11 弱点
約3週間の夏休みはあっという間に終わりを告げて。
―――お盆明け、蒸されるような暑さから開放されたと思えば、今度は残暑が厳しい。空調の効いた本部の外、緑が生い茂る広場でネクタイを緩めて暑さを凌いでいると、後ろから急に誰かに抱きつかれた。いや、誰かなんて言うまでもないけれど。
「なーに、富井?暑いんだけど」
「えー、まりん暑くないもん」
えへへ、と笑いながらそう答える富井は半袖ブラウスにサマーベストといういでたち。ネクタイはしておらず、ブラウスの第一ボタンは外れている。圧倒的な存在感を放つリボンだけは春だろうが夏だろうが変わることはない。
「そりゃあ、そこまで開放的ならね」
「じゃあ藍もこうすればいいのに」
「私はいいの。今更半袖出すのもめんどくさいし」
そういう私は長袖ブラウスを腕まくりし、ネクタイを緩めただけ。ブラウスの第一ボタンは暑すぎて外しているが、基本的に冬と着ているものは変わっていない。違いはセーターがあるかないかくらいだろうか。そんな私を、富井は呆れ顔で見る。
「出すのめんどくさいってどこに置いてるのさ、藍?」
「さぁ?中等部1年の時1回着ただけだからわからない」
「そーなの?ってそれ、着てなさすぎじゃない?」
「私の勝手でしょ。ていうか離れてよ」
「えー……うーん、やっぱやだ!」
そう言ってくっつき続けようとする富井を力づくで剥がして先を急ぐ。
こんなやりとりをしているけど、次は実践なのだ。くだらないやりとりは嫌いじゃないけれど、遅刻は出来ない。
しつこかった富井はシェルター前で財前を見つけた途端、手のひらを返したように一目散に彼の元へと駆けていった。解放されてありがたいような、なぜか何となく悔しいような複雑な気持ちを抱きつつも、3分前にはシェルター外に出て河原と合流する。
「遅かったな、葛西にしては」
「富井がね。まあ、間に合ったんだから許して」
「怒ってねぇよ。まあでも、安心した。富井とは普通なんだな」
「まあ……そうね」
あの後、富井と紗也が和解したことは河原には伝えた。彼も2人の関係の険悪さには前々から気付いていたらしい。しかしまあ、その元凶には気づいていないらしい。
全く、誰かさんが鈍感すぎるからああなったのに。―――だなんて言っても、しょうがないんだけど。
「ねぇ、なんで河原ってこうも鈍いの?」
「なんで突然!?」
変なところだけ鈍い学年2位。もっと鋭くなって欲しいものだ。
「よくわかんねぇけど……まあいいや!それじゃあ、今日も行きますか!」
「そうね、行きますか!」
ライフルを構えたと同時に鳴り響いた大きなブザー音で実践が始まる。陣取っているのはいつもの1番高いビル。
夏休み明け一発目、気を引き締めていかなくては。春の二の舞を踏むわけにはいかない。
「なんか腕が鈍ってそう」
「それは俺も。でも、夏休みずっと特訓してたんだろ?」
「まあね。あ、でも、1日だけ休んじゃった」
「ふーん?何してたんだ?」
振り返ってそう尋ねる河原は、文字通り不思議そうな顔をしている。
そういえば、河原にも富井にも財前にも、紗也にだって自分の生家に行ったことは言ってなかったんだっけ。というか言っていいのやら。
「……ちょっと、色々ね」
「えー、なんだよそれ?」
言っていいのかわからないし、何よりここで色々話すのは気も緩みそうだし危険だ。そう判断して曖昧に答えれば、案の定河原は不満顔。隠し事をされていい気分のする人はいないだろう。ちょっと申し訳ないので、ちゃんと謝罪は入れておく。
「ごめんごめん。後でちゃんと話すから」
「本当かー?」
「本当本当。だから、今は目の前のことに集中しよう」
「あぁ、そうだな。覚えとけよ、約束だからな?」
「うん、約束ね」
そう言うと満足げに前に向き直る河原。やがてどちらからともなく笑い出す。
「ははっ、約束だぜ?」
「はいはいっ、約束ね!」
そう言って笑っている最中、突然聞こえてきた銃声。ハッとして我に返り下を見れば、真下から銃声がいくつも聞こえてくることに今更気付く。
気づかれないよう静かに見下ろすと、そこには富井、財前を囲むように3組のバディがいた。どれも見たことないからB組なんだろう。しかし侮れない。なにせ人数が倍以上違う。
「何見てんだ葛西?」
「これよ。下見て」
「ん?……って、やばくないかあいつら?」
河原は目を見開いて、標的になっている2人を見下ろす。
「うーん、やっぱりそうよね。あの2人だから大丈夫かな、って思ったんだけど」
「いやいや、そこは助けに行くだろ普通?っていうか上から加勢するべきだろ?人数が違いすぎる」
どうやら河原も同意見のようだ。
どちらも長距離射撃を得意とする私たちは、実を言うとこういう接近戦に巻き込まれることがほとんどない。
それなのになぜ順位が高いかと言うと、こういうことがしょっちゅうあるからである。
今のような状況にしょっちゅう出くわし、それを上から一撃で仕留めまくる。そうすれば自然と仕留めた標的の数も多くなるというわけだ。
「じゃあ、行きますか」
「全く、判断遅すぎかよ」
「だって、あの2人はここでくたばる玉?」
「そりゃそうだけど、万が一があった場合、俺たち死ぬまで恨まれるぜ」
「あー、確かにそれは嫌ね」
「だろ?ってことでやりますかね」
「えぇ、そうですね」
そう言って2人そろって下にライフルを向け、富井と財前の近くにいる2人の頭に焦点を合わせる。そしてそのままトリガーを引く。
どうやら私と河原がトリガーを引くタイミングは同時だったらしい。短く乾いた音が1つだけ、やけに大きく響いた。
彼らにとって突然の出来事だったに違いない。仲間が突然2人も殺されてうろたえる残りの4人。急いで拳銃を構えようとするが無駄だ。
「サンキュー、藍っ、一也っ!」
その一瞬のうちに富井は拳銃を取り出し、両手に持って構える。財前は念の為、という感じでナイフを構え後ろに立つ。
やっぱり、この2人はここでくたばるような人たちじゃない。瞳が生き生きと輝いているのが上からでも良くわかった。
「ひっ……!!」
「残念でしたっ、まりんたちの方が味方が心強かったねっ!」
「いやっ、まっ―――」
“待って”―――彼はそう言おうとしたのだろう。しかしその声を最後まで聞くことは出来なかった。
富井が目にも止まらぬ速さで銃を撃つ。たった4発―――ぴったり人数分。苦しむ声を出す間もなく、残りの4人は絶命した。
「さっすが」
「目にも留まらぬ速さ、ってやつね」
下でVサインを作っている2人を見ていると、感心を通り越してなぜか呆れてしまうのだから不思議だ。
「藍ー、一也ー、助かった!サンキュー!」
タンッタンッ、と軽い足音をたてながら富井がビルの屋上にやってくる。その後ろにはちょっと不満げな財前。
「まりんひどいよね。俺だって殺りたかったのに」
「じゃあ大空だって拳銃使えばいいじゃん!」
「それは嫌なの!でも殺りたいの!」
「わがままじゃんそれ!」
「それまりんにだけは言われたくないからね!?」
財前の言うことはごもっとも。確かに富井にだけはわがままだなんて言われたくない。
2人が初等部の子たちのようなにらみ合いをするのを河原が止める。
「はいはい、それくらいにしろよ」
河原が仲裁にはいると、いつも2人はにらみ合いをすぐにやめるのだ。
「一也…。まあ、一也がそういうなら…」
「そうだね、一也がいうなら…」
そして、そういってにらみ合いをやめる2人を見て、私はいつも思うのだ。
「河原……あんた一体何者?」
毎度のごとく嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった富井と財前。上にきたのはお礼を述べにきただけだったらしく、あんな目にあったばかりなのにもう下に降りてしまった。実践の時間はまだ半分ほど残っている。
「俺たちも負けてられねぇよな」
「えぇ、そうね」
「新学期は始まったばっかりだからな。まだまだ狙わなきゃ損だ」
「当然」
河原の意気込みにそう答えてはみたものの。
「……とは言っても、その標的がどこにも居ないね」
「まあ、そうなんだけどな」
標的になる生徒が見当たらない。
シェルター外はかなり広いし、ただ隠れて生き残ろうとする人だっているんだからそう簡単に見つかるものではないんだけど、でも本気組である私たちにとってこの状況は望んでいるものではない。
しかし、必死に探せばほころびはいとも簡単に出てくる。
「あ」
しばらく黙っていた河原が、唐突に短く声を上げた。
「え、なに?」
少し驚きつつ尋ねると、河原は遠くの一点を指さした。
「あそこ、居るよな」
「え?……あぁ、本当だ。同化しようとしてるのね。しかもかなり高度。むしろよく見つけたね、河原」
「だろ?まあ、朝飯前だって」
「ふふっ、はいはい」
「なんだよ、その微笑ましい顔」
「別にー?」
不満げ―――というかちょっと恥ずかしそうな河原。微笑ましくてニヤニヤしそうなのをこらえ、真顔で標的を見つめる。とにかく、標的は見つかったのだ。あとは殺るだけ。―――なんて言ってみてそう簡単にいくものでもない。
標的までの距離は800メートルほど。使うのはアサルトライフル。少し難しい気がする。
「うーん、難しいか?」
「そうね……もちろん、できなくはないと思うけど」
彼らには自分たちが標的になっているという自覚がないのだろう。遠くで楽しそうに談笑している。しかしそんなこと、こっちは知ったこっちゃない。
「それじゃ、腕前披露だな」
「特訓の成果が出ればいいんだけど」
「出れば、じゃなくて出すんだよ」
「へぇ、かっこいいこと言うじゃない」
「まあ、教官の受け売りだけどな」
「ふふっ、だと思った」
私にそう言われて照れくさそうに笑う河原。ライフルを構えるその横顔が一瞬、教官と重なって見えてまた微笑ましい気持ちになったのは秘密だ。
「葛西は右の女子の方な」
「オッケー。じゃあ河原は男子の方ね」
「あぁ」
片目を閉じ、幸せそうに、楽しそうに笑う2人に照準を合わせる。―――その姿に、自分の動きが止まる。
「…ねぇ、河原」
「ん?何だよ、葛西?」
「あの2人って、恋人なのかな」
「え、はぁ!?急に何言い出すんだよ!?」
「いや……ちょっとね。ふと思ったのよ。あんなに幸せそうだから」
―――ふと、思ってしまったのだ。
もし、あの2人が自分たちだったら、富井と財前だったら―――富井と河原だったら、と。
そんな自分の心の弱さが、急に出てきてしまったのだ。
もし、富井と河原が無事に付き合うことが出来たとして、その翌日殺されたら、私はどう思うんだろう、と。
今までなんだかんだで応援してきた2人がやっとつかんだ幸せが、こんなにも早く失われたらどう思うんだろう、と。
彼らが付き合って長いのかも、そもそも恋人なのかもわからないけれど、でも考えてしまったのだ。
「そうだな……確かにその通りだ」
河原の手が私の肩に置かれる。その手は思ったより大きくて、今更ながらびっくりしてしまう。初等部の頃は私の方が大きかったのに、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
「でも、俺たちは殺らなきゃいけない。それが決まりなんだ」
聞こえる言葉はとても冷たく聞こえるのに、肩に触れる大きな手はとても優しい。それは、河原が本当は優しい人だということを表しているようだった。
「わかってるよ。殺ろう」
―――ああ、やっぱり河原は強い。そして、私は弱い。
「……よし、オッケー」
「大丈夫か?」
河原の心配そうな声。どうも休み明けの実践は精神が不安定になってしまうみたいだ。メンタル面も鍛えなきゃいけない。これが当面の自分の課題になりそうだ。
「えぇ。迷惑かけてごめん」
「いやいや、誰にだってあるからな、そういうことは」
「…ありがとう。……よし、いこう」
もう大丈夫なことをアピールしたくて、わざと大きな動きでライフルを動かし、照準を合わせる。そんな私を見て河原は呆れたように笑い、そして一瞬で真面目な顔に戻る。私も置いていかれるわけにはいかない。静かに瞳を閉じて、目の前のことだけを考える。
そして突然、それは来る。
―――集中力というのは巨大な波に似ている。
突然やってきて、全てを飲み込まれてしまうようなそんな感覚。
周りの音が、耳栓をしているわけでもないのに遮断され、景色は標的以外真っ白になる。
トリガーをいつ引けばいいのか、手に取るようにはっきり分かる。まるでライフルと身体が一体化したような感覚。―――今だ。
バン―――ッ
一瞬のうちに銃弾が鋭く光線のように飛び出し、乾いた音が響く。ライフルから放たれたそのシルバーブレッドは、自分でも驚くほど綺麗に標的の元へ向かい、そして紅い華を咲かせた。
ほぼ同時に2人の頭から血が吹き出す。倒れ込んだ2人を双眼鏡で見た河原は、しばらく怖い顔をしていたが、やがて安心したように表情を緩ませた
「さっすが」
それは、成功の証。
安心と喜びと―――いつも感じる少しの胸の痛みと。すべてに包まれて自然と笑顔になる。
「特訓、無駄じゃなかったみたい」
顔を見合わせて笑い合い、私たちが拳を合わせた瞬間、低く唸るようなブザー音が響く。
「ふぅ…終わったな」
「ねぇ、河原」
「ん?なんだ、葛西?」
さあ飯だ飯、なんて言いながら前を歩いていく河原。そんな河原のことを呼び止めると、彼は振り返って首をかしげた。その瞳をしっかり見据え、大きく息を吸って、そして勢いよく頭を下げる。
「うおっ!?な、何だよ!?」
「ごめん、河原!私、変なこと言っちゃって……」
「いやいや!だから大丈夫だって!」
「でも、私が許せないの、自分自身を」
深く、深く頭を下げる。それを見て河原はわざとらしく、大きくため息をついた。
「わかったから、大丈夫だからさ」
そう言いながら彼は私の頭を両手で抱え込み、自分の方へと向けた。河原の整った顔が、すぐ目の前にある。
「もうウジウジすんな!許してほしいなら、夏休み、1日サボった理由を教えろよな?」
「……うん、わかった。ありがとう」
「オッケー、交渉成立だな!」
そう言ってまた笑って、2人で並んでシェルターの入口へ向かう。
「あと、アイスな?」
「あっ、またそうやってちゃっかりと……もう!」
数歩前を歩く後ろ姿が大きく、遠く感じられる。結局今の私じゃまだ、河原がいないと戦えない。けれど、いつまでもこうしているわけにはいかない。
「……よしっ」
セミの声がまだ聞こえる、そんな夏の終わりの日。私は小さく気合を入れ直した。




