守ったもの、守られたもの
いったい、いつの頃からだっただろうか。本来過ごすべき温かな時間をかなぐり捨ててまで身に付けた、己の強さというモノを疑い始めたのは。
いったい、いつの頃からだっただろうか。一歩でも多く、一歩でも早く、未来へ未来へと急くようになり、現在から目を逸らすようになったのは。
『汝の刃が切り開くのは、怨敵の膓に非ず。その刃で切り開くのは可能性という未来成り』
それは師匠が行き急ぐオレを戒める為にしてきた説法の中にあった言葉だった。他にも色々とうだうだ長ったらしい話だったと記憶している。正直、長時間の説法には飽き飽きしていて、内容なんてものは特には頭の中に残ってなどいない。
ただ、さっきの一つの言葉だけは不思議なことに胸の内にストンと収まっていた。
オレは自分の歩んできた道を振り返ってみる。
十の頃に家から追い出された。悲しかった。悲しくて悲しくて、それよりも反論さえしなかった自分が情けなかった。
十一の頃に初めての友人ができた。この時ほど嬉しかったことは、おそらくないと思う。モノクロにしか感じていなかった世界に色が付き、世界が美しくなったように感じていた。
十二の頃に本当の絶望を知った。同時にあらゆるモノを従わせるだけの力を得ることになったのもこの頃だ。
オレは自分を救ってくれた大切な友人を殺した。理不尽だと思った。なんで誰よりも最強だった彼女が、オレなんかのせいで死ななくてはならないのだろうか、と。
そして絶望した。誰よりも強かったはずの彼女へ対し、理不尽を許してしまうこの世界に対し、それ以上に弱さを免罪符に生きている自分に対して。その結果、神域の力を手にしたのだから笑えない。
十三の頃には魔法に関してだけは、もう誰にも負けることは無くなっていた。知識、実力の名実共に最強を自負していたほどだ。
その頃には自分を異端視する周囲の人間に見切りをつけ、共に歩むことの出来る者だけを率いて組織を形成していた。それが後に三ツ首ノ猟犬と呼ばれるほど仰々しいものとまでなったのだ。
十四の頃にはあらゆるものを統べるだけの権力、財力、そして何よりも強大な力を欲しいままにしていた。何一切として不自由な物事なんてない。
それでも強さへの執着は未だ尽きることは知らず、己の血肉になる強さを求めて所構わず当たり散らす日々。格闘術ありき、剣術ありき、あらゆる術で強さへの渇望という喉の渇きを潤していた。
それがオレの歩んできた軌跡。だから師匠が言った言葉が新鮮に感じられ、身に染みたのだと思う。
オレという刃が切り開いていたのは望んでいた未来などではなくて、自分の勘に障った相手の膓ばかりということ。それがよく分かった。
ただ、そんな自分のことを理解したのは良かったが、あの時に師匠の言葉の真意を汲み取れなかったのは必然だったのかもしれない。
だからこそ、オレは今回、己の宿した刃を振るうことを決心したのだ。オレにとっての大切を守りたいが為に。
「那月が傷付くとオレも悲しいんだ。だから、今回だけはオレがお前の誇りを守るのを赦して欲しい」
オレは背後に居る那月へと想いを伝える。久し振りに自分の過ごすべき現在を見つめさせてくれた大切な友人に。
はたして彼女は赦してくれるだろうか。オレの誤った強さを振るって、彼女の清廉な誇りを守ることを。
「もういいのかい、下らない馴れ合いのままごとは?」
「別に待っててくれなんて言った覚えはないんだけどな。それにオレは最強だ。不意打ちを受けたところでオレが負けることはあり得ない」
不意に掛かる声にそう返す。視線をやれば男の姿。そこにはダメージなど見てとれず、刀を構えてこちらを見据えていた。
そうだ、今は入り乱れて溢れそうになる感情に浸る時間じゃない。闘いの時間だ。
「戒めの鎖・完全解錠」
煌めく銀糸は燃え盛る。温かな琥珀は冷たく炎を宿す。感情に呼応する紅蓮は見る者に威圧感を与えるだけでなく、本能的な恐怖を呼び起こす。
一つ手の中の刀を振った。さすれば周囲の空気をも揺るがす破砕音。それは言外に怒りの感情を映し出している。
「オレはあんたを斬るよ。那月のために。那月が守りたいものの為に。他でもないオレ自身の為に。だから―――」
一拍の間のあと、続くべき言葉を男に告げた。
「出来るだけオレに狂夜を振らせず、早めに負けてくれ。闘いが長引けば長引くほど、あんたは死に近付いていっちまう。狂夜は恭弥と同じで性格がクソ悪いからな」
それが那月の前で過ちを犯さないための唯一の配慮だった。同時にその言葉が刃を酌み交わす開戦の狼煙となる。
次の瞬間には、轟々と唸りを上げる不可視の刃がこちらへと進撃してきていた。
村雨流・閃の肆『風切』。オレの解釈で言えば、刃に沿った透明な斬撃を飛ばす剣技だ。目に見えないという性質を有するが故に、なかなかに厄介な技である。
それに加えて、押し寄せてくるその数は一つではなかった。決して見えることのない無数の刃は空間を切り裂きながら、敵であるオレを捕捉して閉じ込めんと檻のような猛威を振るっているようだ。
観察、理解、実行。それらの情報処理を一瞬で行い、最善の一を取り、最も被害のない経路を割り出して斬撃を避ける。
それでも完全に避けることは不可能だったようで、頬に一筋の切り傷が刻まれてしまった。先制のパンチはどうやら相手に軍配があがったようだ。
「なるほどな、道理で那月じゃ勝てないわけだ」
なぜ那月ほどの剣士が手酷い傷を負わされていたのか、ようやく合点がいった気がした。
何が彼女の敗因なのか。それは一言で言ってしまえば簡単なことである。
ただ単純に宿している才能の差。それだけの事だ。
本来、この『風切』という技は連続で使えるものではない。オレはそのことを村雨流を習い始めた短い期間で看破していた。
なぜならば、『風切』は得物を強化するために刀身に纏わせている魔力を斬撃に乗せて放つ技だからだ。一度放ってしまえば刀身に纏わせている魔力が減衰してしまうため、再度魔力による得物への強化を施さなければならなくなる。
つまり不可視の斬撃を飛ばすというアドバンテージはあるが、その間こそが技の途切れてしまうクールタイムとなる諸刃の剣なのだ。
しかしして、目の前の男はどうだろうか。ほんの一瞬のことだった。ノータイムで無数の『風切』を使用していた。
つまりのところ、強化と技の間の淀みを消すことで、瞬時に技の連用を可能としているわけだ。これだけでも十分な才覚といえる。
「勝てないのは君も同じだ」
その声が聞こえた頃にはいつの間にか背後をとられていた。無理矢理に身体を捻り、振り返ろうと試みる。
だが、途中から突如として加速した男の繰り出した刃は、今からでは対応も出来そうになかった。
「………っ」
肉を裂かれる鋭い痛みに思わず顔をしかめた。
迎撃は一歩遅かったようだ。宙に鮮血が舞い散っている。視界に映る細い何か。くるくると真っ赤な弧を描きながら、ソレは床へと落ちていった。
「村雨流の閃の壱で『閃霞』という技だ。これで分かっただろうけど、今のが俺と君の差だ。もう一度言うけど、君程度では俺には勝てない。それでも引かないというなら、今度は右腕も切り落とさせてもらう」
男は心底つまらなそうな顔で淡々と言った。
だが、その言葉は耳に入ってこなかった。オレは男の言葉を拾うより、自分の肘から先が無くなった左腕を見つめていた。そこには有るべき場所に有るべきものが無くなっていたのだ。
それはどれだけ見つめようと、血と痛みが溢れるばかりで、どうしようもない現実でしかない。
「~~~~~~~~~~ッッッ!」
くぐもった悲鳴が道場内に上がる。それは勿論のこと、傷を負ったオレの声ではなかった。痛いの一言程度で済む痛みではないが、それでも苦痛に叫ぶほど柔な鍛え方はしていないつもりだ。
では誰のものかと言えば。それは未だに身体が不自由なせいで動けず、まともな声を出すことも儘ならない那月の悲鳴であった。
そちらへ視線をやれば、何かを訴えるように必死な形相で声の失われた口を開閉している那月の姿。彼女は宝石に負けないほどまでに美しい瞳から涙を零してまでいた。
口の動きだけで彼女の言葉を追えば、「逃げて下さい」と読めてしまう。どうやら彼女には今の一瞬の交錯で、この男が言った通りオレ程度では勝てる見込みがないと判断されてしまったようだ。
その事に一抹の可笑しさを感じてしまう。那月が心を痛めてまで心配しているオレが、剣の頂きに座する剣聖だと知ったらどんな顔をするのだろうか。それはそれで興味をそそられてしまう命題であるには違いない。
「なんで腕を失ってまで笑っているんだい。痛みで頭がオカシくなったのならそのままお開きにしてもいいんだけど」
男の言葉でますます笑みが深まってしまう。本当に可笑しいな。可笑しすぎて今にも大声を上げて転げ回りたいほどだ。
なぜ那月も、この男もオレは怪我一つさえしていないというのにオレの敗けを見ているのだろうか。
オレがこの程度で負けると思われるのは甚だ遺憾であった。
「なぁ、あんた何言ってるんだ? オレの腕はキチンと二本ともついてるだろうが。この距離で見えてないのかよ」
そう、オレの言葉通り、腕など失われてなどいない。視線の先には疑いようもない、自分の二本の腕が映っていた。男もその驚愕の事実に瞠目している。
どうにも、先の今で理解が及んでいないようだ。
「それにオレはあんたの方が心配だよ。なんであんたは―――腕が片方無くなっているのに平然としてられるんだ?」
男は何を言っているのか理解出来ないといった怪訝な表情を浮かべていた。
しかし、それも刹那のこと。なにしろ、視線を下に下げてしまい、自分の肘より先が無くなった左腕を見てしまったのだから。
「うああああああぁぁぁぁぁぁ!」
艶に欠ける悲鳴が道場に満ちる。充満する鉄くさい匂い、形成される赤い飛沫による血の溜まり場。男は片腕を失うという激痛に耐えるように、血の水溜まりに踞った。
「腕が……俺の腕が………っ!」
「おいおい、那月やオレの腕を斬ったくせに、自分の腕が無くなったくらいで取り乱すなよ。因果応報って言葉知らないのか?」
「ふざっ、ふざけるな! 俺は剣聖になるはずだったんだぞ! それを! それをお前みたいなガキが俺の腕を………!」
息を荒げて咆哮する。この男はいったい何を言っているのだろうか。そもそも、剣聖になどなれるわけもないのに。
それに何よりも、
「あんた何言ってるんだ? あんたの腕はキチンと二本ともついてるじゃないか。だいたい、腕じゃなくて―――」
そうだ、男の腕は失われてなどいない。先の光景が幻であったかのように有るべき場所に疑いようもないほどに収まっていた。
男は無くなっていたはずの箇所を己の手で何度も擦りながら、自分の目が信じられないのか確かめている。そして、幻ではないことを悟ると、安堵の息を漏らしていた。
それを嘲笑うようにして、童子のような笑みと共に声が木霊した。
―――無くなってるのは右足だろ?、と。
二度目の悲鳴が上がる。やはり艶に欠けるソレは聞いていて、苛立ちに似た不快感しか催さなかった。
「乱剣舞・衝の型『水面』」
オレは今までで一度しか目にしていなかった村雨流の型を見せてもらった返礼として、自己の習得している剣技を一つ披露した。
刀身が男の脇腹に触れる―――と思った瞬間には既に男の姿そこにはない。
壁際にて肉がぶつかる音。そちらを向けば、男が口から血を吐きながら、壁からずり落ちるところだった。打ち付けた痛み。それよりも右足に感じる痛みの方が余程痛むと見える。
「あ、足が……足が……!」
と血を流しながら、何度もうわ言のように呟いていた。その光景を前に、オレは一つため息を吐いてしまう。
「だからさ、あんたさっきから何してるんだ? あんたには腕も足もついてて五体満足だろうに。さっき、オレに頭がオカシくなったとか言ってたけど、あんたの方が頭オカシくなったんじゃないのか」
男はそろりそろりと視線を右足に向ける。確かにそこには男の右足は存在した。切り口など何処にもない。だからこその疑問と恐怖が蔓延っているはずである。
さぞかし身体が幻痛で痛むことだろう。
さぞかし精神が擦り切れることだろう。
「夢か現か揺蕩うほどに全てを信じられなくなり、全てを疑う。やがて鏡の世界をさ迷える胡蝶は狭間に囚われ死に絶える。今、見ているのは現実か。それとも悪夢か。あんたはどっちだと思う?」
刀剣創者によって創られ、尚且つ銘を与えられたものには力が宿る。例えとして出すならば、重複する傷剣ならば、相手に自分の味わった苦痛を感じさせる能力といった風に。
「オレがこの狂夜を使うのは、那月を除いてあんたで二度目だ。なんせ、オレはこの剣が嫌いだからな。自分がどんな人間か見せつけられてるみたいでイライラする」
だからさ、とユラリユラリ揺れる幽鬼は告げるのだ。
「もう、終われよ」
メキリと、何かが折れる音がした。それは聴覚に作用する類いのものなどではない。では、一体何なのか。
「う、ウアアァァァァァァァァァッ!」
それは男の理性の箍が外れた音。男は狂ったように叫びを上げ、狂気の刃を剥いた。刃は男が狂いだしてから一歩たりとも動いていない、直立不動の身体に吸いこまれる。
だが、それが肉を断つことは叶わない。狂気の一太刀は濃密な気配を纏う鈍色に阻まれ、前進をよしとされない。
刃で刃を強く弾いたがために敵対者は地に転がってしまう。
「言っただろうが、終わりだって。乱剣舞・斬の型―――」
トドメの一撃。
いや、現状的にはトドメになるはずだった一撃と訂正した方がいいのだろうか。善くも悪くもオレは刀を振るうことを途中で放棄した。
なにせ、それは………
「これ以上はダメです! 私は大丈夫ですから、もう闘わないで下さい!」
ガクガクと膝を笑わせながら、守るべき対象の那月が目の前に立ちはだかったからであった。
目の前の光景に言葉が出てこず、茫然自失としてしまう。なぜ彼女が今、オレの眼前に立っていられるのか理解が出来ないでいるからだ。
あり得ない。物理的にも、精神的にも。オレがこの刀剣を消しでもしない限り、那月が動くことなど叶うはずもないのだ。そのことはオレが一番よく知っていた。
それなのにいったい何故、彼女は動けているのだろうか………?
「私は恭弥さんにはもう闘ってほしくありません! そのような、そのような、悲しそうな顔で刀を振ってほしくありません!」
明朗に話す那月の姿を見ているのに未だに光景が理解出来ない。何よりも彼女の放った言葉も理解が及ばないでいる。
オレは右手を顔にやり、自分の頬をさする。悲しい顔などしているつもりはない。それならば、この顔は今、どのような表情をしているのだろうか。鏡のない道場内では確かめようなどなかった。
「退いてくれ」
発することが出来たのはたったそれだけ。それだけだった。
「退きません! 理由は色々ありますが、恭弥さんが持っているその刀剣の能力が………」
オレは突然としてあたたかな温もりに包まれていた。
原因は明白。オレは目の前に立ちはだかっていた少女に抱きすくめられているからだ。その事に気がつくのに数秒もかかってしまった。
気が付くと同時、彼女はオレを抱きすくめたまま、背伸びをする。クッと彼女のかかとが上がり、顔と顔との距離が近付いた。
「―――――――――――――」
きつくきつく抱きしめ、耳元でオレ以外の誰にも聞こえてしまわないように続きの言葉を那月は小声で囁てきた。
オレは驚愕のあまり目を見開く羽目となる。
先程もこの男に言った通り、この刀剣を使用したのは二度目だ。その一度目の時を目にした師匠や身近に居た親しい者でさえ、悪夢や幻覚を見せる類いの能力だと断定していた。
その推測は半分以上正解である。この刀剣はオレの意図した幻覚に酷似したものを相手に見せることを可能としている。
しかし、本質は全くの別物である。
誰にも教えたことのないこの刀剣の本来の能力。その内容は寸分違わず、何も知らないはずの那月に言い当てられていた。思わず動揺し、刀を手から零してしまう。
「違う……違うんだ、こいつは………」
何故だかは分からない。そんな虚しい否定の言葉しか出てこなかった。
「私はその刀、優しい恭弥さんらしくて良いと思いますよ。確かに先程まで見せていたモノは残酷だったのかもしれません。ですが、恭弥さんは結果として誰も傷付けていないでしょう?」
やめてくれ。今のオレにそんな甘い言葉を掛けないでくれ。そんな優しい言葉を掛けないでくれ。これ以上はもう精神的に耐えられなくなりそうだ。
「だから、私の為に闘って下さってありがとうございます」
その言葉が皮切りだった。足元の刀剣が砕けて消えていき始めた。それはオレの意思によるものなどではない。心が乱れたが故に、魔法自体が瓦解してしまったようだ。
その儚い姿を見て、オレは思わず自分の手で顔を覆い瞑目してしまう。
どうやら、オレはこの男には勝つことができた。でも、那月の誇りを守ることは叶わなかったらしい。なんせ、笑えることにも守られたのはオレの方だったからだ。
やはりオレではこの少女には勝てそうもなかった。
「………那月、やっぱりオレはお前のことが大嫌いだ。例えるなら、そうだな。毛虫やゴキブリと同じくらいに大嫌いだ」
ポツリと場違いにもそんな言葉がもれた。それでも那月は変わらない。変わらないでいてくれた。
「その二つと同列に語られるのは大変不愉快ですが、恭弥さんが私を嫌いなのは知っていますよ。何度も直接言われてますから」
怒るでもなく、嫌悪するでもなく。先程まで涙で濡れていた美しい顔で、ただただひたすらに優しい笑みを向けてくれた。那月は優しく、クールビューティーなだけでなく、器も大きな女の子のようだ。
だからなのかもしれない。自分の中にある想い。気が付けばオレはそれを吐き出してしまっていた。
「オレはそれ以上に自分が大嫌いなんだ。弱くて、醜くて、自分を偽ることしか出来ない矮小な自分が殺してやりたいくらい大嫌いなんだよ」
「知っていますよ。だから恭弥さんは私の前で闘おうとしなかった」
本当に嫌になるくらいによく見られてる。なぜこの少女はこうも見透かしてくるのだろうか。そういった類いの魔法を保有していないか甚だ疑問である。
それに何より、勘違いしてしまいそうだ。那月なら本当の自分を見てくれるかもしれない。本当の自分を受け入れてくれるかもしれない。そんな馬鹿馬鹿しい勘違いを。完全な見当違いだと分かっていても、してしまいたくなる。
「………那月、大好きだ。お前を愛してる。オレと結婚してくれ」
「もちろんそれも知って………ませんでしたよ!? と、突然、な、何、トチ狂ったこと言ってるんですか!?」
那月がしてくれたように強く強く抱きしめれば、慈愛の温もりから一転して彼女は腕の中で暴れ出す。どうも彼女の様子を見るに、オレはフラれてしまったらしい。まぁ、半ば予想はしていたことだが。
やはり那月はこうでなくてはならかい。なにせ、彼女をからかうのは面白いからな。フラれたなんて些細な事実は何のその。オレは笑いながら言った。
「ジョーダンだ。それに言ったろ? オレがお前の誇りを守るってさ。さっきはある意味オレが守られたからな。今度こそオレが守ってやる」
オレは那月を突き放した。
同時に余分な身体の力を抜き、腕はダランと垂らす。あくまで、自然体。決して意識して力まず、それでいて必要な力だけは残しきる体勢をとった。
手の内に刀剣創者で刀を新たに生み出し、緩慢な動きで剣先はユラユラと揺れる。
そして、刀が、腕が残像を残し、認識出来うる視界から消え去った。
ボトリと床に落ちる肉塊。聞くに耐えない悲鳴。男の手首から噴き出す真っ赤な鮮血が道場の床を汚していく。
しかし、それはオレにとって些末なことだった。
「良い度胸してるじゃねぇか、あんた。自分を庇ってくれた無防備な女の背中を斬ろうとするなんてな」
温かな気持ちに浸っていたにも関わらず、憤怒の感情が振り返す。さて、どうやって今回の結末に落とし前をつけようか。
と、そこで思考は中断させられた。
それは慌ただしい複数の足音、かしましい複数の喧騒が聞こえてきたからに他ならない。道場の入り口に意識を向ければ、胴着を着込んだ男性が五人、私服姿の女性が二人が既にそこに立っているのが確認できた。
それでも尚、オレは刀を振るうことを選んだ。
「乱剣舞・斬の型―――」
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
恐怖に染まった悲鳴を上げ、ガクガク震える両の脚で走り出す。慈悲など掛けるにあたわない。無防備にさらされた背中。そこに追い打ちをかける。
が、刃が当たる寸前で止め、舌打ちをした。
「戒めの鎖・限定施錠」
その一言で白銀の光と琥珀の輝きが顕現する。転じて、紅蓮は陰なりを潜め、認識できる世界から消えていった。
不意にぐらつく身体。たった数分の出来事であったにも関わらず、消耗がひどく激しかった。魔力、生命力、体力、精神力の均衡。現時点では体力、精神力の低下が著しいと感じられた。
「………くそ、これでも制御が甘いのかよ。こんなんじゃ、まだまだ実戦では使い物になりそうにないな」
と、今回の件の顛末にそう批評した。
男の身など知ったことか。さっきの様子ではもう何も出来まい。案件が一つ片付いたと考えてしまったばかりに、オレの身体は意識に背き、勝手にも力を抜いてしまう。
どうやら限界を迎えていたらしい。早くも気が遠くなってきていた。酩酊する視界の中でオレは倒れない為に支えを探して手を伸ばす。
そうして指先に温かな感触が触れた瞬間、それが何なのか分からないが思わず安心してしまった。その結果、意識を手離してしまうという何とも道化染みた行動になってしまう。
「………海底撈月、か。一番欲しいモン掬おうとして、ずっと掴めるわけもない水面の月を掬ってたんじゃ世話ねぇよな」
意識を失う前に一つだけ言葉を紡いだ。
今度こそ本当に意識が暗転した。
だが、不安など欠片も感じていない。暗闇の中にある偽物なんかじゃない温もり。それを一つ胸に抱いていたから。




