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10 夏休み

―――2040年、夏。


紗也のちょっとしたいたずらからもう1ヵ月。蒸されるような湿気と本格的な暑さ。夏本番、8月。

世の中の学生と同じように、夜桜学園にも短期間だが夏休みがある。


高等部に入るとある程度の自由が利き、GPSつきだが楽園外への外出も許されるようになる。もちろん限度は存在するけれど。

私たちが入学して以来、初めて外に出たのは今年のまだ雪のちらつく寒い日だった。そのとき河原と訪れた古びた貿易港で彼の妹に出会ったのだ。すごく昔のことのように思うけど、あれからまだ半年しか経っていない。


その時の開放感と物寂しさは言葉では言い表せないものだった。今でも思い出すと、ぎゅっと胸が締め付けられるような感じがする。

外は私たちが生きているのと同じ世界なのに、まるで知らない世界のように思えて居心地が悪くて。なんだか面白くなくて、すぐ楽園へと戻ってきてしまった。


今回の夏休みでも私は楽園を出るつもりは無い。出たって特にしたいこともないし。

河原や富井や財前、もしくは紗也に付いて来てと言われれば行くかもしれないけれど、彼らも外に出る気はなさげだったので可能性としては限りなく低いだろう。



―――なんてことを2週間前の私は思っていた。そのはずなのに。


(なんで、ここにいるんだろう……)


私が今いるのは楽園の外。隣には河原も富井も財前も紗也もいない。たった1人。

そして目の前にはこじんまりとした小さな平屋の一軒家。―――私が入学するまで過ごしていた家だ。


なぜここに私がいるのか。その経緯なんて正直私にも理解できない。

ただ、教官に夏休み初日に偶然出会い、予定を聞かれてずっと特訓するつもりだと答えたら、半強制的にここに連れてこられたのだ。ちなみに一緒に行くと言っていたのに教官は、緊急会議が入ったとかで来ていない。まあ、こればっかりはしょうがないけど。


(それにしても、ここに来ることがあるなんて思ってなかったなぁ……規則でも禁止されてるし)


学園の規則で学園在学中に自分の家族に会うのは禁止とされている。どこから情報が漏れるかわからないからだ。

夜桜学園の存在は国家機密。6歳から18歳からまでの少年少女を孤島に閉じ込め、国のためとはいえ殺しあっているなんて国民に知られればどうなるかわからない。


それなら尚更なぜ私がここにいるのか。

教官のおかげで120階に行ったりはしているが、学年順位トップでも、学園順位にくい込んいるわけでもない私が特別扱いされるわけがない。つまり、特別な理由があるわけじゃないのだ。ただ単にここに家族がいないから許可がおりた、というだけの話である。



私には両親がいない。


父親は生まれた時から居なくて、いわゆる母子家庭という家庭で育った。

母の仕事はわからない。いわゆる夜の仕事、なんて言葉は6歳の私は知るわけなかったが、夜中に目が覚めてもいつも隣で母は寝ていたからそういう仕事ではなかったのだろう。かと言って昼に働いていたわけでもなかったっぽい。


母は謎の多い人だった。

仕事だって結局職業はおろか、結局いつ働いているのかすらわからなかった。今ならわかる。母子家庭の専業主婦なんてほとんど存在しない、というか出来ないはずだ。

その人も、私が学園に入学してからは行方不明になってしまった。初等部の頃は家族との文通のみ許されていたが、その時に手紙をもらったことはない。もう連絡が取れなくなって10年が経つ。


謎ばかりが残るが、決して冷たい人ではなかった。すごくすごく優しい人だったのは覚えている。

父親がいないことでさみしい思いをしたことはなかったし、何不自由なく育ててもらった。何より、多くの愛を注いでくれた人だった。


私の名前の由来も教えてもらった。

母が色の名前だから、娘の私も色の名前のにしたくて藍という名前になったらしい。

本当は愛情の“愛”という字とで悩んだらしいが、彼女にとって大切な思い出がある”藍”という漢字にしたい、という思いが勝ったから藍になったのだ、と頭を撫でながら話してくれた。その話がとても心に残っていて、それから私は自分の名前が好きになったのだった。


今はもう両親共に生きているのかすらわからない。

だけど、私という存在をこの世に生み出してくれた2人には感謝こそすれ、恨むなんてことは無い。それだけは絶対だ。

もちろん、今でも父親を知りたい、母親に会いたいという寂しいという気持ちはあるけれど、その気持ちはとうの昔に心の奥底に仕舞い込んで見ないふりをして来た。



改めて目の前の懐かしい家を眺める。

家の外観は10年前とほとんど変わらないように見える。郊外にある小さな家だが、私にとっては6年間過した大事な場所。それが変わらずにここにあってくれるだけで幸せなのだ。


しかし、私だって無知な訳では無い。

10年間も誰も住んでいないこの家が、10年前とほとんど変わらない状態でここに存在しているのは不自然すぎる。

家をとっておくだけなら軍が税金なんかを払ってくれてるんだと納得できるけど、この家はそれだけじゃなくとても綺麗なのだ。


それはつまり、誰かが定期的に来てくれてるということ。そしてその誰かは来るだけでなく、ちゃんと掃除までしてくれているらしい。

母には両親―――私にとっての祖父母はいなかったし、頼れる親戚もいなかったので、血のつながった誰かではない。言ってしまえば赤の他人の家を10年間も掃除してくれているのだ。



―――そして、その誰かは今、この家の中にいる。



(玄関には靴、明かりのついた部屋……私の存在には気付いてないの…?)


ならば幸い、と音を立てないように廊下を進んでゆく。こんな状況でも、家の中に足を踏み入れてから懐かしい思い出ばかり蘇ってくる。


「まあ、悪い人じゃないのを願うだけよね……」


泥棒がアジトにしてました、なんて展開は是非とも避けたい。まあ、それが10人以下なら倒せると思うけど。楽園の外でまで戦闘はしたくない。


その気をわずかに抜いた一瞬、背中に触れた冷たい感覚。―――いつもは手に感じている感覚。これは、拳銃だ。


「…静かにしてね」


女性の声。上から聞こえるので、私よりも身長は高い。

声は震えていないからこういう状況はなれていると見た。ここは、素直に従った方がいいだろう。


「…はい」

「いい子ね。…まっすぐ進みなさい」


彼女に言われた通り、まっすぐリビングへと向かう。

どうやら私の嫌な予感というものは的中してしまうものらしい。



静かにゆっくり、振り返ることなくリビングに入る。次は何をされるのか、身構えたその瞬間、背中の冷たい感覚が消えた。変わりに背中に感じるのは柔らかくてあたたかいもの。


―――これは、胸…?ということは、私、抱きつかれている…?


「え………?」


恐る恐る振り返ると、私の肩越しには優しく微笑む美しい人がいた。


「騙してごめんね、葛西藍ちゃん」


暗い茶髪の巻き髪で縁取られた小さな顔の中に、大きなアーモンド型の瞳とふっくらとしたくちびると高い鼻。まるで作られたように美しい。年齢は派手な化粧の10代にも見えるし、下手をすれば50代にも見える。


「あの、なんで私の名前…」


混乱する中、唯一絞り出した言葉。なんで急に抱きついてくるのかとか、なぜ拳銃を持っているのかとか、そもそもあなたは誰なのかとか、聞きたいことだらけで思考がついていかない。


「あぁ、そうよね。ごめんなさい、急にこんなことしちゃって」


一方の彼女は余裕綽々。余裕のない私はだだ漏れの色気に当てられそうになる。

彼女はそんな私の状況を全て察したように微笑み、背中から離れ、ポケットの中から再び拳銃を取り出してトリガーを引く。その銃口から出てきたのは銃弾ではなく、子供だましのバラの花だった。


「これは、こーゆーことよ」

「は、はぁ…」


やっぱり話についていけない。



「まず藍ちゃん、このバッチに見覚えはあるわよね?」


ソファに向き合って座った私と彼女。その彼女の胸元に光るのは日本の国花の桜モチーフのバッチ。いつも教官の胸元で輝いているこれには十分見覚えがあった。


「日本軍のもの…?」

「ご名答。ということは、つまり?」

「あなたは……日本軍の人、なんですか?」

「そう!ご名答ね、藍ちゃん」


なんと。びっくりした。彼女は泥棒でもなんでもなく、日本軍の軍人だったのか。

その後、彼女はご丁寧に名刺まで渡してくれた。派手な見た目とは違い、名刺は白地に黒文字のシンプルなデザインで拍子抜けする。


「はじめまして、葛西藍ちゃん。私は華田聖菜はなだせいな。日本軍情報科に所属しているわ」

「情報科……?」


彼女の口から出て来たのは、聞いたことのない名前だった。


「えぇ。聞いたことないかしらね?なら教えておくわ」


そう言って彼女―――華田さんは、タブレット端末を取り出して、軍の構成図を表示した。


日本軍にはたくさんの組織がある。指導科と総務部が一番大きな組織だが、他にも広報部や渉外部など様々な組織があり、そしてそのトップに降臨するのが最高司令部である。

華田さんが、その巨大な木の枝のような組織図を指差しながら話を進める。


「トップにあるのが最高司令部。これは有名よね。その下にたくさんの科があって、そのさらに下に班とかがあるんだけど…」


華田さんの細くて綺麗な指が、最高司令部の横に伸びているところを指さす。


「情報科は、最高司令部と同等の権限を持った組織なの。まあ、諜報活動―――いわゆるスパイってやつをやったり、様々なところから得た情報を分析したりするから、存在はあまり知られていないんだけど、知ってる一部からは“最高司令部の片腕”だなんて呼ばれてるわね」



ひゅ、と喉がなった。身体中の細胞という細胞が沸き立つような感覚に襲われる。


「最高司令部の片腕……!」


知らなかった。そんな組織があるだなんて。

華田さんは得意げに笑ってみせる。その笑みは自信に満ち溢れていて、眩しくてかっこいい。


「そうよ。かっこいいでしょ?」

「はい…!」

「ふふっ、それはどうも」



華田さんの話は続く。


「情報科は各学年最高で2人しか所属できないのよ。しかも所属するためには、まず学年順位を個人もバディも3位以内にしなきゃいけない。そして担任の教官の推薦と、最高司令部の誰かの推薦が必要になるわ」

「そんなに……まあ、当然ですよね」

「そうね。そしてめでたく所属できたら、他のみんなと違って卒業後すぐに軍で働くことになるわ。つまりみんなより一足先に軍人になれるってことね。ただし、一生かかっても最高司令部に行くことはできないわよ」

「それは、情報科が最高司令部と同等の権限を持つからですか?」

「そうよ、ご名答」


そう言って笑う華田さんに、私は既に憧れを抱き始めていた。



「まあ、この話はとりあえずおしまいにして」


話がひと段落し、華田さんがそう言いながらタブレット端末をしまう。その様子をを残念に思いながら見ていると、そんな私に彼女は気付き、優しく頭をなでた。


「また楽園に帰ったら話してあげるわ」

「は、はい!」

「いい返事ね。……それより藍ちゃん、なんで私があなたの名前を知ってるのかって聞いたわよね?」


そういえばそうだった。すっかり忘れていた。

もともと私は彼女を不審者だと思っていたのだった。だから聞きたいことだらけだったのだ。


「…はい。あと、なんでこの家を掃除してくれているのかも、聞きたいです」


私がそう言うと、華田さんは少し不思議そうな顔をした。


「あら、掃除は私がしているかどうかわからないわよ?」


確かにその通りだ。でも、私には確信があった。


「…いいえ、華田さんですよね、掃除してくれているの」

「ふーん。その根拠は?」

「根拠は、さっきタブレット端末を操作していた指です」

「指?」


華田さんは一瞬怪訝な顔をしたが、自分の指を見てすぐに納得したらしい。


「なるほど、これは確かに分かるわね」


華田さんの指の先は僅かに黒ずんでいた。そして長くて綺麗な爪の中も僅かに黒ずんでいた。


「玄関に入った時、一部だけ掃除が途中なところを見つけました。その時は謎でしたけど、今ならわかります。…あの時、私が来たのを知った貴方は玄関の掃除をやめ、窓から急いで外に出て私の後にまわったんですね?だから手を洗う余裕なんてなかった。…違いますか?」

そう問いかけると華田さんは両手をあげて苦笑した。

「本当にご名答ね、藍ちゃん。そうよ、掃除してるのは私。10年前からずーっとね。なんで掃除してるのかっていうのは、かわいい後輩に頼まれたからよ」


ここで出てきた新たな人物に私が首をかしげると、華田さんは可笑しそうに笑った。


「あら、藍ちゃんもよく知ってる人のはずよ?」

「私も……?」

「ええ。…かわいい後輩ってのはね、三坂徹くんのことなの。藍ちゃんの初等部のころの教官よね?彼から聞いていたから、私は貴方の名前も顔もわかったのよ」


ここに来て出てきた意外な名前。まさか三坂教官がそんなことをしてくれていたなんて知らなかった。教官はそんなところまで、私たちのことを考えてくれているのか。そう思うと、無性に心の奥がくすぐったくなった。


「そっか、教官が……」

「そ、徹くんがね。ま、あの子にとってあなた達2人はそれほど大切な存在ってことよ」

「河原のことも知ってるんですね」

「えぇ、まあね。要するに、大切にしてるってことよ。それをわかってあげてね」

「はい…!」


そして、ようやく気付く。


(……もしかしたら、今日教官が一緒に来れなくなったのも偶然じゃないのかも)



その後、華田さんが綺麗にしてくれた家をゆっくり見て回る。

懐かしいものはすべて綺麗なままでとってあった。それを10年間、守ってくれたのは彼女と教官だ。その事実にさらに感謝を深める。

変わらないこの空間はとても居心地が良く、何より安心感がある。


「あの、華田さん」

「聖菜でいいわよ」

「じゃあ、聖菜さん。…この家を、10年間綺麗ににしてくれてありがとうございます。私、今日帰ってきて良かったです」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。こちらこそありがとう、藍ちゃん」


そう言って笑う聖菜さんを見て、私は決めたのだった。



―――翌日。教官にお詫びだと言って15階のレストランに呼び出された。


「悪かったな、昨日行けなくて」

「いえ、全然。……教官、聖菜さんと私を会わせるために昨日のあの時間を設けたんですよね?」

「……まあ、俺もあの人には世話になってるからな」

「そうなんですね。…教官もありがとうございます。10年間もあの家を綺麗にしてくれて。聖菜さんから、たまに教官も掃除しに来てるって聞きました」

「あの人、余計なことを…」


そう言って恥ずかしそうに頭を掻く教官は、なんだか可愛く見えてしまう。


「教官」

「ん?なんだ?」


紅茶を飲み干して、私は真っ直ぐ彼の瞳を見据えた。


「私、決めました」

「だから何を」

「……私、情報科に入ります」


それを聞いた時の教官の顔は、きっと一生忘れない。

驚きと、喜びと、悲しみが混じったような、なんとも言えない顔をしていた。


「そんな顔しないでくださいよ。…ダメですか」

「…そうか。いつか、そう言うと思っていた」

「そうなんですか?」

「あの人に―――聖菜さんに葛西を会わせようと決めた時に、そんな予感はしてたからな。……頑張れよ」


―――それはきっと、教官にとって最高の応援の言葉。


「はいっ!」

「いい返事だな、全く」


そう言って笑う教官は、とても優しい目をしていた。

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