17 偶然
2年生になって変わったことといえば河原の言う通り、実践の授業が4時間目から3時間目に変わったことくらいなもの。
それ以外は特に代わり映えもせず、淡々と日々は過ぎていった。
私たちの学年で2年生に上がれたのは24名。今年は1クラス12人ずつの2クラスになっているが、来年は1クラスだけになるだろう。
教室も階が1つ上に変わっただけで、見える景色はほとんど変わらない。
他に変わったことといえば、学園順位だろうか。
桜庭先輩がトップになり、富井が進級早々に上級生に決闘を申し込み、あっさりと勝利して5位にくい込んだ。しかもそれはバディの財前も含め、事後報告だったのだから本当に驚いた。富井の貪欲なところは尊敬するが、私はそんなに死に急ぐつもりはない。
そんな変わったようで変わらない、変わらないようで変わったような毎日を過ごし、やがて季節は高等部に入学して2度目の初夏を迎えた。
「あーっつい!暑いよぉー……」
「暑いって言ったら、もっと暑くなるからやめてよ……」
一体誰がこの時期のことを初夏と呼び始めたのだろう。確かに夏本番まではまだまだ間があるが、今の時点でも十分すぎるくらい暑いだろうに。
開け放たれた教室の窓から外を眺める。さすが高層ビル、眺めだけは本当にいい。
この時期は実践の授業は一旦ストップし、座学の方に力が入る。いわゆる、定期テストというやつだ。
富井は実践こそ、生まれ持った身体能力と努力でここまで上り詰めてきているが、勉学の方は本物の天才なのだ。何もしなくても学年トップが取れてしまうくらいには頭の出来がいい。
私たちが学年順位を落とさないように必死に勉強する中、富井は余裕らしく携帯端末をいじってニューモデルの拳銃の画像を眺めて楽しんでいる。
そもそも、なんで勉強会なんて開いているのか。
ことの発端は確か、偶然図書館の前で河原に出くわしたこと。一緒に中に入ると、席に座れずに嘆く富井と財前に出会い、ならばと4人で教室で勉強会を、という流れで教室にやってきたのだ。しかし今日に限って空調の調子が悪いらしく、いつもは快適な本部内が今日だけは蒸し風呂みたいになっている。つくづくついていない。
フロアが高いので、風が吹き抜けてくれるのがせめてもの救い。風が吹いていなかったら私の命日は今日だった気すらする。
河原と財前が同じタイミングでペンを置き、両手をあげて体を伸ばす。
「んーっ、それなりにやったなぁ」
「だねぇ。あー、めちゃくちゃ覚えること多くて嫌になるよ」
「そうだなぁ」
机の上に広がるのは数学IIBの教科書。ベクトルだか微積だか知らないけれど、世の中に出てこれが何の役にたつのか、甚だ疑問だ。まあ、これが勉強が苦手な人の見苦しい言い訳だということも理解しているので、今日は見逃してほしい。
ただ、そんな泣き言ばかり言っていては進まない。たくさん休憩をとりながら、ゆっくりゆっくりテスト勉強を進めてゆく。
そういえばお正月に引いたおみくじにも、勉学には励めと書いてあった。新学年最初だし、今回はちゃんと頑張ろう。
―――なんて意気込んでいた1週間前の自分を今、猛烈に殴りたい。
結論から言うと勉強不足。
数学はまだ、予備知識がなくても解けるものもあるからそれなりになんとかなったと思う。しかし問題はそれ以外だ。
特に副教科。暗記系はほとんど勉強せずに臨んだのでおそらくひどい結果が帰ってくるだろう。
成績や学年、バディ順位は9割以上が実践の成績でつけられるが、私や河原や財前が学年トップになれない理由の残りはここにあると思う。
とりあえず良くも悪くもテストは終わったのだ。気持ちを切り替えよう。
ということでテスト終わりの休日、久しぶりに向かう先は植物園。私は意外と好きな場所なのだが、他の3人や紗也はそうでもないようなので植物園に来る時は大抵1人だ。
前に来たのは夜桜祭の前だったはず。それから半年以上来ていなかったので、当然だけど花々の様子は全く違う。ここでも季節の移り変わりを感じた。
夏が近づくこの時期、植物園の中はカラフルな花々で彩られている。広場に咲いている花も可愛らしくてきれいだけど、植物園の花々はちゃんと手入れされていて、かつ大きくて派手な花を咲かせているので、見る度にいちいち目を奪われる。
「綺麗だなぁ……」
天井のステンドグラス風の天窓から差し込む光も相成って、この空間は本当に美しい。まるで絵画の中にでも迷い込んだみたいだ。
テストや諸々で凝り固まった体をほぐすように天に腕を伸ばし、リラックスしていたまさにその時。突然背後に人の気配を感じた。ハッと振り返れば、そこにいたのはおしゃれなネクタイが印象的な長身の男性だった。
「あ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど」
「い、いえ、こちらこそ……突然振り返ったりしてごめんなさい」
「君が謝る必要はないけど、まあありがたくその言葉を受け取っておくよ」
軍服は着ていないけど、おそらく軍人なんだろう。独特の風格のようなものを感じる。
私よりもいくつか年上の人のようで、とても落ち着いて見える。河原や財前とは違う、大人の男性という感じ。
頭を下げて一旦は別れたものの、植物園には今は2人しかいないので何度も鉢合わせ、結局一緒に見て回ることになってしまった。正直、知らない男性と2人きりというのは気まずい。
「……君は、高等部の生徒?」
「あ、はい。2年生です」
「2年生か……懐かしいな。もう5年も前のことだ」
なるほど、つまりこの人は22歲なのか。名前より先に年齢を知ってしまった。
そういえば、この人はどこで働いているんだろう。年齢的には初等部とかの教員だろうか。でも、この人には年に似合わない威圧感というか、貫禄というか、独特のオーラがある。
でも、それは聞いてもいいことなのだろうか。モヤモヤを抱えたまま悩んでいると、私が何か聞きたいことを向こうが察してくれたらしい。
「何を俺に聞きたい?」
「あ、と……その、職場を聞いてもいいですか?」
「ああ……うん、大丈夫」
優しく微笑んだ彼は、胸元から名刺を取り出した。
聖菜さんといい、この人といい、高等部の生徒相手に名刺をくれるなんて、本当に律儀だ。
「俺は栗山朔夜。栗山って呼んでくれたらいい。あ、でも年上だし一応栗山さん、か?」
そういいながら手渡された名刺に書いてあるのは、この人の名前が栗山朔夜だということと、職場が“情報科”であるということ。
「え……情報科?」
「そう。俺は、情報科というところで働いている」
その言葉を聞いた瞬間、目の前がパッと開けた感じがした。
この人―――栗山さんは、世間的には美形に分類される顔立ちだし、身長も高い。普通に過ごしていれば、背後に来るまで気づかない、なんてことは無い容姿をしている。
それなのになぜ、背後に回られるまで気づかなかったのか。自分の実力不足を感じていたところだったが、無理もなかったのだ。だって、彼は情報科の人だったのだ。
「情報科で働いてるんですね」
私が当たり前のように情報科、という単語を口にしたからだろう。一瞬彼は怪訝な表情をしたが、やがて納得したように何度も頷いた。
「ああ、もしかして華田さんの知り合い?」
「あっ、はい、そうです」
「なるほどね。将来情報科目指してるっていう子か。名前は?」
「葛西藍です」
「なるほど、葛西さんね」
そう言うと栗山さんは目を細めて笑い、私の肩をポンと叩いた。
「じゃあ、2年後、待っとくね」
その後は植物園の中をゆっくり周りながら、情報科のことを栗山さんから教えてもらった。
情報科には“表”と“裏”という仕事があること。
“表”は諜報活動をしたり、実際に手を下したりすること。聖菜さんや栗山さんも、こっちの人間らしい。
“裏”は情報を分析する仕事。表と比べたら危険度は低いけど、忙しさは軍を抜いているとか。
「葛西さんがもし入れたら表だと思う。表の人は色んな仕事をするから、まず見た目の美しさが必要だし。葛西さんはその条件には当てはまってる」
「いや、そんなことは…….」
「謙遜しない。これも才能だからさ。元がいいと化粧映えするから、変装もしやすいんだ。自分で言うのも気が引けるけど、俺や華田さんも、世間的に見たら整った容姿をしているほうだから、そういう理由で表をやってる」
「なるほど……聖菜さんって会う度に全く別人みたいだからびっくりしてたんですけど、そういうことだったんですね」
栗山さんの話はどれも興味深い。
彼は私たちとたった5つしか違わないのに、軍人で情報科の人なんだということを、大人なんだということを感じる。
一通り植物園を見て周り、栗山さんと出会った出入口の前まで戻って来た。
久々に植物園を満喫できたな、と満足しながら携帯端末を見れば、既に時刻は17:00を回っていた。
「うわっ、時間……!」
「今何時……って、こんなに経ってたのか。びっくりした。葛西さん、時間は大丈夫?」
「はい。……栗山さん、今日はありがとうございました。すごく楽しかったし、興味深かったです」
「ううん、俺の方こそありがとう。いい気分転換になったよ」
そう言って微笑む栗山さんは、どことなく教官に似ている気がした。
栗山さんと別れて本部の寮に戻ろうと歩いていると、目の前に見慣れた影を見つける。
「あら、藍ちゃん」
「こんにちは、教官、幸那さん。今日はデートですか?」
「おい、葛西」
「ふふっ、そんなんじゃないわよ。ただの買い物。徹くんは荷物持ちね」
「あー、なるほど。荷物持ちですか」
「おい、幸那、葛西」
不機嫌そうに見えて、実は全然不機嫌じゃない教官と、幸せそうに笑っている幸那さん。
いつ見てもこの2人は、みてるこっちが幸せな気持ちになる。
「葛西こそ、こんなところにひとりでどうしたんだ?本部の外に用事なんてあったのか?」
「はい、ちょっと植物園に。テストもやっと終わったし気晴らしで」
ギラリ、と銀フレームの奥が光った気がした。直感的に、しくじったと悟ってしまった。
「ほーほーテストか。そういえばそんな時期だったな」
「あー……はい、実は」
「で、どうだったんだ、テストの方は」
「あー、えーっと……」
言えない。勉強不足だったなんて言えるわけがない。
でも、変にごまかしてしまえばもっと拗れる。だったら、正直にいうべきだろうか。
言葉につまってなかなか答えられずにいると、クスクス可笑しそうに笑う幸那さんの声が聞こえてきた。
「いいじゃない、徹くん。徹くんだってテストなら私の方が点数よかったんだから」
「な……!そ、それは……」
これはなんとありがたい助け舟。幸那さんが女神に見える。一方の教官は、バツが悪そうに顔を背けた。
まあでも、私も人のことをいえる成績ではない。色々聞いてみたい気もするが、この話は切り上げるが吉だろう。
「ふふっ、教官にもそんな時代があったんですね。意外ですけど、でも教官も人間ですね」
「……ふん、生意気は自分の成績を見直してから言え」
「うっ…、それを言われると弱いんですけど……」
そう言って勝ち誇ったような表情を浮かべる教官。ほら、やっぱり形成逆転はあっという間だ。
その後もしばらく教官と幸那さんと話して、寮にたどり着いたのは茜色の夕日が現れ出した頃だった。
長くて不思議で、とても有意義な1日だった。
栗山さんとの出会いは将来への貴重な一歩にもなったし、教官のちょっと意外な話も聞けたし。
「お風呂、水温38度で溜めといて」
AIに音声でそう頼めば、しばらく間が空いた後、お湯がバスタブに溜まる音が聞こえてきた。
今日は気分がいいので、とことん自分を甘やかそう。そうと決まれば、まずはリラックスできる半身浴をしなくては。気分が乗っているということで、富井に誕生日に貰ったはいいが使い道が分からなかったアロマも炊いてみる。湿った煙に乗って香るシトラスの爽やかな香りは、私の好みにぴったりだった。
数分後、私は丁度いい温度のお湯とシトラスの良い香りに包まれていた。
「あー、生き返る……」
自分の体に刻まれたたくさんの傷跡を一つずつ撫でて、バスタブに背を預けて脱力する。
―――栗山さん、か。たった5つ、されど5つ。5年後の私は、一体どこで何をしているのだろう。ちゃんと情報科に在籍できているだろうか。彼や聖菜さんみたいに、誰かから憧れてもらえるような大人になっているだろうか。
(……なーんて、ここで考えたって意味無いか)
うんうん、と首を縦に降る。
そうだ。2年後、情報科に入った時に聞けばいいのだ。彼だって、待ってると言ってくれたし。
(その為には、今出来ることを一生懸命するしかない、よね)
聖菜さんも、教官も、栗山さんも、情報科に入れるよう頑張れと言ってくれた。その期待には応えなくては。
そうと決まれば、急に時間が惜しくなる。
せっかくお風呂から急いで上がったというのに、着替えるのは部屋着ではなく訓練着。ミネラルウォーターを冷蔵庫から取り出して口に含めば、風呂上がりの火照った体に染み込んで心地が良い。
分かっている、これではまた汗をかいてしまう。次は時間的に、ゆっくりお風呂に入っている時間なんてないだろうから、シャワーで烏の行水だ。
でも、しょうがない。体を動かしたくてウズウズしているこの気持ちは誤魔化せない。
足早にエレベーターに乗り込み、射撃場を目指す。
テスト期間中はライフルを触ってすらいなかった。勘を失ってはいないと思うけど、念には念を入れよ、というやつだ。
エレベーターから降り、射撃場に入ろうとしたら、入れ替わるように出てくる人物と遭遇した。
「あ、すいません―――て、河原?それに、富井まで」
「わ、葛西かよ。びっくりした」
「えっ、藍?どこどこ?」
並んででてきたのは河原と富井。
紗也のせいで意識してしまうが、この組み合わせを射撃場で見ること自体は別に珍しくもなんともない。
「藍!こんな時間から練習?今日はどっか行ってたの?」
「うん、植物園にちょっとね。富井と河原はずっとここに?」
「いや、俺たちは買い物に出かけてて。ここに来たのは2時間前くらいだな」
「買い物?……2人で?」
「あぁ」
この組み合わせをここで見ること自体は珍しくない。でも、買い物の後となると話は違う。
これはなんという進展。急いで紗也にも報告しなくては。
富井は幸せそうに笑っていて、本当に幸せな時間を過ごしたんだな、とこっちまで嬉しくなる。
「そっかそっか。楽しかった?」
「うんっ!」
「ならよかった。それじゃ、また明日ね」
「おう、また明日」
「バイバーイっ」
大きく手を振りご機嫌な富井と、それを呆れたように笑ってたしなめる河原。
「絶対、脈ありだと思うんだけどねぇ……」
エレベーターの向こうに2人が消えたのを確認して呟く。
河原も心なしかいつもより楽しそうに見えた。バディである私が言うんだから間違いない。
学園の誰よりも努力家で、毎日を恋も勉強も実践も一生懸命生きている富井は、時々面倒くさいけれど、でも素直ないい子だ。
本来はただの駒だったはずの中等部編入生。その立場から4年間でここまでのしあがってきたのだ。彼女には、幸せになる権利がある。
河原も、バディである私のことを真剣に考えてくれる人で、私にとっては唯一無二の存在だ。
守ってくれるのはとてもありがたく嬉しいけれど、その手は私のためのものじゃない。私と彼は、もう守られるだけの存在ではない。お互いを守る存在だ。これから先、彼のその手は守っていくべきもののために使うべきだ。
それは2人の友人である私のわがままなのかもしれない。それでも、2人には幸せになって欲しいのだ。
すっかり日が落ちた射撃場。休日のこんな時間から練習しよう、なんて人はいないのでここには私1人しかいない。でも、私はこの空間が大好きだ。
1人の射撃場は静かで集中できる。自分の撃った音だけが部屋全体に響いて気持ちがいい。
一通り撃ち終えて上のモニターを確認する。そこには命中率100と表示されていて、また気持ちが高ぶる。
本当はウズウズする気持ちを落ち着かせるためにここに来たのに、余計にエンジンがかかってしまった。
「……ま、いっか」
今日は土曜日。幸い、明日は日曜日で予定もない。
河原はにはたまに口を酸っぱくしてオーバーワークを注意するのに、自分がこれだと怒られちゃうな、なんて思っても気持ちは抑えられない。なら、ガソリンが切れるまで撃ち続けてやろう。たまにはそういう日だって悪くない。




