18 告白(ⅰ)
6月の終わり、梅雨真っ只中。
シェルター外は土砂降り。ガラスに激しく打ち付ける鈍い音を聞きながら、シェルターを伝って雨粒が流れ落ちるのを眺める。
「……せっかくの休みなんだから、せめて綺麗な景色でも見たかったんだけどね」
私の思いとは裏腹に、残念ながら視界の先は真っ暗だ。
今日、夜桜学園は41回目の創立記念日を迎えた。
私も詳しいことはよく知らないけれど、2000年に夜桜学園は創立されて、その歴史は今年で41年を迎えるらしい。
それまでも当然ながら日本軍は存在していた。二度の世界大戦を始め、過酷な戦争に駆り出されたり、はたまた政治を行ったりしていて、当時は我が国の最高位と言っても過言ではなかったようだ。
しかし終戦後、その力は衰える一方。日本は敗戦国なのだから仕方がないことだが、1980年代には徴兵制度こそ存在するが、日本軍という組織の存在を知らない人が出てくるまでに衰えてしまったそうだ。
国防の任務は自衛隊に取られ、政治を行うこともなく、都心から離れた郊外に本部ビルが1つあるだけの時々援軍に駆り出されるだけの存在。つまり、捨て駒。―――それが当時の日本軍の社会での立場だったと聞く。
当時の徴兵制度は名ばかりで、むしろ期間中は長期休暇だとすら言われていたらしく、軍の力を誇示する機会もほとんどなかったそうだ。
しかしそこまで言われて日本軍も黙っていない。その現状を受け、日本軍は夜桜学園を創立することを決定した。
夜桜学園の存在意味は、衰退した日本軍の権力を向上させるため、実力者を養成すること。
そのために1990年から10年をかけて、かつて軍の施設があり、当時は使われていなかったこの島の中心に日本軍総司令部バベルが建てられた。その後、周りにいくつかのビルが建てられ、シェルターが作られ、最後にシェルター内が整備された。
そして2000年、厳選された50名の13歳の少年少女が第一期生として夜桜学園に入学し、夜桜学園は始動した。
その時の50名のうち約半数の28名が実践をくぐり抜け夜桜学園を卒業し、現在は皆重要な役職についている。
長くもなく、短くもない歴史。
それが夜桜学園のこれまでの歴史だ。
そういうわけで今日は学園は休み。
せっかく与えられた休みなのでありがたく頂戴して、今日は実践もなく安全なのでシェルター外で偵察でもしようかと思っていたわけだが。
「これじゃあ、偵察どころじゃないよね」
外は大雨、雷まで鳴っている。
実践は雨でもやるけれど、こんな天気は滅多にないし、この悪天候なら流石に実践も中止になるだろう。今日はそれほど荒れた天気だった。
今日は創立記念日で授業は休みだが、暦の上では平日。つまり、実戦に参加するときと同様に生徒の学生証でもシェルターの外に出ることができるのだ。
ちなみに土日祝日はシェルターの出入口はロックされ、解除するには軍の人間の持つ鍵が必要になる。だから土日に偵察は不可能というわけ。
最悪な天気の空を睨んでみるも、もちろん天気が変わるわけでもなく。
仕方が無いから偵察は諦めて、おとなしくシェルターの中心部へと戻る。
予定がなくなった午後は暇の極み。
何をしたらいいのかわからなくて、とりあえず図書館に向かう。久しぶりに本も読んでみるか。
本部の11階に位置する大図書館は、天井まである本棚に書物がびっしり収まっている、例えるなら絵本の中の世界なのだ。各学部に設置された図書室とは比べ物にならないほどの量の書物が収容されている。
その独特の落ち着いた雰囲気は、本好きならもちろん、それ以外の人の心も穏やかにさせてしまう。
そして、そんな憩いの空間は人を惹きよせる。暇ができると皆の足は自然とここに向かっていることも珍しくない。
「あれ、あの2人は……」
空いている席を探していると、見慣れた2人組が視界に入って咄嗟に本棚の影に隠れてしまう。
―――一番奥のテーブル、そこを陣取っているのは河原と富井。最近急接近しているこの2人の関係に驚きつつも、私は応援する立場なので邪魔するなんてことはしない。
今回も財前の姿は見当たらなかったので2人で来たのだろう。なら尚更、私が邪魔しては悪い。
2人から見えないところにある個人スペースをなんとか確保して腰を下ろし、近くの本棚から適当に数冊とってページをめくる。
読書は好きだけど最近は忙しくて、全く本を読んでいなかった。
数百枚のページの中で紡がれる物語が好きで、昔は時間を忘れるくらい読んでいた。初等部の頃は、初等部の書庫で河原や財前に見つかる度に、引きつった顔で“本の虫”なんて言われていたのも今ではいい思い出だ。
ちなみにあの2人は読書、というか文章を読むことがあまり得意ではないらしい。
すらすらとページをめくって読み進めればあっという間に物語の世界に誘われ、気付いた時には既にここに来て6時間も経っていた。外の天気が悪いから分かりにくいが、今は既に晴れていれば夕日が沈む時間だ。
同じ姿勢でずっといたせいで凝り固まった体をほぐし、読み終わった本を所定の位置に戻して席を立つ。
そのまま寮に戻ることもできたけど、なんとなく本部の外に出てみると、雨は止んでいた。
「うーん、雨は止んでるけど……今から偵察しに行く気にもならないなぁ……」
せっかくのチャンスなのはわかっているけど、時間も遅いので気分も乗らない。残念だけど、偵察はまた今度の機会にしよう。
ふぅ、と息を吐いて広場のベンチに腰掛ける。街灯が点き始め、花壇の花々が照らされていた。
ふと視線を向けた先で咲き誇るのは、鮮やかなチューリップとアネモネ。可憐な花を咲かせているそれを見ながら、胸につっかえる違和感。
「あれ……?」
―――軽い既視感。
そういえば去年、この花を見たような気がする。植物園ではなく、どこかで……
「……あ、教官の家におじゃました時か」
思い出した。河原と2人、スコーンとマフィンをご馳走になった、たしかその時の道中だ。
その時に見たのもチューリップとアネモネだったはず。
「……黄色のチューリップの花言葉は“望みのない恋”、白のチューリップの花言葉は“失われた愛”、アネモネの花言葉は“儚い恋”……だったよね、確か」
―――あの後、教官が切なげに見るその花々の花言葉を興味本位で調べてみたら、そんな切ないものが出てきた。
花言葉なんて、バラなんかのように美しいものだけにすればいいのに。チューリップだって赤ならいいものだった。それなのに彼が見ていたのは白と黄色。
「教官は……私たちの知らない過去とか、たくさんあるんだろうなぁ……」
そんなこと考えたってどうにもならないし、教官の詮索することなんてできないけど、なんとなく思ってしまうくらい許して欲しい。1年経っても、私はやっぱり彼のことを全然知らない。
「創立記念日……有意義に過ごせたのかな」
当初の予定は中止、結局いつもとほとんど変わらない休日を過ごしたような気もするけれど。
「……まあでも、楽しかったからいいかな」
見上げる本部は温かな光に包まれている。その光景を眺めていれば、自然とそう思うことが出来た。
そろそろ部屋に戻ろう。そう思い、本部のエントランスに足を踏み入れたときだった。
「あ、葛西」
声の主は顔を見なくても分かる。その方を向けば、河原がロビーのソファに腰掛けていた。
近くに富井の姿は見えないので、おそらくひとりぼっち。というか、なんで彼はこんなところにいるんだろう。エントランスのロビーなんて、私は滅多に利用しないけど。
「ん?あぁ、河原か。富井は?」
昼間、2人でいるところを見たのでなんとなくそう尋ねてみる。
別に友人同士で図書館に来ることは珍しくないので、特に深い意味はなかったけれど、返ってきたのは思っていたものとは違う反応。
「え!?な、なんで富井と一緒にいたの、葛西が知ってんだよ!?」
「な、なんでって……図書館で見かけたから、だけど」
「見てたのかよ……!はぁ、びっくりした……」
「いや、それはこっちのセリフというか……」
―――びっくりした。
今までの河原は、富井と出かけるのも、財前と出かけるのも、私と出かけるのも、ひとりで出かけるのも変わらない様子だったのに。なのに今の河原の態度はなんだ。照れてる、にしては反応しすぎな気がするが、意識しているのは間違いない。
そして、こみ上げてきたのは抑えようのない笑い。
「ふふっ、河原って本当にポーカーフェイス、苦手なのね」
「なっ!お、お前には言われたくない、葛西だけには!」
いつもは思わずカッとなってしまうけど、今日はなんだか河原まで可愛く見えてしまうんだから不思議だ。
「はいはい、わかったわかった。それじゃ、私は帰るね。河原は?」
「あぁ……俺も帰る。一緒に行こう」
「うん、帰ろう」
ソファから立ち上がった河原が私の横に並ぶ。―――瞬間、感じる違和感。
うまく言葉にはできないけれど、河原の纏う空気がいつもとは違うような、そんな心地悪さ。まるで、目の前の人の背中にゴミがついているような感覚だ。気にしなくてもいいけれど、気になってしまう、あの感覚。
違和感の正体を探るため、無意識のうちに河原のことを眺め回す。
もちろんそれに気付かない彼ではないので、怪訝な表情を私に向ける。
「なんだよ、葛西?」
「いや、なんか……いや、何でもない」
「はぁ?何だよ、それ」
やっぱりおかしい。でも、正体は分からない。それを考えるうちに、もしかしてこれは私の気持ちの問題なのだろうか、という考えに至った。
富井の恋は応援しているけど、もしかしたら私もバディをとられて嫉妬していたのかもしれない。……なんて。
もちろん、そんなこと本人には言ってやらないけど。でも、そう思えばこの違和感も何となく説明できるような気がした。
2年生が始まって、気付けばあと1ヶ月で1学期が終わる。思い返せばあっという間の日々だった。
この調子で歩んでいけたら最高だけど、そう簡単にはいかない。この先に延びているのは。険しく難しい道のりだろう。でも、今の私たちなら乗り越えられる気がする。
私と河原は最強のバディだ。自惚れかもしれないけど、今だけはそう思っておこう。
「……なぁ、葛西」
こうやって私がこの変な現象に決着をつけた瞬間、河原が深刻な面持ちでこちらを見つめてきた。
―――駄目だ、違和感がぬぐい切れていない。
「なに、どうしたの?」
瞳を見れば、バディについてではなく、別のことで悩みがあるんだろうということくらいは理解できた。
そして悟った。―――この違和感の正体を、今から河原は語ろうとしている。
「俺、さ……」
「うん……?どうしたの?」
歯切れの悪い河原なんて見たことがない。普段とは明らかに違うその様子に、思わず息を飲む。
「あのさ、葛西、俺……」
―――河原が紡いだ言葉は、私の心の中に気味が悪いほどすとんと落ちてきた。
驚きで声が出ない、なんてことを体験するとは思わなかったけれど、何故か納得している自分もいて。それは果たして、違和感の正体が分かったことによるものなのか、それとも河原の紡いだ言葉に対するものなのか。
彼はたどたどしい口調で、けれどはっきり言い切った。
「……俺さ、井上が好きなんだよ」
その瞳は真剣そのもので、まるでメデューサに見つめられたかのように動けない。背中を冷や汗が流れる。
―――私たちは、取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか。
分かっている、歯車はとっくのとうに狂っていた。今更、打つ手はない。




