12 夜桜祭(ⅰ)
―――2040年、秋。
あのしつこい暑さはすっかりなりを潜め、涼しい風が吹き抜けるようになった10月。
10月の夜桜学園には、年に一度の行事がある。当初は行事なんてない学園だったが、開校数年後にそれでは楽しくないと軍の上層部、もとい卒業生によって作られたもの。それは―――…
「そっか、もう夜桜祭の季節なのね」
“学園祭”―――通称・夜桜祭。
いつも毎日死と隣り合わせの日々を送る私たちに与えられた僅かな休息―――それが夜桜祭だ。
夜桜祭は2日間行われ、その間各クラスで出し物をする。喫茶をやったり劇をやったりするクラスがほとんどで、それを他学年の生徒や楽園に住む人々、さらには軍の人なんかが楽しむのだ。
常に緊迫した日々を送っているからか、夜桜祭の時だけは学園中がハイテンションになる。それはもう、地球が裏返ったんじゃないかと疑いたくなるくらいに。
今年の高等部1-Aもその例に漏れず、いつもならありえないような出し物が提案されたのだった。
しかし残念ながら、私がそれを知るのはもう少し後のこと。
なぜなら私は今、話し合いの真っ最中であろう午後のHRを抜け出して一人、植物園でくつろいでいるのだ。
(今年は何をするのやら……まあ、安泰は期待してないけど)
そんな午後のひととき。
こんな偉そうなことを言っているが、話し合いに出ていない時点で私に選択権はない。くつろいでいる、なんて言ったがつまりこれは俗に言うサボタージュ―――サボりだ。
普段は殺伐としたことをしている敵同士でも、実際はただの高校生。行事が好きな年頃だ。実際、A組は本気組の集まりなので殺し合いは行われていないし、雰囲気は普通の学校のクラスと大差ないのかもしれない。富井を中心として今頃、どんな企画が立案されているのやら。河原の苦虫を噛み潰したような顔がありありと浮かんでくる。
HRは午後の2時間。暇つぶしに植物園に来てみたはいいが、特にすることはない。
芝生がひかれた小高い丘の頂上にごろんと寝転び、天井から注ぐ光を浴びる。夏はあんなに忌々しかった日光なのに、今では暖かくて心地いいなんて思うのだから、生き物は自分本位だとつくづく思う。そんなことを考えている最中だった。
「あら、藍ちゃん?」
「え?」
誰かの声が自分の名前を呼んだ。突然の出来事に驚いて辺りを見回すが、人影らしきものはない。
でも確かに今、私の名前を誰かに呼ばれた。
「おーい、藍ちゃーん」
やっぱり。聞き違いなんかじゃない。
声の主を探してぐいっと後ろを振り向いた瞬間。
「えっ―――わーっ!!」
手を滑らせた私は、そのまま頭から滑り落ちる。
しばらく滑り続けた私は、どうやら丘の下まで滑ったらしい。ようやく止まってしばし呆然とする私の頭上に現れたのは、黒髪のポニーテールの女性。こんな綺麗な人、知り合いにいただろうかとしばらく考え込んだが、ふさふさのまつ毛で飾られたアーモンド型の大きな目を見てようやくそれが誰なのか気付く。
「もう、大丈夫?藍ちゃん」
「……あっ!せ、聖菜さん!?」
「あら、もしかして気付いてなかった感じかしら?」
―――それは夏休みに出会った、情報科の華田聖菜さんだった。
あの時の聖菜さんは肩につかないくらいの長さの暗い茶髪だったはず。それが今じゃ全くの別人のようになっているんだからわからなくて当然だろう。
聖菜さんは綺麗に手入れされた爪が美しい手を私に伸ばす。作り物のように美しいそれは、取っていいものか一瞬ためらうほどで。まあ結局、ありがたくその手を取って立ち上がったわけだけど。そして、制服についた細かい芝を払い落とす。
「お久しぶりです、聖菜さん」
「2ヶ月ぶりね、藍ちゃん。初めて制服姿見たわ」
「私もスーツ姿、初めて見ました。かっこいいですね」
グレー地に白のストライプのスーツをかっこよく着こなしている聖菜さん。
この前出会った時のセミロングの外巻き、白のノースリーブニットにスキニーデニム姿とは全く違う人みたいなのにどちらも似合っている。ただ似合っているだけではなく魅力的なのは、さすが情報科といったところだろうか。
「ところで藍ちゃん」
そんな聖菜さんは、携帯端末を見ながら私に笑いかけた。
「…今、5限の最中よね?」
「あ……バレちゃいましたか?」
「当然でしょ?」
笑って誤魔化そうとする私に、聖菜さんは呆れ顔。
「そういうところ、本当にあの子そっくり」
「あの子?」
「あぁ……もちろん、徹くんよ」
「やっぱり。っていうか、教官もサボったりしてたんですか?」
「えぇ、そりゃあもう!私が初めて彼に出会ったのも、お互いサボってた時だしね」
「へぇ…。…って、聖菜さんもサボってたんですね」
「あら、バレちゃった?」
ふふっ、と笑った顔は2ヶ月前と変わっていなくて少し安心した。
聖菜さん曰く、私と教官はそっくりらしい。
それは嬉しいことだけど、でも私自身はそうは思わない。思わないというか、思えないというか。
私は教官どころか河原にすら、精神的にも技術的にも勝てないし、初歩中の初歩であるポーカーフェイスも、自分では出来ているつもりでも、彼から見ればまだまだだろうし。そんな私と三坂教官が似ているだなんて、恐れ多すぎる。
「私と教官って、そんなに似てますか?」
心底疑問に思って尋ねると、聖菜さんはやっぱり笑いながら当たり前だと言う。
「そりゃあもう、そっくりよ。その自分に自信がもてないところも含めてね」
「そんなこと、ないと思いますけど……」
「気づいてないだけよ」
聖菜さんはそう言いながら、私の頭をクシャクシャと撫でた。作り物のように綺麗な聖菜さんの手と、分厚く骨ばった教官の手。全く違うのに、撫で方は2人とも力強くて安心できて。私からしたら、2人の方がよっぽどそっくりだ。
それが実はちょっとだけ羨ましくもあり。だから私は、夏休みの時も今も彼女に聞けないのだ。―――“教官の唯一尊敬する女性は、あなたですか?”と。
おこがましくも私は一瞬、彼が私を通してその人のことを見ていると思ってしまった。これはきっと私の勘違い。だけど何故か、ものすごく怖くて聞けないのだ。
「そういえば藍ちゃん、情報科目指すんですって?」
そんな私の気持ちなんて知る由もない聖菜さん。彼女は近くのベンチに腰掛けて、その大きな瞳で私のことを見た。
「あ……はい。教官に聞いたんですか?」
「まあね。本当に情報科でいいの?」
「むしろ、ダメですか?」
「ダメなんかじゃないけど……」
「ないけど……?」
「……最高司令部にはいけないのよ?尊敬してる徹くんとは一緒に働けないのよ?」
それは言われると思っていた。けれどそんなこと、百も承知だ。
―――河原に聖菜さんと会ったことを話した時、彼女が情報科の人間であることと、私が情報科を目指すことは隠した。
河原とは初等部のころからずっと“教官と一緒に働く”という夢を一緒に追い続けている。だから、言えなかったのだ。もちろん、いつかちゃんと言う。でも、あの時は言えなかった。
でも、私だって生半可な覚悟で目指すことを決めたわけじゃない。とてつもなく狭き門だし、推薦もらえるかも怪しい。でも、その覚悟は本物だと言える自信がある。だから、私は力強く答える。
「分かってます。それをわかった上で、目指すって言いました」
聖菜さんの瞳がじっと私を見る。何でも見透かされてしまいそうな澄んだ瞳だ。一度目が合うと逸らせないほどの目力に、思わず息を呑む。
その瞳で聖菜さんはしばらく私を見つめていたが、やがて優しく微笑んだ。
「そう……ならよかった。そうよね、生半可な覚悟じゃないわよね」
「……はい」
「それに、情報科は最高司令部の片腕だものね。力には充分なれるわ」
「はい……!」
その時の聖菜さんの瞳は、私が情報科を目指すと伝えた時の教官の瞳にどこか似ているような気がした。
静かな植物園に5限終了を知らせるチャイムが響く。その音を聞いた聖菜さんは立ち上がって、私に手を差し出した。
「それじゃあ藍ちゃん、一緒に本部に戻りましょうか」
「……はい」
「あら、嫌そうねぇ、心底。そういうところもそっくりよ。あと、嫌そうに手を差し出すところもね」
そう言われて、思わず差し出しかけていた手が止まる。しかし聖菜さんはすかさずそんな私の手を掴んで、無理矢理立ち上がらせた。爽やかな笑顔がいっそ恐ろしい。
「じゃあ、行きましょうか」
「……はい」
数手先を読んで、私に反論の余地を与えない。こういうところ、教官そっくりだ。教官も聖菜さんに先輩としてたくさんのことを学んだに違いない。あの問いの答えは聞けないけれど、それは間違いないだろう。
―――ポーンと軽い音が響いて、教室のある階に到着する。
「それじゃあ、頑張ってね、藍ちゃん」
「はい!」
「ふふっ、いい返事。夜桜祭には行くわね」
「本当ですか?」
「本当よ。じゃあね」
ヒラヒラ手を振る聖菜さんはエレベーターの扉の向こうへ消えていく。聖菜さんと話すと、何だかとても安心する。不思議な感覚だけど、嫌じゃない感覚だ。
聖菜さんと別れ、休憩時間の騒がしい教室に入る。
HRの時はクラス担任がいるが、高等部の教員なんてめんどくさがりばかりなのでサボりも特に咎められることは無い。うちのクラスの担任はめんどくさがりではないが、気が弱いのか話し合いに入れずオドオドしている。きっと私が丸々1時間居なかったことにも気付いていないのだろう。というか、気付くのが困難だと思われるくらいに教室内はザワザワしていた。
HRの話はまだ夜桜祭の出し物についてらしい。
出し物が何であろうと、誰が何をしようと私には関係ない。だけど、どうしても見過ごせないことが1つだけあった。それは、黒板に書かれた文字。
「うさ耳メイド、葛西藍……?」
雑な癖のある字。あれは河原のものだ。
「ちょっと、河原……!」
「ん?あ、葛西、帰ってきたのか」
「えぇ。それよりあれ、どういうこと?」
こっそり席に戻り、隣の席の河原にどういうことか尋ねる。彼はあー、と声を漏らして気まずそうに笑った。
「いや、裏方とかギャルソンもあったんだけどさ、葛西いなかったから。それで俺が適当に書いといたらそのまま採用された」
「はぁ!?いや、いなかった私も悪いけど、でもなんでよりにもよってうさ耳メイドなのよ!?百歩譲ってメイドならまだしも、なんでうさ耳!?」
「あー…、えーっと…見てなかったんだよな、うさ耳ってとこ」
「もうっ!」
確かにサボっていた私が悪い。むしろ、サボっていたことがバレないように気をきかせて私の名前を書いてくれた河原には感謝すべきだろう。しかし、なんでよりにもよってうさ耳メイドなんだ。もはや“うさ耳メイド”という文字の横に並ぶ自分の名前すら恥ずかしくなってきた。
―――今年の私たちのクラスのテーマはメイド・執事喫茶。
少女漫画好きな富井と紗也がノリノリで決めたものらしい。最近、あの2人の関係がよくなったのはとても嬉しいが、後悔することも多い気がする。まあ、そこには目をつむるとして。
苦情を言って変えてもらおうにもいなかった私が悪いし、変えてもらえても富井はネコ耳メイド、紗也はミニスカメイドでどれもどれだし。
サボったことに関しては、むしろ聖菜さんと話せてラッキーくらいに思っていたが、まさかここまで後悔するとは。サボるなら別の日にするべきだった。
河原に聞けば、この役割決めで丸々1時間使ったらしい。その場に居なかった私が今更、クラスの盛り上がった雰囲気に水を指すこともできない。ということで苦情はとてもじゃないが言えない。
つまり、私はうさ耳メイドをするしかないのだ。
「ごめんって、葛西」
「いや……河原悪くないから」
「でも、葛西は顔はいいから大丈夫だろ」
「いや、そういう問題じゃなくて……まあ、やるからいいけど。自業自得だし」
「そ、そうか?その、頑張れよ……?」
しょうがない。しょうがないことなのだ。もう決まってしまったんだから、私が今更どうこう言えることではない。
だったら、全力でやってやるしかない。―――そうだ、全力でやってやればいいんだ。やってやろうじゃないか。
学園祭まであと2週間。―――さあ、戦いの始まりだ。
「ちなみに河原は何なの?」
「え?あぁ、裏方」
「裏方なの!?替わってよ!?」
「嫌だよ!女装は財前だけでいいだろ!」
「は?え……?」
―――夜桜祭はまだ始まったばかり。




