二度目の手合わせ
那月とリク、ついでに村雨先輩と遊戯を楽しんだ午前。そこから時は流れ、午後へと移り行く。サンサンと、目が眩みそうになるほどに強い昼の日射しが道場の窓から降り注いでいる、今日この頃。
上方から受けた光を全て反射せんとばかりに磨き抜かれたピカピカの床板。そこを踏み敷く二人分の足音が、神聖な道場を活気のあるものへと変えていた。
―――カリカリカリカリカリカリカリカリカリ。
「はっ!」
「やぁっ!」
那月と村雨先輩が短く叫ぶ。気合いの入った呼気と共に交わる木製の刀は、カァン! コォン! と小気味の良い音をさせ、何度もぶつかり合う。
袈裟、逆袈裟、突き、横凪ぎ。目の前の幾度となく打ち合わせられる木刀による試合は、打ち合いから押し合う鍔迫り合いへと戦況が変わりゆく。
互いに負けたくないという意思を込めた木刀は押し合い、思いの均衡という争いを代弁しているかのよう。
―――カリカリカリカリカリカリカリカリカリ。
バチバチと視線の火花を散らしながら、ギリギリと音の聞こえてきそうな鍔迫り合い。いつまでもこの状態では駄目だと判断したのだろう。二人はほとんど同じタイミングで床を蹴り、後ろへ跳びずさっていた。
そして、また示し合わせたかのように、ほとんど同じタイミングで木刀を振るうのだ。
「村雨流・閃の肆―――風切!」
「村雨流・閃の肆―――風切!」
轟ッ、と風を切り裂きながら進撃する、目には見えない透き通った刃。それは二人の中間地点の空中にてぶつかり合い、派手な音を周囲に撒き散らす。
これでも相手は倒せない。それが言葉で言わなくても理解できた二人は、木刀を握り直し、再び相手へと向かう。
一切の淀みのない見事な足運び。細腕から繰り出される強かな剣術。陳腐な比喩かもしれないが、それは蝶のように舞い蜂のように刺す。そのような表現が自然と浮かんでくるほどに、二人の剣舞は流麗なものだった。
―――カリカリカリカリカリカリカリカリカリ。
それにしても、だ。
「あぁ、やっぱり目の保養になるよなぁ」
現在進行形で、オレの目の前で剣舞を舞う、村雨流剣術の使い手の姉妹。女性らしいしなやかな肢体から繰り出される、見惚れるほどに鮮やかな剣筋。舞踊る中で飛び散り、キラキラと光を写し出す爽やかな汗の雫。
なによりも、剣の道というものは総じて男性比が多い世界。それも二十代後半から三十代半ばがもっとも多い層である。つまり物凄く男臭い道なのだ。いや、正確に言うのなら、漢臭いといった方がいいか。
故に同世代の美の付くような少女達による剣舞は、なんとも言えぬ華々しさを振り撒いていた。少し使い方が違うかもしれないが、掃き溜めに鶴という諺を感じさせるものがある。
ふとこぼれた、本心からのそんな呟き。不幸なことに、それを地獄耳にて拾った二人は同時に木刀を振り抜いていた。それもこちらへと向けて。
「誰の頼みで私達が模擬戦をしてると思ってるんですかっ! 真剣にしなさいっ!」
「そうだねっ、まったくもってなっちゃんの言う通りだよね!」
空気を掻き分けて進む、鋭い風切り音。怒気を乗せた二筋の『風切』がオレの頭部を狙って襲いかかる。
だが、それは本来ならば目で見えるものではないが、元が魔力を媒体としたものだから、なんとなく察知することができてしまう。
「おっと、危ない」
軽い声とともに、ひょいっと余裕をもってかわしてみせる。
身を屈ませてかわした『風切』は後方の壁にぶつかり、バチンと痛々し気な音を立てて霧散した。
「おいおい、なんで二人揃ってオレを狙うんだ? 危ないじゃないか。避けなかったら確実に直撃コースだったぞ」
言葉ではそう避難するも、頭ではまったく別の事を考えていた。
今の出来事で追加で解ったこと。それは先の『風切』は斬撃を飛ばす技ではあるが、飛来した見えない刃はなんらかの要素によって質が変わるということ。
例えば前にオレと那月が模擬戦をした時。あの時もこの技を目にする機会があった。その『風切』は直撃こそ避けれたものの、髪を掠めて数本ばかりもっていかれた。もちろん鋭い切れ味によってだ。
でも今回は少し違う。向かってきた刃は、オレが避けたあと壁に衝突した。その時に鳴った音はバチンという、打撃が壁に阻まれたかのような音。ちらりとしか確認していないが、壁には切り傷などは出来ていなかった。
前の『風切』と今回の『風切』の違い。それは切断力の有無に関すること。あくまで仮説でしかないが、切れ味は技を繰り出す者のコンディションや精神面、集中度、意思に依存するのだろう。それが解ったのは大きな進展でもあった。
「まぁ、当たってない分よしとして、そろそろ再開してほしいんだけど」
「何が再開してほしいですか! 真面目に観てるかと思えば、邪な目的で……っ!」
どうも、ふとこぼした先の一言は失言だったらしい。
那月が射殺さんばかりの視線でこちらを睨んでいる。まるで縄張りに入られた虎のようだ。村雨先輩は言葉を発してないものの、それに近い雰囲気を醸し出している。
「ちょっ、さすがに誤解だって! 確かに目の保養になるなぁ、とは思ったが、それが目的だった訳じゃない。オレの目的はあくまで村雨流を修めることだっ!」
慌てて彼女の言葉をそう否定する。
だが、しかし………。
「なら何故模擬戦をしているのが私達で、当の貴方はペンと紙を片手にのうのうと試合を眺めているんですか!」
そう、現在は村雨流剣術を習うために、彼女達専用の道場に訪れていた。そこでオレが最初に提案したのは、村雨流剣術を使う者同士の模擬戦である。
オレは今までそれを観ながら、ひたすらに紙にペンを走らせていた。気になったこと、気が付いたこと、確定的な事実まで子細に書き込んでいく。それはもうひたすらに、カリカリカリカリカリカリカリカリカリカとだ。おかげで白紙だった紙は、両面共にびっしりと黒で埋め尽くされていた。
「だから村雨流の修行だよ。観ることで学ぶ。これもれっきもした修行法だぞ」
手振り身振りそう語る。それでも必死の説得は意味を成さないのか、対面の二人は怒気を次第に膨らませていく。答えなど聞くまでもない。
どうやら判決は――――ギルティなようだ。
「……まだそのような戯れ言を口にしますか。いいでしょう、貴方が本当に観ていたのか試しましょう。ええ、そうしましょう」
一人で勝手に完結している那月。異常に肩を怒らせた彼女は近くに居た村雨先輩からムンズッと木刀をむしり取り、投げつけるようにしてこちらに寄越してくる。
放られて宙を舞う一本の木刀。それを見たオレは、とっさに手にしていた紙とペンを床に置く。オレは放られたその木刀を掴み取り、ニヤリと笑いながら彼女に訊いた。
「いいのか、オレにこれ握らせて? 無理は許さないとか言ってなかったっけ?」
「貴方にはどうやら灸を据える必要があるようです。その為には已む無しと判断しました」
那月の言葉を聞いて、更に笑みが深くなるのが自覚できた。木刀を手にしたオレは、道場の中央へと歩を進めていく。
「そっかそっか、じゃあ、仕方ないな。とびっきりキツいやつ据えてくれ。そうでもしないと村雨流を修めることなんてできないしな」
「やはり貴方は真性のマゾですか。わかりました、私が徹底的に教育してあげましょう」
端から聞いていれば確実に誤解されるであろう言葉を放つ那月。いや、端から見ていなくても誤解されるレベルかもしれない。彼女は女王様志望である、と。むしろオレ自身が誤解しそうだ。
「準備はいいですか?」
取られる確認。オレはいつものように答えるだけだ。
「もちろん、調教される準備は整ってる。だからしっかりとオレを調教してくれよ女王様?」
「この期に及んでまだ減らず口をっ!」
二度目の那月との模擬戦。その火蓋はオレの他愛ないジョークを皮切りに切って落とされたらしい。
獅子奮迅。流れる水のように一切の淀みなく、それでいて荒ぶる獰猛さで運ばれる足さばき。
電光石火。停止の零から最速の前進へ。一気に肉薄するスピードは身体強化の賜物である。
数メートルの距離から木刀が届く距離に縮めるまで一秒にも満たなかった。
開始直後の懐に潜り込んでの先制攻撃。持ち前の素早さと女性特有のしなやかさという肉体的利点を利用した良い踏み込みである。瞬く間の瞬間に、胸元まで木刀の刀身が迫っていた。
那月は躊躇いなど欠片も無く腕を振るう。
「村雨流・閃の伍―――九重!」
反応をする間もなく振るわれるのは、村雨流剣術の中の型の一つ。正体不明の衝撃をもたらす剣撃を繰り出す技。この型は以前にも身をもって体験しことがあり、実のところ密かに心の底に微かなわだかまりを残させられていた技でもある。
だが、開始直後からお目にかかれるとは思ってもみなかった。
「ははっ、初っぱなからイイモンで魅せてくれるじゃないか」
予想にもしていなかった手加減なしの先制攻撃を受け、途端に訳もなく上がり出すテンションと、沸き始める闘争心。
自分の相対している手練れの剣士との手合わせといった一因もあるが、新たに手に入るかもしれない剣術を前に本能が喜んでいるのがわかる。
「そうこなくちゃ、張り合いがないもんな」
とてつもなく速い。尋常ではない速度の斬撃。
それでも焦ることはない。衝撃の正体や原理は未だ理解していないが、対処法は幾つか候補がある。無力化に成功するという確証はないが、その中の一つを実行してみることにする。
オレは反射的に後ろに重心を傾けながら、遅い来る木刀と自分の身体の間に自身の握る木刀を滑り込ませる。それでも変わることのない剣筋。そこに少しだけ細工を施してみた。
重なる木刀と木刀。
対処法が思惑通りに合っていたのかはわからない。だが結果としては成功し、勢いに弾き飛ばされることなく、道場に響くのはコォン! という小気味良い軽い音だけだった。
その鳴るはずもないであろう軽い音に彼女は眉を潜めていた。まるで結果に納得がいかないように見てとれる。
それは当然のことだ。なにせ、本来なら為す術なく吹き飛ばされるか、重撃によって一時的な感覚の麻痺に陥ること頃合いなしの技。その攻撃を無傷でしのがれたのだ。結果としては不十分にも程がある。
それでも焦りを見せない冷静さだけは残しているのか。混乱することなく次に転じる。
袈裟斬りの形で振り抜かれた木刀は流麗な足運びに伴い、二撃目を放つために身ごと引かれる。重心を正すために一瞬だけ彼女の足が浮き立つのが見て取れた。
………その瞬間を最初から狙っていた。自らチャンスをみすみす見逃すほどオレは甘くはない。
後ろに傾けていた重心を利用して倒れるように床に接近した後、伸ばした手をついて、そこを軸にして床を擦る。足払い。彼女にとって半ば不意打ち気味にかけられた足払いは、あっさりと重心を崩させてしまうには十分だった。
「―――えっ……? きゃっ……!」
後ろに倒れる那月はストンと音を立てて尻餅をつく。
オレは木刀を前にかざす。構図としては尻餅をつく那月をオレが見下しているような絵になっていた。
「おいおい、オレに灸を据えてくれるんじゃなかったのか? これじゃオレが据えてる側になってるぞ」
「言ってくれますね……」
悔しげに口の中で呟きながら腰を上げて、再度、木刀を村雨流に則った形で構えてみせる。そのまま間合いをはかり直すように此方を睨みながら僅かに後退していく。
オレは特に深追いはせず、シニカルに笑むだけだ。
「……もう頭にきました。絶対そのニヤケ面に一撃入れます」
「できるもんなら、な」
「やってみせますよっ!」
躍り出す軽やかな足運びに合わせてこちらも動き出す。脳内で再生される村雨流同士の剣術。その映像に重ねるように木刀を振るった。
真一文字に木刀で胴を薙ぎ払う。那月は身体を少しだけ後ろに下げることで殺傷圏から離脱し、振り切った得物を戻すよりも早く反撃を入れてくる。
その攻めを木刀の持ち方を平常から逆手にすることでなんとか対応し、辛うじて木刀で受け止める。
その後も、右切り上げ、逆袈裟、股下からの切り上げ、刀身を反転させて切り下げという連続技の嵐。刀身が接触する都度に、カァン! コォン! と小気味の良い音を奏でている。
そこからは鍔迫り合いに持ち込まれた。ギリギリと押し合う木刀と、バチバチ火花を散らせる視線。おもむろに那月が口を開いた。
「やはり貴方は強いですね。先程は一撃入れるといいましたが、正直、そのビジョンが浮かんできません」
「いいや、残念ながらオレは誰より弱いよ。でも……オレが誰よりも最強だ」
「その言葉は矛盾していますよ。自覚してますか?」
「矛盾なんてしてないさ。事実を明示した、他愛ない言葉遊びってやつだ」
押し合い問答は終わり、互いに後ろに跳びずさる。そこで那月は木刀を振るおうとした。
「村雨流・閃のよ――――っっ!?」
「風切だろ? 解っててさせるかよ」
バックステップを踏んだ後に床を強く蹴ることで、一気に前進して那月の木刀を根元から押さえ込んだ。自身の攻撃を潰された那月は、不利な状況に陥る前に身体を右にずらしていく。
「その動きも一度見たから解ってる」
那月対村雨先輩の模擬線の中での一幕。予想外の展開にぶつかった時の対応が二人とも同じだった。二人ともに共通しているということは、つまりそれが村雨流の動きの一つであるということ。二人の模擬戦からその事を理解していたオレは、那月の逃避を逃がさない。
「――――くぅっ!」
「そこからバックステップして距離を取る、または切り返して死角からの一閃。状況的に後者か?」
次の行動を悟られたからなのか。那月は一度しようとした動作を一歩多く足を踏むことで中断し、崩れてしまった体勢にて、これまでとは違いすぎるヤケクソ混じりな乱雑さで木刀を横薙ぎに動かした。
「苦し紛れじゃ当たらないぞ」
「このっ!村雨流・閃の壱―――閃霞!」
苦し紛れであったはずの一撃。それはオレが未だに知らない村雨流の型であった。自身の木刀で防ぐはずであった拙い一閃は突如加速し、阻むためにあった木刀をすり抜け、横から即頭部に叩き込まれる。
猛烈な衝撃と激痛。不意打ち気味にヒットした一撃を受け、そのまま面白いように吹き飛ばされて床を二、三回転がった。
「………くっそ、痛ってぇな」
ジンジンと痛む即頭部をよそに、感覚が遠くなっていくのが体感できた。いくら身体強化をしている肉体とはいえ、許容外の威力にて脳を揺さぶられてしまえばそれまで。基本的な人間の構造までは変わらない。
靄のかかっていく意識の果てに、焦りを含んだ声音が二つ聞こえた気がした。しかし、内容は一切耳に入ってくることはなかった。
「ちぇっ、オレの負けか……」
オレはそう呟いてから意識を暗闇に委ねたのだった。




