
紗也は一見おちゃらけているように見えるけれど、根は真面目で、時に自分の気持ちを押さえ込むところがある。もし河原が言わなかったら、紗也と河原の間にあった出来事を私は一生知ることはなかっただろう。
彼女だって私の大事な悪友だ。今、彼女はどんな顔で何を考えているのだろう。
「なあ、葛西」
不意に名前を呼ばれてハッとする。
そうだ、紗也も大切だけど、今私が話をしているのも大切な相棒だ。彼だって表面上は笑っているけれど、胸の奥は火傷したみたいにジンジン痛んでいるはず。今は、彼の力になるのが先決だ。
「なに、河原?」
いつも通りの返事を返せば、河原は安堵したように笑った。そして、真面目な顔をして私に頭を下げた。
「ど、どうしたの?」
「……井上と、話をしてほしい。俺もその、傷付いたけど、井上はもっとしんどいと思うから」
「河原……」
しんどいのは自分だって同じだろうに。それでも、他者を優先しようとする彼が私の相棒なのだ。
去年の私たちの関係だってそう。自分だって怖いくせに、私を守ろうと必死になってくれた。その恩を少しでも返せるのなら、私は彼の願いを受け入れる。
「うん、わかった。……紗也だからね、どんな答えが返ってくるかわからないけど、それでもいい?」
「……あぁ、大丈夫」
そう言って笑った彼の目元が赤く腫れつつある姿は、私の胸の中にそっとしまっておこう。
(……とは言ったものの、どうしようかなぁ)
河原と別れて、ようやく女子寮のフロアへと戻ってきたはいいが、目的地である紗也の部屋の前で思わず尻込みしてしまう。
正直、紗也になんて声を掛ければいいのかわからない。まさかこんなことになるとは思ってなかったし。
今回、私は物語でいう聞き手役で話に関与することはない。しかし、河原と富井と紗也は登場人物になってしまったのだ。しかも自分の意思とは関係なく。それがいかにしんどいことか、想像しただけでも半分くらいならわかる気がする。
しばらく部屋の前をウロウロしていたが、やっとの思いでチャイムを鳴らしてみる。しかし、紗也は出てくれない。出てくれないということは、部屋にいないということだろうか。それとも、いるけど人に会えない状況なのか。
とにかく、まずは紗也に会わないと話が始まらない。
なんとなくだけど、紗也は居留守を使っている気がする。彼女は落ち込んだ時は部屋にこもるタイプだ。
「紗也ー、いるの?」
―――返事はない。激しく戸を叩く。
「紗也ー」
―――やはり返事はない。さらに激しく戸を叩く。
「さーやーさーんー??」
「ああもう!うるさいっての!!」
勢いよく開けられた扉の先にいたのは、先ほどの彼と同じように目を真っ赤に泣き腫らした紗也。
「あら、いたのね」
「藍、絶対知っててやったんでしょ!?」
「何のことやら。っていうか居留守を使うなんて、それはそれでどうかと思うんだけど?」
「そ、それは……いいじゃん、たまには、そういう日だって、あるし……」
歯切れが悪い。でも私を疑う素振りはない。
つまりただ単に人に会いたくなかっただけのようだ。確かにその目ではそうなるだろう。
「……紗也、河原から全部聞いてる」
単刀直入に切り出せば、紗也の瞳が激しく揺れた。
「……そっか」
紗也はそう言ってうつむく。今回のことが相当きているらしい。
まあ、当然か。自分が今までお節介していた女の子の思い人の思い人が自分でした、なんてどこの漫画の三角関係だ。悪い夢なら覚めてほしいと願わずにはいられないだろう。
流石にその顔では外出はできないだろう、ということで半ば無理やり紗也の部屋に上り込む。
本当は誰にも会いたくないだろうに、無理やり入り込んだ私を追い返すこともなく、むしろご丁寧にお茶とお菓子を出してくれるところが紗也らしい。
「……河原にね、急に呼び出されたの」
話を切り出したのは紗也だった。
紅茶に入れたミルクが渦巻いて落ちて行く様子を眺めながら悲しそうな顔をしている彼女を見て、河原といい紗也といい、私の知らない2人の顔はたくさんあるのだと痛感する。
「今日はまりんちゃんと遊ぶ約束してて、私が調子に乗って河原も誘えば、って提案して、結局3人で遊ぶことになってね……夕方には解散したんだけど、その後また河原に呼び出されて、何事かと思ったんだけど……」
「告白された、と」
「……うん。なんか、まりんちゃんとの話を聞かれちゃったみたいでさ、やっぱり気付いてなかったのかー、って呆れる自分もいるんだけど、でもやっぱり衝撃が大きくて……」
「そりゃ、驚くわよね」
「うん。……なんていうかさ、河原以外だったら告白なんてなんとも思わないんだけど、河原だから……私の今までしてきたことは、実はまりんちゃんにも河原にも失礼で、もしかしたら2人のことを傷つけてたのかもって思ったら、急に辛くなっちゃって……それで、河原に怒っちゃったの。本当に、何してんのって感じすぎて嫌になっちゃうんだけどさ」
「紗也……」
紗也の気持ちは痛いくらい伝わってきた。―――でも、同時に気付いてしまった。
(もしかして紗也、あなたも河原のこと……?)
私は知っている。彼女が人に弱っている姿を見せるのが極端に苦手だということを。どんなことがあっても、紗也は何事もないような顔をすることができるほどの理性力がある。
だからもし河原のことを本当に何とも思っていなければ、板挟みになって苦しい思いこそすれど、紗也は上手い言葉でその場を治めたはずだ。それこそ河原に心配されるような姿は見せずに。
でも、現状は違う。むしろ真逆の状態だ。そこから考えられるのは、理性すら制御できないほど苦しい思いを抱え込んでしまったということ。つまり―――
「……でも紗也、あなた自身の気持ちはどうなの?」
「え……?」
「……例えば、私は河原が好きだけど、それは恋愛対象としての好きとは違う意味での好き。でも紗也、あなたのは?……あなた自身は、河原のことどう思ってるの?」
「それは……」
言葉が途切れる。しかしそれは一瞬のことで、次の瞬間には笑顔を浮かべてまさか、と言った。
「まさか!私だって、恋愛対象じゃない方の好きだよ!」
(それが、紗也の答えなのね)
「……それは、本当に本心?」
しばしの沈黙を破ったのは、紗也の嗚咽の声だった。
まるで小さい子供のように嗚咽を漏らし、大粒の涙を瞳に浮かべて目の前の紗也は泣く。そんな姿、初等部のころの訓練ですら見たことがなかったのに。
「……違う。本当は、本当は、河原が好き……そういう意味で好き!でも、今更そんな事言われたってさ、どうしようもないじゃん!」
「そんなこと……」
「あるっ!まりんちゃん可愛いし、お似合いだって思って、応援するの、すっごく悩んで決めたのに、そんな、今更好きとか言われても、困る……!河原のことは好きだけど、まりんちゃんも好きだし、裏切りたくない!」
「富井はそんなこと、思わないよ」
「あの子は優しい子だから、表はそうでも、裏では絶対に泣くの!そんなひどいことしたくないし、それに……」
「それに……?」
紗也のその言葉が、重く、重く、腹の底に響き渡った。
「私は、今は、まりんちゃんと河原が、幸せになる未来しか想像できなくて……!自分が河原の隣にいる未来なんて、もう、想像できないの……ッ!」
―――一体、どこで間違えてしまったのだろうか。
誰も悪くないのに、誰の恋も上手くいかない。誰の思いも報われない。そんな悲しい結末があっていいのだろうか。そう思うのに、何も解決策が浮かばない。
分かってしまったのは、河原と紗也の恋路に未来はないということ。それがたった1つのこの物語の結末だ。
こんなとき、なんて言えば正しいのかなんてわからない。自分の気の利かなさは折り紙付きだ。
だから、せめて一時だけでも彼女の心の傷に寄り添えれば。そう願って、そっと紗也の体を抱き寄せる。
筋肉質ではないしなやかな体躯。身長こそ私よりも高いけれど、肩幅も腰回りも思っていたよりもずっと細い。こんな身体で色々な思いを抱え込んできたのか、と思いはじめると思いが止まらない。
(頑張ったね……頑張ったね、紗也……)
「ねえ、紗也?世の中には、河原なんて比じゃないくらいいい人がたくさんいるから」
「うん……うん……っ」
「そうだね……河原なんて……比じゃ、ない……くらい……いい男、いるよね……っ!」
「……うん、もちろん」
「うん……っ!」
背中をさすることしか出来ない自分がもどかしい。
私の言葉次第では、もしかすると河原と紗也が結ばれる結末も存在するのかもしれない。けれど、その影で泣きじゃくるリボンの似合う小さな女の子の存在を、私も結局無視することはできなかった。
(ごめん、河原……今の私には、結末を変えることは出来ない……)
その日、私は紗也が泣き疲れて眠ってしまうまで彼女の背中を撫で続けた。
翌日。
梅雨の合間に珍しく晴れたことを喜ぶように見事に咲き誇る紫陽花を眺めながら、私と河原はいつもの定位置である廃ビルの屋上にいた。
「紗也と話したよ」
「……井上は、何か言ってたか?」
「うん。……ごめんね、って」
「そっか……」
昨日、紗也と話した内容は何も言っていない。言えるはずがなかった。
「……なぁ葛西」
「なに?」
「俺は大丈夫。だから、井上に気にするなって言っといて欲しい。あと、ゆっくりにはなると思うけど、富井とも向き合うって。それが井上の願いなら、頑張るからさ」
「……わかった」
(……何が、大丈夫よ。何が、気にするなよ)
そんな酷い顔で言われても何の説得力もないのに。でも、私は何も言うことが出来ない。
そしてこの瞬間、河原と紗也の間の出来事は本当に決着してしまった。
―――思いなのに結ばれない、そんな恋もある。初めて知った。
相変わらず恋愛のれの字も知らない私は、気の利いたセリフなんて言うことは出来ない。それなら、今の私がするべきなのはいつもと変わらない自分でいること。河原のバディで、紗也の悪友の葛西藍でいることだけだ。
そのうち、富井や財前だって何かしらがあったことくらいは察するだろう。でも、その時でも私は変わらないでいよう。それがきっと最善の選択のはずだ。
「さてと、河原。あと1分で今日の実践が始まるわけだけど、傷心が原因で死ぬ、なんてことはないようにね?」
「……あぁ、もちろん。死ぬわけねぇだろ?ついでに葛西も守ってやる」
「あら、ずいぶん余裕なのね?」
「当然だっての!」
何もかも変わらずにはいられないけれど、でも変わらないものがあってもいいはずだ。これから先、立場が変わっても、関係が変わっても、変わらないものはある。それを私は大切にしていきたい。
いつもより寂しげな相棒の横顔を眺めながら、私はそう心に決めたのだった。




