およしになって女王様
村雨家に在中してから訪れる二日目の夜。オレは性懲りもなく道場に身をおいていた。
昼間とは得も言われぬほどに異質な夜の闇。月明かりだけを標に舞う剣舞は、暗闇に対して前日よりも苛烈な躍動を披露する。
空気を切りながら唸りを上げる銀色の剣閃。
ただひたすらに速く。誰もが知覚できず、誰もが絶対にかわすことのできない必殺必中の一撃だけを目指す。
荒唐無稽な理想像と言ってもいい一撃。少なくともオレはその一撃を知っている。
彼の名は『焔の剣聖』。多くの民衆にそう呼称される一人の人物。オレの剣の師匠であり、人類史上最強の剣士と言っても過言でない実力者。
あの人の振るう、とある一撃だけは不可視、不可避、そして必殺といった他者を寄せ付けることのない鋭さを秘めている。
あの剣技こそが最高の理想像。速さを越える無双のごとき迅さ。その一点のみを追求し、足下の床を乱暴に大きく踏み鳴らしていく。
まずは基本たる何の変鉄ない素振りから、時間をじんわりと消費しながら始めていく。身体が温まり準備が整えば、次のステップとして知識にある剣の型を一通り振るう。
そして、その締めくくりとして理想を追求した一撃。
「乱剣舞・斬の型――――っ!?」
研鑽の中で掴んだ、自己流の型として持ちうる一つの剣技。それを放とうとしたところで、道場の扉が外側から開かれた。
自然と向けられる視線。剥がれゆく意識。注意が散漫な時ほど危ないものはない。気がついた時にはもう遅かった。
体勢が乱れに乱れたオレはその場にて盛大に転倒してしまった。
「……っぅ……いってぇ……」
強く肩口から打ち付け、苦悶の声を漏らした。
自分の持つ剣技の中でも、筆頭するほどに強力な技。その剣技の衝撃が余すことなく身体にダメージとして伝われば、こうなることも必然と言えよう。結果、悶絶する羽目になる。
そんなオレを上から見下ろす一つの視線。
その視線と目が合った。が、すぐさまに逸らした。
「オレ、ナニモ、ミテナイ。イイコ、オレ、イイコ。ヨル、クライ、ネル」
何故か急にカタコトになる口調。思わずおかしくなる口調なんて今はどうだっていいに違いない。この場にて重要なのは、いかにスマートかつ迅速に逃げおおせるかということ。判断を誤ればここで地獄を見る羽目になることだろう。
いち早くそれを察知したオレはその場から脱出を試みた。
しかし、だ。ゲシッと虫でも踏み潰すかのように踏みつけられる身体。言わずともオレは動けなくなってしまう。
なんとか抵抗を試みるもダメだった。しょせん、ピチピチと浜辺に打ち上げられた魚程度の抵抗にしかならない。
結局のところ行動することは諦めるオレ。今度は口での交渉に試みた。
「マダ、シニタクナイ。オレ、ナニモワルイコトシテナイ」
「ほぅ、約束を破っておきながら悪いことはしてない、と?」
「ヤクソク、オレ、シラナイ。オレ、イイコ、イイコ」
「目を逸らしながら言ったところで説得力はゼロですけどね」
はぁ、と心の底からのため息を一つ。
でも、足から伝わってくる圧力だけは先程よりもきつくなり始めていた。もう既に我慢できる範疇ではない。オレは声を張り上げてしまう。
「ちょっ、那月さん!? やめ、ホントにやめて! 内蔵が出ちゃうから!」
「おや、もうカタコトで喋らなくてもいいのですか?」
増すばかりの圧力に加え、ご丁寧にグリグリと捻りまで付け足された。手慣れている様子で強弱や緩急までつけてくる。
もうダメだ。色んな意味でもうダメだ。目覚めてしまいそうだ。
「んあぁっ、やばい! なんだか新しい世界の扉が……!」
「奇遇ですね。私もちょうど新しい世界の扉を開こうとしてるところです」
冗談に対して返ってくる思わぬ言葉。その言葉に心の底からシャウトがもれた。
「いやいや、開かせねぇからな!?」
オレは叫ぶなり強引に脱出し、那月とわずかな距離をとる。見据えられる双眸。途端にぶるりと身体が震えてしまう。
これは何が原因だろうか。もし知っているのなら教えて欲しいものだ。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
そう言って那月はこちらに歩を進めてくる。
だが、
「待った! 頼むから、それ以上は近付かないでくれ!」
一歩を踏み出す那月に制止を呼び掛けた。
「なぜでしょうか?」
「変態が伝染るからだ! オレはノーマルなんだ、調教されて悦ぶような変態じゃない! そういうSMチックな女王様プレイは然るべき変態とでもやってくれ! この変態! ムッツリスケベ!」
プツンと何が切れた音がした。それはもちろん、絶対に切れてはならないあるものの音。
この時オレは思った。明日の朝は訪れるのか、と。
ユラリと動く那月の身体。闇に紛れる輪郭だけでなく、前髪で隠れる表情には得も知れぬ恐怖が掻き立てられる。
「ふ、ふふふ、言ってくれるじゃないですか……。冗談に付き合ってみれば、手酷い返しをしてくるなんていい度胸してますね……」
「ちゃ、ちゃうねん……」
あかん。あかんわ、これ。目が完全に逝っとる。
光を失った瞳には夜の闇が宿り、ただただ不気味に動く。恐怖、諦念、絶望。どれがオレの内心を示すのにぴったりな言葉なのだろうか。多分、どれもが正解に違いない。
「し、死にとうない! ワイはまだ死にとうないんやっ!」
ついにはオレの言葉遣いまでおかしくなってしまっていた。負の感情に追い詰められると、人はここまで変わるものなのか。それを身をもって実感させられた。
「ふふ、ふふふ、動かないで下さいね? たくさんイイコトしてあげますので……」
オレは逃げ出した。恥もプライドも関係なく、無防備な背中をさらけ出したまま走り出す。
しかし、時すでに遅し。肩には那月の手がかけてあった。
「さて、それでは二人っきりでイイコトしましょうか」
「ぎ、ぎゃああぁぁぁぁぁ――――ッッッ!」
悲鳴が道場を裂く勢いでこだました。
いったい、そこで何が起こったのか。それはあえて言うまい。どうしても知りたいのなら、覚悟して那月本人から聞くことだ。きっと地獄を見せられるはずに違いないのだから。




