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理想世界の想像者  作者: 夜兎守
3章【Sweet Days 】
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閑話 : 紫銀の戯曲


 当たり前の如く過ぎる日常。


 日がのぼり、新たな朝を迎える。やがて日は沈み、夜になる。夜が過ぎればまた朝を迎える。幾星霜の時が過ぎようと、その概念は変わらない。


 鐘が鳴り続けている。現在だけでなく、過去にも未来にも届きそうな鐘の音が鳴り響いている。


 ここは神聖な空間。迷える者に手を差し伸べて正しく導き、咎人を悔い改めさせて赦すそんな場所。優しげに微笑む聖母が描かれたステンドグラスは光を集め、さぞかし内側の世界を神秘的に彩ることだろう。


 ………もっとも、そこに凄惨な光景が広がっていなければ、の話であるが。


 鮮血に染まる床板。夥しいまでの死臭。そして、刈り取られて並べられた生首の行列。どれもが神聖な空間である教会には似つかわしくない光景だった。


「ひ、ひぃっ! ば、化け物っ!」


 一つ、悲鳴があがる。


 それは現在形での唯一の生存者が語る、とある存在を示しての言葉。たった一人で大勢居た、神父もシスターも参拝客も全てを皆殺しにした者への最後の反逆だった。


「目には目を、歯には歯を、っていう言葉があるよねー? それじゃあ、君なら悪や罪には何をぶつけるのが一番だと思うかにゃー?」


 妙に間延びした音色。


 殺戮者は最後の一人となったシスターに問い掛ける。


 殺戮者が歩く度、コツコツと調整を施された戦闘用のブーツが床板を鳴らす。それはさながら死の近づく音。命が失われるまでのカウントダウンに近いもの。


 白銀の―――いや、白銀色に極めて酷似していると言うべきか。銀の中に僅かばかりに紫を垂らしたかのような紫銀が揺れ動く。

 それは光の下に出れば幻想的に煌めき、闇の中では蠱惑的に光を集める。そういったどこか不思議な印象を否応なしに見た者へと与える。


 瞳は髪の色より、なおも濃い紫水晶(アメジスト)。つき立ての餅のように白く滑らかな肌を流れるような整った鼻梁に、ぷっくりと膨らんだ柔らかそうな桜色の唇。


 そこには十人の人々がどう評価しようと、紛れもなく美しいと称賛されるだろう少女がそこには居た。


 シスターは未だに信じられなかった。こんなにも幼気いたいけな少女が十人以上もの人間を殺しているということを。それに何より、その少女は言葉一つで皆の者を殺していたのだから。


 生存本能が叫び出す。死にたくない。その一心で紡がれたのは、一つの力のあるみことのりだった。


「と、咎伏す宵闇に誘う一条の光。しゅ何人なんぴとも救わず、救済の祷りを叶えない。ここは夜。終焉の墓場。汝、救われぬまま、終わりを告げよ―――抜け出せぬ深淵(エンシェントアビス)ッ!」


 少女は瞬く間に黒の奔流に包まれた。


 しかし、それだけのことだ。少女に触れた途端、発現された魔法はいとも容易く消え去ってしまう。


「ノン、ノン、ノン。完全詠唱してても闇属性の上級魔法程度じゃ、全然足りないよー? わたしを否定したいんなら、せめて『神域』クラスの魔法を使わないとにゃー」


 死のカウントダウンは止まることはない。


「さっきの質問だけど、わたしはねー、赤がいいと思うんだよねー。誰もが同じ色をしてる真っ赤な血。悪も罪も差異はあれど血を血で洗うもの。だからこそ、人が死ぬときには赤―――ううん、赤よりも更に濃い、紅蓮が一番映えるんだよー?」


 それが少女の持論。その言葉がシスターへの手向けとなった。


「目には目を、歯には歯を、咎人には紅蓮の誘いを。わたしは君の存在を認めない。苦しんで苦しんで苦しんで、その末に紅蓮に沈んで息絶えるといいよ」


 絶叫が教会に響く。鮮血が飛沫のように四散する。暫しして人間の形をしていたそれは、最早、ただの肉の塊と呼べるものにまで変化していた。


 耳を澄ませば辛うじて聞こえるほどの笑い声が響く。


 そこに宿るのは果たしていったい何なのだろう。


 歓喜?


 愉快さ?


 哀しみ?


 苦しみ?


 憎悪?


 諦念?


 否、それら全てを一緒くたに混ぜ混んだ異質なもの。


 クスクスと小さく笑うその可憐な声音は、笑っている者のことを知らなければまるで天使の歌声とても評していたことだろう。


 だが、実際は違う。それは夢の終わりを知らせるささやかな呼び声。


「あーあ、もうホントにつまんにゃーい。こんなんじゃ退屈しのぎにもならないよー。ヒマでヒマで死んじゃいそーだぁー………」


 ポツリと紡がれた気の抜けるような言葉。己の吐いた言葉とは裏腹に、やはり未だに声の主は笑っている。


「『綴られた物語(ブックメイカー)』」


 それは少女の宿す魔法の呼称。いつの間にか、少女の手の内には一冊の本があった。その少女は手の中にある台本のような冊子へと目を落としていき、やがて眉根を寄せて小さく桜色の唇を尖らせてしまう。


「まったく、なんなのさなんなのさー。本来愛するべき正妻(ヒロイン)からは目を離して放っといて、他の女の子複数囲って見せ付けるようにイチャコライチャコラと。しかもその中の一人が候補とはいえ、わたしと同じ正妻(ヒロイン)なんてありえにゃいよキョーヤってばさぁー」


 殺戮者足り得る少女は、そこには居ない人物―――東雲恭弥への不満を口にしていた。おそらく本人が聞いていれば間違いなく間髪いれずに否定しているであろうが、誰も居ないこの部屋では反論するものなど存在しない。それを分かっていて少女も言葉を口にしていた。


 少女は不満を漏らしながらも、手元の冊子からは目を離さなず字面を追っていく。


「んー、ていうか、この新しい正妻候補(ヒロイン)ちゃんのネーム、何て読むのかにゃー?ツンユーナーユェ?いやいや、そもそも日本人だから日本語で読まなきゃダメじゃん。うーむ、漢字の読み書きが苦手だと、日本人のネームは複雑で読みにくくて仕方がにゃいよー」


 語尾に続けて、困った困ったと付け足して呟くも、少女の様子にはまるで困った様子は見られない。


 それも当然のことだ。しょせん、困ったというのも、不満に感じているのもあくまで少女にとってはポーズに過ぎないのだから。


「まぁ、どーでもいっか。それよりも重要なのはぁー、新しい正妻候補(ヒロイン)ちゃんに与えられた配役ぅーっと。えーと、なになに? 『因果の絶対切断(フェイト)』、かー。うん、なんかすごそーだね、こりゃ」


 それだけ呟いて少女は興味を失ったかのように、手にしていた冊子をぺいっと後ろへと放り捨てた。適当に放り捨てられた冊子は開かれたままで床に落ちていく。然るべくして、冊子は血の色、紅蓮に染まっていった。


「どーも順調みたいだねー。メインもエキストラ含めて、この演劇のキャストも随分と揃ったもんだ。この調子だと思ったよりも早く全部の駒が集まるかもねー」


 少女にとって、今の現状は不満の塊でしかなかった。


 それでも。それでも、それ以上に現状が可笑しくて可笑しくて堪らないのだ。


「他の女の子ももっともっと頑張らなきゃだねー、キョーヤの側に居たいんならさ。たかだか『事象の改変(チェンジ)』程度の魔法しか使えないとポイって捨てられちゃうぞー?」


 そうだ。少女は知っている。東雲恭弥の本性がどういった人間なのかを。


 彼の願いがどんなものであり、成就のためには何が必要なのかまで、ありとあらゆる彼にまつわることを何でも知っている。


「でもさー、キョーヤの気を引こうってんなら、せめて『事象の書き換え(リライト)』の領域くらいには辿り着かないとダメダメだよー。まぁ、『因果の絶対切断(フェイト)』ちゃんはたぶん『事象の書き換え(リライト)』を通り越して、わたしと同じように『事象の確定(グローリア)』の領域まで踏み込んじゃうんだろうけどさ。彼女を見習ってそのくらいはしないと、キョーヤは君たちを必要としないよー?」


 そうだ。少女は知っている。東雲恭弥という男の残酷さを。


 彼にとって全ての存在は駒でしかないのだ。友人も、仲間も、恋人も、敵も、見方も、果てには自分自身さえも。


 故に必要ならば、絶対に手に入れようと知略策謀を巡らせ、なんとしてでも手段を選ばずに手中に納めてしまう。逆に必要ないのならば、利用するだけ利用しておいて、有用性が無くなった瞬間に躊躇いもなく塵芥のように切り捨ててしまう。


 普段は台本通り、『東雲恭弥』という登場人物(キャラクター)を演じているからこそ誰もその残酷さに気付かないだけだ。


 時には日溜まりのように優しく、時には氷の如き残酷さを垣間見せる。


 時には縋りつきたくなる程に強く雄々しく、時には思わず守りたくなる程の弱々しさを垣間見せる。


 時には自信に満ち溢れていて、時には自分を貶める言葉を垣間見せる。


 そういった二律背反を抱えた、どこか放っておけない雰囲気を纏った少年。


 だが、事実、それは全部(まやか)しだ。彼の話す言葉も、笑顔も、態度も、心も、全部が全部、巧妙に計算されて作り出された偽物。少女は少なくともそう認識していた。


「ホントに可哀想だよー、みんながみんなキョーヤに騙されてるなんて。まぁ、って言っても、半分はわたしの魔法のせいで嘘に気付けないんだけどにゃー。うん、我ながらすご過ぎるね。さすがはわたし。キョーヤの『寂壊姫(ニルヴァーナ)』ちゃん。愛情ぱわーで神様になった(・・・・・・)わたしは一味違うんだよー?」


 少女は不意に動き出す。そして、自分が投げ捨てた血に染まってしまった一冊の台本を改めて拾い、閉じると同時に台本のタイトルに当たる箇所を白く透き通った指でなぞった。


理想世界(エデン)の想像者』


 それが台本に記されているタイトル。少女の魔法によって綴られた、恭弥の願い事を記した演劇を遂げる為の一冊の台本。


「東雲恭弥。この物語という演劇の主人公にして『誰も救わない救世主(ロストセイクリット)』。あまねく者へと平等に永劫の死を与え、死者の手向けに永久の目覚めを促す『もう一つの可能性(アナザーワン)』。それが君の役割だよ」


 物語は動き出した。よくやくここまで待ちに待った、台本に綴られた物語を始められる。


「共犯者である『寂壊姫(ニルヴァーナ)』、救済者である『白銀の魔女(アルジェント)』、守護者である『始まりの支配者(ワールドグラス)』、そして新しく加わった監督者である『因果の絶対切断(フェイト)』」


 これで必要最低限の手札は揃ったことになり、ついに選択の刻は来たる。


 歓喜に満ちた。


 愉快さに満ちた。


 哀しみに満ちた。


 苦しみに満ちた。


 憎悪に満ちた。


 諦念に満ちた。


 終幕の選択の。


「夢は素敵だよね、キョーヤ。甘くて、優しくて、溺れたくなるくらいに。でもね、終わらない夢なんて夢じゃないんだよ」


 だから、と少女は続けた。


「わたしがキョーヤの夢を終わらせてあげる。キョーヤが愛したヒロインたちと一緒に君の希望を打ち砕いてあげる。でも他のヒロインになんて譲ってあげない。わたしが誰よりも早く君を―――殺してあげるよ」


 少女は静かに祈る。


 眠れ、世界が終わるその刻まで。


 眠れ、世界が満たされるその刻まで。


 眠れ、世界が絶望に染まるその刻まで。


 眠れ、世界が一筋の希望を掴むその刻まで。


 眠れ、眠れ、眠れ。静かに、静かに、いつまでも、いつまでも永劫に眠れ。


 動き出した歯車はもう止められない。眠りの夢の世界が壊れた時、東雲恭弥の願いは成就する。


「どれだけキョーヤが残酷だとしても、わたしだけは君を最期まで愛し続けるよ。どんなに苦しくても、どんなに心が痛くても、きっとわたしが君を救ってみせる」


 それが恭弥と対をなす少女の願い。彼と交わした最後の言葉。


 少女は一つ大きく息を吸った。それから大きく吐いて、もう一度大きく吸い、もう一度大きく吐いた。そうすることで気分を入れ換える。


「さてとー、そんじゃ、まー、わたしも日本に行こうかにゃー。きっとサプライズにもなってキョーヤも驚くだろうしにゃー」


 ユルく間延びした言葉。少女はアイデンティティーの一つである自分の話し言葉を耳に通し、うむ、と一つ満足気に頷いた。


 同時に『綴られた物語(ブックメイカー)』の魔法を解除すると、手の中にあった台本が空気に溶けるようにして消えていった。


 少女は歩き出す。コツコツと死の音を鳴り響かせながら。


 彼女は教会の扉に手をかけ、モニュメントを取り除くかのような大袈裟な動作で開けた。


「目には目を、歯には歯を、裁きには紅蓮の断罪を。わたしは君たちが影で行っていた悪事を認めない。誰にも気付かれず、誰の目にも留まらず、この世界から消えてなくなれ」


 教会が火の手に包まれた。赤く、朱く、それよりも尚も紅く燃え盛る。


 後に残ったものなど何もなかった。教会の姿形も、紅蓮に裁かれた遺体も、焼け残りの灰さえも。初めから何もなかったかのように。


 少女の姿も同じようにそこから消えていた。


 コツコツと死の音が響く。彼―――東雲恭弥に近付くように、静かに、静かに、死が迫って行く。


 この物語の終幕の光景。


 不確定要素ばかりを計算に入れた喜劇。


 誰かが救われるのかさえ分からない悲劇。


 思惑を持って動いている恭弥や少女でさえ、常に変動し続ける運命の全てを掌握することは到底でき得ない。


 三年前から始まった一幕の演劇。喜劇となるのか、悲劇となるのか。その結末を知るものは未だに存在しない。


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